鉄ノ圀
すいません。
もう世界中が無茶苦茶になり、市井でぺいぺいな私の仕事も地獄になりつつあります。
頑張って書くつもりはありますが、もう、、、もうね。
つらい。
第一次世界大戦前夜、最後はドイツについてのお話をしましょう。
今まであんまり出てなかったですし、この機会で両大戦の主人公であるこの国のお話を。
今まで出なかっただけあって実は新興国です。
何をもって「国」と言うか、神聖第一帝国からの連続したものなのか、、、アメリカが新しい国とか言いますが、ヨーロッパでまともな国としては一番新しいかもしれません。
とは言いつつ古代からこの地域のことを。
この地はそもそもネアンデルタール人が住んでいました。
人類と違って彼らがアフリカからユーラシア大陸へ渡ったのは温暖期です。
サハラ砂漠が草原でステップ地帯。
北アフリカへ普通に北上し、スペインだの経由して普通にヨーロッパで繁栄しています。
人類と生活は交わり、結婚生活をしていた、協力していた、文化交流があった、子供が産まれてその子孫がヨーロッパ人、諸説入り乱れています。
その後に人類に近いクロマニヨン人、ハプログループI (Y染色体)、先史時代に農耕と巨石文明をもたらしています。
その後、トパ大噴火と言う水爆何百発分の火山噴火があり、今までのインド洋沿いにのんべんだらりと暮らしていた彼らは獲物を探しに川沿いに北上し、北欧あたりに辿りつき、更にドイツあたりにと。
3万年前くらい?
ハプログループG (Y染色体)が本格的な農耕をもたらし、それがコーカサス地方を中心に展開したと言われます。
白人のことをコーカソイドと言いますが、
・そもそもコーカソイドというもの自体が間違ってる
・インドから来た、
・アフリカを最初に抜けたのはコーカソイドで白人である。コーカサス地方は関係なし
そういう諸説が入り乱れて白人とは何ぞや、優良人種ゲルマン人とはなんぞやと研究されてます。
一周回って「白人としての特徴はコーカサス地域から」と落ち着いているようです。
偶然か、必然か、まさにノアの方舟があると言われる地域ですね。
関係あるのかはわかりませんが。
その後、インド・ヨーロッパ語族に属すゲルマン祖語を話す人々が到達し、青銅器時代となります。
そしてそ紀元前1300年から紀元前200年にかけてケルト人とイリュリア人の前期鉄器時代、ハルシュタット文化が栄えて鉄器時代、すでにローマでは文明が発達している中、いまだに未開な地域です。
遺伝子的にはインドからと言われます。
各地域が都市文明→帝国と化し、ローマや漢という優れた文明がとっくに勃興し、フランスはローマの一部として機能し始めた頃でしょうか。
イギリスよりまだまし、日本と同時期、周辺から蛮族と言われていた感じ?
我々の知る最初のドイツらしさは、遡ることローマ時代の「ゲルマン大移動」とか教科書に書かれたようなことでしょうか?
ローマの元老院には数多くのゲルマン人がいました。
ローマ市民は税の代わりに重歩兵、ゲルマン人やヌミディア人は貴重な騎兵として役立ってます。
何が始まりなのかは知りませんが、我々が見聞きできるドイツ人はローマ時代位からかと。
カエサル「ガリア戦記」
タキトゥスの「ゲルマニア」
ここらへんでとてもリアルな様子を伝えてくれます。
森の民族。いわゆる、ドイツの黒き森。ハーロック一族とかああいう感じ?
