マニアでもないのに銃の説明はつらい。
第二次産業革命の最後は、武力、軍事力行っちