クリスマスまでに~
さて、第一次世界大戦が始まりました。
まあその名がついたのは戦後ですが。
世界戦争 World War
大戦争 Great War
欧州大戦 War in Europe
もちろん日本語の「大戦」も後の話。
始まる頃は普通の戦争として始まってます。
ドイツは8月2日にベルギー侵攻。
ドイツ75万人 連合軍76万人
*連合軍:フランス、ベルギー、イギリス
8月12日、オーストリアがセルビア侵攻
オーストリア20万人 セルビア18万人
8月20日 東部戦線グンビネンの戦い
ドイツ:15万人、ロシア20万人
尚、その前の第二次バルカン戦争ではブルガリア50万、セルビア側連合100万。
日露戦争では日本30万人、ロシア50万人。
確かに飛び抜けての大戦争には見えません。
まあよく言われる「クリスマスまでには終わる」という戦争でした。
まあ同じくよく言われる「クリスマスまでに終わる」と言われた戦争、WW2東部戦線、朝鮮戦争、ベトナム戦争だのがクリスマスに終わった試しがないのもいつものこと。
なにゆえこんなことになったのか、、まあ先に言ったとおりに、ヨーロッパ諸国は自分が狙われないように、政治的に有利に立てるようにと会議室での戦争に積極的だったからです。
お互いがお互いを縛り、周りの様子を見つつ、自分が獲物ではなく狩る方に行きたいと機会を待ち、、、
最初は憎まれ役一強のイギリス?、王を害した民衆やナポレオンを擁したフランス?乱暴者でトルコを虐めるロシア(まあその前の所業を考えると言ってる連中も「おまいう」ですが)、清やムガール帝国で大もうけしているイギリス?奴隷反対でアメリカ南軍?日本?日本を虐めるロシア?
今回はドイツと言うことですね。
ドイツ建国の父、鉄血宰相ビスマルクさん。
普仏戦争でフランスに遺恨を残しつつ気を遣って腰低く同盟を維持します。
彼がヨーロッパの平和を維持していたと言い切る人もいます。
まあ同盟、会議室での政争、不健全な暗闘を作ったのもビスマルクさんですが。
が、第二次産業革命が成功し強国に躍り出たドイツ。
ドイツ国民は有頂天です。
さらにヴィルヘルム二世さんという厨二病的な感覚の皇帝に移行してビスマルクさんは一気に人気なくなります。
このヴィルヘルム二世さん、社会主義だの自由主義だの如何にもな思想に傾注し、若き血潮は老獪なビスマルクみたいな政治家を敵視し、まあこんな感じで調子に乗ってました。
さらに遺恨のあるフランスにくそ生意気な態度をとり、なんか謝ったら負け的な感覚で政治を語り、まあ先代、先々代が気を遣った政治的立ち位置を台無しにしてしまいました。
日露戦争でロシアが可哀相な立場になり、欧州の政治的暗闘の獲物は自然にドイツに決まります。
「出る杭は打たれる」的な感覚はヨーロッパこそ大きいですしね。
経済的な伸長もむかつかれているわけです。
まあそんな感じでしずしずと始まったのが第一次世界大戦です。
戦争の様子は、、、近世から始まった「民主主義」「徴兵」「マスケット」の集大成?
日本やスウェーデンから始まった火器集中運用。
ズタボロのフランス国民を民主主義の軍隊に仕立て上げ、国民軍にした「民主主義」「徴兵」「三兵編成」
そのフランスを打ち倒した「ライン」「スタッフ」「サービス」を確立した参謀制度。
産業革命で作り上げた海路、鉄路で徴兵された兵士は素早く前線に運ばれます。
銃は原始的な火縄銃から丸い玉ではなく弾丸に代わり、ただの粉薬の火薬が薬莢に詰め込まれ、火縄で点火するのでは無く雷管という着火しやすい薬を打釘叩く方式になり、黒色火薬は無煙火薬に代わり、前から詰めていた玉は後ろから弾丸を詰めてバネで密閉させるボルトアクションになり、銃身は鉄を削るドリルで旋条が刻まれ、とても長射程になりました。
尤も狙撃銃やらは増えましたが使い方はあんま変わりません。
密集してズバーン。
大砲と機関銃も無視できませんね。
構造上、なかなか陸戦では有効活用できなかったのですが、筒を二重構造にして交換できるようにし、銅のパッキンで後装できるようにし、無煙火薬でゴミを減らし、縮退機で大火力の力を受け止め。
日露戦争からロシアと日本が皓歯となり、近代的な形になったもの。
理論的には少しづつ固まっていましたが大砲を近代的な形で有効活用したのは日本ですかね?
設置、有線ですが弾着観測による間接射撃、補給から前線部隊の援護、大砲の立場が大きく変わりました。
機関銃はロシア軍?
塹壕に隠れ、異方向からの十字砲火でファイヤーゾーンに集まった歩兵を滅多打ちする陣地構築。
歩兵の突撃を困難にし、犠牲を限りなく大きくしたのはこちらの兵器ですか。
すでに世界は人命を湯水のように消費している戦争は何度も経験し、湯水のように消費するであろう将来の戦争も予想できたものでした。
が、所詮セルビアの暗殺から始まる小競り合い、それを利用した政治劇の延長、そういう思惑と、だれかがどこかで引くであろうというチキンレースがそれを無視して奈落へ駈けていったのです。
各国の思惑。
最初の当事者であるセルビアとオーストリアは、オ-ストリアは介入成功してセルビアを配下に置く、セルビアはそれに抗う。
それだけですが、それ以外はいろいろと絡み合ってます。
<ロシア>
一番単純なのはロシアですか。
南下政策という奴ですね。
セルビアに口出し、オーストリアを下し、バルカン半島やトルコに進出できれば黒海と不凍港が手に入る!
