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人間の歴史。  作者: TAK
日英同盟
153/176

ひろぶみLove!! むねみつ死ね!

さて、日英同盟と言いつつ長々と列強の事情を述べましたが、如何でしたでしょうか?


正直、日本はWW1が終わるまで、いやいや経済的にはWW2が終わるまで、軍事を除くと直接的に世界に影響を及ぼす総合力はなかったのです。

しかしユーラシア大陸の最果ての地、Far Eastが田舎の代名詞なのは伊達でないこの場所で一定の力をもつ国が何かしらの影響力を発し始めました。


そしてそれを利用しようと列強が蠢き始めたのです。

「清」が滅びたのは直接的には自国民の反乱多発、その反乱多発に呼応した列強民の殺害、それに怒った列強の介入、これだけです。

しかしそのきっかけは間違いなく日清戦争の日本です。

別な理由で喧嘩して、全く関係ないところで蹴飛ばしただけですがね。




そんな状況を憂いたのがイギリス。

インドに続いて美味しい「清」市場も失ってしまいました。

反乱多発で清はボロボロ、清政府はそれに抗う理性も能力もなく、その機会にイギリス以外の他国に食い荒らされ、、イギリスの縄張シマりという保護目的さえ薄れてます。

イメージと違って「植民地」が儲かるのではないのです。

奴隷から搾取してもなんぼもなりません。

健全な貿易相手、市場が大事なのです。

植民地化して搾取して儲かったのは胡椒で儲けたオランダくらいじゃないですかね?

まあ儲かるのは「商人」、そのツケを払うのは軍隊か社会保障か福祉か生活保護かは知りませんが国民の「税金」、ミクロ単位で見れば特定の誰かは儲けているのですが。




ということで、極東の混沌カオスを何とかしたくて本格的に動きます。


今まではどっちに転んでも良いように玉虫色の外交、「清」との条約を律儀に守り、日本にも厳正に外交をし、清の同盟にひっかからないのであればちょっとばかしサービス、親切、寛容も示して日本にも秋波を吹かせ、結果論として二枚舌でしたがそれなり好評です。

今回はそれを利用させてもらいます。

二枚舌、良いではないですか。

国民の信を背負った政府がそんなことくらいできなくてどうしますか!!




といってもいろいろな事情を抱えていたのは前回の通り。


そもそも、教科書で「パクスブリタニカ」「列強」という一言でひとこと済ましてよい事情ではありません。

また、個々の事情やイベントごとの綱の引っ張り合いを述べて、「日本は偉大だった」「英国は孤立していた」「ロシアは脅威」「英と清は同盟を組んで日本は邪魔」「列強は極東を良いようにあしらっていた」と玉虫色の説明で終始してよいはずはありません。

いつものように歴史の教科書は解りやすいように省略し、その省略したデータに踊らされてさらに単純化し、それを既成事実として事実を作り直し、ずいぶんと解りやすいがピントのずれた結論を出してます。


「列強の介入!」

「英国の孤立!」

「ロシアの脅威!」


以上!




やれやれ。


そもそも英国は孤立していたどころではありません。

欧州というにはあまりに特異な文化です。

確かに人種は欧州と同じです。

混じりすぎですが。


最初はフランス人(ケルト人)、

次にドイツ人(ゲルマン人)、

七王国時代は北欧人バイキングやらドイツ人やらの修羅場。


日本と同じで、西へ西へと動いたら行きつく辺境がイギリスだから日本と同じく多民族国家です。

エリザベス女王の頃にようやくイギリスっぽくなりましたが、アイルランド代表、ウェールズ代表、ブリテン代表で混じりあい、しかも宗教はキリスト教だけどごたまぜすぎ。


国教はイギリス正教というプロテスタントだけどあまりにカソリックに近い。

でもローマ法王とは仲が悪い。

かといってオランダやアメリカのプロテスタントといったカソリックと争ったばりばりのプロテスタントと気が合うかというと微妙。

でもIRAではないですが、アイルランド中心のケルト人でカソリックは犬猿の仲。


さらに産業革命で文明っぽいものになったらたちまち核家族化。

農家は財産を兄弟で分け合って、土地も猫額、あるいは消滅。

イギリス料理が不味いのは、そんな早々と核家族化が進んでおばあちゃんの味がそもそもないから。


まあそんな国だから、国っぽい奴が出来てから早々と産業革命をこなしたからこそ、あるいはそんな「狂」というものが欠片もない唯物的な考え方だったからこそ産業革命を起こせたのかも。

