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人間の歴史。  作者: TAK
第一次世界大戦
172/176

ただ鉄量のみ

              ↑

タイトルは一番好きな作家の一番良かった時期のサブタイ



さて、1914年7月28日にはじまった第一次世界大戦。

西部戦線はちょうどクリスマスにいったんは落ち着き、膠着状態になりました。

「クリスマス休戦」と呼ばれますね。

自主的に戦闘がなくなり、ドイツ人が手を振り、イギリス人が手を振り替えし、ドイツの塹壕にキラキラ光るクリスマスツリーを見つけ、ドイツ語の「きよしこの夜」が聞こえ、そのうち何となく塹壕からみんな這い出して宴会が始まる。サッカーが始まる。


美談にイギリス人とドイツ人が多いのは、そもそもビスマルクがドイツを強者にするまでは貧乏だったドイツ人という事情があります。

出稼ぎのために英語を話せるドイツ人は多かったのです。


あ、ちなみに私の話は常にそうですが、この話は美談に感動した報道の連中や、あるいは新聞、雑誌、本が売れるようにバイアスをかけているだけです。

ほとんどの戦線はそんなことしてません。


というか真面目なアドルフヒットラー上等兵は「真面目にやれ」と戦友に説教してました。


エーリッヒさんはお調子者を「撃ち殺せ!」とまで言ってました。


親独だったベルギー人は、裏切り者で祖国を踏みにじったドイツ人をクリスマスでも撃ち殺してました。


まあ美談やらは大抵、自分の新聞を売りたいマスコミの所業なのは何時の時代でもですね。

エジソンしかり、日露戦争しかり、ヨーロッパはワイン発祥の地で最高!、どころか明治維新のきっかけは「ベリーが千葉の人を虐殺した!」ですからね?当日はその空砲を「花火や!」と楽しんでいた当事者が信じてました。

罪な連中ですね?

まあそういうのを喜び、得意げに吹聴する自称)識者、自称)知識人とかが育てているのでどっちもどっちなのでしょうが。


一応、語らなかった他の戦線も。




・中国戦線、太平洋


イギリスが日本に要求します。

「宣戦布告せずにドイツの権益地を叩け!」

「やっぱやめろ!」

「戦域を限定してやっぱやって?」

「延期!」


火事場泥棒が嫌だけどドイツに嫌がらせをしたい!

そんな感じで一貫してません。

イギリス政府も大多数が反対。

海軍大臣)チャーチルさん反対。


アメリカ政府反対!



日本側も、当時の首相である大隈重信さん「イギリスとの友誼を大切にせよ!」以外は反対。

「領域拡大のために戦争を利用しない」と約束して参戦を決意し、ドイツに宣戦布告するも無視されて8月23日に参戦することになりました。


やったことは以下。

・青島・南洋諸島の占領

・オーストラリアの警備

・ドイツUボートの通商破壊戦に対抗するための船団護衛

・アメリカ沿岸の警備

・地中海への護衛船団(巡洋艦)出雲の派遣


逆に欧州派遣は海陸共に拒否しました。

まあ友好国的には無難な対応ですかね。



終戦後は「火事場泥棒!」的な感じだったと言われますが、これは完全に第二次世界大戦前の悪役になってからの意見で、当時はドイツの「卑怯な!」というマスコミの論調の通商破壊戦に対応していたので賞賛されてました。

南洋諸島の占領も、船団護衛拠点の必要性が納得されていたので別に。

よくある識者の

「日本は火事場泥棒!」

「陸軍を欧州に派遣していれば!」

「戦艦)金剛を派遣していればイギリスは納得していた!」

はどうでしょうかね?


当時は双方納得してたし、第二次世界大戦がなければ南洋諸島など大して価値ないし、そもそも日本を悪役にしたい後年の論調なんでそもそも「悪役にしたい!」という目的がなくなるわけでもありませんしね。


「インディアンにガラス玉を渡してマンハッタンを騙し取ったんだ!」的な阿呆だが信じてしまう意見と同じだと思う。

マンハッタンも南洋諸島も、当時は価値ないし、価値あるなどという将来性のある人などいないし。

ちなみにその「将来性」とやらは、当時蜜月だった、あるいは現代で蜜月なアメリカに戦争を数十年後に予測できる人です。

居てもおかしくないですが、それを信用するような政治家はどちらかというと狂人でしょうね。


ちなみに犠牲者は多く出てます。

なんだかんだで「太平洋←→欧州」航路は結構激しい通商破壊戦してました。

もちろん連合国は賞賛してます。



あと、独自に参戦した日本人多いです。


フランス軍飛行隊のエース)滋野清武男爵は有名ですね。

イギリス領カナダ在住日本人約200人とか?


