うん!国際的!
さて、もうずったずたに乱れていた国、現在でも乱れているすごい国。
そんな国に王位継承権もないニート王子がナオン連れてオープンカーでドライブ。
なんと迷惑なことに殺されやがった。
記事自体はちっちゃいちっちゃい国が多い、当事者でなければどうでも良いニュース。
しかもちょっと前はロシア、ちょっと前はイスラム圏、そんな荒れた国で一番弱っちそうなオーストリアがグダグダ言って、セルビアをイジメる。
イラっと来る国際社会。
あ、当時のみんなの意識を想像しただけで、セルビアで暗殺されたオーストリア)フランツ・フェルディナント大公の悪口ではないですよ?
世が世ならゾフィー・ホテクさんとのロマンスは少女漫画のネタになるくらい良いお話。
でも現代のイギリス王室ではないですが、何かと義務だの理想だのを付託されるのが王族だの皇族だの。
王族がなぜホモがダメなのか?
将来、性同一障害が当たり前の未来になったらきっとロマンスになるに違いない。
ちょっと強引すぎますが当時と現代の差異ってこんな感じで、フランツさんは義務を果たしていないロクデナシ王族だったのをご理解いただければ。
何にせよそんな感じで世間でよくある小さい記事が、まるで「世界大戦ボタン」を押したように世界大戦にずるずるとヨーロッパは引きずり込まれます。
さて、今回はその国際社会って奴を語ってみましょうか。
まるでスイッチ入れたように各国をずるずると戦争に引きずり込まれた国際社会、その外交は近世のイタリアの都市国家群がルーツでしょうか。
それまでは外交といっても、アニメだの小説だのの「使者」だの「対話」だので国際「社会」というほど社会ではないただの対話でした。
一対一で大抵の内容が網羅できたのです。
が、統一されないイタリアの都市国家群、でもローマ法王のお膝元、美味しそうなので覇権争いが起こりそうな地、そんな感じで各国が外交使節を常駐させて外交官、大使館の原始的なものができます。
ま、あまり役に立たなかったのですが。
次に現代に近づいたのか1624年にフランス)リシュリューが外務省を設置します。
三十年戦争という宗教戦争、神聖ローマ帝国での新教と旧教の骨肉の争い、、、と言いつつ最終的には将来のドイツを切り刻んで利権争いになり、なんかフランスが漁夫の利という感じ?
当時のヨーロッパの大国、デンマーク、スウェーデン、フランス、スペインが外交でも争い始めます。
ウェストファリア講和会議、、将来の、現代の国際会議を想像させる、なんか世界を利権だのなんだので切り刻むような感じの会議場です。
当時切り刻まれたのは都市国家群だけで国としての体をなしていない将来のドイツ、イタリア。
最初の国際会議で切り刻まれた内容。、
スウェーデン:西ポンメルンとブレーメン大司教領、フェルデン司教領
フランス :メス、トゥール、ベルダンの3司教領とアルザスのハプスブルク家領、ブランデンブルクは東ポンメルン、マクデブルク大司教領、ミンデン司教領などの領有、バイエルンは南プファルツの領有、選帝侯位
スイス、オランダ:独立国の地位
教会領:1624年の状態に戻す
ドイツの領邦諸侯と帝国都市は、皇帝と帝国を敵としない限りという条件で外国と同盟する権利
ハプスブルク家の勢力は後退
まあ食い尽くされました。
現代でも、
「中東どうする?」
「アフリカどうする?」
とかこんな感じで世界の利権を決めているんでしょうね?
