クリスマスなんて、好きな人がいなきゃただの平日
さて、古代の世界はいろいろあったのにローマだけ突出させて滅ぼしてしまいました。
漢はこの時点ではとっくに滅んで三国志とか次の苦しみを味わってます。
それ以外の世界では、まあシケたものですが続いています。
でも古代は間違いなくローマがイニシアティブをとっていたので許してもらいましょうか。
次はちゃんと遡ってきちんと説明します。
さて、今回は少しだけ寄り道を。
今まではあまり重要ではない役割しかなかった、この後は常に重要な位置を示し続ける
「アブラハムの宗教」
を。
いわゆる「一神教」ですね。
多神のうち1柱だけを信じる、というタイプの一神教(=単一神教)を除外します。
それは多神教の優劣をつけて「俺が一番偉い」の権威づけだけの為に始まった宗教ですから。
まあ一神教そのものは最初は単一神教だったという説はあるものの..
バベルの塔を模して、そもそも最初はすべて一神教で言葉が増えて多神教になったとかトンデモ説はありますが。
古代以前では、そもそも多神教が当たり前の世界です。(多分)
だってそもそも「神」「悪魔」は、本質的には「わからないもの」を擬人化したものですから。
そして育った環境、良い悪い優しい厳しいで神に対する態度が異なると。
たとえば大抵の場所は太陽を「恵み」と考えるので主神だったりします。
世界の暖かいことを擬人化したいとなると、しょっちゅう目につくものでありがたいものを拝むのは当然の事。
逆に猛暑むかつくとなると夜を恵みと考え、それを擬人化したものが「月神」
それ以外にも神はたくさんいます。
「海」だったり、「死」だったり、「豊饒」だったり、「鍛冶」だったり、「衣料」だったり。
だがそんなものがぬるいと考えるような過酷な環境ではどうなったか。
・神は全能の神がただ一人いるだけ
・神は全てをわかったうえで試練を与えている
・自分が苦しいほど神に近づける
生きるのがとてもつらいので慰めているんですかね。
バラモン教や一部の仏教とかも苦行を強います。
こういう概念は、最初はエジプトにて多神教の否定としてのアデン神崇拝が産まれたと言います。
本当かどうかはわかりませんが。
これがユダヤ教の元となっているんだとか有名な心理学者ユングが言ってます。
紀元前1513年の聖書が最初とか、死海文書が超大事とかも言われますがここらへん謎です。
ヘブライ語で「YHWH」、ヤハウェ、これが最初の唯一神の神とか。
まずは聖書、啓典、それが何かはともかく一つの「教え」が生まれました。
旧約聖書と言われますが、この「旧約」はキリスト教徒のみの考え方です。
キリスト教はその後新しく神と契約したので「新約」
仏教でも小乗、大乗とありますがそれと同じ。
キリスト様がお亡くなりになって復活した時点で新しいことが追加されてます
西暦85年ごろの「マタイによる福音書」から「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書 」とか増えてます。
背景が知りたければ科学的なもの、心理的なものも含めて、超お勧めがこちら
アシモフ「聖書を科学する」
西洋人でキリスト教徒のくせに冷めた聖書の分析は見事です。
絶品です。
さて、最初の唯一神教。。。かどうかはわかりませんが、メジャーな最初はユダヤ教だと言われています。
砂漠で生まれた宗教。
そもそも苦行を善とする宗派等も交じっている殺伐とした宗教。
この教義を信じたいと思っても、ルール、覚えなければならないこと、儀式、たくさんあって改宗はとっても大変です。
なんとなく密教じみています。
しかも、その教義の実践が難しすぎて頭の体操になっているのかインテリゲンチャが多い。
さらに無理に広めようともしない。
おかげでいろいろな国家に所属しましたが、どこでも嫌われ者です。
かわいそうに。
旧約聖書に悪口書いている国は、逆に嫌われていたから意趣返しと思った方が良いです。
聖書はそもそも「物語(ある種の歴史書)+ネガなことがあったら悪口(地獄に落ちろ!)」
エジプト(赤ちゃん投げ捨ててどうのこうの)、
バビロン(神の教えそむいて塔立てて迷惑)、
アッシリア(こいつら悪魔)。