中国に続いて勇敢な戦士、ドイツ人捕虜の人道的な振る舞い、義侠心あふれる対応で概ね日本軍は好評です。

「火事場泥棒!」的な意見はアメリカくらい?

そもそもあんまアメリカ関係ないんですけどね。

後年の参戦も権益目当てだし、当事者的には「鏡を見ろよ」


逆に「第二次世界大戦への布石」だのも含めて、実は特筆することもあんまないです。

当時の新聞よんでも「日本人『も』頑張ってるね!」だけです。

主戦戦はあくまで西部戦線ですし。




・アフリカ戦線


当時の制海権はイギリスが握っており、その横暴さ、、というほどでもないですがボーア戦争だのの名残で「うざい」程度に思われていたのでドイツ贔屓が多いです。

第二次世界大戦では南米がアメリカ憎しでドイツ贔屓でしたが似たような感じ?

まあ大して兵力ないので鎧袖一触です。


ちなみにオランダもポルトガルも嫌われてたし、そんそも植民地経営自体が上手くいった例しがないので、後年も含めてグダグダですね。


もっとも本流でないからこそのおもしろさ「仮装巡洋艦」「武装商船」「特設砲艦」とか物語だのコミックだのSFだのに出てくる艦種がわかります。

いろいろな工夫で面白いですよ?

もっとも、正規の巡洋艦一隻で負けてしまうような弱々なこともわかってしまいますが。


意外に犠牲者多いです。

ほとんどは暑さ、衛生面での病死ですが。




・中東戦線


主戦場は西部戦線ですが、イギリスが一番重要なのはこちらでしょうね。

インド洋、太平洋への玄関口。

第二次産業革命で重要性が格段に増している「石油」

イギリスの価値が高い理由「無煙炭」の価値が激減している理由でもありますが。


そしてオスマン帝国は世論は中立でしたが歴史的に「ロシア憎し」なので負け組ドイツの中央同盟に入ってしまいました。

中立だったら素晴らしい立場だったのにね。

・ドイツのはらわたを押さえており

・イギリスにとても価値が高い

・ロシアを押さえておける


残念、感情や世論に迎合するとよろしくない結果になる典型ですね。

今でもトルコは感情だけで左右して厳しい立場です。

結果論として信用もないですしね。


11月2日、開戦と同時にロシア帝国コーカサス軍が侵攻します。

まけて年内にコーカサスを取られてしまいました。

ロシアは東部戦線で忙しかったのでそこまででしたが。

良いところ一つもないですね。


11月6日にイギリスがファオ半島に上陸し、ファオ要塞を取りました。

ペルシア湾、地中海双方を抑え、バグダッドの喉元を突きつけ、いきなりオスマン帝国ピンチです。

良いところ一つもないですね。


当初から鉄道をひいてもらい、軍事派遣団で防衛も担ってもらい、とってもドイツには期待していましたが、結局はドイツがしてくれたことは軍事派遣でした。

良いところ一つもないですね。


そして最終的に映画「アラビアのロレンス」となるロレンスさんが無茶苦茶やり、内乱にされ、最終的にはトルコ共和国となります。

本人は、、ポカホンタスほどひどくはないですが、あまり評判は良くないです。

差別主義者、権威主義者、狂信者、狡い、汚い、ホモ、マゾ、個人批判はびっくりするほど多いです。


考古学者+軍人+諜報員


どの分野でも誰もが「優秀」と言い、幼少期からめちゃくちゃ頭は良かったのも確かなようですが。


まあ批判している一つ)オスマン帝国がそもそも少数民族虐殺してたりしますしね。

今のトルコ共和国も同じく、偉そうには言えない国ではありますが。

ご参考)

Lawrenc James「アラビアのロレンスの秘密」

浅井雅志「裏切られた肉体-T.E.ロレンス論」


まあそんな感じで1914年7月28日からはじまった1914年が終わります。

戦死者数は西部戦線のみで200万人以上。

全期間の全体死者数1000万人くらい?4年近くの戦争のたった五か月です。

ちなみに一番多いのはマルヌのフランス軍。


まあ超動員して、超集結して、超進んで、超頑張ってロレーヌ取るぞ!