(たしか松本零士のキャプテンハーロックの祖先はドイツ南東のハイリゲンシュタットの深き森に棲んでいた一族)
・大小数十の部族に分かれ、その下にさらに血縁による集落が存在し、首長がそれを統括
・身分には貴族・自由民・奴隷がいる。これらは原則として血筋で決まるがその血筋が武力で実力主義
・自由民が貴族に対し軍事と裁判に参加する従士制度が基本
・重要な問題は、部族長が主催し、自由民以上全員で決める
・耕地は、地力が衰えると放棄。次の土地へ移動する
・農業は基本的に女性の仕事、男性は基本的に狩猟
・羊・山羊・馬・牛・豚を共同放牧
・自分の領地以外の森は焼いて防衛の要とする
このイメージはそもそもヨーロッパの騎士の構成を思い浮かべますね。
戦闘単位は主人である「騎士」とその軽歩兵である従者たち。
実際、この部族単位というはドイツでは長いこと続いた生活単位であり、現在のドイツ連邦の領邦もこれの延長。
17世紀で国は300。
19世紀で国は40。
ビスマルクの時代にようやく一つの「ドイツ」として体裁を整えている、いわゆる新興国なわけです。
ここの最初の一大事はフン族大移動。
漢が一大帝国としてブイブイいわせ、周辺の騎馬民族、オアシス国家を従属させ、それが何百年たててフン族大移動につながった、、とかなんとかいう珍説を唱える人もいましたがどうなんでしょうね?
まあ中国北部からイスラム手前までの広域は騎馬民族の庭でしたので、巡り巡ってそうなった可能性はありますが。
遊牧騎馬民族のフン族によって、黒海北岸のゲルマンの一派・東ゴート族を襲います。
で、上のように家族単位での延長で自由なドイツ騎士のご先祖様は玉突で大移動します。
これが、ローマ史の「ゲルマン民族の大移動」
ヨーロッパ人が騎馬民族!日本人は農耕民族!
とかいう誤解が生まれるのもこの頃。
ぶっちゃけゲルマン人は騎馬民族であるフン族が来るまでは狩猟/農耕民族です。
そもそも馬の産地はないですからね。
牧畜する技術もなし。
が、フン族の圧力でハイブリッドになります。
馬の産地は現トルコあたりかスカンジナビアの東方か、、なんにせよ放し飼いの自然な状態、力は強いが足が太く速度も遅い農耕馬に乗り始めたと言われます。
それが「騎士」という中途半端な重騎兵が生まれた理由なのかは知りません。
でも高価な「馬」を購入し、それを要として重装甲にし、周囲に領民である軽歩兵を従兵と兼務で侍らせるのは合理的かもしれません。
単体ならともかく、軍団としてはモンゴルと、、むしろローマにさえ随分と劣りそうですが。
しかし、その中途半端な軍でもローマを悩ませる悩ませる。
決戦として軍団を進軍させ、隣接にヌミディアといった騎兵で機動力を対処し、といった軍事行動は慣れていたのですが、そこら中から部族単位で湧き出るゲルマン人、そういうものを防衛線と重歩兵だけで守るのは骨でした。
決戦なら必ず勝つローマでも、ゴキブリのように北方に湧き出るゲルマン人の騎兵は苦労します。
そんな感じで今まで重歩兵主力のローマがある程度騎兵になり、騎兵なので今までのローマ市民という人材では賄えなくなり、ドイツのゲルマン人を雇うか、国内)西ゴートのゲルマン人を頼りにするか、なんにせよ元老院にゲルマン人が増えていき、兵制も変わり、財政の負担を増えていき、ローマの滅びの原因が始まるのがここらへんも理由と言われます。
ちなみにゲルマン人が中東、東の騎馬民族を通してローマ世界、ひいてはヨーロッパ世界に持ち込んだものに肉料理とビールというものがあります。
ビールは小麦なのでゲルマン人でなくない?
ゲルマン人は小麦つくってないよね?
ご尤も。
元々彼らは肉食で蜂蜜酒でした。
が、ローマの影響で小麦文化を知り、ゲルマンの一部であったゴートはローマになって小麦を栽培し、どういう理屈かここら辺の騎馬っぽい、でも実は違うヨーロッパの北、東の民族はビールと肉が定番になってます。
ドイツ料理?
ちなみに南と西はワインとパンです。
フランス料理?イタリア料理?
