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人間の歴史。  作者: TAK
第一次世界大戦
169/176

クリスマスまでに終わってないですね

かなり前に書き上げたのですが、誤字脱字を修正しているうちに後ろ半分が消えてしまい、一気にやる気が失せてしまって遅れてしまいました。


すいません。


「謎」


だの


「同盟やら条約のせい」


だの


「クリスマスまでに終わると思ってたのに」


だの


「複雑な同盟関係」


だの


「みんな巻き込まれた」


だの言うのが第一次世界大戦ですが、、まあ本来の第一次世界大戦、、いわゆるセルビアの暗殺から始まるオーストリア VS セルビア の 紛争→戦争  は、実は第一次世界大戦全体で小さな位置づけです。


当事者はオーストリアとセルビアなのに。

普通にやれば普通に終わる戦争でした。

あえて言えばロシアとトルコが不在だなぁと言うだけ?


8月12日 セルビアに侵攻


8月15日 ツェルの戦い


オーストリア=ハンガリー軍 20万人

セルビア軍         18万人


オーストリア負けました。

写真はたくさん残っています。


オーストリア側は機関銃、馬車、騎兵、、多少の野戦砲

セルビアは歩兵のみ、、多少の騎馬、ちょびっと野戦砲

だらーっと南北戦争の頃に戻った感じ?

だらだらやってだらだら負けました。


オーストリア・ハンガリー第21師団の一部と,セルビア軍混成師団の一部との間で起こり、激しい夜間戦で一進一退でしたが、まあ南北戦争から始まる近代戦、日露戦争での勝敗を考えると防御側有利、セルビア軍死傷者16,000人に対してオーストリア軍死傷者21,000人の犠牲。


ステパ・ステパノヴィチが強かった!セルビアライン回復!とか言っていましたがどうなんでしょう?

「すごかった」以外に記述がない人は、たいてい凡人ですが。


お互い、当初はすごく甘い考えを持っていたようです。


オーストリア

「鎧袖一触、セルビアをちゃらっと下してセルビアに介入したいロシアを撃退して終わり!」


セルビア

「頑張ればロシアが来る!フランスが来る!」


という目論見で動いていたのですがオーストリア側の望みはたった二週間で潰えました。

実は難敵でした。


ロシア、フランスは、、自分の欲でいっぱいいっぱいでクリスマスまでにセルビアに来ることはありませんでした。

セルビア人の望みも早々に潰えました。


思ったより簡単ではなかったのでオーストリア軍はロシア方面、セルビア方面の二正面で大戦力を貼り付けることになってしまいます。

セルビア軍はロシアにもフランスにも期待できないことが早々にわかってしまいました。


ということで、この地域は犠牲が多い難戦、でも勝敗はすでに決まっていたという感じでしょうか?


トピックとして、小国セルビアにクリスマスまでに勝て、敗戦国は口を閉ざし、戦勝国であるオーストリア=ハンガリー軍は略奪/放火で民衆数千人が殺され、、、全投入兵力40万人にしては乱暴狼藉は少ないと思いますが「無秩序の挑発」いわゆる略奪、「無意味な報復」いわゆる虐殺、、言い方は変えてますが認めているので「あった」のでしょうね。

21世紀、20世紀のセルビアの所業を考えるとちっちゃかったりするし、19世紀以前も結構な火種でもあったので「おまいう」と感じる人も多いでしょうが。

バルカン半島は殺し、殺されの歴史ですから。


ちなみにバルカン半島の今までの重心地でオスマン帝国抜きでは考えられませんが、今回はロシア憎しでオーストリア=ハンガリー側についてます。

もちろん黙認。


斜陽なオスマン帝国。

オスマン帝国が強力な時代はバルカン半島は比較的安定しているのですが、既に弱すぎて西ヨーロッパに頼るしかないのが現状です。

そして中東にとってバルカン半島は地中海、ヨーロッパへの入り口ですが、西ヨーロッパではスエズ運河くらい?

