勝利!!
死ぬほど忙しいです。
ゲロ吐くほど忙しいのは20代の頃から云十年ぶりだろう。
更新はずいぶんと滞りがちになりそうです。
日本の技術者はなぜここまで堕ちてしまったのか。
一度も喋らない技術者、必ず「持ち帰る」なんで居るかわからない管理職か営業。
最近は流通大手のお客様とか、その大手国内メーカーが帰ってから、そのメーカーへの対処も含めて本当の会議が始まってます。
期待しているのは頭数だけ。
情けない。
ほんの数年前は必ず頼りになる、本当の技術者がいたのにね。
みんなリストラでいなくなったのかも。
日清戦争は勝利に終わりました。
昔はやたら仮想戦記とやらが数十年前に流行しましたが「もし日清戦争で日本が敗けていたら」はなかったっすね。
司馬遼太郎さんその他「日露戦争」での敗北はたくさん書いてあるのが多いですが。
まだ2chなどが存在する随分前、まだモザイクだのネットスケープが出来たばかりの頃はNetNewsなる掲示板で日清戦争の議論が白熱しました。
こんな感じでした。
・少なくとも日清戦争は日本楽勝なんて評価はなかったっすね。
・一番可能性が高いという評価は「清(+イギリスがバック)」と戦争になる前に手打ち。
言うこと聞いてくれたイギリスはアジアの安定(+それによる清からのアガリ)でより可愛がってくれる状況が順当だったかも。
まあ軍事的プレゼンスもイギリスが日本に惚れてくれた部分の一つなので、より可愛がってくれるかどうかは微妙なところ。
薩英戦争で日本の凶暴さは認識してるという要素もありますから、増減は想像しかできないですけど。
・「清がひく」はなかったでしょうね。
もうイギリスにやられ、フランスにやられ、ロシアにやられ、自国民を大人しくしておく術はなかったと思います。
もう少し前に対処していればよかったのにね。
・ロシアの脅威、朝鮮半島の不安定さは明らかだったので、次の順当は「史実どおり」でしたか。
勝敗は微妙でしたが。
いろいろ勝利具合は差異するでしょう。
そもそも絶対にダメダメだったのは清の陸軍でしたから。
近代軍隊の皮を被った中世英雄物語。
補給がまともでない日本に対して、タカ派の左宝貴 将軍ががんばって初戦で粘る可能性は高かったものの、そのまま陸戦だけでカタがついたとは思えません。
陸で日本はとっても有利です。
かといって日本がしっかりしていたか、、刹那的だったのは確かだから盤石という訳でもない。
海戦は、そもそも「主流となる戦術が衝角攻撃でなかったら」まで遡って歴史改変できるなら(そしてそれは結構あり。リッサ海戦でイタリアがあそこまでボロ負けしなかったら南北戦争の「大砲と装甲、撃ち合いが全て」になって、国力差で日本海軍全滅!もあり得ました。
しかし残念。
そんな機会がなく、清との国力差は海戦のテクノロジーが試行錯誤の段階だったのでそれほどハンデとはなりませんでした。
史実で清は衝角突撃、日本は小型の連射砲をそろえてボコボコを狙う、2-3隻の誤差があれど結局は「日本は清を撃ち負かせない」「清は日本を撃退できない」結果になるでしょう。
なにせ物理法則ですし変えようがないですね。
そして日本が撃退されず、制海権を持てたら早い遅いはあれど、諦めなければいずれは朝鮮半島は日本だったでしょう。
あとは借金増額の増減だけ。
もう少しだけ負けてより貧乏だったら、更にイギリスにべったりになり、後年後引くアジア蔑視はすこし緩かったかもしれませんね。
・清海軍に負けたら、、、あり得た話です。
日本海軍全滅。
制海権は清。
陸戦は日本有利だがどこまで粘れるか。
清が北洋艦隊を積極的に使うのであればかなりの戦略の幅があり、それこそ対馬をとって大敗退もありでしょうが、さすがにそれは「絶対にない」が主流でした。
となるとWW2の鍵となった制空権ならともかく、制海権って意外にザルですからね。
とくに隻数がすくない清海軍程度なら犠牲覚悟で日本海を渡るのは雑作ない。
意見としては「犠牲は多いが日本が陸戦で勝つ」が優勢でした。
もっとも陸戦で勝っても全体でどうでしょうかね?