戦争舐めとんのか?

まあブルボン王朝が滅びた後のフランス軍はこんな感じばかりです。

ナポレオンもなんだかんだで300万人の兵隊を凍死、病死、鍬に叩きのめされたりで消えちゃいましたしね。

部下の死をなんの痛痒も感じない将軍ってのが「民主主義!」っぽいです。

ナポレオン三世のみっともなさ、ダントンだのが「民主主義万歳!」と唱えながら政敵をぶっ殺しまくってましたしね。

ブルボン王朝、ルイ16世はギロチンのかかる直前まで妻と国民を案じてたのにね。


その後のフランス軍のみっともなさは続きますよ!?



さて、その後は皆のイメージどおりの「誰が為の勝利」的な第一次世界大戦がはじまります。

塹壕で過ごし、時間になったら砲弾が飛び交う中で突撃し、ほぼ何も得られずに次の日を迎えると。


とにかく歩兵の集中運用、砲兵援護、突撃、穴埋めは騎兵的なナポレオン戦争や南北戦争から、陣地同士の睨み合い突撃の日露戦争くらいまで発展します。


表題↑の「ただ鉄量のみ」もそんな感じのファンタジー?SF?にしては妙に現実感のある小説で現していたモノです。

とにかく事前にたくさん準備し、陣地を丁寧に作り、入念に兵を動かし、十字砲火を投射できるファイヤーゾーンに敵を誘い込み、あとはひたすら砲弾、銃弾をたたき込む。

戦闘は兵士数でも士気でもなく、ひたすら砲弾の鉄量のみで決まると。


陣地構築も兵器も、日露戦争でコンドラチェンコ将軍や乃木将軍が実現したものをより洗練させて実現させてます。

日露戦争では双方とも陣地だの鉄条網、観測点、機関銃やら大砲やらの砲架やら設置方法やら支えやら、現地改造で戦争中につぎつぎと変化させてましたしね。


大砲はフランスのシュナイダーM1897 75mm野砲が元祖と言われますかね?


巨砲の衝撃を砲身を後退させるだけにした液気圧式駐退復座機を設け、何度撃っても砲身が後退して戻るだけになり、照準が固定できるようになります。


密閉は隔螺式を用いて密閉性と使い勝手を両立し、、要するに後ろの蓋をネジを切った開閉式にし、開閉式の蓋をしめ、切ったねじ溝に沿ってハンドルをぐるぐる回しこむことで後ろの栓をしっかり密閉すると。

(尚、接触部分が多いネジでしっかり締めて密閉する隔螺式と、冶金や精密さや加工技術が発達してスライドするだけで密閉できる鎖栓式、さらに大きい大砲やたくさんの火薬を詰めて密閉性を高めるために隔螺式に戻る、と大砲の発達で交互に生まれることになります)



両脇は車輪を付けて動かしやすく、分度器やら水平器やらを取り付ける、どんどん工夫していきます。

薬莢式にして弾と火薬を分離させ、射程が目に見える範囲から一気に10km以上先へ、間接射撃に対応するために上下左右の可動範囲が一気に広がり。


こういう工夫をしてドイツのクルップ、イギリスのヴィッカース、アメリカのロック・アイランド、日本の神戸製鋼などがどんどん開発していきます。


ちなみにただの野砲から塹壕ごと吹っ飛ばせそうな重砲へ変化していきます。

大きくすると射程が長くなりますし、カバーできる範囲も広がります。

アルプスの山々を越えて撃つことも出来るようになり、間接射撃、観測班が発達します。


観測、間接射撃でとっても数学と物理が発達します。

弾道学?とか?