そういう感じが国際社会って奴になります。
現代の外交の始まりです。
尚、当時の国際語は「ラテン語」→「フランス語」。
イギリスの王さえ「英語なんて田舎言葉は使いたくない」
次に有名な国際会議は「ウィーン」会議。
ルイ16世が死刑にされ、衆愚、というのも可愛げなマフィアの殺し合いみたいな政争でフランスはズタズタになり、その所行で周辺諸国は目を剥いたところでさっそうと登場するナポレオン。
もちろん無名だったのは政争に巻き込まれないように田舎に引っ込んでいたからです。
連合軍に言わせると「言えよー」と言いたいくらいに突然ですが、まあそんな都合は知ったこっちゃないですね。
多分、半分以上は惨たらしく血が流れる国であるフランス国民のため、もう半分は良君だったのに殺されたルイ16世とブルボン王朝のため、ちょびっとは利権がちらつくものの、その後の醜い争いが彼らの正義を後押しした連合軍のフランス出兵、、、、、
そんな時にナポレオンが出てきて、彼らの立場は180度変わりました。
弱いフランスがよってたかって苛められ、それをヒーローみたいに救うナポレオン。
「えー、、」
連合軍立場なし。
無法な米帝がいつの間に正義の味方になっているアレと同じで国際社会って奴ですね。
でもすぐにぼろが出ます。
ベートーヴェンから送られた「英雄」、結局送られなかったのですが、皇帝になり、親族を王様にし、そこら中反乱おこされ、スフィンクスの鼻はもげ、ロシアを怒らせ、300万人の成人男子は死に、結局最後はナポレオンは悪役、、とは言い切れませんが正義の味方ではなくなってしまいました。
正義やらなにやらはなくなり、いつの間にやら世界はフランスに限らず民主主義っぽい何か、出兵したお金を回収せねばなりません。
欲にまみれたウィーン会議が始まります。
1792年以前の状態に戻す正統主義を皆が主張しましたが、ナポレオンが始めた国民軍、いつのまに周辺諸国も国防軍だのになって主導権は民衆で議会です。
「戻すって何?」
ルイ16世は人気もあり、腐ってもいませんでしたが、それを引きずり落そうとした国民から人気ないオレルアン公をアゲるのは正しいの?
各国の利害が衝突して遅々として進ます、有名な言葉が出来ます。
「会議は踊る、されど進まず」
が、エルバ島からナポレオンが戻ってきそうだったので、なんとか1815年6月9日に議定書が締結されました。
そのヨーロッパの国際秩序を「ウィーン体制」と言います。
フランス、あるいはフランスに征服された各国が切り刻まれます。
・オーストリア帝国
旧神聖ローマ帝国領の大部分にあたる35君主国と4自由市でドイツ連邦を構成、オーストリア皇帝をその盟主とする。
イタリア北部のロンバルディアと旧ヴェネツィア共和国領を獲得、オーストリア皇帝が王を兼ねるロンバルド=ヴェネト王国とする。
・ロシア帝国
ロシア皇帝が大公を兼ねるフィンランド大公国が承認される。
オスマン帝国からベッサラビアを獲得する。
ワルシャワ公国の大部分をポーランド立憲王国とし、ロシア皇帝が王を兼ねる事実上のロシア領にする
・プロイセン王国
ザクセン王国の北半分、ラインラント、旧ルクセンブルク公領の一部、オラニエ=ナッサウ家のドイツ内の所領などを獲得する。
ワルシャワ公国の一部をポズナン大公国プロイセン王が大公を兼ねる。
スウェーデンから西ポンメルンを獲得する。
・イギリス連合王国
フランスからマルタ島を獲得する。
オランダからセイロン島とケープ植民地を獲得する。
・フランス王国
セネガルを植民地にする。
ルイ18世が即位してブルボン朝が復活、フランス革命前の状態を回復する(フランス復古王政)。
・オランダ(ネーデルラント)
旧ネーデルラント連邦共和国領に加え、オーストリアから旧ルクセンブルク公領の大部分を含む南ネーデルラントを獲得、新たにオラニエ=ナッサウ家の王を戴くネーデルラント連合王国に再編する。
旧ルクセンブルク公領は新たにオランダ王が大公を兼ねるルクセンブルク大公国とし、ドイツ連邦に加盟する。
・スウェーデン王国
デンマークからノルウェーを獲得、スウェーデンとの同君連合下に入れる(スウェーデン=ノルウェー連合王国)。
・サルデーニャ王国
旧ジェノヴァ共和国領を獲得する。
・ナポリ王国
フェルディナンド4世が復位してシチリア・ブルボン朝が復活。
翌1816年にシチリア王国と正式に合併して両シチリア王国が成立する。
・スペイン王国
フェルナンド7世が復位してスペイン・ブルボン朝が復活。
・スイス連邦
新たに5つのカントン(州)を加え、永世中立国として承認される。
何というか、好き勝手やってます。
一番すごいのはフランスの王政復古ですね。
フランス国民はドン引き。
ロシアのポーランド従属とかフィンランド従属、スペインのブルボン朝復活とか、イタリアもなんか有象無象,血を流さず政争で切り刻むヨーロッパ。
結果は欲まみれで遺恨が残るドン引きな結果。
後年によくある「国際会議あるある」となってしまいました。
血を流さず平和だね!
