お風呂♪♪
「アドルフの浴槽」「ヒロヒトの浴槽」「ステイツの浴槽」
戦争のいろいろな知識を知っている人はこういうことを一度は聞いたことあると思います。
アドルフの浴槽=アドルフ・ヒットラーが好きな時に漬かることができる海=ナチス・ドイツが制海権を持っている
こんな感じですかね。
ヒロヒトは天皇陛下=日本帝国海軍。
ステイツはアメリカ合衆国海軍
ではその「制海権」とは?
辞書上では「武力をもって特定海域を制圧する状態」
で、制圧は「相手の勢力を押さえつけること。」
で、多分押さえつける状態の意味は多岐にわたるので、みなさんが表意的にわかるのはこれくらいです。辞書事典の限界です。
真実は、まあ上記で答えてますが、
制=コントロール 海=Sea
辞書の言葉より「海が好きな時に使える」という方が正しいです。
で、「好きな時に使える」ってなあに?
て考えると、軍事上、政治上の事なんで、本当に海水浴が出来ること、風呂に漬かることができること、という意味ではないでしょうからそれ以外なのでしょうね。
まあ、本格的に知りたければ、アメリカの海軍の人)アルフレッド・セイヤー・マハンの「海上権力史論」を読むと良いです。
多分に古い書物なので古臭い知識で書いていますが、だからこそわかりやすい。
ローマにとってのポエニ戦争がどういう意味だったのかが良くわかります。
まあ、人の織りなす歴史という観点で考えると、
「海運ができる」
「海運が危険を感じずにできる」
「海運をライバル国より有利にできる」
「海運を相手ができなくする」
こんな感じ。キーワードは「海運」
そして「海運」はたったこれだけで海上権力だのシーパワーだの海洋国家だの言葉が生まれてます。
それほど海運とは人間の生存に重要なことなのです。
理由は
「海の輸送コストは陸の輸送の1/50」
これは古代~現代で通ずるものであり、これが「海洋国家」というものの中身の全てです。
現在の国家のうち、貿易国家っぽいイメージなのが「海洋国家」なのは偶然ではありません。
その「輸送コスト」を有効活用できるのは商業国家ですから。
じゃあ日本は?
なんか戦前の日本って独裁国家っぽくない?あんま貿易国家っぽくないんだが。
その通りと思います。
実は日本は2転3転しており、一時期は世界有数の海洋国家だったりしたことあるのですが、大部分の歴史は大陸国家、陸軍国の考え方だったりします。
このことは後に書くと思いますが、ポイントは「狭い日本、そんなに急いでどこいくの」が嘘っぱちなことです。
日本の本州は世界第七位の島。国の面積は244国中64位。主要なヨーロッパ国では日本に勝っているのはフランスとスウェーデンくらい。陸軍国として有名なドイツよりでかいです。
全然狭くないので、大抵の時代はこれを維持するために陸軍に頼ってます。
まあ工業化が進むまでは鎖国しても100万都市をごろごろ抱えて生きていける立派な資源国でしたし。
ちなみに鉄道ファンにこれをいって大いに噛みつかれたことあります。
「今の貨物列車とはなぁ、こんだけすごくて。。。お前の考え方は古くて。。。鉄道をバカにするなぁ!!」
面倒な人でした。うんざりしました。
まあ私は詳しくありませんが、きっと細かな部分ではその人の言うとおりでしょう。
そして物資を運ぶということはコストだけではありません。時間、運ぶものの価値で大いに変わるでしょう。途中で輸送コストの低い鉄道で運ぶより、施設費やドアトゥードアで運べるトラックの方が良いんだとか、そもそもトラックを大量生産すれば輸送手段のコストの方が安くできるんだとか。
更にある輸送手段のある技術的なブレイクスルーがあった時、過渡的にはその最初にブレイクスルーがあった輸送手段が有利になるかもしれません。
更に航空輸送が近年になって極大化している理屈、
・金塊よりグラム当たり単価が高価な集積回路とか
・時間経過で価値が一気に減る野菜だの流行だのブランド品だの映像素材だの。
・そもそもそれを取り扱う人間の価値とかも関係します。
ゴールドマンサックスの人間を一日待たせるより、
その云百万単価の日給より航空機や高速鉄道で一気に運ぶ方が安い
これを当てはめるとさらに複雑怪奇
しかし、コストだけを見ると根本的に海を進むための摩擦、陸を進むための摩擦の違いがまずあげられます。
そして大重量を支えるためのサスペンションのコスト、それ自体の重量。
そして大型のエンジンは小型のエンジン複数よりコストメリットが大きい。
これがある限り、どのように時代が過ぎても似たようなものになるだろうというのが1/50を唱える人の根拠。
もちろん文明の発達で櫂走、帆走が蒸気になり、ガソリンになり、ガスタービンになり。
それでも、たとえば自動車や鉄道に載せられるならなぜ船には載せられないの?
