飛べない豚は....
地中海。
この海は地球上ではかなり特異な地域です。
内海であるため比較的波が穏やか、複雑な海岸線に富んでいるため良港に恵まれている、3つの大陸を往来することができる、
そしてその3つの大陸のみでなく、乾燥帯、温帯、熱帯、ステップ、様々な気候帯、地形も多種多様で、馬の産地、洪水が頻繁に起こる大河と湿地帯、肥沃で温帯の土地、大型樹林のとれる森林。
それが培った様々な文化が取り込まれる。
そして、竜骨(船の底を這っている真ん中の一本の柱)から側面部を形作る大型船の建造方法も、ちょうど2000年前あたりに確立していきました。それを使った海をハイウェイとして利用できる時期です。
さらに嵐だの座礁だの、障害が起こってもまあまあ陸地に近いので助かる可能性も高い。
黎明期の船舶としては理想的な場所です。
船主にギリシャ人が多いのは、実に2000年以上前から彼らが船を扱っていたからです。
ついでに、ローマ帝国のみの特典ですが、もうその先はサハラ砂漠か大西洋しかないというオセロの隅をとったような立ち位置になれます。ローマはここを自分たちの浴槽(自由に体を漬かることが出来るくらい支配している)にできたので強力になり、それを失って滅びました。
#ちなみにオセロというのは茨城県の水戸市でうまれたそうですね。
しかも戦後。
正式名称リバーシでオセロじゃないとか、シェイクスピア時代から
あったとかいろいろデマを聞きましたが全部違うそうです。しらんかった。
そして私は弁理士の資格持っているのですがゲームが特許にならないかどうか
いまだに悩むところです。特許第3220111号がゲームの特許かどうか
仲間がいたら一日中論じれそうです。
まあ良いことばかりではありません。
四方が陸に囲まれた内海である背景は、周辺が火山やプレートの集中する場所であるからです。
・火山の噴火や地震が多い。
・そして良港が出来やすい=海賊が跳梁跋扈しやすい。
紅の豚とか空賊とかも潜めます。
まあ文明は発達しやすいかもしれませんが中の人はたまらんでしょう。
さらにジブラルタル海峡は狭く浅いため、大西洋からの大きな海流の直接の流入はないというのは波が穏やかなと引き換えに、塩分が高く潮位が低く、風向きが安定しないわ、内海なので海流も一定としないはで汚染が広まりやすい、塩害、土壌も決してよくはない。塩害や風による荒地になりやすい。
現在の地中海沿岸の国が決して豊かでないのは偶然ではありません。
稚拙な技術でも制することが出来る代わりに、限界も早いのです。
工業もいまいち、海軍もいまいち、貧乏国家同士では貿易もままならない。農業も他より有利なところがない。いまやワインでさえ彼らの手から零れ落ちています。
イニシアティブが大西洋に移り、太平洋に移ったいま、決して魅力的な土地ではないのもこういう環境が原因だったりします。
もともとの地中海世界は、紀元前1200年頃のフェニキア人が交易民族として発展したのがはじまりです。
あるいはもしかその前のアフリカ系だったかもしれませんがレバノン杉で大型船を作り、その後各地に植民地、あるいは良港につくった港湾都市で各地を有機的につなげています。
海を自在に動けるからと言って、当時は何できるというわけではありません。
しかし彼らはしたたかで、時代時代の強者に媚びを売り、アッシリアがうまれたらアッシリアの代理として交易をする、ペルシアがうまれたらペルシアの代理で交易をする。
地中海以外にも外洋で交易をしたりして強国に自分たちの有能さをアピールできています。
大いに儲けさせ、大いに儲けたでしょう。
彼らのおかげで各文明の優れたモノ、アルファベットなどを地中海世界全域に伝え、様々な国の発展を促しました。
が、人口も少ない都市国家のため、アッシリア等に服属を余儀なされ、政治的な独立はなかなか保てませんでした。
フェニキアはそういった立場の弱さで、常に他国に服属し、最後はアレクサンドロス大王によってテュロスが征服されると、完全にギリシャ系の勢力に取り込まれて歴史の影に埋没してしまいます。
しかしその後代、というかフェニキアの植民地の人々「カルタゴ」が後を継ぎます。
北アフリカに建設された植民都市はフェニキア本国の衰退をよそに繁栄を続けましたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅びました。
というか、ローマの優れた他国の取り込みにより、文明の優れた特徴を残したままローマに埋没したと言えるでしょう。 ローマは滅ぶまで地中海を有機的に結びつき、それが滅んだあとはイスラムがそれを受け継いで有機的に結び付け、フェニキア人が2000年前以上から行った行為をそのまま現代につなげるほど文化交流、商圏として活躍させてました。
#ローマはカルタゴを完全に滅亡させて、都市に塩をまいて
住めなくしたとかは、大げさな伝説です。あるいはユダヤ人の
マサダと同じで、立場/見方の違いと言うべきか。
カルタゴという都市自体はローマの一都市として復旧してます。
カエサルなどは戦略的な拠点として梃子入れしてますね。
元老院もちゃんとカルタゴ人がそれなりの数を占めている
塩蒔いたとか誰のどういうデマでしょう?
