超大国「漢」
中国...
行くたびにすごい国だなぁと思います。
あんまり褒め言葉ではないですが。
ほとんどはったり見栄っ張り。
とにかく北京だのなんだの行くと、壮麗で高速道路は16車線とかすごいスケール。
よーく見るとわかるのですが、そんなインフラ必要ありませんが。
というか日本で渋滞の原因っていろいろ研究されていますが、3車線から2車線への変更とか、トンネルの入り口や坂道のはじまりとか、速度が急激に変わるところから一気に始まるものです。
「もっとスマートに作れば安く済んだのに」
とかビンボくさい日本人は思ってしまいます。
リニアモーター然り、空母然り、自動車然り、とにかく見栄、見栄。
歴史の中でもその見栄っ張りな数字やはったりに苦労します。
しかもその時々によって中身があったりなかったり。
なにかあったのは確かなので何とも言えない評価。
あの空っぽのマンション群どうするんだろう。
日本人が一番好きな「三国志」
「三国志」そのものが、そもそも後の時代で「三国の争いだったんだなぁ」とかようやく認識するのでそもそも三国と書いてある書物は多分に怪しげと言えます。
そんな中、「三国志」「三国志演義」「正史三国志」この中でどれが一番正しい歴史でしょう?
まあいろいろな評価もあるでしょうが、ある人に言わせると「三国志演義」。
人を楽しませるための娯楽小説で、張飛が千人切り殺して、孔明が魔法を使ったり、ドラクエの勇者並みに敵を味方にする化け物である劉備。
それでも魏書、蜀書、呉書、後漢書、晋書、華陽国志、世説新語、当時は三国の争いと思わなかった人々がいろいろあるのをつなぎ合わせて、曲がりなりにも順番通りイベントこなしているから他よりは一番ましだそうです。
他はどれくらい...まあ好みや細かいところ、気になるところ、いろいろ取捨選択は葛藤あるらしいですが。
それでもはったり、オーバー、英雄すぎる、化け物すぎる、矛盾すぎるetcetc
三国志が一番まし、とかご意見は多々あろうが、どちらにせよめちゃくちゃ。
ちなみに一番ひどいのは「正史三国志」だそうな。
まあそんな感じで歴史語っているので正しい歴史がわからないわからない。
「西周英雄列伝」とかもどこまで真実かもわからず..まあ日本も似たようなことしてますけどね。信長や秀吉が三国志演義とそっくりな科白を吐いた時は「嘘なんだな」と思った方が良いですね。
そして一番面倒なのは、実際のなにかはあったこと。
きっと張飛は1000人は切り殺さなくても20人くらいは切り殺してたかもしれません。
とにかく強い男はいたのです。
じゃあ魔法使える孔明はいたのか...いたはいたのですが単なる優秀な官僚かもしれません。
曹操が文武両道な男なのは本当っぽいし。
評価が難しいところです。
そしていろいろなものの発祥の地。
でも中国人、ぜーんぶ捨ててます。
まず、日本の殆どの文化は中国発祥です。
和服が中国形式から独自に発展していたのですが、いったい彼らはどこまで彼らなのかはさっぱりです。
12単衣は日本にしか残っていませんが、それが日本独自なのか元があるのかもさっぱり。
チャイナ服だっていろいろ言われますがさっぱりです。
「中国は漢服じゃ」
それは良いでしょう。
じゃあチャイナ服は清にはあった。
満州にはあった。
南方にあった。
諸説だけはあるもののさっぱりわからない。
そもそも漢服との関係もわかりません。
違う民族だったのか、蛮族だったのか、参考にしたのか、根っこが同じなのか...
