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人間の歴史。  作者: TAK
日露戦争
160/176

もすかう、もすかう、夢見るアンディさん、おっさんですか、シャアですか、ほっほっほっほっほっ

さて、無事に旅順は占領され、ロシアの太平洋に面する地での海軍は壊滅的になりました。


そして朝鮮半島も完全に日本の影響下になり、、そもそもとっくに旅順を孤立させて遼東半島を征しており、、ロシア旅順艦隊やウラジオトック艦隊はほぼ無力化していたのでとっくに実現はしていたのですが、、何にせよ日本の戦闘目的は達成されたといってよいでしょう。


「どう終わらせるか」


だけは残っていますが。




一方ロシアは、そもそも自国民に対して「負けてない」「強い」「譲らなかった」ということが大事だったりするので、旅順の悪戦、乃木将軍の偉業、本会戦自体が世界的に有名になってしまって、もう何やってもプライドは保てません。

ロシアにとって最悪の結果になってしまいました。




さらに現代戦のはしりというか、報道だの民主主義だの面倒くさい側面というか、戦争は戦争目的だけの事情ではなくなってしまっている状況です。


具体的に言うと、日本の評判爆上げで日本の債券はとっても人気が出て、ロシアの債券は不人気すぎて地に落ちました。

専門家からすると、やっとロシア的には「本気出す」程度の状況なのに。

戦争、あるいは経済は投資家の気分、民衆の気分、新聞記者のイメージで左右することになってます。

真実なんて関係なく。

ロシアの内政、財務状況は悪化する方向へ。

ロシアは容易に足抜け出来なくなっています。


「せめて一太刀、二太刀浴びせれば、おあいこ程度にできるかもなのに」


ここら辺の意思も本当かどうかは予想つきません。

国家の信用なんて水ものですからね。

そもそも信用失墜は


「日本のせい]


でしたっけ?


それでさえわからない。

当時でも色々事件ありましたし、どの評判の何が相場に関係したのか?

相場の読みは複雑すぎて困ってしまいます。




しかもニコライさんも含めて首脳部は辺境の地、辺境の蛮族、他人事のように語ります。


「バルチック艦隊で日本艦隊を撃滅すればすべて解決!」


奉天で日本を待ち受けているロシア兵達はなんも期待されてないんですね。

ロシア、反乱多発するわけだ。

スパイの明石さん、ずいぶんと活躍できたわけだ。


そして当時のロシアの日露戦争の位置づけもよくわかります。

要するに儲けられたかもしれないけど、生死はどうでも良いわけですね。

そういえば「満州に投資しよう!」まで含めて当事者は逃げちゃいました。

満州から始まってすべてお金、お金、、徹頭徹尾お金でしたね。

良将コンドラチェンコさんも、日本や世界では称賛されてますが本国ではチェスの駒以下?






一方、日本も民衆というか、そもそもプロである軍首脳部やら政治家やらがテキトーなこと抜かしてます。



民衆は


「そのままモスクワに攻め込もうぜ!」


、、あ、違った。

、、ロシアのそのころの首都はサンクトペテルブルクでした、、


日本国民、本気マジでいってます。

子供のメンタリティっす。


野党、ブン屋、好き勝手ほざく連中。

すでに無政府主義アナーキズムに毒されています。

そもそも自由民主党の前進からしてそうでした。


政府は悪。

民衆は正義。

貧乏は正義。

民衆の言うように、というか思った通りに政府も軍も動かないのはけしからん。

デモだ、反対だ、焼き討ちだ!


現代でも日本政府は「お上」ですしね。

で、与党になったら、その当事者感覚はなく、自分たちの延長とならない「政府」とやらに敵対するのが美学!的な迷惑な思想にへきへきします。

別に政府を批判することは良いんですよ?

反対のための反対とか、中二的な美学でじじいやってる馬鹿とかが嫌いなだけで。



まあ民衆は素人ですから「仕方ない」と言い訳できますが、それを扇動している政治家やらHQの将官連中まで


「ウラジオストックやら攻めよう」


とか言い始めました。


自分の保身や自己顕示欲で民衆を扇動し、ばんばん燃え上がり、「やりすぎ」なんて冷や水浴びせたら自分が焼き討ちされるんで踊るしかなく、、


現場が何とかしちゃうのも日本人だから上は余計に調子に乗るんすかね?