戦争を避けるためにやっぱ話し合いだよね!
醜い所行が目立ちます。
この後も国際会議もなかなかすごい。
産業革命後に英連邦が一強となり、それを皆で引きずり落とす会議。
オスマン帝国が弱体化し、元々はイスラム圏で生きずらいだろうと強者としてヨーロッパ人に与えたカピチュレーションを、強くなったら治外法権として利用してオスマンをずたずたに引き裂き。
(しかもあいつがそうなら俺も!という感じでオスマン帝国をリンチします)
そういえば明治維新前もすごいっすね。
薩英戦争後に贔屓してくれたイギリスのおかげで微妙に助かりましたが。
そして植民地主義。
イギリスのアヘン戦争だの東インド会社は15世紀当たりの、あるいは20世紀の植民地と違うよ!
とかなんとか私は語ってしまいましたが、今回は違いません。
もうこの醜い国際会議が機能し、同調主義なのかあれほど紳士だったイギリスも我も我もと醜い争いが始まります。
欧州から見て小国やら非文明国な国家は、法令の未整備を理由に治外法権やら領事裁判権が押し付けられます。
アフリカ、南アメリカ、中南米、中国、東南アジア、列強が世界をズタズタに引き裂き始めます。
そして常にリンチする材料を求め始めます。
まさにイメージ通りの「国際社会」ってやつが始まるわけです。
第一次世界大戦前夜のうん国際社会。
最初は貴族や国王がする宮廷外交。
それが各国の大使なってもやることは変わりません。
母国から独立した大きな権限を保有し、嘘や謀略を張り巡らし、軍事協定なども秘密にし、強いものを利用して弱いものを陥れるために暗躍する大使たち。
1887年は弱者同士のドイツ帝国とロシア帝国、しかもロシアは貧乏なくせに兵士が畑から湧いて出てくる国。
陸続きのドイツは脅かされないように「協力しよう!」とビスマルクさんが独露再保障条約という秘密条約を結びました。
が、1890年にオーストリア=ハンガリー帝国との独墺同盟を選び、この条約を失効させます。
まあオーストリアやハンガリーは神聖ドイツ帝国からの親戚みたいなものですし。
まあ実際は骨肉の争いをしていたような気もしますが。
ドイツ裏切りやがった!
ということで同じくの普仏戦争でドイツにイラっときてるフランスと露仏同盟を締結します。
そのフランスが面倒。
1870-1871年の普仏戦争でドイツに敗れ、しかもドイツ統一で非常に強力な帝国が出現してしまいます。
しかもその揺り戻しで革命、フランス第三共和政が成立します。
戦争、革命でとにかく軍事的に凋落。
さらに一番の遺恨はアルザス=ロレーヌ地域。
元々は神聖ローマ帝国だし、ドイツ語圏だし、なのでドイツ所属が当たり前ですが貴族家の引っ張り合いで一時はフランス、しかも資源がたくさん出る地域、しかも普仏戦争でテリトワール・ド・ベルフォール県でフランス軍は英雄的な抵抗を見せた忘れられない土地。
お互いとも辺境な地なのに遺恨と復讐が渦巻く地がこちら。
ドイツのビスマルクはその復讐心を抑えようとしばらくはフランスに媚び媚びでした。
アフリカ征服!頑張れ!ドイツは君を協力するよ!(1884年:植民地協商)
が通用せず、この地の反感は世代を超えて受け継がれます。
ついでにフランス国民はこの屈辱を忘れず、心からフランスが軍事強国の地位を取り戻すことを望みます。
同時期の日本と同じですね。
さらにフランスの人口を上回る強力なドイツ連邦という強国がそれを後押しする。
面倒な国になってきました。
そこで更にドイツに不幸が。
ドイツ、イギリス、ロシアで三国協商が結ばれます。
「ドイツが怖かったから」
とか言う人はいますが実際はどうでしょう?
確かに強いですがそこまでではありません。
ロシアが日露戦争で弱体化、ボーア戦争でイギリスも植民地競争が面倒になってきてフランスを仲間にしたい、
ドイツは一国としては強力だけれどもロシア、フランスと対抗できるほどでもなし、そんな複合的な理由でしょうか。
まあ
ドイツ強力!ドイツとの建艦競争!