寿司(鮨と鮓はどちらも中国。東南アジアが発祥で中国は伝えただけ)も中国からなのに
「中国人は生魚食べない」
ではいつから食べないのかはさっぱり、何の歴史も残ってません。
文字..日本の仮名も中国のモノを崩したとか、いま中国人なんか漢字どころかアルファベット使ってるよ。
漢字も日本発祥のが多いよ。どう作って何が独自とか日本の方が記録あるよ。
ほんと、忘れるなよと思いたくなります。
火薬、蒸気機関、2000トン級の船、シンデレラ、世界地図、節句、正月、花見、醤油。
きっとかれらが考えたのはもっといっぱいあるんでしょうね。
紙だって実はエジプトではなくて中国発祥かもしれませんよ。
今となっては誰もわかりませんが。
なんと伝統も気にせず、自分が発明したものをあっさりと捨て、忘れ。
思い切りが良い、きっぷが良いとは思いますが、どれだけ中国が偉大なことをしたか、日本を研究した方が彼らの偉業がわかる状態は如何なものかと。
中国は歴史を振り返るのが大変です。
建物や廃墟だけではなく、知識や伝統まで上乗せ、上書き、取捨選択が横行してどうなっているのかわからなくなります。
まあ、隣の半島の人が「俺が発祥」「俺が最初」と無暗矢鱈に叫ぶのもみっともないし、日本のように何でもかんでも残しちゃうのも如何なものかと思いますが。
欧米人はカステラや天ぷら、サイダー、ホチキス、桜、漢字は本気で日本発祥と思ってますし、原宿ファッション、アニメ、テレビゲームもそのうち日本発祥となるでしょう。
そして民族の入れ替えが激しい激しい。
中国人は「漢民族」と思っているらしいですが、多分2000年以上前の遺伝子など欠片しか残っていないと思います。
東西南北いろいろな場所から入れ替え入れ替えされ、古代の中国人の血など太平洋の南の島々や日本の方がよほど残っているかもしれません。
そのたびに慣習も変わり、生活スタイルも変わり、今の中国人から昔を想像するのは至難の技。
そもそも華僑、北京は誰が作ったのかとか、何民族なのかを考えると更に混乱します。
弱い時はそこら中から攻められ、強い時は中東近くや中央アジアまで足を延ばし、そして負けてもいろいろなところでちりじりになってやっぱり周辺諸国に民族入れ替えが起こり。
弥生人はほぼ確実に落ち延びた中国人です。
これも歴史の把握が困難な地。
まあそんなんで私のところに限らず、中国を正確に描写した歴史なんて、正確さはないも同然と考えた方が良いです。とにかく偉大ですごいことをやったのは確かなんですが。
まあそんな感じの何もかもあやふやな中国史です。
一般の教科書では紀元前221年、いまから2000年くらい前、突然中国に「秦」という大帝国が出現します。
人口2000万人。900万km2以上のの広大な国土、世界トップクラスの河川2本とその流域の肥沃な土地、様々な気候帯、様々な人種が混ざった巨大国家です。
まさにこの時代の超大国でしょう。
秦そのものは中国北部の田舎の豪族。
決して裕福な土地ではありません。蔑まれる蛮族。
しかし中国は北部から何度も攻められ、征服され、異国出身、蛮族である皇帝に何度も統治されることになる最初の一回ですね。
彼らは、まず周りの国を呑みこみ、隣の大国である晋を倒し、中国征服レースに躍り出ます。
そして戦国時代に分裂し、統一し、周りを飲み込みつつ、産業を発達させ、周りを恐れさせるほどの大国になり、最後に始皇帝が統一すると。
まあ物語は「項羽と劉邦」とかを読むと良いかもしれません。
ちなみに興味を持つところ
「長平の戦いで撃破した趙軍の捕虜40万を穴埋にして殺した」
40万も捕虜...穴埋めにして殺す...
ちなみにアッシリア帝国と新バビロニアが紀元前605年に行ったカルケミシュの戦い。
アッシリア 4万人 vs 1万8千人 新バビロニア
捕虜を40万人も出す軍隊って何百万人でしょうね?
ちなみにその千年後でも40万人で朝鮮半島を責め、負け、ムカついたので100万人兵士送って蹂躙したりしてます。
なんかスケールが違います。
本当なのかはったりなのか。
張飛が1000人を一人で切り殺したりするわけだ。
まあ良いでしょう。
どこまで真実かはわかりませんが、長江文明からはじまり、その一つであろう夏王朝やその他の国が多数生まれ、中央集権を実行するための土台は脈々と作られ、その集大成が秦の始皇帝。
彼が中央集権化を進めるために、全国に施行した地方統治制度として「郡県制」を実行しました。
後に日本政府もこの制度を活用しています。
といってもこれは彼のオリジナルではなく統一する前の秦、前4世紀の孝公からそれは行われていました。
中国全土にいろいろな国が群雄割拠している状態で少しづつ醸成されたモノでしょう。
中国を48郡に分け、郡の下に県をおき、各所に官吏を派遣して中央集権体制の基礎としました。