現代でもある、日本あるあるっす。

バカじゃなかろうかと思いますが、維新から残っている乃木将軍やら児玉将軍やら明石大佐やら、明らかに有能な人がいる一方、こういうバカがのさばって部下に甘えるのは現代でも続きます。




まあ続けましょう。

日露の戦争資源比較


       日      露

総動員兵力 109万人   208万人

戦費    15億円    22億円

海軍    26万t     51万t    



しかも前線の兵達はこんなん


・全体の損耗率は2-3割を超える

・補給線は港から離れるにあたって伸び切り始めて飢え始める

・乃木将軍3-4割の損耗は補充されず

・生き残った年寄り比率が高まり、行軍でも支障が出る

士気モラル崩壊


ウラジオストックなんて夢物語ですな。

モスクワ、いやサンクトペテルブルクなんて本気なんでしょうか?



でも維新上がりの玄人は地道に頑張ります。


日本の初代は、豊田だろうが北里だろうが伊藤博文だろうが、称賛される諦めない理想主義者、でも実行は地に足ついている現実主義者、こういう人は、苦労しても、夢破れてもあきらめない、ひたすら尊敬できるだけ。


彼らは頑張ります。


頭悪そうな、超強い戦上手と書かれる伝説の児玉さんは、実際はドヤ顔で203高地に趣き、苦労している兵になぞ茶々入れてドン引きさせません。

ひたすら地味に自分の仕事してます。


嘘を教えられた後年の老害は、どちらかというと無責任の記事だの伝記だのに書かれている方をやってそうですが。

まあ「東郷ターン」の方が魅力的なのか、そっちの方が多いかな?

中身よりスタイル、必要ないのにターンだか決断とかして軽蔑されるじじいはたくさんいます。

否定したいから否定する、賭けたいから賭ける、中身なしでそんなんやる馬鹿には注意しましょう。、



そしてそんなバカでない児玉参謀は、沈思黙考する大物気取りな首脳部を無視し、前線視察は欠かさず手間暇かけ、かといって前線に口出しせず、必要なものを揃え、戦争資源は滞りなく届くか確認し、通信手段は妥協せず、一生懸命に現場の望みを叶えていきます。

もちろん戦力評価も楽観せず、悲観せず、律儀に困難な仕事を邁進していきます。



たとえば私が考える児玉参謀の最大の功績は海底ケーブル敷設だったりします。

ロシアに筒抜けの電信網は使わず、こそっとばれないように電線の入手先を工夫しつつ、イギリスから前線の奉天までつながるケーブルを敷設しました。

たった三日間で前線をいじくりまわし、崩壊に導くバカでなくてよかった。

児玉参謀かっこよいです。





もちろん息子を殺され、配下の兵士は全滅評価に近い損害を受けても粛々と戦い続ける乃木将軍とその部下たちもかっこよい。

家を焼き討ちされても、クレーマーにきゃんきゃん言われても粛々と仕事をこなした奥将軍、上村将軍もかっこよい。

まことに日本の黎明期の将らしいいぶし銀ですな。

偉人です。

日露戦争は良将ばかりと言われるわけです。



もっとも、いろいろな人が言ってる


「なぜ数十年後は馬鹿ばっかなのか?」


とかいう疑問は持ちません。

だって日露戦争は馬鹿も多いですもん。

民衆も含めて。



そういえば諜報でも素人と玄人が如実に分かれてます。

明石大佐だけでなく、石光真清さんだの有能な諜報員、しかもオープンな情報の分析だの外交分析だの多岐にわたり


「諜報戦の8割はオープン情報の分析」


が良くわかっている人が大活躍してます。


清は日本を助けたかったのは、ちょっと前のロシアが非道で日本が親切だったからではありません。

こういう人が外交し、暗躍したからです。

イギリス人が日英同盟の枠を超えて協力的だったのも同じく、才能ある人には惚れます。



もっとも、その日英同盟の履行の枠を超えたイギリスの親切もなかなかです。

真底日本を頼りにしてたんですね。

過去の同盟相手、インドや清と比べて確かに優等生です。



イギリス人はその優等生に、ロシアの汽車の時刻表から乗車定員数、兵隊の数、遅れ、復員、「これが諜報じゃ!」という玄人仕事を、すべてを児玉参謀が敷設したケーブルへ流します。

