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人間の歴史。  作者: TAK
漢帝国の終り~中世の始まり
33/176

全世界で3億5000万部以上!!

フランス発、1959年刊行「アステリックス」という漫画はご存知でしょうか?

実に3億5000万部以上発行された大ヒットコミックです。




内容は


・時代はローマ共和国時代。


・主人公のガリア人)アステリックスがローマ兵や将軍カエサルに

 いろいろと知恵を絞って翻弄するユーモラスな漫画。


・今でもヨーロッパ人がコスプレしたりします。


・遊園地もあります。大人気。

 ヨーロッパのディズニーランドより入場者数は多い。


・昔、出張中のホテルでカートゥーンだかなんだかでアニメ放送してましたが、

 まあ日本人的にはあんまりポパイと変わらない感じ?


・服装は「小さなバイキングビッケ」っぽい。

 そもそも西洋絵画のバイキングのモデルはガリア人らしいので

 (バイキングは二本角のヘルメットなんて被らない)その印象は

 あっている様子。

 あれ、18世紀の劇の衣装係が雰囲気で適当に決めちゃったらしいですね。

 これが300年以上続くバイキングのイメージになるとは想像つかないでしょう。

 AOEというゲームでバイキングを見ると少し悲しくなります。


なんとも複雑なヨーロッパ人の想いが込められたコミック(アニメ)です。

実はこちらモデルはウェルキンゲトリクスの頃。

ローマに大敗したリーダーです。

・・・・いったいヨーロッパ人はローマが好きなんでしょうか?嫌いなんでしょうか?

今回はそんな話を。





まず、


そもそもヨーロッパ人って人種的にどうなの?


というのがあります。


実はゲルマン人、ケルト人、アングロ=サクソン人とかいかにも人種っぽい名で呼ばれている単語がありますが、これは18-20世紀ごろ流行った似非科学の産物です。

そんな人種はいません。


民族的特性があっても人種的な特徴があったとかは怪しいモノです。

どちらかというと民族に近い感じですかね。

ゲルマン人は「ゲルマニアに住んでいた人」というだけ。

中途半端な科学を用い、政治と絡めて知ったかをし60年後の我々があきれるような恥ずかしい結果になるエセ科学をナチの人々は語っていたわけです。

政治家や通販業者が良く使いますが、XXの科学とか、XXストーンとか、明らかに科学を恣意的なモノにして人を騙そうとするものに容易に手を付けると、ばれると大変恥ずかしい思いをします。

(まあ大和人も遺伝子的にはいないわけですから-縄文人、弥生人ならいるが-お互い様ですが。)



そしてその頃のヨーロッパ史をヨーロッパ人の教科書で見てみるとこんな感じ。


ミノア文明~ミケーネ文明~アテナイ~ペルシャ戦争~アレクサンドロス大王~古代ローマ~共和政ローマ~ポエニ戦争~スッラ~カエサル~ローマ帝国~パクス・ロマーナ~五賢帝時代~ミラノ勅令~(西)ローマ帝国滅亡


全然、ヨーロッパ人関係ないじゃん!!

それローマじゃん!!



ウェルキンゲトリクスを知っていて、かつローマをからかっている主人公のコミックがとっても人気あるのヨーロッパなのに何故なのか?


彼らはいったいどちら側のつもりでいるのでしょうか?



そしてローマ人を奴隷ピシピシ、ソドムとゴモラな退廃退嬰な街と語りながら、その親分である皇帝コンスタンティヌス1世はまるで自分たち代表のような感じ?

聖人!正義!かっけえぜ!

これはローマ人を褒めているのか?ヨーロッパ人代表を褒めているのか?

コンスタンティヌスはヨーロッパ人なのか敵ローマの聖人なのか?

妙に入れ子な複雑な立ち位置です。





まあいいでしょう。

ローマの頃のヨーロッパ人自体が微妙な立ち位置なのは確かですから。


ヨーロッパ人自体は中央アジアのステップ地帯当たりからと言われています。

インドのアーリア人と共通遺伝子があるので、中央アジアで分化し、カスピ海あたりを辿って東欧、北欧に辿り着いたのが彼らと言われます。


正直、ここがローマを通してガリア戦記で注目される前は


「壁画」「最後のネアンデルタール人」


くらい?