という理屈で大きな差にはなっていません。
電車に至っては、世界中で電化が進んでいないことを見るとそれ自体に見合うコストは相当な大きなものでなくてはいけなくて、そしてその理想的な日本でも船、トラックにお客を取られてます。
ミクロで見るとコストメリットがあり、鉄道ファンにとっても思い入れがあっても、経済という非情な数字で考えると、比較できる程度であまり大きなものではないのです。
まあつらつらと並べましたが、たかが「海運が出来る」だけで国家戦略が決まったり、国家形態のひとつとしての学問があるのもわかるでしょ?
そして、それを一番最初に手に入れたのがローマなのです。
考えてみれば必然であり、地中海がうまい具合にローマのためにあったものです。
インド洋やら大西洋やら太平洋やらは「自由に使える」もなにも、外洋で波が荒くて、風も一定しなくて、恐ろしい嵐があって、もう何もしなくても危険なので「制海」「海をコントロール」なぞ軍事力やら国家戦略やらの前に吹き飛びます。
櫂や稚拙な帆走でえっちらおっちら嵐におびえながら進むくらいならシルクロードで馬で運びます。
地中海だけがそういうことを恐れずに大いに船を使うことが出来たのです。
しかも地中海沿岸の国家はなにしても陸路より海路の方が近道だし。
さて、つらつらいろいろな話を並べましたが、第一次ポエニ戦争の時はもちろん「シーパワー」「海軍国家」「制海権」なんて概念は欠片もありません。
ローマとカルタゴが戦い、決着がついた時に双方が何を得て失ったかもわかっていません。
19世紀くらいまで、それがどういう意味か世界中の人が理解できてなかったでしょう。
なにしろ最初は単なる領土紛争でしたから。
地図を見ると良くわかりますが、イタリア半島を長靴に見立てるとそのつま先にシチリア島があります。
そしてそのつま先がシチリア島を蹴飛ばすと、地中海を突っ切ってカルタゴの首都にぶち当たることになります。
そんなシチリア島を巡り、カルタゴに近い西半分はカルタゴ領、東半分はギリシャのシラクサ、イタリアと目の鼻の先の、イタリアに蹴られる部分のみ「メッシーナ」のみ傭兵率いるマメルティニがシラクサから奪ってました。
むかつくシラクサ討伐に向かいます。あわてるマメルティニ、周りに助けを求めます。
よりによってカルタゴとローマに。
双方、戦う理由がありました。
イタリア半島を覆いかぶさるように邪魔しているシチリア、そこには大国カルタゴが目と鼻の先にいて、緩衝地帯となっていたシラクサも蹂躙しようとしている。
カルタゴも、まだまだ単なる農業国/多少工芸を持つドンくさい国ではあるものの、なんとなくウザいと思っていたギリシャの後ろ盾として邪魔になってきたローマ。
いきなりシラクサもマメルティニも無視して全面対決です。
とくにローマは目と鼻先の超大国に睨まれては洒落になりません。
「おうおう、ここはオレのシマじゃ」
「なに言うとりますか!目と鼻の先でおイタされちゃこちらも黙ってられまへんなぁ」
ローマ17000人で出兵。カルタゴを後ろ盾としたシラクサを占領。さらにカルタゴ側の玄関口アグリゲントゥムも攻略。
更にカルタゴの補給を絶つために大艦隊を建造、舞台は海戦に移ります。
ちなみに超大国カルタゴは当時の最新鋭、300人クラスの兵士を載せた5段層軍船、一方のローマは100人クラスの3段層軍船。
当時の海戦は櫂で回りながらぶつけたり、押し合いしたりし、機会を見て接舷して切り込んで勝負をつける形式でした。
もちろんローマより圧倒的にカルタゴが有利でした。
ローマはまず優れた工芸技術を使い、分解、部品レベルまで分析して5段層軍船を建造します。
ローマはそれをカラスという新兵器をとりつけ、つっこんで相手の船を掴み、操船技術を無視して必ず接舷船に持ち込みました。
そして載せる兵士は重歩兵。常識的な剣やら弓以外に槍や鎧まで持ち込みました。
とにかくかっこ悪くてもなりふり構わず自分の戦いに誘導したのです。
結構有利になりました。
調子にのってアフリカ大陸まで足を運んだらスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポにやられ、海難事故にもあい6万の兵を失ってしまいました。