諜報というものが良くわかっている国です。

とくに当時の満鉄、、と言っていいのか?まだ満州鉄道株式会社はできていません、、は単線で一定数しか運べず、とても正確な情報だったようです。


が、東京にいるHQはまったくその重要な意味も分からず、活用できず、握りつぶした馬鹿がいたり。

自分で踊り狂うだけならともかく害までなすのも「日本あるある」。

自分が能力なくても、その地位は重要でしょうね。

「働き者のバカ」も居ますけどね。



「日露戦争はこんなに有能な人がいたのに、なぜたった数十年で無能ばかりになったのか」

  ↓

維新の時に活躍した有能な人は死に絶え、あほだけが残った。

やったもん負けな日本の社会はこの頃でも同じです。






何にせよ双方は無能な銃後が勝手なことを言い、まだ後方にも児玉参謀のような有能な人が存在する日本の方がマシそうですが、、日本もロシアも容易に足抜け出来ない感じで戦争は続きます。




ロシアは満州方面へひき、日本はそれを追いかける立場。

満州の入り口である「奉天」へと戦場が移っていきます。



日本は調子よいです。

二百三高地でコンドラチェンコ将軍は死んでしまい、乃木将軍は生きているからでしょうか?

寡兵なのにがんばります。


攻撃側にも関わらず予想される戦場に素早く到着して陣地を作り迎撃し、、

あるいは敵が限定するより戦場を広くとって、半包囲をとり、陣地の意味をなくしたり、、

あるいは徹底した偵察と渡河、夜襲で陣地の意味をなくしたり、、

あるいは徹底的に塹壕に籠って粘り続け、、


連戦連勝です。




もっとも誠に日本らしく、満州軍総司令部の参謀達はあしをひっぱりまくり。


・勝手な思い込み、

・柳の下の泥鰌で「いままでロシアはこうだったから今度もそうに違いない」

・前線からの情報を握りつぶしてロシア予防攻撃の兆候を見逃し

・情報遅延で増援が遅れ



Q:日露戦争では立派な軍隊だったのになぜ数十年後はだめになったのですか?

A:最初っから結構ダメでした。




一方、前線では日本兵も将校も頑張っています。

後に第一次世界大戦を行った観戦武官がいっぱい称賛しています。

塹壕戦、大砲による火力戦、迂回、渡河、森を通り抜けての急襲、浸透、すべて日本はこなしてます。

もちろん無線、毒ガス、戦車、テクノロジーはまだまだですが。



Q:日露戦争で悲惨な戦いだったのに学ばず、なぜ第一次世界大戦でも同じような犠牲を出したのですか?

A:日露戦争で各国の観戦武官学び、マネしたから同じようになりました




日露戦争での戦い方は、別に日本が初めて、とか日本こそのグッドでグッダーなアイデアというわけでもありません。

しかし、たくさんある戦い方を蘭学で学び、翻訳し、試し、実戦で改良し、こういった戦い方に収束していったのです。

維新の志士たちはこういうところも偉大でしたね。




もっとも一方的に「日本ツエー」というわけではなく、ロシアはそもそも防御側という立場で勝ち負けは

重要ではない。

ただの前哨戦は負けても問題なし。


偵察、一当てして戦力を確認する威力偵察、相手の兵力を漸減させ、動きづらくして戦場を限定し始める予防攻撃、勝った勝ったと喜ぶようなものではありません。


実際日本は、兵力消耗、補給の停滞、弾薬の使い過ぎ、情報混乱、士気の低下、満州司令部のだらしなさも含めて敵将クロパトキンの目論見どおりになりました。

ロシアが無能とはとても言えないでしょう。




そんな中、決戦である奉天会戦が始まります。



両国は直前にもよろしくない状況が続きました。


たとえばロシアでは「血の日曜日」

ロシアが役にも立たない朝鮮半島にこだわったのがわかります。

労働者デモ、実に10万人以上ものデモが始まります。

内容は良くある話。


「戦争やめろ」

「権利クレ」

「憲法つくれ」


ロシア政府は撃ち殺して鎮圧しました。

おかげで各地で暴動おこります。

戦争なんてしている場合じゃないよ!





日本の方は大兵力を維持するのが困難になってきました。


補給のための策源地、旅順港、勝てば勝つほど遠くなっていきます。

兵站(人員やお金、手法、事務処理まで含めた補給全体の概念)の稚拙さもあいまって、戦わなくても膨大なお金が消えていきます。




先にこらえられなくなったのは日本でした。

そもそも兵力差があるのです。

その上補給もままならないままじり貧になり、兵員はちょっとづつ減り、弾薬は減り、補給段列でさえ崩壊寸前。

兵力はともかく、戦力は維持できないほど困窮してきました。



じゃ、やめればいいじゃん?