戦争は泥沼で日本は逼迫、イギリス講和で日本の判定負け?
そうなったらイギリスは安定を望むでしょうから、最悪は英露戦争までありえたかどうか、、、
まああり得ませんか。
ロシアにとって極東の辺鄙な場所。
イギリスに反感持っても、戦争吹っかけるような価値まではないでしょう。
日本はより貧乏なまま、イギリスと仲良くなる歴史は変わらなそう。
そんな感じが日清戦争でした。
まあIF戦記やら仮想シミュレーションはそんなでしたが、とにもかくにも「日本が勝った」が史実です。
日本は戦争末期でも、「勝った」という意識は低いです。
国内世論もあまりヒートアップしてない。
むしろ更に戦果を上げなければ清は交渉の相手にもなってはくれないと思ってましたから。
数字の国力は象とアリくらいの差ですし。
もっとも国際世論はそうは思ってません。
・イギリスに続き、清に勝った
(別に日本というか薩摩は勝ったつもりはありませんがマスコミですし)
・清は古い軍隊。
・清は眠れる龍ではなくて、ただの怠惰の豚だった。
実際に戦闘はその通りになってますし。
こんな評価記事
「日本は近代軍隊として近代武器を使いこなし、
軍事的な理屈はすべて自家薬篭中のものとし、
戦略的にも危なげなく勝った。」
「清は近代武器の横に時代遅れの槍刀。
服装バラバラ、指揮系統ばらばら。
軍政もないようなもの。
日本は勝つだろう。」
私は前回に「補給」「外征についての調査不足、認識不足」「計画的ではない」と日本の拙さを上げました。
が、国際世論的には、そもそもアジアの他国はもっとひどい。
周りがひどいと、上手く出来る奴は平均点でもかっこよく見えるものです。
拙劣でも、戦争も後半になると海外諸国は日本が勝つとそこらじゅうで予想してました。
強い者には良くしてくれるのが国際世論。
日本に良く思われたいイギリス、イタリアが直ちに講和に望んでくれました。
日本は中身はギリギリで切羽つまってたんですけどね。
見栄ははるものです。
澎湖列島で旗艦吉野が座礁、上陸前から輸送船内でコレラが発生して発病者1,945人、死亡者1,257人、相変わらず甘さが目立ちますが、他国には些末なこと。
そんな他国には強く見え、実際はやばい状況、講和にはちょうど良い時期ですね。
4月17日、日清講和条約(通称下関条約)が調印されました。
・朝鮮を清から解放
・日本への領土割譲。具体的には遼東半島・台湾・澎湖列島。
・賠償金支払い3.1億円(清の歳入総額2年半分、日本の4年分)
・日本に最恵国待遇を与える
単純に現代の金額になおすと難しいです。
貴金属を元に兌換すると4000億円。
これは安すぎますね。
食費を中心とした生活費とすると23兆円くらい?
後半の方が近いと思います。
なかなかたいした額です。
日本の内情を考えると、破格のお金を手に入れたことになります。
尤も、この戦争のおかげで自分の弱小さを身に沁みてしまった。
20%は借金の返済を。
その残り半分ちかくは海軍の拡充に充ててます。
まあ順当でしょう。
これから仮想敵国はロシアですから。
実際、ロシアからは即座に干渉が来ました。
教科書では「三国干渉」と言ってますが言ってきてるのは実質はロシアだけです。
ドイツは「隣のロシアが日本を相手してくれるとうれしいな」というだけで干渉してます。
フランスはもっとひどい。
イギリスが不安定になるのは大歓迎!ドイツが安定するのは大歓迎!
それだけで日本に干渉してきました。
ロシアも一人で言うならただの横暴ですが国際政治はまず仲間を作ることです。
「遼東半島所有は、清国の首都北京を脅かしてるよ!?ついでに朝鮮独立を有名無実にして侵略するつもりだろう!この悪魔め!侵略者と見られたくなければ手を引け!」
本音
「日本に遼東半島を取られると、将来満州を攻撃するつもりの俺が海に出られなくて困るんだけど!!」
ロシアは明らかに清の侵略のための下準備の交渉ですが、形だけでも3国に言われると戯言も無視できなくなります。
最終的に戦争になって二正面作戦になる可能性は悪夢です。
しゃあない。
日本は遼東半島を諦めます。
日本国民はすごいお金を寄付してますから超お怒り。
しかし民度の高い、文盲度がとっても低い日本国民。
なんか理性的です。
「んなこといっても俺ら弱いで。まずは我慢するんや!臥薪嘗胆やな。」
「そやな」
日清戦争ではまだまだ国民は理性的でした。
しかし微妙に国民がタカ派、軍人や政治家はハト派になります。
何というか、こんな状態が第二次世界大戦まで続きます。
制服着てると「惰弱が!」と石投げられる海軍。
あまりに惰弱で反乱を起される陸軍。
民度が高く、民主的に軍国主義。
しかも日本国民、フェアなのか「貧乏でも良いで、強くなるためにとっとき!」お金もたくさん寄付することになる。
こんな状態の原因はこの「臥薪嘗胆」が起点でしょう。
企業も、まあほとんどは官の外郭団体なので当たり前かもしれませんが、経営者も大いに軍を助けます。
薩摩が江戸時代、似たような国でしたが、薩長閥でそれが拡大しただけ?
まあ偶然か必然か、共産主義者やナチが
「国民が一丸となって敵と戦え!」
を、明治時代の日本国民は自然にやっちゃってます。
ドイツもナショナリズムで似たようなものですが、ここまで極端ではないでしょう。
司馬遼太郎さんは
「日露戦争に勝利して日本は狂った!」
とか言ってますが、どう考えてもすでにちょっと狂いはじめてます。
こんな民度の高い、民主的な軍国主義は困ってしまいますね。
そして黒船来航でやったペリーの所業、むしろ拡大しつつある「欧米列強」意識、その幻をWW2まで恐れることになりますが、「ロシア」というその主敵がとうとう現れました。
後年描かれる「のらくろ」で国民意識がよくわかります。
中国はブタ、ロシアは熊、それがいわゆる欧米列強の具体的な姿なのでしょう。
それは戦争中はチャーチルが裏切られた気分になり、マッカーサーが戦後に驚き、どう難癖つけようかと悩むような、現代の民主主義の我々が想像つけないような日本の姿です。
ちなみに初めての植民地、台湾ができました。
他国からの干渉は一切なし、というか上陸するだけで伝染病が蔓延る島っすから面子のある清がなにもいわなければどうでも良い島。
ただし反乱は大いにあり、1896年に台湾総督府条例を公布して日本と同様な近代的な政策を打ち出すまでは犠牲多数。
しかし近代文明、しかも日本とおんなじ、、というかそもそも日本国民が貧乏だったので、、沈静化したら一心同体、日本国民と同じ意識を持つようになりました。
北風と太陽ではないですが、日本人が貧乏で、平等、多少偉そうでも沖縄も台湾も素直になりました。
貧乏も多少は功があります。
はじめての植民地経営は投資少な目、利益少な目ですが軍事的な拠点としてはまあまあ有効。
上手く行きました。
あと標準語がきちんとしたのも日清戦争のおかげ。
男児の遊びが戦争一色となり、少年雑誌に戦争情報があふれ、その言葉が標準語。
日本国民が一丸になる助けになります。
あと新聞も大いに発展します。
まるで平和の旗手のように、今では図々しく「言論の自由」と叫んでいますが、その言論の自由を活用して戦争を大いに盛り上げ、自分の利益も上げました。
戦争報道がしっかりしていた大阪朝日新聞、中央新聞は発行部数を大いに伸ばし、戦争報道の弱かった郵便報知新聞、毎日新聞、やまと新聞は部数を減らしました。
自由民権運動も廃れ、うちに籠ることになります。
(そしてその影響で左翼勢力が影で大いに延ばすことになる)
アジア諸国への対外蔑視もこのころから。
これも多いに政治家をはじめとしたインテリゲンチャを悩ましましたね。
こどもが清国人に石を投げるとか、南太平洋の島を馬鹿な黒んぼに描くようになるとか。
漫画「のらくろ」はその集大成かもしれません。
朝鮮人、満州人、仲間になるとサルや豚から犬になるんですけどね。
朝鮮から始まった嘘っこ儒教は結構日本に影響出てます。
微妙な序列での権力(しかも法律には書かれていない)は江戸時代から続く東アジア全般の悪弊。
そんな世界が日本でした。
一方の清は?
カタストロフを越えてしまい、堕ちて堕ちて、悲劇に見舞われます。
「日本が遼東半島を手放す代わりに賠償金上乗せしろよ!」
しゃあしゃあと日本に囁くロシア、ドイツ、フランス。
一方で清に二枚舌で囁く列強達。
「今回は負けてしまいましたね。大丈夫!僕たちが助けますよ!」
暴力団が囁く典型的な手管ですね。
「だいじょーぶ。今回はサービスで30%増量キャンペーン中!男ならどかっと借りちゃいなさいよ!自転車操業で枯死するよりマシ!人生は賭けです、どーんと借りちゃいましょう!」
そして借金のカタにパイのように切り分けられる「清」
1897年、ドイツは宣教師殺害を理由に膠州湾を占領租借
1899年、フランスは広州湾一帯を租借
1899年、イギリスは九龍半島・威海衛を租借
1898年、ロシアは旅順・大連の租借
万里の長城以北と満州を勢力圏と認めさせる
1898年、イギリスはビルマへの鉄道敷設権益、長江流域の権益を確立
香港対岸の新界を租借
ついでに清の弱さがばれてしまい、洋務運動で技術だけ取り入れても何ともならん。
変法自強運動が始まります。
端的に言うと、「日本の維新を清でもやろう!!」
上手く行きませんでした。
「百日維新」とか呼ばれます。
むしろ逆にキリスト教会・教徒の排撃を掲げる義和団が活発になりました。
「扶清滅洋」をスローガンに掲げて外国人を攻撃しましたが、こちらも当然上手く行くわけがなく、、それでも西太后さん切羽詰ったのか1900年に列強に宣戦布告、逆に八カ国連合軍に北京を占領され、屈辱の北京議定書を結ばされました。
ま、いろいろありますが要約するとこんな感じ。
・賠償しろよ!(年の歳入の8倍以上!)
・外国人の殺害とかしたら政治参加禁止な!
・軍備増強ひかえとけ!要所の大砲とか撤去!
・要所は軍隊おかせろよ!
・「外国人でてけ」とかいう団体は死刑!
内政干渉どころじゃないですね。
日清戦争をきっかけに、列強はここまで清を苦しめ始めます。
各国は欲望剥き出しに、当然その歪みは民衆への圧政へ。
1908年光緒帝が崩御した翌日、西太后も72歳で崩御しました。
西太后はラストエンペラーでおなじみの溥儀を擁立しましたが、その3年後、辛亥革命によってあぼーん。
日清戦争が引金かどうかはともかく、結果的に清はまさに列強に良いように嬲られて滅んでしまいます。
そしてそもそもの原因な朝鮮は?
こんな感じ。
1895年4月17日、下関条約で晴れて清から独立します。
朝鮮の人が望んでいたかどうかはともかく。
それを記念して1896年に独立門が建てられます。
なんか日本から独立とか勘違いされること多いですが清からの独立ですね。
日本が作らせたとか何とかの誤解、、誤解なの?、、とかありますがここらへんの朝鮮半島二国の教科書は滅茶苦茶です。
建築家はアファナシー・イバノビッチ・セレディンさん、ロシア人です。
ま、何にせよ独立万歳!
勝った日本をバックにして大院君中心に近代化を進めよう!
と言ってる傍からロシアをバックにつけた閔妃がクーデターを起こしました。
下関条約が結ばれてたったの3か月。
で、その3か月後にカウンタークーデター。
日本をバックにつけた金玉均さんが閔妃を殺害します。
大混乱っすね。
ここらへんは、閔妃を超良い人としたい人達、超悪い人としたい人達、閔妃をコミックブックの薄幸のプリンセスとしたい人達、いろいろな思惑でたくさん本が出ています。
さすがに40歳過ぎているんで「お姫様」は無理ありますが。
日本の何をバックにしたのかも不明で謎。
日本公使)三浦梧楼を罪に問うていますのでその点は公使による暴走と見ることが出来ますし、その後の証拠不十分は法治国家にあるまじき「愛国無罪じゃね?」という意見もありますね。
ただ無罪だったのは閔妃殺害のみで、それ以外の罪で収監されてます。
尤も、当時の日本はもうキワキワ、ロシアもまだその時期ではないと対立は望んでいませんでした。
そんな二国の思惑も関係なく、朝鮮の蝙蝠でどんどん悪化していきます。
妻を殺害された高宗はロシア領事館に逃げ、親ロシアの派閥はひつこく残り続け。
そんな爆弾が燻りつづけつつ1897年、朝鮮は「大韓帝国」と名が変わりました。
じゃあそのロシアは?
ロシアの方もやる気あったかどうかは微妙。
そもそも巨文島でイギリスに釘差されていますし、「山縣・ロバノフ協定」「西・ローゼン協定」で、
「ぶっちゃけ満州の権益認めてくれるなら、日本の邪魔はしないよ?」という態度でしたから。
シベリア鉄道、ウラジオストックがまともに稼働するまではあんま積極的ではなかったという説に同意しますね。
だいたい、ウラジオストック港の船舶整備は日本に依存してます。
とにかくイギリス怖い!
東方は遠い!
日本とは仲良くしておこう!
で一応は平和路線です。
しかし、その思惑とは別に、日本との対立が深まっていくのは後年の歴史の通り。
イギリスは?
そもそも二枚舌+列強の中の孤立感で日本との外交も進めていましたが、それが決定的になるのはこの時期ですね。
清に対しては、同盟として徹頭徹尾それを遵守し清の味方でありつづけました。
イギリスが二枚舌というのはなんか違うと感じてしまいますね。
インドでもそうでしたが、契約はきちんと遵守し日清戦争でも清側でありつづけました。
しかし、一方でリスク管理をしっかりしてます。
このころになると外交文書、内政文書も残っているのですが、義和団、清政府の無能さで意識としては見捨てつつありますね。
インドの「ダージリン」という地域は、1840年代から栽培を始めていますが、鉄道、船舶、巨大な投資が成されて紅茶で有名になるのは後半、どころか下手すりゃ20世紀です。
日本へも着々と浸透し始めています。
実施の話はやはり20世紀ですが「日本は信頼できる国である」という内政文書は出回っており、かなり前から目をつけられてはいました。
当時の内部文書、公使代理といいつつ日本の分析をおこなって報告をしていたトレンチは、日本を絶賛する文書ばかりです。
超長い報告文書ですが、中身は「大隈重信、伊藤博文Love!陸奥宗光死ね!」の二つしかありませんが。
大隈重信も、伊藤博文も、まさか自分がそんな功を日本にもたらしていたとは思わないでしょう。
後年イギリスから同盟を申し込まれたときに面喰ったそうです。
まさかこんな絶賛されているとは!
「詐欺じゃあるまいか」と疑い、むしろロシアに相談しに行く感じになったのは笑い話です。
次からはその日英同盟を語りましょうか。
滞っているのは忙しいからというのもありますが、そろそろここのルール「WW2以降の人物は書くな!」に抵触しつつありますのでどう辞めるかも悩み始めました。
そもそも日露戦争で「観戦武官マッカーサー」とか出始めますしね。




