ローマは一日にしてならず
紀元~紀元300年頃までを世界地図でみるとこんな感じになっています。
・東に漢とその引き立て役の騎馬民族達
・西にローマとその引き立て役として中東や蛮族
他の場所は混沌としています。
ローマと漢は地政学上、国の成り立ち、制度、国状、産業、どれも共通しているところはありませんが、どちらも勃興期には強烈な外圧にさらされていました。
いったんは海から追い払われ、川で揉まれ、戻って王者となった脊椎動物とかを思い出し、歴史を生物学に結びつける人達の気持ちがわかる気がします。
しかし、それ以外のローマと漢は180度異なる国です。
典型的な海洋国家と大陸国家の違いという所でしょうか。
そして今までなかった海洋国家としての礎を作り上げていきます。
なるべく少コストで自由に商売できるような体制。
現代の民主主義とは言いませんが、というか現代の民主主義があってるかどうかも怪しいですが、決断の遅さや人気取り、騙しだまされ、似たような問題も発生してます。
宗教問題。多神教なのに一神教がカルトみたいに騒いでいるのがあり。
そして自由経済ならではの貧富の差、
既得権益を守ろうとするものと、伝統を蹴破ってむしろローマらしさや愛国心(というかローマは愛国せよという精神からほど遠いので愛着というべきか)を失われること。
独裁の効率よさと弊害。
現代でも感じる様々な問題がローマですべて噴出しています。
今回はそれがテーマ。
つらつらとローマが経験したことを書いていきます。
ローマはフェニキア(カルタゴ)を打倒した時、それが狙っていたものとはとても思いませんが、いつのまに地中海を「ローマ人の浴槽」としていました。
地中海沿岸は様々な土地の様相を持っています。
スペインから時計回りに特色を言ってみましょうか。
スペイン :鉱物資源。ローマの貨幣の鋳造はこちら。鉱毒による初の公害?
フランス南部:穀倉地帯。葡萄。ゴート(ケルト人)
コルシカ :良港。豚等、肉の産地、漁業、観光地
シチリア :穀倉地帯。食糧、葡萄、酒、観光地
イタリア :首都。重装歩兵といった軍人の要。百万都市ローマは商業の要
ギリシャ :マケドニア、スパルタ。トラキアも含めて重装歩兵。
軍事の要。ほぼローマ市民。
哲学といったシンクタンク、留学、教師の算出。葡萄
海運
小アジア :オリエンタルないろいろ。穀倉地帯。宝石とか。
シリア :樹木、船の竜骨に適する大きくて丈夫なレバノン杉
穀物。宗教?
エジプト :穀倉地帯。まあ独立してますがあんま意味ない弱小。
シンクタンク。アレキサンドリア図書館
シリア :穀倉地帯。神殿。観光地
カルタゴ :北アフリカの中心。穀倉地帯。港湾都市。
ヌミディア :馬、穀倉地帯、温泉とか
モーリタニア:穀倉地帯。温泉。ジブラルタル海峡(スペインへの入り口)
もちろんこれらいっぺんに入手したわけではありません。
しかしカルタゴ、ギリシャ、マケドニア、シリア、カルタゴ、ヌミディアを抑えたら、地中海ではそれ以外は未開地なのか、同盟国なのか、属州なのかの違いだけです。
これらさまざまな特色、人種、産業を全て地中海を使用して有機的に結び付けています。
これら多種多様な人種を結びつけたのが法律。
ローマの六法全書はとんでもなく厚く、上書きされてとんでもないことになっています。
とにかく遡及法。ローマ人の執政官といえども当然守ります。もちろん執政官が終身独裁官になろうが皇帝になろうが。
そもそもこの概念の皇帝の方が、後の暴君っぽい皇帝より正しいのです。
皇帝=カエサル
ローマの最初の皇帝はカエサルです。ヨーロッパ人が勝手に想像している暴君とは程遠い人達です。
そして法と同様にS.P.Q.Rの精神で全ての身分が市民意識を持ち、ローマを助けようとします。
この意識があるうちは、例えばカルタゴに攻め立てられた時やその後のパルティアといった中東との戦争が起こった時でも、どんなピンチでも一つとして市民、属州の裏切りはありませんでした。
むしろゲルマン人、ゴート人でもローマ人になったら驚くほどの忠誠を誓います。たくさん仲間や家族を殺されたはずのカエサルに終生、どころか孫の代でも慕っているのは、一度ローマ人になったら身分その他関係なく扱ってくれたからでしょうか。
たとえ奴隷でも、経済力やら軍役やらを貯めて市民権を得て、道とか橋とか作って名をあげ、護民官やらなにやらで政治を経験し、元老院入りすれば政治家の仲間入りです。やはり血統も名の一部なので名家は有利ですが執政官の二人のうちの一人に選ばれる道は奴隷でもあるのです。
そして戦争でも起こったら独裁官、英雄になってお祭りやらコインに顔がのったり。
まあこんな感じなので一人一人が俺の国的な感覚をもってもおかしくない国ではあります。
基本的に各州の立場はこんな感じで別れています。
・ローマ
・属州
・同盟国
身分はこんな感じ
・元老院(執政官)
・市民(護民官)
・属州民
・奴隷
元老院。
貴族、エリートですね。senatusとして、現代の国家でも上院はこの言葉を使います。中身は全然違いますが。
お金持ち、名家、富を受け継ぐもの。ノブレス・オブリージュ。30歳になって選ばれたら終身で政治家になります。300人くらい?