人生薔薇色!
なんてのはイギリスの介入やら満州経営の失敗やら日露戦争やらでうんざりしており、当時でも陳腐化していたプランです。
動員も遅め。
兵はボロボロ。
そもそも立場的にもオーストリアのセルビア介入を避ければよいだけなのです。
すでにセルビアはロシアの勢力下でしたから。
ここで部分動員だけ、オーストリアに圧力をかけるだけだったら第一次世界大戦はなかったかもしれません。
というか「大戦」と呼ばれるような大袈裟なものではなかったという人多い。
が、日露戦争やら、各地域のテロだのデモだの、とても謙虚です。
我を知るというか、自分たちの軍政が情けないことも知っており、万が一で動員が遅れることを恐れて総動員をかけます。
それほどドイツを恐れていたということもあるかもしれません。
また一番積極的だった、ドイツに遺恨があるフランスからけしかけられていたこともあるでしょう。
何にせよ、ドイツを恐れたロシアは万が一を想像し、それを横目で見たドイツはロシアとの戦争の覚悟を決めました。
セルビアを戦場としたオーストリアとロシアの代理戦争に出来た状況は、ドイツの伸長、恐れ、ロシアの念のため、用心で失いました。
<イギリス>
三国協商、イギリス、フランス、ロシアとの同盟で一番やる気はありません。
そもそも三国協商が微妙に計算違いの結果です。
まず欧州の植民地政策が日清戦争からこの方むき出しになり、第二次産業革命でのドイツの伸長、フランス・イギリス植民地への圧力があります。
ということで日露戦争のころはドイツとロシアの抑えのために、1902年日英同盟、1904年英仏協商を結びます。
そしてロシアが日露戦争で弱体化すると。
ということで微妙に当事者感覚がありません。
ついでにヨーロッパの議長的な立場にありました。
もっともドイツの伸長、ビスマルク体制の崩壊、オーストリアとイタリアの微妙な空気の読めなさとドイツの威を嵩に着たキツネ的な立場になり、調停者としての立場も微妙になってます。
さらに昔と違うのは「スエズ運河」の先の「インド」「オ-ストラリア」「清」「日本」、スエズ運河がとても重要になります。
そしてそれを維持するためには不安定な中東は邪魔。
さらに今のアメリカのように国民が「自由主義」「民主主義」「平和」の守手的な立場になり、全体主義、ハプスブルク家と言った旧態の王族、オスマン帝国の皇族達とは微妙に相容れなくなります。
ついでに政治的に暗躍するのが大好き。
「アラビアのロレンス」という碌でもない奴をヒーロにしている理由です。
さて、そんな第三者的な立場のイギリスは、中東をまた不安定にするセルビア問題を憂慮します。
そしてドイツがその解決のためにベルギーを侵攻します。
ドイツ的にはすでに形骸化している局外中立国。
脅しても無視してもかまわないと思ったのでしょうか。
が、オランダ問題の解決も含めてイギリスとの縁の地、議会制民主主義の国、1839年のロンドン条約でベルギー中立の保障という義務、オランダとの調停で苦労した経緯。
イギリスはこれを無視しませんでした。
いろいろなコトを解決するため、積極的に戦争に参加することになります。
<フランス>
第一次世界大戦は無く、セルビアを舞台とした代理戦争でロシアとオーストリアが争うだけ。
状況だけ見たらそんなifもあったかもしれません。
戦線はセルビア周辺だけ。
が、殺意高いフランスとドイツがそんな可能性をすべて吹っ飛ばします。
ドイツは迷わずベルギーを通り道にフランスを侵攻します。
シェリーファンプラン。
そこで侵攻が成功したので目立たなくなってますが、フランスも殺意高く「プラン17(Plan XVII)」という戦前からの計画を実行し、アルザス・ロレーヌ地方を侵攻します。
ここら辺の殺意の高さで↑のifなんて吹っ飛びますね。
もう二国とか殺意高い高い。
普仏戦争で取られた賠償金とアルザス=ロレーヌ地方。
そしてそのおかげでドイツが建国され、アルザス=ロレーヌ地方の資源で第二次産業革命を成功させ、いまやイギリスを抜いて欧州一位を取りつつあります。
羨ましい、妬ましい、憎らしい。
やられた方はやったもんより間違いなくヘイトを貯める者です。
しかもたった40年前の出来事です。
昇華するのは時間が足りない。
はじめからやる気満々のフランスでした。
尤も、もっと殺意の高いドイツがいたのでその侵略は無かったことになってますが。
<ドイツ>
すでにいろいろ話しているので付け加えることはないですね。
とってもフランスに気を遣っていたビスマルクは失脚しました。
その原因の一つはフランスに腰低すぎたからかもしれません。
そしてなんか行動だけ見ると厨二病というか、アホの子に見えるヴィルヘルム二世さん。
モロッコでフランスにやらかし、イタリアとオーストリアと三国同盟とか役に立たなそうな身内同盟を結びます。
しかもイタリアは裏切り上等、オーストリアはアホの子ヴィルヘルム二世さんよりアレっぽい。
しかもおいらは強国じゃ。
イギリス抜いたんちゃう?
鉄、火薬、兵士もざっくざく。
あっさりとセルビアの国境、ベルギーの国境を越えました。
ロシアは東プロイセンの国境を踏み越えます。
まだ大戦などと言われるのは想像せずに。