今のヨーロッパでもひたすら安い労働者の畑として搾取されてます。

西ヨーロッパにとってあまり投資する場ではありません

今のユーロは南北問題、現在のドイツ政府は安い賃金で企業が儲けているのに、彼らはドイツのお金を取っていると思っているでしょうが。

(そしてそれは半分あってる。企業は安い賃金で儲け個人のお財布は膨らみ、ドイツの税金で彼らを社会保障してドイツ国民は搾取されているのも本当。実はこれも歴史の繰り返しだったりします。)


協力はしてます。

ロシア攻撃のためにドイツ海軍をボスフォラス海峡通航を認めたり、邪魔する英軍の上陸を阻止したり、より憎いロシア攻撃を優先しました。。そしてトルコの不幸がはじまる。

ひたすらロシア憎しだけなのにね。



何にせよ、本来の「クリスマスまでに終わる」戦争の直接的なものはクリスマスまでに終わりました。

ロシアのバルカン半島への入り口「クラクフ」でロシア侵攻を阻止し、長大な戦線を塹壕で維持して長期間の対峙がはじまります。


・セルビアは ロシア=トルコ=オーストリア の三つ巴の傀儡政権だった


・セルビア政府と関係ない過激派がオーストリア皇太子を暗殺した


・自分たちの無謀さを棚に上げてセルビアに厳しく責を問うオーストリア、傀儡政権で反抗心たっぷりのセルビア、これをきっかけに介入したいロシアの暗闘をした


・開戦になった。オーストリアのセルビア侵攻を開始して、苦労したけどオーストリア勝利でおわった


当然ながら、これで終わってたら第一次「世界」「大戦」とは呼ばれませんね。

でも、その「不思議」だの「謎」だのいう輩の理屈はここで終わっています。

この後は全然別な話な気がしますね。






次の理屈は、、ロシアですかね。


ロシア、ソビエト「兵士は畑でとれる」


第一次世界大戦前のロシア帝国陸軍:142万3000人


当然ながら日露戦争の後の話、明石大佐が諜報をがんばって反乱多発、その全てを武力で鎮圧した後の兵力です。

第一次世界大戦の総動員数533万8000人。

戦死者数は930万人。

あ、計算合わないのは戦士でない人も戦死したからです。

自国民も他国民も容赦ねぇ!


スケールでかいですね。

そしてロシア人にだけは絶対になりたくないですね。



開戦の理由は、まあセルビアとの約定です。

一応。

が、そんな理由なんてロシアの経験した全ての戦争と同じで、大した理由にはなってないでしょう。

機会があれば闘うのがロシアの歴史。

というか機会あったのに「平和」なんていうと、支持率減るか、反乱がおこるか、そんな国なんで、どんなに日露戦争で疲弊してもやります。

仲間いるしね!


ロシアの戦線は、、、セルビア地域を最初に述べたので南半分、バルカン半島に接する面から行きましょうか。


・ロシアは東ガリツィアに侵攻しました。

・圧倒的な兵力差でオーストリア、ドイツは退いていきます。

・が、セルビアが解決してその師団が北上し、東部戦線として塹壕戦に移行して膠着するまで少しづつ負け続けていましたが粘ります

・他の戦線でロシアは負け続けていたので全体的には「よくできました」?


終わり。


第三者から見ると、火事場泥棒的に弱小オーストリアを降すつもりですが、ロシアはもっと弱小でしたというところですかね?

戦争としての注目点はあんまないです。


尤も歴史的には実に大きい。

地味ですが。

第二次世界大戦のアドルフさんまで続く遺恨が始まるという点では、戦争よりも人類社会に重要なことが起きたことがトピックでしょうか?


Pogroms ポグロム 、ロシア語で「破滅・破壊」 ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為 