今度はカルタゴの方が調子にのって陸戦でシチリア攻めます。
ハミルカル・バルカ将軍、ハンニバルのお父さん、破竹の勢いでシチリア逆占領。
それに対してローマ、海戦で決着つけようとします。なんかいきなり立場逆転してます。
アエガテス諸島沖の海戦でカルタゴ大敗北。
ローマ市民、共和政治のおかげで俺の国守ると士気高い高い。市民が率先して寄付し、最新鋭200隻の五段櫂船を国庫支出なしに調達、海難事故も反省して対策もばっちり。
長い間の海戦経験で技量も極限まで上がってます。
カルタゴと遜色ない操船技術。
ローマ軍の方がカラスをやめて接舷切込みの強要もやめてます。
逆にカルタゴはハンニバルのお父さんに期待して予算も人員も陸戦にとられ、海兵のほうが人員不足。
いつのまにカルタゴ陸軍国、ローマ海軍国になっちゃってました。
操船の巧みさと、機動力、いままでのローマみたいにいきなり接舷なしにセオリー通りの衝角攻撃、
ローマ200vs250カルタゴ
数が劣っているの関わらず、普通に海戦で勝っちゃいました。
大勝利。
はじめて「制海権」をとった海軍かもしれません。
主要な港は封鎖し、カルタゴは船は沈むはお金はからっけつ。
しかもローマは市民は個人財産を食いつぶしてもやる気満々。
もうハンニバルの父ちゃんが強くても補給もままならない状態になりました。
さらにカルタゴは大国だけに必死さ足りません。
まあここらでよかろうとハンニバルのお父さん無視して停戦に持ち込みます。
勝ってたのに。。。
第一次ポエニ戦争は大変遺恨を残したまま、まあ多少ローマ有利で講和になりました。
しかし、条約としては「多少」でもローマにとっては大きな勝利でした。
まず、目と鼻の先のシチリア島での「カルタゴ」という重しというか蓋がいなくなったこと。
決して肥沃ではないイタリア半島を食わすためのシチリアという穀倉地帯を手に入れたこと。
属州という形での初めての属領を得たこと。
そしてなにより「海軍」という大きな力を手に入れたこと。
この後ローマは地中海を「われらが海」と呼ぶことになります。
実際、地中海に完全な制海権をとるのはまだですが。
あ、マメルティニはいつの間に消えてます。どこにも記録は残されてません。
なぜかシチリア北東端の葡萄園から産出されるワインを“マメルティニ・ワイン”と言って有名になりましたが。
シラクサは最終的にローマ側に立ったので属州に組み込まれず、同盟国として生きながらえました。
第二次ポエニ戦争の時にローマを裏切ったので滅ぼされましたが。
その時はアルキメデスが有名です。
さて、特にお父さんの活躍無視された息子のハンニバルにとって遺恨の残る第一次ポエニ戦争、汚名を返上すべくローマに戦争仕掛けます。
理由?
スペインのサグントにカルタゴが上陸したからと言われてますが、多分最初っから狙ってます。
なにしろお父さんは息子に「一生ローマを敵とする」事を誓わせましたから。
それにハンニバルは負けた屈辱の中、新しいヒーローとして大人気。ローマの抗議も丸無視です。
まあその後はとっても有名な物語ですね。
象兵を引き連れてピレネー山脈を越え、アルプス山脈を越え、ローマの裏口から侵入。
戦力は歩兵 50,000 、騎兵 9,000 、戦象 37
いろいろ犠牲が出ましたが心理的にも実際的にも奇襲です。
ハンニバル、勝って勝って勝ちまくりました。
紀元前216年のカンナエの戦いが一番有名でしょう。
ローマ
重装歩兵 - 5万5千
軽装歩兵 - 8千-9千
騎兵 - 6千
カルタゴ軍
重装歩兵 - 3万2千
軽装歩兵 - 8千
騎兵 - 1万
ホームだけにローマ有利。
しかし両翼を厚くして真正面から突撃。
わざと弓状にして中央を激しく攻撃させ、両翼を延ばしていき、ローマ中央で有利、突破寸前にカルタゴは両翼を抱えて半包囲を実現。
結果はローマ大敗北。
犠牲者6万人。元老院(指揮官)80人戦死。
壊滅的でした。
その後、まともな戦力を持たないローマに対して破竹の進撃をし、各州の離反、および補給の確保を狙いました。なにしろ本国は消極的でまともな補給を送ってくれなかったのです。