そのために外交活動も活発化してます。

交渉の仲介役として目を付けたのはアメリカです。



日本人の評判が悪い国(移民による)、しかし清で共闘し、お互いそれなり高潔で政治家、軍人、ジャーナリストには評判が良い。

イギリスとは国境線は長いし、何度も対立したし、でも大事な投資家、第二次産業革命で売り先候補として大事です。

そしてロシアからの移民の人が出世して親戚付き合い多い、微妙にアメリカもロシアも列強と言い難い中途半端な国で気が合います。

アラスカでも一緒に産業やってたし。


ということで各国と等間隔、戦力も強大とは言い難い(アメリカ強大はWW2からです)、しかも中国への接触は後発なので介入したくてしょうがない。

仲直りの仲介役にはちょうど良い役どころです。

そして何よりも日本は、当時は弱小、だが健気で、良い仕事する、判官贔屓したくなる国です。

活発な外交が始まりました。




そして外交の一部としての行動も必要でした。

ここら辺は不良学生のメンチ切りと同じです。

戦争とは要するに喧嘩ですから。


「まだ勝ってる」


そんなロシアを


「まだ勝ってるけどそろそろ許したるわ」


そういう方向に向けねばなりません。


戦争を政治の一部と考えるともうひとパンチ欲しいところ。

そういういろいろな要素で奉天での決戦を目論みます。




「必要だったか?」

日露戦争は、そもそも朝鮮半島から始まり、203高地から奉天会戦、最後の日本海海戦まで必ず言われること。

まあ「結果論」「たられば」は意味ないんですけどね。


朝鮮半島を諦めていたらロシアが攻めてきたかもしれないとか?

いやいや、伊藤博文公の意見、全部引き上げて外交だけで問題なかったよ?



203高地は結果論としてロシアを追い込んで経済的にも困窮させ、厭戦気分にしてます。

結果論としては一番やる価値はあったでしょう。

でも、


・もともと目的果たしてたよね?

・これがなくて包囲だけにとどめたら奉天が楽だったのに


とかもあるし。




日本海海戦は言うまでもないでしょう。


「日本が勝った」


を決定づけた海戦。

でもこれでさえ「制海権」というものがあやふやな時期なので必要論は紛糾します。


古代のように港を封鎖して何か月も居座れるわけではありません。

陸から海への火力投射もできます。

WW2のように航空機、レーダーで索敵が容易なわけではありません。

WW1でさえ、スパイを駆使しても九割がたスカだったわけですから。


日露戦争での通商破壊、兵員は1%未満、弾薬食料はさらに低い。

いえ日清戦争で日本が完全に制海権とっても、普通に清は朝鮮半島に兵も弾薬も船で輸送してます。


さて、やる価値があったかどうか?




奉天会戦は、、ジリ貧なのを誤魔化せた?

ロシアの陸戦勝利を諦めさせた?

この会戦後、日本陸軍は見る影もないほど困窮するんですけど、その間に攻められないようにしたのは奉天会戦!

本当?


実際、ロシアが反撃したら鎧袖一触、、、サイコロの目次第では敗北もあり得ました。

でも会戦前だったら大丈夫だった?

ロシアがイニシアティブ握っている状態で、守り続けられたか、講和を考えられようになったか?



まあこういう「たられば」は答えがでません。

Netnewsでも何度も記事になって紛糾してました。


なんにせよ、日本は奉天での決戦を決断します。




日本側大将は大山巌。


「お飾りで実質は児玉参謀が仕切ってた」というコメント多いですが、俊英だった若い頃のまま九州男児の鷹揚なスタイルを身に着けてそういう風に見せかけただけかもしれません。