当時は欧州ではなくて「英国」が成功したのです。

一強なのは特異だから。



しかし、日英同盟の頃は「終わりのはじまり」の兆候が既にあります。

アラブはともかく、インド、中国はただ売るだけの「市場」ではなく貧乏人の世話が必要な「植民地」。

アラブやバルカン半島も、ただ友好国、同盟国として維持するだけでお金がかかります。

ロシアの介入、独立運動、列強達との談合。

そしてあくまで中世や近世の延長だった商品をコストダウンしただけ、第一次産業革命の産物である工場は「軽工場」と呼ばれる分類になってしまい、それは主流ではなくなりつつあります。

第二次産業革命の「石油」「電気」「化学」とそれをもたらす「重工業」は立ち遅れ気味。

なんか面倒な労働組合はアメリカ、ドイツと違って生産力を激減させるし。


それを知ったのはWW2後の結果論からですが、日英同盟を結んだ理由の一つ。

「なにもかも思い通りにいかなくなってきたなぁ」





そしてこれも前回の言った通り、「列強」と一口に言っても私らのイメージとは程遠い。


フランスはナポレオンのおかげで成人男子の殆どはロシアの凍土に消えていきました。

その疲弊した状態で産業革命をおこし、なのに重農主義?

現代でもそうですが、王侯貴族の遺産である「衣料」「芸術」「食品」以外の全てが1.5流程度。

何となくイギリスの真似して、今はアメリカや日本からとっても周回遅れですがだましだまし列強のふりしてます。

子供の遊びのような植民地経営なので、逆に内需も科学も発達し、文明としては一等という評価です。

そこは「利」でしょうかね。

日英同盟位の頃は、かなり離されてはいますがナンバー2。




ドイツは、そもそも「ドイツ」という語源が教会や病院の施設管理者の総称だったことを教科書は出していませんね。

歴史なんてアメリカより浅いかもしれません。

それが「神聖ローマ帝国」なら、それはどういう政府でだれがやっていたのか?

ドイツ騎士団がその地方の政治や民族の代表だったのか?

まだ帝国になる前の「プロイセン」という言葉は、東ヨーロッパからはみ出してきた何かでしかなかったのでは?

オーストラリアの存在は?


ドイツ人らしさが初めてでたのは鉄血宰相ビスマルクのプロイセンが実は初めてかもしれません。

彼は「民族主義」というカンフル剤で、ありもしない「民族」という概念でまとめあげます。

戦乱の世は見事に治まりましたが、その延長が「ヒトラー」といえなくもない。

「純潔アーリア人」なる概念はとてつもなくあほらしい。

ま、多民族国家「日本」を「やまと」だの「単一人種」と信じている我々がえらそに言えないのは確かですが。


そんなアメリカより歴史が浅いであろうドイツさん、産業革命の波に乗れなくて餓死したクルップさん、しかしその子供たちや孫たちは第二次産業革命の波に大いに乗ります。

ヨーロッパ大陸で唯一成功と言っても良いのではないかな?

クルップ、バイエル、ダイムラー、シーメンス、名だたる企業が並び、ヨーロッパ大陸随一の強国になるのはもうじき。

そしてその民族主義、軍事、経済、最終的にヨーロッパ一強になる強さが憎まれ、妬まれ、第一次世界大戦は彼らが主人公と言って良いかもしれません。




じゃあ伝統の無いと言われる「アメリカ」は?


実際、上記を見ると「伝統の無い」と言えるかどうかは微妙なところ。

きっと「ドイツ」よりもアメリカ人らしさという概念で言えば古そうです。

「WASP」「ピグリムファーザーズ」達がつくった「古き良きアメリカ」は余程伝統はありそうです。

でも、そんなけなげでがんばってた、日本の国力の半分以下のアメリカは南北戦争で吹っ飛びました。

ドイツ、ロシアから逃げてきたお金持ちがぞくぞくと新天地に集まり、第二次産業革命の原動力の「石油」の最大の産出国、電気という新しい産業、自動車、重工業、「金ぴか時代」はもうじきです。


ですが、当時「列強」と言って良いかは疑問符。

これからの国なので「新興国」として良いのかもしれません。

まさにこれから現代に続く発展の流れはすべて合衆国からです。


ちなみに今のイメージの宗主国と植民地の概念はアメリカかも。

キューバ、パナマ、メキシコ、エクアドル、中南米のいろいろな国に正義、平和と唱えながら裏でぶん殴る嫌らしい従属国経営はアメリカが作ったかもしれません。

搾取や奴隷経営はオランダっぽいイメージですが。


あと、WW2まで日本とは超仲悪いですね。

中国移民との軋轢が一巡して日本人の移民が差別される番。

日本と対立したロシアとの仲も悪くないですしね。

むしろイギリスの方が嫌いっぽいので、その影に隠れて偉そうなその同盟相手ではね。


そしてアメリカにとって、日本や中国は極東ではなくて、太平洋の西の国。

1900年以降は当時の新聞を見ても日本人への批判は激増してます。


#なぜかすでに日清戦争で「朝鮮人を虐殺」的な報道がありますね。

 もちろん、そんな事実も余裕もどこにもないですが。

 まだ日本が評判の良い時期なので、周辺各国にすぐに否定されてますが、

 従軍慰安婦だの南京虐殺だの東アジアで喚いている連中の

 種まいたのはアメリカの宣伝戦です。

 ベトナム、ドイツ、ソ連、中国、彼らの努力は丸無視されてますが

 自国民、イスラエルと日本にだけはとっても効果的です。

 正義!!