まあケルト人はローマ化するまで、あるいは後でも特有の文明を持っており、アルプスの少女ハイジなみの生活は既にしていた気配があります。

文明としての発達はともかく、丸太での家造り、料理、農作、文化としてはかなり高度でしょう。


「マスターキートン」とかいう漫画では主人公が「ケルト文明」とかで一大文明を築いていたとか研究してたらしいです。


文明ってなんぞやという話、それがすごいかどうかは別な話を併せ持つと、それ本当かもという話と、本当だとしても「へー」以外感想はないっす。

それいうなら日本だって文明あったよねぇ?

それが1500人の集会場くらいだとしても。




またユーラシア大陸にまたがるステップベルトが広がっているので、騎馬民族からしょっちゅう圧力は受けているはず。

記録には残っていませんが、漢が強くなって良いように蹂躙され西へ移動していたり、エフタルとかフンとか名だたる騎馬民族が出現しているので。


おかげで東欧人は美人が多いです。


イギリス人も語っていましたが、アングロサクソン~まあ普通にコーカソイドと呼ぶべきか~と一番美人になりやすいハーフは蒙古系の日本人だそうです。(弥生人ではない方)

匈奴とかと同根。東欧人が美人なわけです。



ここもヨーロッパ人の意識の入れ子ですが、


「フン族アッティラ大王が死亡させ、ローマはキリスト教のおかげでフン族を撃退できた!」


ということも妙に自慢な語り口です。


・あれ?彼らはローマ人なのか、そうではないのか?

・この場合、その後ゲルマン大移動でローマ滅ぼしたとかの話はどうなのかしらん?


とか考えてしまいますが。



事実は痛み分けですが)キリスト教が王の権威よりも上になるとか相変わらずユーラシア大陸の騎馬民族が歴史のマイルストーンに登場しています。

実際に幾多の民族が跋扈していたのですが、現代人にとってはブラックボックスな事柄ですが。




まあいろいろありますが、上の事柄はなんともはっきりしない事柄です。

なにしろ文明から離れていたか、謎の文明が途切れたのか、痕跡しか残っていませんから。




ギリシャが都市国家ポリスを築いたり、ヘレニズム文明が出来たとしても、ここはみんなから丸無視されてます。

あんまお金も文明も資源もなさそうだしね。



しかしローマが地中海を征服して、スペインの鉱脈地帯とローマを結ぶアウグスタ街道が出来、ハンニバルを押し返した後にアルプス越えの街道)クラウディア・アウグスタ街道が出来、ガリア人(フランス人)の近くを通るようになり、歴史に出現するようになります。


南部の肥沃な土地で小麦栽培に適した人たちは、普通に農耕を習い、普通にローマ人として暮らしました。

ガリア人=ガリアにすむ人々という意味なので、こちらも民族的特性のみで遺伝子がどうこうではありません。

フランスが文明国であると誇るよりどころなのがこちらです。

そしてそれ以外は侵入しようとしてくる蛮族

ローマとの戦いというより、ローマの内側のガリア人と外側のガリア人との争いという感じ。



そしてそんなウザい集団を蹴散らす為、いよいよガリア戦記の時代になります。

カエサルがヨーロッパ中を蹂躙します。

嘘か誠かほとんどの男が死滅したという。



一番有名なのはアレシアの戦いですかね?