少なくとも鷹揚で飄々とした態度のわりに、会議その他は積極的に参加し、積極的に部下と交友していたという記録が残っています。

西郷隆盛の再来といわれることも多いですね。

薩英戦争から参加しているベテランです。



参謀長は児玉源太郎大将。

彼が実質の指揮官だったというコメントありますが、当時の文献であまり記録はありません。

国会図書館にいかなくても当時の記録が読める良い時代ですが、それを読んでもあまり前にはでてなささそうです。

参謀(スタッフ)はあくまで将の代理人、将の一部、彼の有能さを想像するとそういう律義さを守っていたような気がする。

個人的感想ですが、まあそれ抜きでも出しゃばらずうまくこなしていた気がする。




ロシア側はクロパトキン。

結果論として失敗ばかりの将軍です。

臆病者の評判です。

戦前から一貫して日本との戦争は反対してました。



後の第一次世界大戦でもドイツに負けます。

おかげで無能とみなされ、二月革命でもいったんは逮捕されますが共産主義者に許され、余生を教師として平和に過ごします。

ちなみに日本好き。

日本に来た時、日本の将校と釣りしてました。



彼の「臆病者!」「無能!」の言い訳しますと、



彼の戦略は、日本を消耗させ、補給に重圧をかけるために北方に釣り上げ、最後に一網打尽にする作戦でした。

まさに当時の日本の窮状は彼の計算通り。


ジリ貧な日本は彼の戦略にはまってます。

9割がた彼の計算通りになりました。

彼は鉄道輸送の第一人者でもあったし、その日本との差を大いに有効活用した結果ともいえましょう。



、、まあ最後の「一網打尽」が実現しなかったので意味ないんですけどね。

結果論としては、ただ後退後退、負け負け負け続け、最後は罷免で終わり。

ちょっと可愛そうな将軍です。




何にせよ、奉天会戦はこんなでした。


投入戦力:

日本 24万人

ロシア 36万人



前哨戦でロシアが最初に動きました。

日本側左翼を攻撃しようとします。

しかし、即座に日本側は主力の右翼が動きそのまま陣地の観測点を攻め落とします。

ちなみに左翼は消耗している乃木将軍の部隊。

奇襲をかけられ、夜襲をかけられ、本来なら日本が多用していた戦術で散々の目に合いましたが、窮々状態でもよく耐えました。


更に日本はロシア両翼に圧力をかけ、陣を広げ、包囲を企図します。

ここでも乃木将軍第三軍が大活躍です。

ジリ貧、窮々、定数の7割くらいだが中身は老兵ばっかし、本命の右翼を助けるために左翼でも無理して圧力かけました。


ところが主力の右翼、第一軍は初めての凍り付くような寒い環境での戦争、大砲は効果ないし動きも制限され、なかなかうまくいきません。


クロパトキンはその右翼の重圧を乃木第三軍と勘違いし、予備兵力まで投入して膠着状態を突破しようとします。

乃木将軍の第三軍、旅順で伝説残してますしね。

ロシアでも一番注目されてました。

そうでないのは日本の司令部と作家の司馬遼太郎くらい?



一方、左のジリ貧な乃木将軍は粘ります。

無理して戦い、ロシアの圧力を受け止めながらさらに薄くして陣を広げ、包囲展開をしようとします。

ロシア、乃木将軍は左と気づきました。


右に投入した予備兵力を戻し、左翼に再展開。

ロシアは完全に誤断し、左翼を本命と見、たった3万8千の兵力を10万人以上の兵力と誤断し、徹底的に圧力をかけます。

第三軍、よく崩壊しなかったもんだ。

耐えきってます。

もう崩壊寸前ですが。


結果的に全正面で平押し、どこも膠着して全正面で日本軍ピンチでした。


本命の右翼はどんどん消耗していくばかり。

左翼第三軍は崩壊寸前。

中央も攻めあぐね。

どこもかしこも日本軍は死屍累々な状態になります。

ここでロシアが総反撃を命令すれば勝っていた、という意見多数。


しかし乃木将軍粘った。

居るだけで脅威です。


ロシアはまるで乃木第三軍が包囲が成功しつつあり、鉄路を確保し、退路が断たれるように見えました。

これに耐えきれずクロパトキンは転進を命じました。



この動きに満州軍総司令部は面食らったそうです。

負けつつあるのに、、


ロシアは余力がたっぷりある状態で後退し、日本はその譲られた奉天に進軍し、そしてここでの戦いは終わりました。

日本人の常識外れの粘りで「勝ち」を拾ったのです。



あんまスマートな勝ち方じゃないですね。

予備兵力なし。

弾薬なし。

第三軍の損耗率は6割以上.