観測班が敵を確認し、地点を伝達し、そこで計算して装薬や方向、迎角を決めます。

なので分度器も定規も発達します。

ナポレオン時代でもミル、シュトルヒ単位で砲を動かしてました。

自位置中心に10km以上の範囲を確認し、そこに弾を落とすために計算し、装薬量や角度を1ミル=0.0573度以下の操作で制御し、歩兵が要求した場所に少しでも速く弾を落とす。

難しそうですね。

IBMの最初のコンピュータが弾道計算なのはわかる気がします。


ちなみに気球や飛行機で通信筒とか伝書鳩とかも使ったと言われますが、主要なのは塹壕に張り巡らした野戦電話、有線電話ですかね。

司令部はすでに無線が使われており音声通話さえ出来たようですが、、英軍は日露戦争と同じく通信の重要性を理解しており、ドイツの海底ケーブルをばんばん切断しているのでドイツは無線を多用してますが、、まあ条件が限られすぎてメジャーではありません。

観測班が無線機を背負って砲兵に爆撃を要求する、よくあるシーンはもう少し後です。


古峰文三「砲兵から見た世界大戦」とかが面白いですかね?



大砲は野砲から重砲に変遷して大型化していきますが、皮肉なことに迫撃砲は大いに発展していきます。

ロシアが日露戦争で大活躍させたからでしょうか。

いまでこそ歩兵を援護できる一番身近な大砲のイメージですが、この頃は「爆弾投射器」と呼んでます。

いまでいうグレネードランチャーと同じ役割。

塹壕から投射でき、塹壕の上から落とせるように投げるマシーン。

直射に近い使い方ですね。


もちろんとっても便利だったので野戦でも使う迫撃「砲」となりました。

いまの迫撃砲は観測兵から観測データをもらい、キロ単位で砲爆行える砲兵ですね。


機関銃、機関砲は、、ブローニングM1919が一番有名ですかね?

南北戦争で登場しただけあってアメリカが得意です。

三脚架を広げて陣地に設置し、ベルト給弾でバリバリ撃つ奴。

まあ発売されたのは戦争末期ですが。


WW1の典型的なやつはマキシムやヴィッカースの方だと思います。

銃身を束ねた無骨な水冷の機関砲。

とってもメジャーで艦船や航空機にまで搭載されます。

ドイツはMG08ですが、そっくりというか真似ですね。

日露戦争で効果は確認済みですね。

第一次世界大戦では、あくまで結果論ですが1挺で小銃60挺分に匹敵しました。

機関銃1挺に兵士10人、10人で小銃60人分の効果があったそうです。

たしかに絶大ですね。


あと、手持ちの、、分隊支援火器とかいわれる軽機関銃も作られます。

手に持ってバリバリ撃つ奴。

ブローニングM1918自動小銃とか?

あんま歩兵突撃は目立たないし、効果のほどは疑問符でしたが。

こちらの活躍は無線が活躍して分隊単位で動くようになってからですかね。



塹壕は、要するに野戦築城です。


最初は掘るだけでしたが、前に鉄条網(ボーア戦争や日露戦争で使われてた)、地雷(あんま活躍できなかった、、わりに今でも残っている。戦車戦では活躍してますね)、観測用のトーチカ、簡易固定砲台(的な土嚢置き場)、土嚢(案外遅いのです。そもそも民間で発明したのは日本説がある)で側面や前面の補完。


ついでに爆風で全滅しないようにくの字にしてたり、予備陣地(後退する場所の塹壕)、前進陣地(前進拠点、凸哨点とか言われます)、連絡陣地(輸送や通信、交通のための塹壕)、いろいろ増えてます。


ついでに長期になると水はけ、電話、通信、通路、寝床、医療室、作戦室、地下通路、娯楽室や倉庫、どんどん豪華になってきます。


第一次世界大戦の典型的、、はこんな感じですかね。

イメージと違ってようやく、しかもどんどん発達していきます。



あ、、特記事項。


手榴弾は、要するに小型爆弾ですから昔からあります。

それっぽいのがルイ14世の時代に既にありますね。


が、あのレバー引いて何秒か数えて投げつける奴。

あれイギリスの歩兵が現地で作った説があります。

嘘か誠か。


平地での威力などたかがしれてますし、集団で銃をばんばん撃った方が良かったので今までは注目されませんでしたが、狭い塹壕内では強烈な力を持ちます。


投げるのはとても勇気がいりますが。

おかげで後年はドイツ歩兵を「擲弾兵」といったり、サンダース軍曹の必殺技が戦車のハッチ開けてパイナップル投げだったり。


そんな感じがWW1の「典型的」って奴です。

これからはそういう戦いが始まります。

すいません。仕事が忙しすぎてどんどん不定期になってきます。

来年の仕事も当てがない不景気なんですけどねぇ。

目の前の仕事は大変です。

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