ゲルゴウィアの戦いで思わぬ敗北を受けたカエサルに、調子にのったウェルキンゲトリクス追撃戦を仕掛けて撃退され、8万人のガリア人がアレシアに逃げ込む。

それを包囲する6万人のローマ軍。

そこにウェルキンゲトリクスを助けよと名だたる部族がかけつける歩兵250,000、騎兵8,000。


そこでカエサルのとった作戦は野戦築城。

8万人がいるアレシアを土塁で囲み、さらに外側にも土塁をつくり、外側から開囲をこころみる25万人の様々な部族たち。

そこにはベルガエ族(ベルギー人)、アングル族、サクソン族(アングロサクソン人)、名だたる勇猛なさまざまな部族ども、しかも今まで何度も蹂躙され、煮え湯を飲まされた連中が攻めてきてすごいことに。

なにせ30万人以上ヨーロッパvs6万人(ローマ)


内側は何度もウェルキンゲトリクスが解囲を試みましたが強固なローマの陣は敗れず。

外側は陣で受け止めつつも騎馬部隊を縦横無尽に走らせ、最後はカエサル自ら囮に出て敵の攻撃を集中させ、騎馬による伏撃で撃破。


「この戦いは己の栄誉のためではなく、全ガリア人を解放するための戦いだった。運命が私に敗北を与えたのならば、それに従うことにしよう。私を殺すか、あるいは生きたままローマ軍へ引き渡すか、諸君らが選択したまえ」


この戦いの後のウェルキンゲトリクスの言葉です。

カエサルは敗将にも寛容で有名だったのですが、彼だけは処刑しました。

有能だったのでしょうね。彼だけは脅威に感じたのでしょう。

それでも、いえむしろそれだからなのか、カエサルにケルト人はかなり長期にわたって忠誠を誓います。

ローマが滅ぶ直前でも、それについていく親衛隊にケルト人がたくさんいたご様子。


ちなみにその時にゲルマン騎兵を雇っていますが、ゲルマン人の貧弱な乗騎とローマ騎兵の健康な乗騎を交換したそうです。

蛮族であっても能力があり、必要があればエリートとして遇する。

ここらへん、当時でもカエサルがヨーロッパ人に人気だった理由の一つかもしれません。

ローマのSPQRかっけぇ。

人とは恵んだり施したり持上げたりする前に、先ず尊重する事。

この精神は見習いたいものです。



最後のローマの滅びの時も、妙に複雑な手続きで征服したりしなかったり、禅譲を求めたり、あるいあ小さな蛮地で程細と生きていくのを認めたり、ゲルマン、スラブ、ケルト、ヴァンダル、周囲の様々な蛮族に蹂躙されたものの、妙に政治的に複雑な動きをしていたのも、こういうのも彼らがローマを好きだったからという意見もあります。


ついでに滅びた後も、ローマ発信源のキリスト教会がヨーロッパ各地の村の中心となったり。

これもローマの残滓だったからでしょうね。

ケルト神話、ゲルマン神話を取り込み、村のインテリゲンチャである(後に魔女と呼ばれる)占いばあさん達も取り込み。


おかげで正統に育ったキリスト正教に比べて、カソリックはあとにダンテ)神曲、ミルトン)失楽園、あるいは永井豪)デビルマンにつながる妙に色っぽい宗教になります。


どれも読んだ方が良いです。

17世紀のライトノベルというか、ちょっと中二病がかった面白さです。あ、デビルマンの実写は期待しちゃダメ。



ということで、ヨーロッパは微妙な立ち位置で、征服されたわけではなく、でも南部はその一員で、ほぼ服属はしてるけどたまにちょっかいをかける。でも交易もする。

なんともいえない立ち位置になったわけです。


イギリスに住んだケルト人だけは微妙な位置づけですね。 (あるいはアングル人?サクソン人?)

南半分はローマに征服はされましたが、だからといってローマに密接に関係したかは何とも。

端的に言うと


「放置プレイ」


だって遠いんだもん。

でもロンドンとかローマ人の温泉とかあったらしいですよ?

まだイギリスにマーリンもアーサー王もいない時代。


 「イギリス史はローマ帝国によるブリテン島支配の時代から始まる」


というように、イギリス人は自分たちが野蛮だったことは何度も自嘲も含めて話しています。

まあ彼らにはバイキングがいます。

後に攻めて来て、イギリスの文明を大いに上げる予定。


ローマ時代のヨーロッパ地方はこんな感じで。

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