まあどちらも肉料理もありますけどね。
何でそうなったか、そこらへんの嗜好の違いはよくわからないっす。
栄養か?嗜好か?なんにせよドイツ人の生き方に「ビール」「肉」は欠かせなくなります。
ちなみにジャガイモはアメリカ大陸からなのでかなり後になります。
イギリス料理、ドイツ料理がジャガイモなのは、それまで料理と言うものが定番化するほど文明発達してないので。
芽が毒なので「悪の食べ物」と言われ、一時期はキリスト教で禁止されてましたが、ドイツ近辺は新教が起こるほどの雑多な場所。
すぐに食すようになります。
やがて全ヨーロッパで食べられるようになります。
まあ何にせよ「キャプテンハーロック」っぽい、、海賊ではなく山賊ですが、、黒き森にすみ、肉とビールで騒ぎ、主を中心に騎馬っぽい、でも東方の本当の騎馬ではなくゲリラ的な中途半端な編成で敵を打ち倒すイメージの騎士のイメージはここら辺からでしょうか?
文明国ローマがなくなっても大して変わらず、いつのまにか強者であるフン族が消え、、ハンガリー-Hungary-フンガリーはフン族の末裔では?という説もありますが、、何にせよドイツ騎士っぽい、あるいは蛮勇である神聖ローマ帝国っぽいまとまりがない、武力があって殺意高い、「騎馬民族」というわりにはいまいち中途半端な原始的な軍制しか持たない蛮族達が産まれます。
本当に騎馬民族だったモンゴルにはあっさり蹂躙されます。
騎馬民族を押しのけた中国のように兵術として確立したか?というのも微妙な立場ですしね。
次のドイツらしさは、、「対立」ですかね?
とにかく戦乱の地でした。
蛮族と文明の境目
東洋っぽいなにかと西洋っぽい何かの境目、
宗教家と権力者がせめぎ合う境目、
カソリックとそれ以外の境目、
ヨーロッパとイスラムの境目、
アジアとヨーロッパの境目
北欧とヨーロッパの境目
、、誠に情感なものですが、何かと争いの地がこちらです。
「カノッサの屈辱」
ローマ教皇グレゴリウス7世と対立していたローマ王、、いわゆるドイツ王のハインリヒ4世の対立です。
カソリックの後ろ盾のつもりの権力者が、むしろ信者が多くて権力が増えてカソリックに負ける事件。
カノッサはイタリア北部ですがドイツ王のお話です。
「プロイセン」
プロイセンと呼ばれる後年ではドイツとなる地での争いは、半分は宗教、半分は民族的なことですかね?
10世紀ころはスカンジナビア半島から南下して西スラブもキリスト教化が進みますが、プルーセン人、プロイセン人の語源となる人たちに何度も攻略するが失敗します。
ここでポーランドのコンラト1世がカソリックをドイツ地域、というかドイツ+東欧を含めて布教するために「北方十字軍」を興し、何年も侵略を試みましたが失敗でした。
教皇は更に頑張り、ウムノの領有権と引き換えにドイツ騎士団を招聘し、見事に征服、プルーセン人、クロニア人リーヴ人の領土をドイツ騎士団国家の管理下となります。
そこまでならカソリックが「ドイツ、プロイセンを征服した」で良いのですが、ここは調子に乗り過ぎました。
そもそも統治下でドイツ、というかゲルマン人とプルーセン人と同化がはじまり、ポーランド、リトアニアにまで手を伸ばし、敗退し、なぜか第一次世界大戦、どころか第二次世界大戦まで尾をひく飛び地を残して征服し返さりたり・
更にカトリック教会公認のドイツ騎士団総長)アルプレヒト・フォン・ブランデンブルクがプロテスタントへと改宗し、ポーランド王の下で「プロセイン公爵」となりプロイセンは「プロイセン公国」となったり。
「各民族、部族の結節点」「宗教改革」
ポーランド自身がスラブ人とゲルマン人、リトアニア人が混じり合い、キリスト教に改宗してミェシュコ1世の元、いったんは西欧キリスト国になったのですが、
・モンゴル来襲
・焼け野原で空白地帯を埋めるためにユダヤ人入植
・ハンガリーから東欧の血が混じる
・ロシアからスラブ人
・北欧からの侵攻、というかゲルマン人は北欧なので再侵攻?