 アメリカ大陸で無茶苦茶やってるのに正義いうなや。




ロシアは、ナポレオンに勝ったからというだけで列強の仲間入りしています。

「兵士は畑でとれる」

というだけあって陸上兵力だけはたくさんなので脅威にはみえますが、それが出来るという時点で文明国か疑問符がつくところ。


ヨーロッパの一員だけに最新兵器はつかえるは、立派な軍艦はもっていますがあんま勝ってませんね。

ロシア帝国から南下して征服事業を行いますが、西から順繰りにバルカン半島、トルコ、アフガン、インド、中国、全てイギリスに邪魔されてます。

イギリス超怖い。


で、次の東側、朝鮮半島を狙うのが表向きの歴史ですが、実はあんま日本と戦う気はありませんでした。

「南下したい」はあったのですが、アラスカを手放したように、あんま極東は田舎すぎて興味なかった様子。

「満州で良いや」的な雰囲気はありました。


現代のシベリア鉄道を乗るとわかりますが、イルクーツクは大都市、ウラジオストックは大都市、で誤魔化されていますが、モスクワ~イルクーツク間と、イルクーツク~ウラジオストック間の景色はあまりに違いますよ?

というかロシアの極東はウラジオストック以外、ほんとなんにもありません。

というかウラジオストックの存在って軍事港という以外役目はありません。

モスクワと、中国/モンゴルの入り口であるイルクーツクまではロシアの大動脈っぽく周辺もそれなりですが、それより先はなーーーんもありません。

なんか軍指定地域らしいのですが、そこまで広大ななんにもない地域、軍事的に重要は絶対ありえません。

何にもしてないからでしょうね。


現代でもそうなのですから、1900年前後など、アラスカどうこうの前にシベリアそのものの扱いはとってもわかります。

その何十年後、逃亡者がバイカル湖を渡り損ねて何万人も凍死がよくわかる。


スターリン「シベリアで木を数えてきてくれたまえ」

  ↑

多分、想像以上に超怖いことだと思います。

現代でさえそうなのでですから、シベリア鉄道が通ってない極東など最果ての最果て。

途中の満州が手に入って投資し始めているので「南下政策も良いかなぁ」的な雰囲気。


「不凍港を欲しがってるんだぁ!!」


とマスコミも社会科教師も喚いていましたが状況によりますね。

ヨーロッパに近い西は是非とも南下したかったでしょうが、なんにもない極東で南下してもね。


でもイギリスと日本はそんなん理解してくれません。

すでに清は各国が荒らしまくってるのに、なぜかイギリスはロシアだけ「俺の縄張シマじゃあ」と批判します。

そして日本は満州の先はすぐに朝鮮半島と恐れています。

朝鮮人が火を点けまくってるからですが。


こんなんがロシア。







じゃあ日本は?


しょぼいですが、当事者のもう一方の日本もいろいろありますね。

というか、とっても弱小なので焦りに焦ってます。


「清」からせしめた国家財政の数年分のお金をもらえましたが、それの殆どは軍事費へ、それでもやべえと危機意識MAXです。


そしてロシアが清以外の極東に興味がなかったのも知りません。

極東はイギリスの縄張シマりじゃあ、なんて事情も知りません。

外交官、有能で必死に頑張りましたがやはり弱小、肝心要の外交情報が音痴でもありました。


「列強は怖わー」


まあ人間は見たいものしか見ませんし、聞きたい事しか聞きません。

そして朝鮮がまた火のないところに煙をたてて、自覚なしにロシアと日本を対立させてます。






そもそも、イギリスと日本は付き合いは意外に長いです。

長いといっても糸のように細いですが。


最初は、、敵ですね。

モンゴルが日本に攻めてきたとき、モンゴル側の頭脳ブレーンの一人は英国人。

まあ、さすがにそれは関係ないですか。

そもそもその頃は中世ともいえない国としての体を成してないのがイギリスでしたから。


1587年、スペインのガレオン船をイギリスが拿捕したら乗船していた日本人が(奴隷?)いたのでイギリスに連れて行きました。

このクリストファー君とコスマス君(実は日本人)が始めてイギリスに行った日本人?


あるいは1600年にオランダ船リーフデ号が大分に漂着してイギリス人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針さん)が徳川家康に雇われます。

それが初めて日本に住んだイギリス人?


1613年に長崎は平戸で貿易港をつくってイギリスと貿易します。が、1623年に逃げられます。

まあ貿易赤字でしたから。


ついでに、東インド会社の最大のライバルは日本の商船団でしたが、、まあ日本評判悪かったし悪口ばっかしでした。

もっとも、日本がぶいぶい言わせていた時は勝負にならず、逆に戦国時代も暫く立ち、江戸時代が安定したら、逆に日本人がやるきなしお、逆の意味で勝負になりませんでしたね。

インドが超イギリスLoveでしたし。




なんとなく産業革命が終わった現代に続くイギリス、あるいは日本としては教科書どおりでしょうか。

1854年10月14日 日英和親条約。

1858年8月26日 日英修好通商条約。


不平等、不平等言ってますがあんま私にはそう見えません。

裁判権とかなにかと社会の先生や「不平等!」論者が叫びまくってますが、幕府だ藩だの中央政府がない状態ではあんま説得力ありません。

1886年のノルマントン号事件とか、そもそもイギリスの新聞と世論がいちばん自国のみっともない船長を批判してましたよ?

そしてすぐに改善されてます。


次は1863年8月15日–17日に行われた薩英戦争の後?


その調印は敗戦処理というより薩摩(後年の新政府)との修好条約っぽい感じの内容です。

すでにこの頃から幕府か薩摩かの勝ち馬に乗る準備をしてました。

二枚舌っすね。

その後の動乱も読んでいたっぽい。



そして肝心なところはきちんと一点賭け。

時期が来るときちんと薩長に義理を立て、その賭けを当てるために努力し、見事に明治維新は薩長の一点賭けで勝ちます。


負けたのは「イギリスを絶対真似するマン」であるフランスですか?

幕府は見事に負けました。

大金持ちだし兵力あるし、表向きだけ見れば幕府勝ちだったのにね。




そして薩摩の影響か、情報に聡い蘭学者か、「オランダ語を辞めて英語!!」という周知がたちまちなされます。

岩倉具視の使節団、夏目漱石、小泉八雲、文化人もとってもイギリスラブ、、とは言い切れないですか。

夏目漱石はちょっとやさぐれてました。

イギリスの情報は日本最初の漫画で、あるいは新聞で、本で、いち早く手に入ります。

なんか日本人はイギリス大好きっこ。



イギリスは、、、

まあ、新聞その他は他の列強と同様ですか。

そこそこ。

多少は上げ底、ゲタ履かせて「日本は素晴らしい」感じにはなってますが。



ただし、政府機関はこれでもかとういう程桁違いな日本の情報量。

イギリスは日本を微に入り細に入り、詳細に調べてます。


イギリスの外交も、現代のアメリカ外交と同様です。

芸能人ライクな有名人、人徳者、人気者が大使になり、その随行に本命がいます。

ケネディ外交官が来たとき、アメリカが何を意図しているかは随行員を見ればよい。

武官、情報分析官、元研究者、経済人、その道のプロが何人もついてきてます。


当時のイギリスもプロっすねぇ。

表向き外交官オールコック、あるいはニールの下、パークスが長い間とっても詳細な報告を起こっています。


島津の殿様、西郷隆盛、フランスの教官の様子。

もう財産から性格まで細かに報告してます。

結構長くそういった外交文書は残されており、楽しめます。

陸奥宗光、伊藤博文の性格からカリスマ、人格までレポートしてます。


端的に言うと「ひろぶみLove!! むねみつ死ね!」ですが。


伊藤博文は、もう「天元突破!!」というくらいに誉めてますね。

そして陸奥宗光をイギリス政府全体で毛虫のように嫌ってます。


後年、日英関係に反対したのが「伊藤博文」、日英関係を強力に推し進めたかったのが陸奥宗光の弟子の「小村寿太郎」なのが皮肉なこと。




一方で清の外交官ワルシャムも、清、あるいは朝鮮の事を微に入り、細に入り報告してます。

端的に言うと

「清やべぇ」

「朝鮮うぜぇ」


朝鮮の裏切りとロシアの台頭。

ロシアは意外に引きずられているだけで、もう南下政策の意図なしも読んでいるようです。

満州で噛みついてますが。


巨文島の占領はロシア、朝鮮の様子、清の方針を無視してロシアを引き入れたずるさ、イギリスに対する裏切りを助長している朝鮮政府、すべて把握した上です。

英露戦争の覚悟もしていたことが当時の文書でわかります。

ほとんどは朝鮮政府のだらしなさと狡さ、卑怯さがメインですが。


世界が混沌としイギリスにとって優しくない世界になりつつあること、日本の外交音痴と列強への脅迫感情、ロシアの自覚なしの蠢動、火を点けまくってる朝鮮、そんなプレイヤー達が


「史上はじめて極東の小国と列強が台頭に同盟を結ぶ」


画期的な日英同盟を実現させたのです。

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