意外にもお金持ちであれば選ばれたらどんな人種もOK。ギリシャ人多い。ゲルマン人の元老院もいます。
カルタゴ人も結構な割合でいます。まあ商売上手いし。
あと、騎士が重要な位置になると騎士階級という新しい身分も出来ます。
馬は高価すぎ。重歩兵の支弁じゃおっつかない。
ローマ市民
ローマの義務はとにかく軍隊。ローマ市民は私弁して装備を整えて戦争に行くこと。
護民官という代表が政治に口出します。
お金で市民権買えます。あと軽歩兵として軍隊勤めあげれば市民権もらえます。
ちなみに後に兵役の義務がなくなっちゃいます。
軍隊にあまり行かなくて良くて全員が税金を払う体制に。
「俺の国」というローマ市民の感覚がなくなっちゃいました。
属州民
属州は税金払うことが義務。
軍隊いかないで守ってもらうんでまあ当然。
後にこの身分はなくなります。全員が市民になり、ちょっとローマ市民の価値が減りました。
まあ兵役の義務がないならいらないわな。
奴隷
ヨーロッパ人が後年にローマにとんでもないデマを流したので悲惨そうですが、そこまでではないです。
要するに敗戦国の捕虜のなれの果て。
でもギリシャ人とか頭良かったんで教師の奴隷、家庭教師の奴隷、医者の奴隷、秘書とかいて身分高い。
とっても大事。その後お金で市民権を買って抜け出す機会多数。
農業従事者、船の櫂をこぐ人、荷役人、駅馬車、郵便配達。インフラ補修、三助(お風呂の!)、剣闘士とか。
馬鹿にする人もいない。どころか皇帝が剣闘士になってお友達になるとかあったし。
まあスパルタカスの時とかは農地の拡大、鉱業の拡大で悲惨なところもあったらしいですが。
やはり農業従事者と鉱業従事者はつらい職。
そしてインフラの巧みさ、積極的な投資は、市民を豊かにし、ひいてはローマ自身を富ませました。市民が富めば国も富むの典型的な事例です。
住んでいる家はとにかく設備完備。
水道があり水汲み必要なし。というか水道の設計者はとってもお仕事一杯ありました。
街が出来るごと、どころか野戦築城というか軍隊の駐屯地にまで水道ひこうとします。
お風呂完備..とはいきませんが、水道の次にローマ人が必死になったこと。
イギリスの片田舎、ジブラルタル海峡近くの砂漠の田舎町まで風呂ありました。
ついでに温泉大好き。すこしでも温泉掘れそうなら頑張ります。
道路完備。
とにかく道は大事。家から大通りまでの道、広場までの道、街を出るまでの道、都市を結ぶ街道。
街道は面白い。周りはお墓だらけ。ローマ人は道端に埋葬し、ちょっと粋な言葉で故人の人柄を書き記します。そして街道を行きかう人はそれを楽しむと。死もあっけらかんとしてましたね。そして宿屋早馬、ガイドブック、名物を記した旅用のコップとかお守りとか。そしてそれをコレクションする人とか。
住民票、戸籍、会計処理、銀行、銀行強盗、金融危機、インフレ、デフレ、取付騒ぎ、現代の役所みたいですね。
ローマ人は成人したら自分用のハンコというか指輪をつくってそれで自分の書類とか署名とかします。執政官、元老院、市民、属州民、市民も共通。
景気対策にお金を増やしたり、インフラが起こったり、デフレが起こったり、現代と変わりありません。
銀行強盗もあったしとりつけ騒ぎもあったり。
そしてローマを連帯的にしたのは軍隊です。市民は重歩兵、あるいは憧れの市民になるためには軍隊に所属し、一緒の釜の飯を食うのが手っ取り早い。ついでに戦いだけでなく、建築、経理、料理、商売、ついでに退役後の就職先までとってもお世話してくれます。
重歩兵
槍と鎧、盾で固めた重歩兵(ローマ市民)を並べて基幹とします。とにかく長い槍を持って、並んでずしずしと進めば前にどんな勇敢な戦士がいても敵いません。
軽歩兵
その脇を固めるのが軽歩兵。
とにかく身軽な剣や短刀で、身動きが遅い重歩兵を守ります。奴隷とかは最初に奴隷の身分が解放される第一歩。装備いらないし、最初にこれにつけば将来が期待されます。
弓兵、投石、散兵(投槍)
遠くからはこちらで。重歩兵は全員こちらもOK.