こんな言葉があります。


1543年 プロテスタント運動の創始者「マルティン・ルター」、日本の教科書では「新教が出来ました」だけの人ですが本を書きました。


「ユダヤ人と彼らの嘘について」


ユダヤ人を糞味噌にいいます。

プロテスタント、カソリック、正教関係なしに虐殺が始まりました。


17世紀ウクライナ・コサックのフメリニツキーの乱で貴族に氾濫しました。

たくさんのユダヤ人殺されました。

ポーランド分割の時はロシア人がユダヤ人を殺しました。

ハプスブルク家を頼りましたが「裏切り者」という評判で見捨てられました。

氾濫する側も、鎮圧する側も迫害し、だれも助けてくれない現状。




リトアニアで一揆がおこり、ウクライナ人・ベラルーシ人農民、コサックが暴れ回ります。

ユダヤ人も殺します。

対象は領主だろうに。

なぜかその権力者側の領主からもユダヤ人は裏切り者と排斥されたり見せしめにされたりしています。


そんな感じでロシア、ロシア人が出張る東ヨーロッパではやたらユダヤ人殺されます。

東ヨーロッパでロシアではないところは比較的穏健だったので余計酷い。

なんとロシア全土20世紀まで排斥運動は続き、1903年から1906年のユダヤ人襲撃は致命的で、大量の国外脱出のきっかけとなります。


それが迫害ポグロム

理由は、、まあ魔女狩りとかと根っこは同じですかね。

同じ頃、正教の総本山であるロシアはカルトにはまってます。

裸が正しい、ち○こ切るのが正しい、飢え死にするのが正しい、まあ文明の途中で科学が地歩を築くまではどこの国もカルトは似たようなモノです。

風呂入ると妊娠するとかいうフランス人、水銀飲むと永遠の命な中国人、日本だって例外ではないっす。

まあ暴力最高!な国なので激しさ倍増ですが。


そんなロシア全域、東欧全域のユダヤ人排斥を現す言葉ですが、逃げた先の一つはこの戦線があるガリツィアだったりします。


とりあえずロシアでは圧政をする側もされる側も殺されるユダヤ人、でもビスマルクさんは


「ドイツに住めばみんな仲間だよな!」


そのナショナリズムには当然ユダヤ人も含まれます。

というかプロイセンってユダヤ人や正教、プロテスタント、ドイツ騎士やカソリックに排斥されていた連中。

排斥した張本人なドイツ騎士も「ドイツ最高!俺たちの国!」で愛国者です。


ナショナリズム、今でこそ「如何なモノか?」的なカルトの一つ思われてましたが、非科学的な「民族」同士の殺し合い、宗教の殺し合いよりなんぼかましに見えます。

というかユダヤ人的にはまちがいなく最高です。


オーストリアの軍人になったユダヤ人は最高の兵士になり、士官になりました。

後の迫害者になるアドルフ・ヒトラー伍長なる若者は、ただの伝令をこなしただけで叙勲申請をしてくれたユダヤ人の上官にとても感謝しています。



ガリツィア地区全体では11%にすぎませんが、職業柄、あるいは生活手段として都市部に40%集まっていました。

都市部のユダヤ人も積極的に戦争協力します。



が、ガリツィアの首都レンベルクを攻撃した後、8月26日 - 9月1日に撤退。

防衛の要のプシェムィシル要塞も5個軍団30万人で包囲。

この地域はロシア軍に進出されました。


ロシア軍の占領の様子と結果はこれが正しい気がしますね。


「第1次世界大戦期オーストリアの戦争難民問題」野村真理


曰く、ガリツィア地域はロシアが占領した。

曰く、ユダヤ人の町は焼き払われて廃墟と化した

曰く、オーストリアへの協力者としてユダヤ人は暴行の限りをつくされた

曰く、この地域の住民、負傷兵のうち、ユダヤ人のみ迫害された

曰く、都市の食料、生活用品は配給になった。配給はユダヤ人のみ無視された

曰く、他の住民がユダヤ人に分け与えることを厳罰をもって禁じられた


こうやってユダヤ人を生贄にし、この地域の他種族に不和の種を蒔いたのです。

おかげでほぼ全てのユダヤ人はこの地域から逃げ、難民となりました。


ロシア人の迫害ポグロムとっても効果的に続きます。

10万人以上のユダヤ人難民が西へ逃れます。

もちろん、オーストリア、ドイツ人にとっては同胞、可哀相な人。

最初だけは。


例えばウィーン人7万人ものユダヤ人が流入します。

着の身着のまま、コサックに追いかけられるとまともな宿泊も睡眠もしてません。

泊まったホテルは南京虫や害虫だらけになったと言われます。

ウィーンは立ち入り禁止。

ベーメンやメーレンも似たようなモノですね。


収容所が作られましたが刑務所より不潔な建物。(そりゃ着の身着のままで囚人より汚いのは仕方ないのですが)

都市部に住むことは許さず、周辺の市町村に少しづつ受け入れをさせました。


人数が人数なんで広範囲に。

ヒトラーさんも限らず、ドイツやオーストリアの末端の小村までユダヤ人の不潔さ、汚さ、貧乏さの印象が定着します。

本来は教育程度が高い、敬虔で親切、隣人に分け与えることをためらわず、裕福な人達、戦場では勇猛な人達だったはずです。少なくともこの場所では。

なのに、、かわいそうに。


この印象を利用し、ドイツ国民の不満を集め、数十年後にアドルフ・ヒットラー伍長は当選して首長になり、やがて独裁者になりました。

因果ですねぇ。


何にせよ、東部戦線の南側はロシア有利でことが進みました。






北側は、、

こちらの緒戦は「タンネンベルクの戦い」と言われます。


主戦線はドイツが受け持ちます。

ドイツは一個軍団15万人。

ドイツの発達した鉄道網に比べてロシアの鉄道は大抵は単線。

動員、輸送、展開は遅いと思ってました。


が、ロシア人を甘く見てました。

長い歴史、500円玉を拾ったら、たとえ1万円の治療費がかかっても絶対手放さない心意気。

日露戦争でもその強つくばりっぷり、暴力大好きな国民性を甘く見てました。

なんと二個軍団41万6千人!