支配してしまえば補給物資は手に入る...が、共和国ローマ、結束は固かった。市民も元老院も執政官も一体となって耐えました。離反一つもなし。
その間にシチリアだのスペインだのに海軍で圧力をかけ、本国から孤立させ、いくら勝ってもハンニバルは果実を得られず、補給も届かない、実りもない。ローマを包囲するのも物資が足りない。
そして紀元前211年、いよいよローマは反撃に出ます。
ハンニバルのライバルとして有名なスキピオ。
まずはハンニバルほっといてスペインを攻略。
次にギリシャと同盟を結んで東方からのちゃちゃもなくす。
更にハンニバルほっといてアフリカのカルタゴ本国に奇襲
優良な騎兵の産地であるヌミディアを抑えます。
そしていきなりカルタゴ本国に呼び戻されるハンニバル。今までの苦労は全て水の泡。
どころかヌミディアを取られたので騎兵戦力では不利。
その状態で北アフリカのザマで決戦を強いられます。
ローマ
20,000 重装歩兵
14,000 軽装歩兵
2,000 ローマ騎兵
6,000 ヌミディア騎兵
カルタゴ
50,000 歩兵
3,000 騎兵
80 戦象
騎兵戦力に不安はあるものの、まあカルタゴ有利でした。
しかしスキピオはカルタゴを研究していました。
開戦後、いきなり象兵は丸無視。
象は小回り効かないので戦闘が始まったら前しか進めないのです。
素通りさせて後ろから投槍や弓で殺しました。まずはローマの勝利。
それを見たハンニバルは擬態として騎兵を後退させました。
スキピオはそれを追撃させてしまいます。
有利な騎兵を後退することで無力化し、騎兵戦力が劣る不利さを消し、ハンニバルの目論見が上手く当たります。
そしてカルタゴは数だけは有利な歩兵戦に持ち込みます。
しかし第一列は傭兵。たちまち瓦解。
第二列新兵。やっぱり瓦解。
三列目の古参兵はがんばります。
中央をもう少しで突破できる!!
しかし、いつのまにカンナエの戦いと逆の状況になってしまってます。
中央が突出して両翼が引っ込んだ状態。
大軍が突出してもう少しで小軍を突破してズタズタに引き裂ける直前。
ただし配役は違います。
今度はハンニバルの大軍がローマの小軍に囲まれる方の敵役でした。
もたくたしているうちにカルタゴ騎兵を駆逐したヌミディア騎兵とローマ騎兵が戻ってきます。
完全な包囲網がしかれ、カルタゴ大パニック。
練度の低い傭兵や新兵と古参兵と同士討ちまでしたと言います。
カルタゴ兵は大虐殺されました。
スキピオは見事にやり返して見せました。
ローマの大勝利。
カルタゴはこの敗戦で兵力壊滅、立ち直れないほどの多額の賠償金を払わされました。
ハンニバルは落ち延び、復讐の機会を幾度も試みました。
紀元前215年、マケドニア、シリアと争った際の将がハンニバル。
海戦に慣れてなくて負けました。
その後カルタゴに戻って復旧にがんばったりしましたが全て失敗。自殺で幕を閉じます。
スピキオも同時期にカルタゴに大して穏健政策を実施しようとして失脚し、そのまま亡くなってしまったのも悲しい皮肉。
そしてスピキオを失脚させた強硬派カトーは難癖つけて第三次ポエニ戦争を起します。
ある意味、この政策は正しかったかもしれません。
たった30年でカルタゴは富を集め、復活しようとしてましたから。
「カルタゴ滅ぶべし」
カトーの演説、檄文をローマ中に発し、そしてその通りに滅ぼしたのです。
紀元前149年、カルタゴは滅びました。
さて、戦争が終わった時にローマはどうなっていたでしょうか。
ハンニバルが上陸して本拠地にしたスペイン、イタリア半島からスペインまでの通り道フランス南部、ハンニバルが逃げ込んで反抗したギリシャとシリア、北アフリカ一帯。
その全てがローマのモノとなっていました。
地中海でローマに属さないのは無力なエジプトくらいです。
地中海周辺の陸地は全てローマのモノとなっていました。
「海運ができる」
「海運が危険を感じずにできる」
「海運をライバル国より有利にできる」
「海運を相手ができなくする」
ローマ人にとって全てがそのようになっています。
地中海は「ローマ人の浴槽」となっていたのです。