その後のローマでも「マサダ砦」とか「ユダヤ戦争」とかで続いてます。
ついでに後年ではヨーロッパで「ヴェニスの商人」、、、これはヴェネツィアも御漕ぎな商売してたと絡んでいるので倍プッシュです。
ナチスドイツの所業が有名すぎてなんですが、そもそもユダヤ人の迫害はドイツ人だけでないです。
どころか、そもそもドイツ人は寛容だったので比較的多く受け入れ、そのおかげで経済がパンクした時にこいつらむかつく運動に火がついたというだけで、それ以外の国の方がもっと嫌われ者です。
ドイツはとってもマシなほう。
というかWW2でもドイツ本国より悲惨な目に合っている国がある時点で、きっと国ごとにユダヤ人排他に違いあります。
かばう人がいれば強烈なこと出来ないし、率先して嫌われれば迫害しやすいし。
とにかくユダヤ人はそこらじゅうでトラブル起こしていたということで。
そんな中でローマでは「ユダヤ教ナザレ派」というべき新たな宗派が生まれました。
時代のニーズに合わせた庶民的な派閥です。
本流のキリスト様のみがそれをやったというわけではないようです。
似たような考え方がその頃から生まれ、後年に次々と融合していったと言われてます。
都市部を中心に受け入れられていったようです。
「離婚の神」だの「飽食の神」だの神聖視できないような俗物的なローマの神に飽きていたのかもしれません。
都市部で人口が増加し、貧富の差、負け組、理不尽な人生、ローマでもいろいろな人が増えていたのもあるかもしれません。
自己を律することにかっこよさや生き方を見出したのかもしれません。
現代の日本でも、多神教の湯島天神だの金毘羅様とか俗物な宗教だけでなく、ストイックな宗教にはまる人いますね。ただストイックならよいのですが、新興宗教に結構な高学歴な人がはまります。
当時のローマで一番ストイックな宗教はユダヤ教。
でも現代でも入信は時間かかるし難しい。儀式も学ぶことも複雑。
とうしても躊躇するでしょう。
しかもローマ人ともギリシャ人ともしょっちゅうトラブル起こしているは、政府にも「要注意」で警戒されていたし。
で、あらたな宗教がぬるい「キリスト教」。というより、まじめに「ユダヤ教ナザレ派」と当時いわれていたようです。
しかし、本来の様々な知識や手順を必要とする、そしてそれがとっても大事なユダヤ教にくらべて
「信じるものは救われる」
などという、信じるだけで良いだけのぬるい教えは相当ムカつかれたようです。
しかもこの時代、ただでさえ人々を混乱する「預言者」が多発し、それを取り締まるユダヤ教の指導者は頭が痛いことばかりでした。
イエスキリストは他の預言者と同じような扱いをうけて処刑されてしまいます。
まあ当時としては当たり前の事件。
復活..これは本当かどうかはわかりません。
とにかく、事件は起こりました。
キリスト教は、今でこそ世界最大の宗教ではありますが始まりは小さなモノでした。
その事件は普通に処理されて終りです。
ローマの法務官も、
「可哀そうだから赦しちゃおうっかなぁ」
という意識もあったようすが、裁判記録を見るとちょっと頭がイっちゃってる人扱いになって処刑OKとなっちゃったみたい。
あくまで印象ですよ。キリスト教徒の人すいません。
この小さな事件が後に世界最大の宗教となるきっかけになるとは思わなかったでしょう。
最初は悲しいほど小さな宗教だったようです。
しかし、都市部でその後信徒が頑張ったので人気が出てきました。
キリスト様、本当に良い人だったようですし。
その70年後くらいにはユダヤ教徒と本格的に争い始め、
ネロ皇帝の頃は「新興宗教」として認知されていました。
#なので大火をあいつらに押し付けちゃおー、となる。
身分の固定化、帝国外縁部の蛮族侵入で都市部のスラム化が激しくなった300年後くらい、信者数は激増したようです。
ミラノ勅令直前で帝国の人口の5%くらい、勅令後は帝国の3割は信者になったとか。
尚、ローマ帝国でキリスト教は迫害されたというのは嘘だと思います。
兵役を拒否して迫害されたんだとか、怠惰で飽食なローマ市民には邪教として扱われていたんだ、とかデマが慣れてましたが、そもそもローマ市民は勤勉です。少なくとも周辺諸国から言われてました。