移民は混乱、移民は負債、それは確かですがそのストレス、技術の混合、長期的には存外うまくいきます。
・ドイツのストイックな法治
・ユダヤ人の経済感覚
・ハンガリー勇武
・イスラム圏の冶金/技術
・ロシア圏の繁馬や騎馬
・北欧の工芸、
ずいぶんと雑多な、しかし強国ができました。
が、強くはあるもののトラブルはしょっちゅう。
カソリックを愛するドイツ騎士団、プロテスタントに改宗した者たち、プロテスタントに組み入れられたキリスト正教、ユダヤ教とユダヤ人、イスラム、周辺の強国であるタタール、ロシア、イスラムフランスに挟まれてトラブルの地でもあります。
「占領/被占領」
中世から近世に移るとドイツやプロイセン、ロシアとキャッチボールされるような立場になり、北欧からもちょっかいかけられ、強国ではあるものの北東や教皇といった北と南から圧力、東と西のどちらかに従属されることになります。
ドイツ、プロイセン、ロシア、ポーランドは従属した/された、言葉、宗教、どちらがどちらともなく憎しみ合う感じになり、それは現代でも続く地となります。
雑多な民族、雑多な宗教、外見その他も混じり合い、どれも加害者であり、被害者。
プロテスタントと言えども、キリスト正教と言えども変質し、ユダヤ人といっても一口にいえないような権力者でもあり、被差別者でもあり、フスだジプシーやらイスラムからの難民だか雑多な者たちが集まり、トラブルないわけないですね。
ドイツ(プロイセン、オーストリア)、ハンガリー、ロシア、ポーランドは民族的、宗教的な火種になりやすい土地となってしまいました。
教科書では「宗教改革」の一言で終わらせるこの地は、如何にもな地です。
第二次世界大戦のドイツ人とそれ以外(ユダヤ人だけでなく、ジプシー、有色人種、異教徒、スラブ人)、そういう迫害はドイツで繰り返していたことです。
バルカン半島と違って弱者ではないのでさらに憎しみは深いですか。
まあ強者なので統治が安定している時期、雑多な時期ははっきりしています。
これも平和な時期は、雑多な民族の雑多な価値観で文明を高めやすくもあります。
移民信奉者を手放しで賛成するわけではありませんが、サハラ砂漠やタクラマカン砂漠、移民の国アメリカを見るまでもなくストレスは文明を発展させます。
その時代に生きている人は不幸の可能性は高いですが。
「産業革命」
まさにドイツっぽい歴史の一番の理由です。
イギリスが興した産業革命。
見事に失敗しました。
ヨーロッパの繁栄は民主主義による徴兵、科学、規格化、火砲の集中運用、、そして産業革命。
これらが民主主義の産物としたら、農奴がいて、全体主義で、なのにまとまりがない。
ドイツが成功するわけないですね。
そもそもプレートアーマーの産地。
器用な職人が多い。
東欧やイスラム圏と同じく、経験のある職人がネジやバネまで設計して素晴らしいものを作ります。
フランスやイギリスのように規格どおりのネジだけつくる、バネだけつくる、筒だけつくる、鋼管だけつくる、、そんなプロっぽくない工業への移行は難しかった。
まあそんな感じで後に重工業の代表クルップさん初代は、産業革命で英国に押しつぶされ餓死します。
が、いまの各国から憎まれ始めた中国を思い浮かべていただければ。
「社会主義や全体主義は資本主義に寄生することで成功する」
・トランプが怒る
・ドイツやらマスコミやら国際機関やらが不自然に中国に味方したり
・クリントンやら民主党やら中国を拝む政治家がそこら中からたくさん生まれるように
経済は資本主義が発達させます。
なんか人間に優しくないだの、滅びへまっしぐらとか、自然破壊とか、貧富の差とかなんか言われますね。
まあそれってそもそも今までの人類の発達そのものなんですけどね。
資本主義は「お金」という多分にいい加減な物差しが、、経済そのものが感情の産物なので仕方ないんですけどね、、人類の発達を評価するだけです。
そんないい加減な!!
