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人間の歴史。  作者: TAK
漢帝国の終り~中世の始まり
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漢帝国の興亡

紀元前753年年から始まり、西暦476年9月4日に終了したローマ帝国。

 #東は西暦1453年まで続いているので国際法的には滅んじゃいませんが

実に1000年以上世界を引っ張ってきた国です。


その期間の間、古代はローマが引っ張ってきました。

もちろん異論はあるとおもいますが、結局すべての科学技術はここに集まる仕組みになっていたのです。

「すべての道はローマに通ず」


しかし、もちろん世界を俯瞰して見るとローマが居た跡は大きくありません。

今回はその間を遡ってそれ以外の地域の話を。




当時の地球儀を見ると、ローマよりよほど大きな国が東にあります。


「漢」


これ以降もずーっとそうですが、中国は人類史が始まって以来のほとんどの期間は世界の中心だったというのは何度も話したとおりです。



都市国家群、戦国時代を経て、強大な帝国を打ち立てたのは他地域と同様ですが、他地域とは違うのは、それが非常に早く、かつ人口の多さも含めて進み方非常に有利だったのです。

日本など未だ石器時代に毛の生えた生活しかしていないころ、すでに強大な文明を打ち立てていました。


現代の中国人が「漢民族」と言いたがるのはその強大な「漢」を誇りに思っているからでしょう。


現代に中国大陸に住んでいる人は、その後何度も上書きされ、都市も文化も破壊され、遺伝子どころか続き物としての政権のエッセンスさえも継承していない怪しげな状況にもかかわらず、

(土地以外漢帝国のなにも継承していない。むしろ土壌や植生の問題で土地さえも継承していないきがする)




「漢」帝国の強大さは、ひとえに戦国時代に揉まれて作り上げられた中央集権制度でしょう。

秦が数代かけて作り上げ、漢が受け継いだ制度、文字、貨幣、度量衡はほぼ完成されたモノです。

(いまでも下手すりゃ通用します。システムとしては共産主義より余程洗練されている)


たとえばローマも同様に強大な帝国をうちたて、長く続きましたが、その政治システムは毎度非常にドラスティックに変わっています。(共和制から帝国に変わったことさえ小さな事とさえ言えるほど変化は激しい)

中東も脈々と続いていますが、宗教という要素も含めて案外原始的なものです。人口は他の2つに比べると圧倒的に少ないし


中国だけが自分たちの作り上げた中央集権制度を、大きく変更させずに続けています。



また、「匈奴」や強い辺境部族が隣にあることも大きな位置を占めるでしょう。

人材、制度、科学技術のプールの役割、圧迫による刺激の役割、特に騎馬という軍事技術が圧倒的でした。騎馬兵は古代では航空機に等しい戦略兵器です。

というか、当時の匈奴を蛮族といっていいものやら。

人口はともかく、科学技術、商業という点では、秦や漢がそもそも蛮族で辺境だったという認識の方が正しいかもしれません。



そして「人口」。

これは絶対に騎馬民族には得られないモノです。

建国期2000万から最盛期6000万くらいでしょうか。


ローマも5000万人最盛期にはいたとなっていますが、中国では人口の99%以上がローマで言う「奴隷」の

役割です。(中央集権では貧富の差が激しい)

ローマのような強靱さとはまた別な意味で強力な力をもっています。


ローマでは数%を軍事に使用するだけで政体がガタガタになり、全体の経済力がいくらすごかろうが余剰生産力が怪しくなり、政府の信用が怪しくなればガタガタになります。

現代国家に通じますね。


しかし、漢では数十%使用しても全くOKな政体です。人口が数分の一になっても政権が維持できる強固な政府。

しかし、人の命は安っすい、安っすい。

中国の人口が大きく差異し、事実上「漢民族」という遺伝子がほとんどいないこともわかるように安易な殺戮、人の命がとっても軽い国でもありました。



漢は、あるいは「世界の中心」で強大で、とんでもなく大きな経済力を持っていた割に、ローマに比べてとっても貧相な科学技術、特に軍事の面で、じつは騎馬民族に比べて著しく劣っていたのです。