「塩蒔いた、ローマは残酷だ」という論調は多いものの
事実として何したはさっぱりありません。
あるのは第二次ポエニ戦争の前のアジテーゼ「カルタゴ滅ぶべし」
「完全に更地にするべし」「塩蒔くべし」という高揚のための檄文のみ
だれか事実、結果の記録があったら教えてください。
そんな大国同士が行きかう地中海で、特有の文明が育ち始めます。
エーゲ~ギリシア~ローマと続くエッセンス、地中海のイメージを形作ったエーゲ文明、ミノア文明、クレタ文明。
こちらは基本的に戦争もなく比較的平和な国々だったと推測されてます。
まだまだ海軍という軍種がいまいちな時期、戦争など心配しなくて良かったからかもしれません。
城壁もなく開放的な城、線文字A、線文字Bなどの高度な文明を残しました。
そもそも痩せた土地、乾いた大地、非常に困難な農耕をおこなっていた後、突如100年ばかしで貿易国家に作り変えられました。
古代エジプト文明とフェニキア人の影響を受けてでしょうか。常に大国同士が頻繁に行き来をしていたので学びやすかったのかもしれません。同じ人種とも考えられますし。
#尤もキリスト教徒はそれを認めようとはしません。
なぜか現代ヨーロッパ人のエッセンスは中東~エーゲ~ギリシャ~ローマに求め
彼らはそれをアフリカ人(黒人)セム人であることを
認めたくないからでしょうか。
その頃彼らは蛮族として狩猟採集しかしてなかったのにね。
しかし紀元前12世紀頃すべて突然滅亡しました。 原因は未だ解明されていません。
北方ギリシア系ドーリア人、もしくは海の民の侵入との説が言われています。
海の民。
謎めいた人達です。
いろいろな国々を滅ぼしたと古書には書かれていますが。
じつはギリシャ人でただの仲間割れ。
とか
人種、国家問わない海賊連合だった
とか
北欧バイキングの祖先だよ!
まあどれも一長一短。
バイキングがこの中で一番トンデモ説ですが、そもそも後代でも彼らオーバーテクノロジー気味でお金持ち気味な優秀民族ですから説として候補になるのかしらん。
実際記録に残っていても、夏は農民、冬はバイキング船で交易や海賊、しかも船はその農民の個人所有、家は農地とバイキング船を横付け出来る港を所有とか記録に残っているからなぁ。
まあその謎めいた「海の民」はいろいろな古文書にのっかり、いつのまにでなくなります。
三文明滅亡後のギリシアは人口が激減し線文字も人々から忘れ去られエーゲ文明滅亡から古代ギリシア諸ポリス成立までの約400年間は記述による記録も残っていない暗黒時代と呼ばれます。
暗黒の時代がどうなっていたかは予想するしかありませんが、紀元前800年末頃、ギリシャ西南部、エーゲ海の島々、アナトリア半島の西海岸にポリス(都市)が広がっていました。
ギリシア人は人口の増加、交易などで地中海世界全体に広がっていきました。
紀元前500年末には現在のスペインまで広がっています。もちろん、ローマのお膝元であるイタリア南部やシチリア島も含まれます。
ちなみにスペインのマイケケは周囲をフェニキアの入植地に囲まれていますがそれ以外の土地では他のどのような勢力とも競合していませんでしたので、海好きの民族がなんとなーく広がっていた感じです。
なんとなーく生きているのは現代ギリシャ人と同じ?