でもそれより確かな物差しは発見されてません。
どころか「これが科学的ですよ?」「こっちは平等ですよ?」とか言ってるのは実はスターリンさんの嗜好だったり、金さんの権力欲だったりするだけで。
そして短期的にはたしかに経済をめちゃくちゃにしているようですが、実は長期的にはきちんと物差しの役割や感情の物差しとして機能してます。
銀座の土地が短期的にはとてもバカ高くなっても、それが富を生み出さないことが感情でわかったら一気に価値が下がります。
バブル崩壊って奴ですね。
人の気持ちが「エコ」「自然」「二酸化炭素は悪!」となったらそれがとても有効な産業となります。
それが人に優しくない重金属の太陽電池だったり、二酸化炭素のかわりに大量に窒素酸化物を吐き出すディーゼルだったり。
で、またそれに気づくと、また別な価値が高まります。
そして資本主義はルールに則ります。
「隣の奴の金を盗んでよい」
そんなものが許されたら、幸福の追求にギャング団や、そのギャングに対抗するための暴力団にお金をかけねばなりません。
まあそれでもルール化されてれば資本主義は成り立ちますが。
「私掠船」って聞いたことありません?
まさに国家公認のギャング団です。
が、そういうのが発展の妨げになるならとみんなでルール化しています。
全員がそのルールを守らないとルール化出来ないということで皆が同じ態度を取ります。
皆がルールを守ると、もっと有効なものに資本を投入できます。
が、大多数が資本主義としてルール化している中、少数がルールを破る場合はどうでしょう?
もちろんそのためにはおミソの理由だのペナルティだの特別枠にはなりますが。
全体主義は市場経済を発展させる地力には劣りますがまさにこれになります。
、、報道管制、賄賂、不均衡な貿易制度、不均衡やズルを誤魔化せる秘密警察や諜報、マスコミの買収。
チートが出来ます。
もちろん、どれ一つとっても健全な資本主義にはなりません。
価値を決める感情は、長期的には正しい情報が必要です。
政府が嘘つくならだれも信用しません。
役人が賄賂を受け取るのならば、それをやらない方が損って奴です。
資本の一部は役人の懐柔という発展に貢献しないものに資本が投下されます。
トラスト、談合、秘密警察だって自由な経済を阻害します。
公正な法でなければ余計なことに気を使います。
為替然り、情報操作然り。
現代の中国が狡いだの言う人が居ますが、歴史を紐解いていみると実は結構当たり前の行動だったりします。
やり方も陳腐だったり。
要は資本主義のルールを破ればよいのです。
全員が破れば意味ないですが、一国だけチートやるとそこにお金が集まります。
ちなみに破綻も定番で、さすがに特定の人にお金渡してというのが通用しなくなるほど民主主義全体が怒りはじめ、市場も見向きもしなくなり、上げ底な経済やプロパガンダの産物はつつけば結構簡単に崩れるとか。
この時代の全体主義の寄生虫はドイツです。
まあ現代中国と比べると言い過ぎかもしれません。
なにしろ資本主義、民主主義、重商主義はまだまだ発展中です。
欧州が民主主義、議会政治でまとまる時代、ロシアとドイツだけはちょっと違います。
ロシアは日露戦争のお話で「とてつもない貧富の差と強権」
ドイツは「全体主義」で解決します。
ドイツは資本主義でも民主主義でもない、重商主義もちょっと異なる立ち位置にいることを決めました。
ビスマルクは「民族主義」「国粋主義」で雑多な人種をまとめました。
後のヒトラーで嘘っこ科学、嘘っこ遺伝子学、嘘っこ民族主義で随分歪みましたが。
ビスマルクがやったこと。
「俺らってドイツ人じゃん?宗教が何であろうと人種が何であろうとこの国愛してるよな?俺も!みんな頑張ろう!」
まあ産業革命の失敗、不景気、社会主義者の横行、学生運動、近代化の過程の混乱で「ビスマルクが」というよりそういう叫びを後押ししただけですが。
そして混乱で旧態な状態は力をなくし、新しい産業を、新しい形態で、雑多な国々、民族、いろいろな才能を一つにまとめて動き始めます。
例えば農業
それまでもドイツ騎士団中心に三圃制の農業を進めていきましたが、産業革命で農業は衰え、穀物は購入する立場、貧農は新天地アメリカへ望みをつなぎ、非常に悲しい状況になってます。
そんな中、ビスマルクは農業関税を引き上げて保護貿易を推し進め、貧農、小作農、ポーランド人、新教、大領主たるドイツ騎士団、ユンカーと呼ばれる貴族階級以外は農場経営から逃げやすく、あるいはやり難くします。
結果的にイギリスが貧農、小作農が締め出されたように、大規模農業がやりやすくなります。
現在でもドイツの農業面積は 1,670 万 haの57%は 100ha 以上の大規模層に集中しています。
そしてその保護貿易を第二次産業革命の技術による集約化、畜産と穀物、イモ類の多角化で先進的な農業となります。
フランス、イギリスが産業革命のあおりで農業が縮小していく中、ドイツだけが飛躍的に伸び、現在でも食料自給率が高い理由。
コントロールしやすい貴族のみが残ることで近代化を実行しました。
斎藤幸雄)ドイツ農業政策と農業者同盟、木谷 勤)ビスマルクの農業政策とドイツ農業で良く書かれてますね。
日本人が書いているのは、現代でも非常に非効率な小規模農業が幅を効かせている現状があるので、何とか改革できないかと四苦八苦し、アメリカ、ドイツの農業を研究しているのは日本人が多かったりします。
が、今でも農業の法人化、営業活動、集約的なマーケティングを望んでいますが、旧態依然の勢力が邪魔して上手く言ってませんね。
同時にそれしかない地方はどんどんと寂れていくと。
日本はどうなってしまうのでしょうね?