を否定もしませんが。
更にこの三国協商が悪いのか、ドイツが悪いから三国協商になったかわかりませんが、いろいろ事件が重なります。
・第一次モロッコ事件
そもそも辣腕のビスマルクをウザいと思った皇帝)ウィルヘルム二世が彼を辞めさせたことが大元の大元の原因なのですが、、
フランスがモロッコの調略をほぼ完成したあたりに、突然皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジールを訪問します。
フランスの伸長を皆が嫌がってるだろうとか思ったらしいですが、、どうも空気の読めない子だったらしく、普通に皆は国際会議上で「フランスに賛成で~す」となりました。
皆がウィルヘルム二世にイラっときました。
・ボスニア危機
オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナの併合を宣言しました。
なんかオスマン帝国から民族主義が横行して物騒になりそうだし、日露戦争でロシア負けたからなんか妥協してくれそうだし、、ということでこの面倒な地を一気に平定して安定化させようとしましたが、、、
英仏に反対され、ロシアもそれに乗じ、さらにオスマン帝国もそれに乗じ、結局は成功しましたが、当事者全員がオーストリアにイラっときました。
・第二次モロッコ事件
1911年7月1日、ドイツがまたもちょっかいをかけます。
砲艦Pantherをモロッコ)アガディール港に送り込みました。
なんかイギリスを恐れさせてドイツ側につかせようとしたらしいです。
ドイツとの建艦競争も含めてムカついたため、むしろイギリスはフランスと密になりました。
フランスは空気の読める子だったので、海軍秘密協定を結び、とってもイギリスに気を使いました。
イギリスはドイツにイラっとしました。
・伊土戦争
オスマン帝国とイタリア王国の戦争。
イタリアがオスマンのトリポリタニアを占領しました。
オスマン帝国を支援しようとする列強は皆無でした。
第一次世界大戦と一見関係なさそうですが、次のバルカン戦争でもオスマン帝国の意向は無視されることになります。
バルカン半島も三つ巴ではなくなります。
・バルカン戦争
バルカン半島の4カ国がオスマン帝国を破りました。
オスマン帝国はヨーロッパを失いました。
オーストリア=ハンガリーは交戦国ではなかったものの、セルビアが南スラブの人々の連帯を推進したために地位を弱めます。
なんかロシア帝国とオーストリア=ハンガリーの緊張が高まりました。
ロシアは当たり前ですがオーストリアがセルビアで伸長するのを喜ばず、表向きはだんまりを決め込んでいましたが裏では「やれー、やれー」
ロシアは日露戦争の傷も癒え、ドイツとオーストリアを恐れさせます。
なんとかきっかけ作って戦争を起こせないかと思い始めます。
・フランスとロシアの同盟強化
なんとなく、、両国は実は毒にも薬にもならない協商という関係だったのですがドイツやオーストリアやハンガリーがもたらす「イラっ」が変化し始めます。
もしバルカン半島における紛争の結果としてオーストリア=ハンガリー及びセルビアとの戦争が勃発した場合、フランスはロシアの側に立つことを明言しました。
ドイツの無闇矢鱈のちょっかいは本当の意味でフランスとロシアを結びます。
バルカン紛争は同盟発動条件となりました。
ドイツ=オーストリア=ハンガリーはロシアを恐れてロシアとの戦争の機会を伺います。陸軍を叩きたいという一点で。
ロシアはオスマン帝国の弱体、セルビアのスラブ主義台頭をきっかけにバルカン半島に本気になります。
フランスは普土戦争の恨みを忘れてません。モロッコの介入にムカついてます。対ドイツに限り、ロシアの後押しを積極的にすることになります。
イギリスだけは蚊帳の外ですが。。
さて、セルビアでロクデナシな皇太子が殺されました。
第一次世界大戦起動スイッチが働きます。
1914年6月28日、セルビア人 民族統一主義者がオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公を殺害した。
6月30日、オーストリア外相レオポルト・ベルヒトルト伯爵とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はセルビアに対する「忍耐の政策」は終えて、確たる方針で臨まねばならないことに合意した。
7月6日、ドイツは無条件の支援をオーストリア=ハンガリーに提供した。
7月20-23日、フランス大統領レイモン・ポアンカレは、サンクトペテルブルクのロシア皇帝への公式訪問で、セルビアに対するオーストリアのいかなる手段に対しても妥協なく反対することを迫った。