投槍はすごいです。300mでも寸分たがわず当たるとか。象兵とかこれで一撃。重歩兵の盾のうらに投槍装備して必要に応じて後ろに下がるようになったとか。
まきびし
軽歩兵は地雷代わりにこちらを蒔く役目があるとか。
つるはし、杭
さすがローマ軍。土木工事も基本です。見張所とか野営地、橋とかたちまち作ります。気の利いた兵士は設計図まで描ける。
ゲルマン人相手にライン川で対峙して、悪さした時は橋をかけて軍隊送り込んでぼこぼこにし、戻って焼き捨て、また必要なら架橋してと繰り返し、降参したら橋を作ってあげて市場とか街とか作ってあげるとか。
飴と鞭を土木工事で使い分けてます。
楽器
ブッキナというラッパ。ローマ人にはとっても大事。休息、鼓舞、伝令替わり、
ローマ人が軍隊を派遣するとそこに街が出来ます。ドイツ、フランスの都市はその名残りが多い。
ついでに書類整理から隊長のお世話でいろいろ仕事世話してくれたり、特典ばかり。
もちろん従事している時は田舎で訓練ばかりでつらかったでしょうが。
そして巧みな外交。ある意味ドンくさい外交?
ローマのスタンスは、とにかく平和。防御的な外交でした。
だって平和で商人の国として金儲けに従事した方が国が富むもの。
パクスローマーナ(ローマによる平和)という言葉を最初に当てはまったのが良くわかります。
たとえば東のパルティアは属領にちょっかい出して来たり、貿易戦争で相手から仕掛けてきたりした結果です。戦うごとに領土が拡大していきました。
ゴート人、ゲルマン人(あるいはアングル人-イギリス)は略奪行為等々ですね。
もうあんまりウザいんでカエサルが徹底的にぶっ潰しました。
とにかく基本は相手が手を出さなければ手を出さない。
相手が手を出して来たら徹底的にやる。
条約結んだら守る。
条約を裏切ったら容赦しない。
周辺諸国が安定したのはこの外交スタンスだと思います。日本と真逆ですね。
当たり前のことですが、予想通りの動きをするならば相手もそれに合わせてくれるものです。
日本みたいに平和平和と表面だけは合わせながらスタンスを明確にせずにすると、相手は調子にのるか、必要以上に委縮するか。本当に戦争したくなければ徹底的にスタンスを明確にするのが一番です。
そして自分は戦争を避けてるつもりで相手を有利にし、むしろ戦費を提供するような愚かな行為はローマは大いにバカにすると思います。
ということで、無事海洋国家として成長していきました。
もちろんいろいろなトラブルはありました。
ポンペイの噴火など、正直長い歴史では些末なこと。
地中海は火山多いっす。
いつでも内政で悩ませたのが民族間問題。とくにギリシャ人とユダヤ人はローマ人を構成する中でウザい筆頭。愛国心は薄いは機会主義者ギリシャ人と、妙な密会じみた儀式で不気味なユダヤ人(いえローマ人にとってのね)犬猿の仲。マサダ砦でユダヤ教にとっては大悲劇になっちゃいましたが、ローマにとっては単なる地方のトラブル。 ただ少しづつユダヤ人問題の火種は大きくなる
ポエニ戦争後地中海の庭になり、中東と紛争が何度も起こるがそもそもローマの敵ではなく、防衛行動にもかかわらず領土がどんどん拡張
スパルタカスの反乱とかも有名ですね。
ローマは奴隷に優しい国家と言いましたが、とはいえ一番の低所得者で一番低い身分。
トラブルは多々ありました。
そもそもその根っこは市民である重歩兵がカルタゴ、小アジア、ギリシャ、ヒスパニアと連続した戦争で貼りつきになり、自分の農場に従事できなかったことが最初。
で、うまく行かなくて手放すことで中小の農場が減り、逆に元老院のメンバは対外投資ダメとかいろいろ制限があったのでその投資先に大農場で奴隷経営とかいうのが増えていきました。
当然奴隷が増える、いくつか経営者によっては押し込めるずさんな奴隷経営で奴隷たちの不満が高まり、かつローマ市民も害をなす奴隷を恐れ。
そんな反乱多発の中、スパルタカスの反乱が成功しかけたので有名になってしまいました。
ただの奴隷ではない屈強な剣闘士、しかもスパルタカスというなかなか優秀なリーダーを得てしまい、しかもローマ軍に勝ってしまい...まあ最後に失敗しちゃいましたが。
グラックス兄弟の改革