私の隣の町は、、一気に廃町ではなく廃村になってしまい、誰も住んでいないのに「市」として取り込まれて消えてなくなりました。
おっと話を戻します。
ドイツのことですね。
ビスマルクは工業化も一気に進めます。
第一次産業革命でイギリス、フランスに太刀打ちできないドイツは、自らがマーケットになり、鉄鋼、電気、化学といった重工業というブルーオーシャンに乗り出しました。
弱肉強食でフランスやイギリスが血みどろで争っている赤い海ではなく、だーれもいない、アメリカが作り始めた青海です。
後年から見ると成功を約束されたような海ですが、それはさすがに結果見て巻き戻している我々の勝手な考えでしょう。
が、アメリカのように不景気で投資先がアメリカしかない、そもそも資源国なので金満といった健全な自由経済ではなく、国策で他国の輸出入を制限し、国策で無理やり自国にマーケットを作り上げ、国策で国が投資し、国策企業みたいな大規模(に無理やりした)クルップ、バイエル、シーメンス、ダイムラーといった後年の名だたる大企業を育て、国を育て上げます。
まるで現代の中国みたいでしょ?
まあ短期的には有効な策です。
技術の発展はイギリス/フランス、インフラモデルもイギリス/フランスを参考に、お金の流れは自国でコントロールすると。
そしてそれを行う場所はありました。
何よりイギリス、フランスと違ってビジネスモデルが違うのです。
海運がないドイツは、まず鉄道に投資します。
丁度よいですね。
ひたすら陸運国なので鉄道がひかれることがそのまま国力になりえます。
そして鉄鋼、石炭といった資源がそのど真ん中にある。
そして技術の転換期にイギリス人が発明したトーマス法という新しい転炉による製鉄方法を積極的に採用し、新しい産業なので古いものに引き摺られず、また今まで使用できなかった高燐鉱石鉱を使用でき、ロレーヌやルクセンブルクに埋蔵されていた鉱石でルール工業地帯が出来上がります。
そしてその鉄鋼でレールをひき、その鉄を使ってAEG、ボルジッヒ、ヘンシェル、ホーエンツォレルン、クルップ、BMAG、いくつか聞いたことあるヨーロッパの有名企業はたくさんの蒸気機関車をつくります。
農業、鉄鋼の発展で必要な化学はバイエル、ヘキストといった化学で今でも有名な企業に発注します。
ついでに石油加工(複雑な分子鎖の薬品は、天然から作るより複雑な分子鎖の石油から作りやすい)の発達で薬品でも有名になります。
農業や科学の発展、雇用の増大は人口増加となり、建設ラッシュとなります。
そして今でも世界の建設業界の上位にいるホッホティーフだのが大儲けします。
そして家屋やビルの照明はもうランプでなくて電気です。
シーメンスという今でも有名な企業が発電所をつくり、電線を引き、電灯を売ります。
そして石油といった化学産業の発達、機械の発達はダイムラー、ポルシェといった自動車業界に結び付くと。
アメリカと同じように石油、化学、電気で一気に花開きますが、アメリカが作り上げた会社や法、組織を正義とする資本主義の日本人からするとどこか「ズルイ」立ち上げ方です。
カルテル、トラストは当然。
ユンカーという貴族社会を中心にし、フランスとイギリスは当然のように締め出した保護主義。
そして横につながったシンジケート。
「護送船団方式」とか役人や宣った日本人が何言うか的な立ち位置でもありますが、その護送船団方式で保護された日本企業はロクでもないですからね。
(名だたる日本の企業、ソニー、トヨタ、ホンダ、パナソニック、任天堂は当然埒外)