7月23日、オーストリア=ハンガリーは独自の秘密調査の後、要求を記した最後通牒(オーストリア最後通牒)をセルビアに送付した。履行までの猶予は48時間しか与えなかった。
7月24日、エドワード・グレイ卿はイギリス政府を代表して、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスのような「セルビアに直接的権益を持たない国は、平和のために同時に行動すべきだ」と依頼した
7月24日、セルビアはロシアからの支援を得ることを模索し、ロシアは最後通牒を受け入れないようセルビアに助言した。ドイツはオーストリアの立場を支持することを公式に宣言した。
7月24日、ロシアの大臣会議はロシア陸軍・海軍を秘密裏に部分動員することで合意した。
7月25日、ロシア皇帝は大臣会議の決定を承認し、ロシアの部分動員(110万人)が開始された。
7月25日、セルビアはオーストリア=ハンガリーの外交照会に対して、完全には受け入れない内容で回答し、常設仲裁裁判所の仲裁調停を求めた。オーストリア=ハンガリーはセルビアとの外交関係を断絶した。セルビアは陸軍を動員した。
7月26日、セルビアの予備役兵が偶発的にオーストリア=ハンガリーとの国境を越境した
7月26日、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスの大使たちの間で、今回の危機について議論する会議が設定された。ドイツは招待を断った。
7月28日、オーストリア=ハンガリーは、セルビアからの回答が25日までになかったとして、セルビアに宣戦した。オーストリア=ハンガリーはセルビアに対して動員を開始した。
7月29日、ロシアが総動員を下令した。
7月30日、ロシアの総動員はロシア皇帝により撤回されたが、その後再度下令された。
7月31日、オーストリアが総動員を下令した。
7月31日、ドイツは戦争準備体制に入った。
7月31日、ドイツはロシアに最後通牒を送付し、12時間以内に軍事的な準備を中止することを求めた。
7月31日、イギリスはフランスとドイツ両国にベルギーの今後の中立を支持するよう依頼した。フランスはこれに同意した。ドイツは回答しなかった。
7月31日、ドイツは、ドイツとロシアが戦争になった場合、フランスは中立を保つかどうかをフランスに尋ねた。
8月1日、フランスが総動員を下令した。配備計画「プランXVII」を選択。
8月1日、ドイツが総動員を下令した。配備計画「Aufmarsch II West」を選択。
8月1日、ドイツがロシアに宣戦。
8月2日、ドイツとオスマン帝国は秘密条約に署名して独土同盟を結んだ
8月3日、ドイツは、フランスに求めていた中立維持を断られた後、フランスに宣戦した。ドイツは、ドイツ軍がベルギー領内を自由通過することをベルギーが認めない場合、ベルギーを敵とみなすと言明した。
8月4日、ドイツは攻勢作戦を開始した。
8月4日深夜、ドイツからベルギーの中立を保証する通知がなかったことを以て、イギリスはドイツに宣戦した。
8月6日、オーストリア=ハンガリーがロシアに宣戦した。
8月23日、日英同盟により日本がドイツに宣戦した。
8月25日、日本がオーストリア=ハンガリーに宣戦した。
こんな感じで、様々な思惑、ちょっとしたイラっ、昔の恨み、ちょっとした強気、皇帝の蛮勇さ、イギリスの力関係の配慮、既に失われたオスマン帝国と、その隙間を占めようとするロシア、そんな感じで結実した国際社会が、それを積み上げた同盟を次々と発動し、戦争の季節になりました。
「なぜ第一次世界大戦がは起こったかわからない」
「第一次世界大戦となった理由は不明である」
↑
そんなことはありません。明確です。
しかし言いたいことはわかります。
また強くなってきたロシアにお灸を据えよう。
フランスは普土戦争の恨みを忘れん。
目の上のたん瘤だったオスマン帝国がいなくなった。フランスは仲間と言ってくれる。チャーーーンス!
イギリスは関係ないよね?平和を望んでいるよ?でもドイツは無礼だな。
↑
まさかこういう理由で100万人以上の死体が積み重なることは想像つかなかったでしょう。
日露戦争で戦争のやり方は学びましたが、犠牲者の数は想像つかなかったようです。
今までの覇権争いと何が違うのか?
確かに会議場だけでは想像つきませんよね。
イラっとして、ムカついて、チャンスと思い、無礼だなと思い、そんな程度がうん国際会議場の中での所行。
そのために国民の多くが犠牲になったんだ!とか言う人がいますが、それもどうですかね?
だって国民の総意です。
日本を笑えません。
国民もイラっと来てたわけですから。
戦争の季節になりました。