怠惰で飽食など後のキリスト教徒からしか言われてません。
そして戦いを拒否したとかいう裁判記録をよく見ると
「他のキリスト教徒は頑張っているのに、何お前だけ駄々こねてんだよ」
つまり他のキリスト教徒はきちんと兵役を果たしていたんでしょう。
というか近世以降の戦争大好きっこなキリスト教徒が何言いますやら。図々しい。
単に、後のヨーロッパが自分を良く見せるためのデマですね。
あとキリスト教を国教として認めてくれたコンスタンティヌスを良く言いたいですし。
なんにせよキリスト教徒はローマで順調に信者を増やしてます。
でないと「ミラノ勅令」(キリスト教を国教とする)なんて起こるわけありません。
ユダヤ教に比べてトラブルも少ないです。
どころか素朴で礼儀正しくて助けてくれるとか、評判いいです。
「隣人を愛せよ」をきちんとやっていたようですね。
ディオクレティアヌスによる迫害が最大のモノとされていますがどうでしょう。
単純に信者数が増えたからトラブルも増えたというだけかもしれません。
多神教であるローマでは、キリスト教の一神教の教えがひっかかる部分ではありましたが、キリスト教の大概は受け入れられていたと考えて良いと思います。
そもそもローマ人はどんな神でも信じてよいとなっていますから。
そしてキリスト教はユダヤ教をローマ人に受け入れやすくしたものですから、ローマ人に受け入れられのは当たりまえ。
ついでに言うと、記録上かなりストイックな宗教で、高潔で人格者な信徒が多かったことも予想もされます。
#これはキリスト教に限らず、アブラハムの宗教は全般そうですが。
それでも信徒は3割。
とくに東ローマを構成する機会主義的なギリシャ人は、決して信心深い信徒とは言えないものでした。
#だから後の十字軍や信心深いスペインがヴィザンチンを嫌っていたのは、
ここが名目上のご本尊だからだけではありません。
そもそも信仰が薄かった。
しかし(西)ローマが滅びた時、その信仰はとんでもない化学反応を起こしました。
キリスト教が世界最大の宗教になる最大の理由。
「良心」が世界を救った数少ない事例だからです。
ローマがローマでなくなった後、いろいろな意味でヨーロッパは地獄でした。
フン族、ゲルマン族、海賊、
ありとあらゆる民族が入り乱れ略奪、破壊、組織の瓦解、人口激減、農場の放棄、海路が寸断...
豊穣なローマは奪われ続け、技術の発達、得に騎馬の発達が他の文明、文化、技術を崩壊させていったのです。
世界で希有な法治国家であったローマも、すでに法を遵守する裏付け(政府)もなくなり、人々をつなぎ止める力も失われ、経済活動も人の流動化、物資の安全な輸送が不可能になり、経済も一気に衰退しました。
国家として人をつなぎ止め、互助するありとあらゆる機能が失われたのです。
現在の教育は「世界史」=「ヨーロッパ史」でもあるので、この時代もいろいろな情報が残っていますが、世界という広い視点から考えるとヨーロッパが表舞台に立つのはもう少し後です。
その長い時間、ローマが失われた直後は、記録書である文明国に空白期間が生じ、閉鎖的な中東でちょこっとした記録以外は残されず「暗黒時代」と呼ばれる時代でした。
世界の流動性がなくなり、都市に城壁をたてて蛮族から身を守り、身分の流動性、都市の行き来がなくなり、その精神のよりどころがなくなり。
ヨーロッパの世界(あるいは地中海世界)をなんとかつなぎ止め、文化を継承したのはキリスト教です。
ヨーロッパ各地で起こった事象の典型的なのが、たとえばヴェネチアでしょうか。
ローマが瓦解し、ありとあらゆる難民が蛮族に追われ、奪われ、殺されていく中、人々は身を寄せ合って沼地で葦しか生えていないまともな土壌がない、人々に見捨てられた辺鄙な土地に逃げます。
彼らは何も持たず、生きるのがやっとという状態、蛮族もそこまで辺鄙な土地までは追いませんでした。
そこで富はないが高潔で高度な教育をうけたなキリスト教徒が、人々を慰め、鼓舞し、村を作ることになります。
不潔な土地、まともな住居も建てられない土壌、人が行き来もできない病原菌の巣の水はけ、農業さえ出来ない無産業な場所、周辺には無数の蛮族...