ローマの領土拡大で農地が広がることになるが、それをで無産市民に再分配しようとして大農場経営者(主に元老院)に反対食らってティベリウス・グラックス暗殺されちゃう。
ガイウス・グラックスが穀物法とかで貧民救おうとして元老院最終勧告を出されて自殺しちゃう。
しかし貧富の差を何とかしようとしてその後もいろいろな人がこれを何とかしようとしました。
偉いですね。
奴隷を虐げた、貴族が幅を利かせたとか、ローマはいろいろイメージで批判受けてますがなんだかんだ改革してます。ガイウス・マリウスの代でグラックス兄弟の意思はほぼ実現しました。
更に国が小さい頃は軍隊の主軸である重装歩兵はローマ人の独占、というかローマの市民=軍隊、属州はその代わり税金を払うという構図が領土拡張でうまくいかなくなり、ガイウス・マリウスの軍政改革で軍役が義務でなくなる。これによって軍隊とローマ市民が別世界になり始めました。
ついでに領土拡張によるトラブルで、それを元老院、執政官、護民官の混乱。
そもそも結局は元老院も含めて貧富の差のトラブルもはじめっからきちんと決定していれば余計なトラブルもなかったろうに。
まいど政治劇による司令官の決定とか元老院は昔はシンクタンクでしたがいまやトラブルメーカー。
なんか共和制の限界というか、ローマの領土は大きくなり、こんなトラブルが多くなりすぎて限界が来てしまいました。
誰も彼もが
そんな世界を憂いていたのがガイウス・ユリウス・カエサル。
ローマ一番の有名人です。
まあ有名なのでここでは詳細には言いません。
というか、これを書いた名著は多いです。
塩野七生のローマ人シリーズでカエサルはとっても生き生きと描いてますね。
そもそもカエサルが書いた「ガリア戦記」もいいですね。
彼がローマを悩ましてきた外患の一つのヨーロッパの蛮族どもを徹底的に叩き、ライン川ドナウ川を越えて徹底的に排除し、そこに防衛線をつくってしばらくゲルマン人だのをヘロヘロにしました。
ヒーローです。
しかし元老院がまたごたごた言ってきて政治的な画策をしたとき彼は「ルビコン川を渡った」のです。
(そういう故事のとおりに)
まあ彼がポンペイウスに勝利し、元老院に権限を認めさせたのは有名な話。
もともと戦争等の緊急時には執政官の権限を限りなく上げる(まあ敵が攻めてきたら会議なんてやってられませんからね)独裁官制度を永続的にすることにします。
これも実は最初は元老院を強化するためにルキウス・コルネリウス・スッラが行ったものですけどね。
終身独裁官としてカエサルは立ち、その後元老院に暗殺され、その後の内乱で後継者アウグストゥスが勝ち、実質カエサルの後を継いで皇帝という職が出来たのです。
その後、さらに帝国は繁栄したことでカエサルの考え方は正しいことが証明されました。
2代までは...
アウグストゥス、ティベリウスまでは非常に評判が良いですね。
その後のカリグラがマジ無能。
それでもなんだかんだで経済は発展してきました。
その後、また評判が悪いネロが先にありますがこれはキリスト教徒殺しちゃったので話半分で。実際この時も拡大してますし。
四皇帝の年でまだ拡大。
その後にまたごたごたしてても五賢帝の時代で取戻し、まあここら辺から暗雲が立ち込めてきました。
ついで、
ネロでちらっと出てきましたがキリスト教が西暦0年あたりにできます。
あたりというのは、「あ、あれ間違ってました。もっと前です」的な意見がたくさん出てきたので。
ヨーロッパ人は紀元1世紀からキリスト教の歴史を滔々と語っていますが、正直コンスタンティヌスが出てくるまでは、ローマには多少うざいが正直どうでもよい宗教でした。
ネロの頃にちらっと出てきますが、それがなんなのよという感じ。
ローマをとても悩ませたのはユダヤ教で、それをなるべく悩ませないようにしようと穏健なユダヤ教を唱えたのがキリスト様。
ちなみに後の十字軍が信じられないほどキリスト教はつつましやかで人を幸せにする宗教でした。
そんな尖ったところがないぬるい宗教にむかついたユダヤ人がやらかしちゃったのが復活祭の元の事件です。ユダヤ教もいい加減煮詰まってきてラビは必要だけど預言者には飽き飽きしてましたし。
後世では世界を塗り替え、ありとあらゆる世界に影響を与えたキリスト教ですが、多神教が基本のローマ人にとっては、よくある現地住民のトラブル。どうでも良い感じ。