そして、王の王という意味「皇帝」という概念をつくり、それを頂点としました。
これは諸国がそれに従う理由づけにもなり、あるいは統治の仕方をフレキシブルにできる非常に優れたシステムでした。
最初の皇帝「始皇帝」から最後の皇帝「溥儀」まで長く続いたものであり、良くできていました。
そして中国全土、あるいは中途半端な所属地、その他各地を法整備します。
県令といった官僚統治する国が皇帝に従うのは当然のこと、既存の従うことを約束した国、征服した後朝貢のみを要求している国、ただ親睦のために同盟している国、見えていない国、どれも中国にとっては「統べている」概念になり、その概念から発した官僚制度、法制度も非常にフレキシブルでした。
#中国を真ん中などと
考えない現代の諸国は
迷惑千万な概念です。
中国ほど周辺諸国と
領土問題を起こしている
国も珍しい。
それは彼らはこの概念を
持つ自分自身を正しいと
信じて疑いませんし、
実際その統治制度の
どこかに、大抵の国は
中国の影響があてはまる
はずなので、矛盾はないし
相手が迷惑とは考えないのです。
「親交を深めましょう」
と外交文書を交わしただけの
国でも統治していることに
なっているわけですから。
なんとまあ懐の深い
制度でしょう。(皮肉)
現代の国際法の概念では
絶対に相容れない概念ですが。
その下に官僚制度をおいてますが、こちらもフレキシブルです。
こちらも2つの組織が並立します。
一つは丞相からはじまる統治機関、少府から始まる皇帝一族の家政機関です。
こちらも古代の個人が国を「私する」を当然とする概念も、現代の国民を「統治する」という概念も併せ持つ懐の深いモノでした。
#で、こちらも庶民の教育が
高度になり、庶民の財も
膨れあがった現代に、
いまだ国を「私する」を
当然とする概念が中国を
腐らせてるのが皮肉なこと...
この優れた統治システムで、まさに数千年、王朝は変われど国は変われど(多分現在の共産党でさえ)変わらずこれが行われています。
それ以外、彼らが行ったこと。
度量衡の統一
これ重要です。
商売やりやすいです。
たまに後世のフランスのように身の程知らずの「メートル法」とかつくっていまでも混乱させている度量衡もありますが、基本的に良い事。
統一貨幣「半両銭」
各国が好き勝手やっていたのを統一します。
始皇帝が嫌われていたので案外流通してなかったとかなんとか。まあ前漢まで長く使ってはいます。
万里の長城
今現在の「無駄だった」の評価も含めて、現代の怪しい概念からの巻き戻しで想像しているだけなので、個々の認識は一番怪しいです。
今の長城は明がつくってます。
この頃はもっと北。
ただの土盛り。
哨戒拠点。
「こんな無駄な物はない」とか騎馬民族が跨いだとか伝説でしょうね。
土塁が跨げるの当たり前。
ローマでもリメス(防衛線)をつくってますがとっても有効でした。
まあ、無駄「だった」のは確か。
弱い時は王が人質になるくらい弱いし、強い時は遥か彼方まで遠征して無敵だったし。
で、なんやかんやで偉大な超大国を作り上げたのですが短命でした。
ちなみに中国は頻繁にカーテンコールが起こります。
その最初が「漢」
秦末期、反乱が多発します。
「阿房宮」という超豪華宮殿、宮殿に姫侍らせて贅沢三昧、万里の長城がとっても費用かかった、法律厳しい、儒教弾圧、焚書坑儒、二代目扶蘇が暗愚。
色々な意見、うーんどうでしょうね。
大抵こういう場合は、後の者が前の者を悪口三昧になりますから話半分で聞いた方が。
後の漢の従属ぶりを見ると、北方蛮族の侵入による社会の不安定化を私は押します。
まあ何にせよ後で頻繁におこるカーテンコールが今回も行われました。
秦→漢へ短い間に権力移譲がなされます。
反乱その他で秦はちりじり。
また群雄割拠が始まるのですが項羽に劉邦が勝って「漢」が始まります。
漢は、劉邦が咸陽入りした際に、秦の法律文書の庫をいち早く抑えてその全てを手に入れ、まさに秦そのものを名を変えてそのまま継承します。
それを継承したものの、その出自から中途半端な権力であり、 ちょっと弱めに諸侯国も並立する郡国制となりました。
秦のあまりに強引な政策の反省と、まだ強い諸国を考慮しましたらしいです。
しかし、こちらあざとく呂氏が立ち回り、諸国を弱体化させ実質武帝のころには郡県制になってます。秦の考え方が古代では一番効率が良かったのでしょう。
ちなみにローマも巨大になるにつれ、共和制から中央集権に移行しました。
漢は疲弊したからか、もともと戦車、重歩兵という中国軍が弱いのか、長い間北方の騎馬民族の連中に従属していました。
が、武帝という英雄で中国軍に騎馬軍がおこり、それを有効活用することでとっても強国になります。
はるか世界の果てまで征服することになる。
強い時いと弱い時が極端な国です。
今回はこんな感じ