 #なにしろ漢のほとんどのGNPは農業でしたから


歴史上は劉邦の大失敗での匈奴への従属となっていますが ここらへん、個人の才に失敗を求めるようなモノでもないでしょう。

誰がやっても、いずれ従属したでしょうから。


ちなみに万里の長城を世界3大無駄と言い切っているのは当時の漢の状況を考えれば如何なモノかという部分があります。

国はまず、外圧から国民を守ることからはじまりますから。

衣食住の保証は蛮族からそれを守ってこそです。

  #現代の万里の長城は後代につくったものです。

   秦の始皇帝からはじまったこの工事はもうすこし北で、

   かつ城ではなくて単なる土盛りでした。

   あくまで村を守る砦の延長でしかなかったのです。

   その費用の圧迫が秦の滅びの原因のひとつではありましたが、

   皆の想像するような壮大な無駄とかではありません。

   単なる土盛り




しかし、匈奴との交流、馬の有用性、軍事技術の発達、肥沃の土地と人口の裏づけの数の暴力で科学技術は発達し、これを逆転します。

紀元前202年からの屈辱の従属は、紀元前141年に即位した武帝によって逆に匈奴を追い払ったのは以前書いたこと。


そして匈奴を追い払った力は強大で、シルクロードを包むように国を拡大し彼らを押しとどめることが出来たのは地中海ぐらいなほどの勢いで西方に拡大しました。

更に朝鮮半島北部、ベトナム中部、その広大さはローマどころではありません。

騎馬民族という圧力をはねのけてようやく開花したというところでしょうか。

 #ちなみに匈奴はローマで言うフン族です。400年後、ローマ滅亡の直接の

  原因がかれらであることは皮肉なこと..


西方貿易といった商業のきっかけも匈奴でした。

もともと騎馬民族がもっていた商業ルートしかり、彼を打ち倒すためにいろいろ国を回って開拓したのもしかり

 #張騫が同盟を組もうとして大月氏国を探した話は有名ですかね。




しかし漢も含めて、常に中国政権のアキレス腱は内政問題となります。


恐竜と同じで、強力さ強大さを求めると、常に組織は肥大化します。

ローマのように、同じ国家システムがリセットされる仕組みを内包していたり、あるいは中東やインドのように、政権そのものが頻繁に変わるのならばよかったのでしょうが、漢(あるいは後代の中国の国家)はなまじシステムが強固でした。

肥大化が数百年続いたのです。

更にシルクロードによる商業の発達が、国民のほとんどが農奴以下という状況からちょっとだけ外れ始めたのです。


西暦8年に王莽が政権を奪取し、いったんは漢はなくなりましたがもともと拡大路線と官僚、軍事の肥大化、むしろ漢にとっては延命処置に近いでしょう。

  #蛇足ですが、王莽の政権は現代の民主党みたいです。

   あまりに儒教という宗教の理想主義に凝り固まり、

   理想主義のよくある現実離れした思想、現実との乖離を

   修正しようとした場当たり的な政策、共産主義と同様に現実には

   いつでもある汚れを無視して、あるいは強引に汚れを修正して

   寄生虫のような連中(あるいは秘密警察?)が跳梁跋扈し、

   これら問題を外征にもとめて疲弊、最後はドボン! 

   どこぞの日本の民主党とそっくりです。あるいは日本帝国というべきか..




その後、新しく生まれた漢が長く続きます。

しかも今回は商業もきちんと取り込み、比較的国民には嬉しいであろう平和な政権が続きます。

軽い政府、国民に優しい政治を心がけます。

が、結局根本的な肥大化は変わらず、たくさんの役人がたくさんの宦官になっただけ。

やっぱり同様な問題で国が荒れ、いわゆる三国志、戦乱、内乱の状況に突入します。




興味深いのは2つ



一点目は周辺国の台頭。



三国志きっての悪役「董卓」は中国北方の「湖」や「西夏」のオアシス国家の連中をひきつれている。

呂布と関羽の愛馬「赤兎馬」もオアシス国家であるウイグル地区のもの。馬格が巨大。


曹操は烏丸族といったモンゴル騎馬民族をひきつれて青洲兵と並べてぶいぶい言わせてる。


袁紹は満州族(女真族)。


孫権等は呉の連中は南方、そもそも勇猛なベトナム民族とかも支配地


劉備は南蛮(ビルマ方面)


見方を変えれば、各民族が中原に押し寄せてきて三国志の英雄はその各代表という考え方もできます。

まあ曹操の青洲兵は漢民族でしょうが。

伝説では一番残酷。




二点目は宗教戦争。



このころ余程国の状態が末期状態だったのか、儒教に代わる新興宗教が台頭してます。

ほとんどの宗教は権力者の道具、「坊主丸儲け」の通りで農民だまして飢え死にしそうな農奴から更に搾取しただけだったのですが..