他国なら全滅を宣言されるような状態。

きっと日本の方がおかしいのでしょう。



将も損耗しきり、新米の少尉が指揮を取るような状態。

開戦当初に配属されていた士官学校出身の現役将校はいなくなり、予備役、老齢、速成教育しか受けてないものが立ち、行軍さえままならない、鴨緑江軍後備第1師団は事実上指揮官不在で、主力の第一軍は以降は何もできない状態になったとのことです。



尤も、ロシア軍は結果論としてもっと悲惨でした。


まだまだ余裕であるはずの残軍で、鉄嶺までの暫時退却する予定、退却を誤魔化すのではなく、その言葉通りの「転進」のはずでした。

日本ほど悲惨な状況ではなかったはずです。



しかしあまりに長期の後退、日本ほどでなくても非常に損害は大きい、そして乃木将軍の伝説、そして転進先である鉄嶺は日本軍の急進で回り込まれ、、負けていたはずの軍があり得ないほど急進、しかも崩壊寸前なのに、 当時の日本兵ってすごすぎます。、、それがきっかけで崩壊しました。



最初の転身先の鉄嶺までは秩序立っていました。


が、そこに日本人がおり、逃げ、さらに後方の哈爾浜に後退する際は軍隊の体をなしていませんでした。

秩序を保てず、略奪、暴行、逃亡、滅茶苦茶だった様子です。

この時にロシア軍は崩壊しました。

士気0。



それでも数字上は日本軍より「余裕あるなし」、では「ある」でした。

そして当初は数字だけだったとしても、そういう結果は落ち着いたら平常に戻ります。


鉄道で増援を送れる状態もロシアは圧倒的に有利です。

だいたい、後退を重ねて釣り上げるのはロシアの伝統的な戦略です。

そしてそうするための戦力も残っています。


各国はそういうものだとし、当時の記事は「転進は成功した」でした。



実際、そうだったかもしれません。

当時の記録でもそういえるような程度の数字でしたから。

しかも後方はまだまだ大兵力です。

現役兵約200万人、根こそぎ動員している日本の10倍以上の増援です。


しかし、クロパトキン罷免、血の日曜日事件を皮切りにはじまった反乱の多発、、のちにロシア第一革命と呼ばれます、、モロッコ等、世界が血生臭い状態になり、そうそう兵力の投入も危ぶまれる状態。

ロシアは完全に止まりました。


次の日の報道は「引き分け、転進、まだまだ続く」

その次の日の報道も「引き分け、転進、まだまだ続く」


数日後の報道「ロシア負け」




しかし日本でも茶番劇(バーレスク)が起こります。

誰が見ても「拾った勝利」

でもHQは誤魔化してしまいました。



大勝利!

ロシア何するものぞ!

どんどんロシアに圧力をかけよう!

次はウラジオストック攻めようぜ!


中央の陸軍首脳部も自分の吹いた笛に踊りはじめ、それを本気にし始めます。

本当にバカです。



樺太に進軍。


満州司令部、大山将軍と児玉将軍は慌てて止めようとします。

いったい、どれだけ前線の将兵に負担をかけさせるつもりなのか。


頑迷に、というより頭おかしいとさえいえる陸軍首脳部を止めたのは、後に日本海海戦でも活躍する海軍の海軍大臣山本権兵衛さんでした。


「児玉の話は一番重要なことである」


その一言で児玉参謀長はどれだけ救われたか。

ようやく首脳部も講和に全力を尽くすようになります。



しかし、ロシアは当事者感覚のない宮廷がおり、バルチック艦隊に期待しています。

講和へ進めるための目的もそれになりました。


日本海海戦となります。





----

奉天会戦はこんな結果でした。

日本側の資料はたくさんあります。

国会図書館に行かなくても詳細な数字入り資料がたくさん手に入ります。

各国でもたくさん研究がなされているので。


防衛省防衛研究所陸軍省大日記軍事機密大日記


死者15,892人

負傷者59,612人


満洲軍総参謀長 各軍戦利品通報ではやたら食料、嗜好品ばかりなのが泣かせます。

そして中国、ロシアに社会主義の蔓延が見えたのか、


「陸軍省送達 社会主義ニ関シ別紙ノ通陸軍大臣ヨリ各留守師団長ニ訓示相成候間参考ノ為」


社会主義への訓示が必要なほど、社会主義者が蔓延していたようです。

ここらへん、ニューヨークタイムスの日露戦争批評やらに書いてます。




ロシアの資料は、、実はいろいろな政治的事情があってあまりありません。

ロストーノフとかいう権威のある人しか書けなかったから?


死者8,705人

負傷者51,438人

行方不明28,209人

(うち捕虜約22,000人)



有名な旅順(二〇三高地)より、大規模で有名な、各国の資料も多いこの戦いは、物語としてはとても少なく、だれがどう活躍したかも知られず、そのまま埋もれていきました。


個人的な情としては、勝因が「粘った前線の将兵」のみ。

だれもが不幸だった戦争ではありました。

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