これらポリスは一般的に1500から2500平方キロメートルの領土を持ち、市民と呼ばれる自由民男子とその家族3万から10万人と、奴隷など5万から10万人の人口を抱えていました。
地域や風土によってポリスの政体は多様であり、王政、寡頭政、直接民主政、僭主政、とか。
スパルタとローマで民主制と軍事独裁政の対立!
みたいな印象を教科書では残していますが、単に雑多な都市がたくさんあってたまたまアテネが強く
なってスパルタが強くなったとかでギリシャの特別な特徴というわけではありません。
が、そのギリシアのなんとなーくは相変わらず変わりありませんが、とつぜん表舞台に出てしまったのが
紀元前500年あたりのペルシア戦争。
同じ貿易者であるフェニキア人と対立が始まりその保護国であるペルシアとの戦争が起こりました。
で、そのフェニキア(あるいは俺の金儲け)を邪魔するギリシャをいっそ占領してしまえ。俺の領地!
てのがペルシア戦争。
強大なペルシア帝国は、辺境の蛮族どもなど鎧袖一触と考えていたようです。
実際ギリシアの各ポリスなどゴミ屑程度の国力でしたし。
が、さにあらず、なかなか困難でした。
第1回
遠征軍が難破して勝手に失敗
第2回
2万人以上での上陸作戦「マラトンの戦い」
ぶち当たったのは1万人以下のアテナイ軍。
自分たちより良い装備であるものの、半分以下の敵に粉砕されます。
ぼろ負け。
そして日本人が大好きな「マラソン」という競技が生まれる。
第3回
一時アテネを占領したもののサラミスの海戦でアテネ海軍の小型三段櫂船の機動的運用に敗北
ギリシアは強大なペルシア帝国を打ち破ったことによって、いきなり歴史の表舞台に飛び出しちゃいました。
弱小なのは変わらないのに。
そして、そのときに生じたデロス同盟が、ギリシアをアテネがまとめた形になり、ただの都市国家の集まりから、ペルシアといった強大な帝国に対抗できる集まりに変節しました。
しかしまあその後はしまりなく、ペロポネソス戦争(431-404 B.C.)でスパルタにとってかわられ、スパルタの軍事国家的な特異な政体が上手くいくはずはなく、テーベに取って代わられ、そんな混乱のなか小アジアをペルシアに取られ、マケドニアが台頭するまでぐだぐだが続きます。
そしてマケドニア...
ペルシアを含めた、インドまで続いた超大国を作り上げたアレキサンダー大王がギリシャ人だったことを
しらない事が多いのではないでしょうか?
あまりに個人名が有名すぎ、かつ「ヘレニズム」という言葉がくっついてしまうような東洋と西洋の融合を作り上げた国家を「地中海文明」とは言えないような巨大なものになりました。
ギリシャからインド地方まで、いままでの文明が全てリセットされたのです。
その後ローマが勃興し、こちらも地中海世界とは言えないほど大帝国になり以降ギリシアはそれら力の源を作ったはずなのに忘れられ、人材と哲学の保管所と言った薄い存在意義になってしまいました。
エジプトと同様ローマに尊ばれましたが、やはりまたエジプトと同様、彼らがかって大帝国と為をはれるような巨大な存在であったことは久しく忘れ去られました。
もっとも、たとえばビザンチンといったローマ帝国の末裔がギリシア人が仕切っていたり、あるいは現在の海運王にもギリシア人が多いです。
国としてはともかく、民族としては非常に歴史に大きく関与してます。
とてもローマ人の末裔とは言い難いイタリア人よりは現代ギリシャ人は自慢して良い民族ではあります。