太平道を唱えた張角、これだけは別格。

漢帝国を直接的に滅ぼした「黄巾の乱」が有名ですね。

乱自体は失敗しましたが、これは後の世に大きな影響を及ぼします。


三国志で有名な曹操は青洲兵として取り込み、宗教としても認めています。

#曹操は儒教を軽く見たと言いますが、そもそも中国全体で儒教は軽くなっていたでしょう。

そして曹操のつくった魏が晋→隋→唐と政権が移り変わってもこれら残っています。



もしかこれは仏教や神道を差し置いて日本で一番成功している宗教かもしれません。


あの有名な西遊記も仏教の経典を取りに行く話のわりにはこの宗教の影響が大きく、更に元々日本に大きな影響を与えたので後代の日本人が勝手に更に西遊記を作り変え、堺マサアキやら夏目雅子やらを見て目を剥いています。


太平道は五斗米道へと信者が流れ、その『太平経』は道教の経典の一部として認識されています。

そして道教自体は大昔からの中国地方の土着宗教と言われているものの、明確に整理されたのは唐あたり。

曹操も面白がって保護していたとかなんとか。(真実かは知りません)


考え方は


「五行」いわゆる自然を明確に表すこと、

「大極」世界は循環していること(韓国の国旗)


これを世界の認識として考え、


この世界はとっても修行をすると神仙の類に近づけて何でもできるようになるよ!!

がんばって修行しようね!!!

不老不死にだって霞食べて生きていけるようにもなるさ!!!



こんな考え方。


ちなみに日本ではこんな感じで変形しています。


・陰陽道


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」

「かー!!」

「どかーん」


あれ忍術でも神主でも袈裟着て孔雀の印を背負った坊主でもなくて(あの漫画、良く考えればめちゃくちゃだよね。ブッダさまが多信仰の神道の名前の神を引き連れてインドの神とかと戦うの)道教だったのね。

天照とか月読とか一切関係ありません。


ナルトも犬夜叉も孔雀もアマテラス様もびっくり!

昇竜拳はもっと関係ないらしい。修羅の道にいっても出来ないらしい。


・五行


「木・火・土・金・水」とか?


そういえば西洋は四行だったのに「地、水、空気、火」いつのまに日本のコミックの影響で五行になってた。ナルト恐るべし。



・修験

・神仙


恐山の巫女とか口寄せとかもこっちなのね。



・風水

これは女子高生に人気。

うちの娘女子高生ですが興味ないけど。


暇な主婦的な人にも大人気。

不動産屋さんも一読してます。

日本人と相性良かったのでしょうね。

日本っぽい占い全般はこちら。



なんか日本っぽい修行や忍術、呪いやら全部こちらだったんですね。

隣の中国人同僚もさっぱり知りませんでした。

ナルトファンな米国人も誤解したままです。

なんか日本人っぽいの全て中国からだったんですね。

びっくり。


もうこうなったら日本オリジナルは「ドラえもん のび太の日本誕生」と鋼鉄ジーグくらいなことがわかりました。



ということで、漢は自分の重みに耐えかね滅びました。

でかい割にローマ帝国に比べて残したものは少ないです。

ボウガン程度?中央集権のノウハウは大事ですが。


その後、人の命が安い時代に突入。

漢で6千万人ちかい大人口の中国は800万人以下になってしまい、宗教も民族も入り乱れて大いに生みの苦しみを味わっています。

本当に中国は人の命が安いです。

またその後に強大な「唐」というスーパーパワーが生まれますが、どうも中国人は不幸ばっかりに見えます。

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