聖書が読める数少ない文化人であるキリスト教徒が中心となり、ストイックに根気よくこれら土地を埋めていきました。
沼地が運河になるように水脈をコントロールし、
橋をかけ、
運河と船の交通網をつくり、
海賊の跋扈する地中海に命をかけて貿易路を切り開き
日々の糧を購入できる産業を作り上げました。
村の中心は教会となりました。
人々は情報をそこに求め、そこに情報を提供しました。
産まれた赤子を神父に認めてもらい、名をもらい、神のありがたい話を聞きながら社会というコミュニティに参加し、ローマ時代に得たありとあらゆる知識を神父から教えてもらい、
逆に神父に頼まれて人々のためにその知識や技術、労働、命さえ提供し、最後には年をとって神の元に召されたのです。
他都市と交流がほとんどない状態で、民衆の生活のほとんどは自宅とキリスト教会となったのです。
将来と異なり、権力に汚れていない、どころか権力というパワーは皆無なキリスト教会は、まさに神の教えで人々を救ったのです。
多神教のローマの神々ではとても出来ないものでした。
やがて、周辺から人々が身を寄せるようになりました。
蛮族が来れば皆で守り、あるいは蛮族に追い落とされた蛮族が頼ってくるとそれを受け入れ、段々と人があつまります。
村は町となり、街となり、都市となり、やがてそれが繋がり、都市帝国が誕生しました。
後の千年帝国「ベネツィア」のはじまりはこんなでした。
「ヴェニスの商人」
「十字軍を組織してキリスト教の総本山ビザンチンをせめて不心得国家」
いろいろ言われていましたが、この国はまさにキリスト教の「良心」が作った国家でした。
#ヴェニスの商人はベネツィアではありえない創作ですし、
十字軍のときは、どちらかというとあほな口先だけの
キリスト教徒の王様を助けた行為です。
ビザンチンが滅びたとき、最後まで救おうとしたのはヴェネチアでした。
これは想像でしかありませんが、現在ヨーロッパの大都市となっている場所のほとんどが大なり小なり似たような成り立ちだと思っています。
フランク王国、神聖ローマ帝国、やがては様々なヨーロッパの国々となる元。
教会は、ほぼ瓦解したローマの知識を貯めたシンクタンクとなり、後のヨーロッパにつながる貴重な資源を引き継いだのでした。
おかげで、キリスト教を否定するべき根拠ともなるローマの知識や習慣は失われてしまいます。
コンスタンチノーブルの銅像とか、本来は皇帝とか多神教の神を祀る素晴らしいモノだったのを、そういったものをつくる技術が失われて、リサイクルしたのです。
だから、なんとなく芸術的には醜いものが残っちゃったりするコンスタンチノーブルの芸術の数々。
またローマは、いつのまにキリスト教を迫害しキリストはそれをはね返したという悪役になってました。
逆に、異教徒、異宗教はそのころのキリスト教に受け入れられ、吸収されていきました。
やはり蛮族を取り込むためには寛容でなければならなかったのでしょう。
一神教は神は一人なので、他宗教の神はキリスト教では天使や妖精、立派な聖職者という役割で取り込みました。
ミカエルとか十二使徒は、はじめの頃の聖人か、他宗教の神です。
悪魔になってしまったのもありますが。
ベルゼブブとかも本来は他宗教の神ですね。
後の世に魔女となって迫害されてしまう民間伝承も、このころは積極的に救い、取り込み、その知識を貯め込む対象でした。
おかげで教会のシンクタンクの役割が益益高まりました。
おかげで純血ローマ人は地中海の島以外には少なくなってしまい混血が進みました。
典型的なローマ人は、身長が低く、魚を主に食べる温泉好きな人種でしたが、ゲルマン人に追いかけられたゴート人、フン族に追い落とされたゲルマン人、他の都市国家に迫害されたフン人とかを吸収しているうちにいまの典型的なヨーロッパ人となりました。
ということで、ヨーロッパ人も実は混血なのです。
これもキリスト教の功罪でしょう。
西洋文明の概念に毒された私には寛容でとてもすばらしいことと思いますが。
#なのでナチスドイツが唱えた純血アーリア人とかまぬけな似非科学。
ちょっと順番がぐちゃぐちゃになりました。
ローマからヨーロッパにつながる直後の騒動を描きたかったのです。
次回は少し遡って漢の滅びを書きますが、まずはこんな感じで。