やる気ありますねぇ。


まあ中身は伴っていませんが。


そもそもそれぞれの軍団長、パーヴェル・レンネンカンプさんとアレクサンドル・サムソノフさんは日露戦争以来の犬猿の仲。

日露戦争の時は駅で殴り合いの喧嘩をしてたようです。


兵士はロシアでよくある「兵士は畑でとれる」程度の質の悪さ。

鉄道はワルシャワから単線一本。

森で迷い、舗装されてない道をだらだらと。

しかもコサック騎兵とか、あんま必要ない馬の補給もその単線一本でこなさなければなりません。


案の定、あっさり負けます。


北の第一軍がプロイセンに侵入し、負けます。

まあ人数多いのでたかが一会戦くらいでどうこうではないはずですが、戦線整理で前半は交代、でも連絡不行き届きで行軍は引き続き、南の第二軍は突出、あるいは事情を知って撤退。


まあぐっちゃぐちゃの状態の中、ドイツ軍もよくわからないままちぐはぐの敵を各個撃破。

南に進出してロシア第二軍を撃破、それをフォローしようとするロシア第一軍も各個撃破でやり、よくわからないうちにドイツは勝ち、ロシアは撤退、戦線は開始点まで戻ってしまいました。


緒戦はロシア軍の大負けです。

が、これは全体的には有利になりました。


ドイツはロシアの大戦力にびびって西部戦線から二個軍団を引き抜きます。

が、その輸送途中でロシアは撃退され、二個軍団もの貴重な戦力が遊兵化してしまい、戦争全体ではかなりの影響になりました。


が、緒戦のロシアの目論見は外れ、ガリツィア地域以外は失敗と言って良いでしょう。

プロイセン側は開始点まで戻され、セルビアは助けられず、ガリツィア、セルビアの戦線は膠着状態で緒戦は終わります。


そして開戦理由である問題の大抵はここに内包しており、クリスマスまでに片がつきました。


が、もちろんクリスマスに終戦はしてません。

そうなったら大戦とは言われませんからね。


単純に、そんな理由とは「全く」関係なく、戦う理由があったのです。

それが積極的に戦争をし、セルビアや同盟の理由とは関係なく戦争を拡大していったのです。


ドイツとフランスは戦争をしたかったのです。

セルビアの事情とは関係なく。

ロシアはただただ戦争に巻き込まれただけですね。

自業自得ですが。


歴史学者の「謎」とやらは全く関係なく、ただただ関係なく西部戦線は動きます。

次はこちらの話をしましょうか。

コロナ騒ぎで世界恐慌になるんじゃないか!ってすごい感じになりましたね。

まさに歴史のイベントという感じで。


尤も、救急救命医の妻は別な見方があるようで。


・救急救命は暇


・まあそもそも「コロナか?」とかの前に症状見るのは普通の医者なんでPCR検査なんてやったことない。CTスキャンで肺はまるわかり。PCR検査してもウイルスありなし以外わからないしね


・なんか外国人が来る。PCRだの言ってくるけど、今いるのは富裕層ばかりで紳士淑女なんでいまいち嫌いにくい。知識層以外は幸いなことに「日本が病原菌」とか言われて逃げちゃたしね

ちなみに前レポートは「半分以上外国人」だったのですが、このレポートは「半分以上は国籍確認中」姑息ですなぁ

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10912.html


・去年のインフルエンザ死者3000人。10年前は7千人。今はコロナの600人以外はほぼいない


・交通事故数万人が激減。


・自殺者小。自殺はクリスマスやお正月のように人が恋しく羨ましくなる、二月や八月のようにイラッとくる天候で増えるらしいですが、今年は羨ましい人が少ないからですかねえ


感染率やら潜伏期間とか驚異なので、脅威でないと言ってないですよ?

ただ、こんなお話を聞いたあとで世界の大イベント「世界恐慌」より酷くなると言われてもいろいろ思うところはありますよね?

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