、、、まるで共産国家みたいではないですか。
ドイツの製品のいぶし銀なブランド力もまさにその影響。
ドイツで開発される工業製品の多くが機能的にすぐれている普遍的なデザイン、いわゆる「FORM FOLLOWS FUNCTION」は資本主義、競争社会ではない何かから生まれた、アメリカと対立する何かです。
ユーザーに媚びず、ひたすら機能美、頑強、長く持つ。
ドイツ企業は、制度としては資本主義から生まれましたが中身はとんでもない。
競争から生まれたものではなく保護された国策企業です。
ドイツ経済を「組織された資本主義」として本当の資本主義ではないという人もいますね。
さらにドイツの歴史はイスラム圏、北欧圏から学んだ優れた工芸、技術、冶金。
そしてそれを支えた教育システム、徒弟制度。
中世から続いたマイスターと呼ばれた徒弟制度はそのままドイツの教育システムとなります。
ヨーロッパだけからしても特異な教育システムは、どこか中世から引きずられたものなのです。
企業も、技術も、あるいはドイツ人のこだわりまで。
ライカという武骨な、しかし誰もが称賛するカメラは、見方によっては共産国家が作ったように「ダサい」です。少なくともアメリカ人が、あるいは後年の日本人が消費者に媚売った「お洒落」「可愛い」「スマート」といったものではないですよね。
しかし、ここまで突き詰めた、称賛されるような製品を、武骨で質実剛健しか考えなくても「ダサい」と言えないオーラがあります。
競争社会から外れ他国なら落ちるだけのはずの科学の発展は、その職人のこだわりだので、むしろ我々の考える、見ようによってはダサい筈のものが「芸術」「機能美」として称えられます。
フランス人やアメリカ人がつくった「規格」も、東欧やイスラムでは職人には受け入れられない邪魔のものですが、この時代からドイツ人は受け入れました。
というか、国策でつくった、マイスターを呑みこんだ人工的な巨大企業は「規格」を作る側になりました。
1870年~1913年、イギリスは第一次産業革命が頭打ち、資本は9%→8%へ落ちます。
しかしドイツは第二次産業革命の波に乗り4%→6%へ
(アメリカは9%→20%)
ビスマルクがドイツ帝国を成立させた時、人口は4000万人弱。
しかしビスマルクが辞める頃は6000万人強。
それまではみんなアメリカに逃げて行きましたが、完全に止まり、むしろ雇用をもとめて移民を受け入れる側になります。
富国強兵を求めた殖産興業政策において、1880年代にはイギリスと建艦競争をするまでの強国になりました。
ゾーリンゲンの鍛冶場で働いていた職人たちは、いつのまに国策でつくった大企業ゾーリンゲンで製品をつくる技術者になりました。
カルテルおっけぇ、保護主義上等!富国強兵!、文句があったらかかってこいや~!
普仏戦争を勝利に導いたビスマルク、
ナショナリズムを高揚させたビスマルク、
国力を極限まで高めたビスマルク
器用に立ち回ってとの独墺同盟、三国同盟、三帝同盟、再保障条約と外交を結んでドイツを盤石にしました。
そして富国強兵、独占企業の育成、保護主義。
ズルい、ほんっっとうにズルい。
当然ながら他国に憎まれます。
そしてビスマルクが実行したどれもが、現代の価値観に照らすと他国に喧嘩を売るような強圧的な政策です。
第一次世界大戦、どころか第二次世界大戦、現代までトラブルの元となるような「ドイツ」という国のエッセンスはこうして出来上がりました。




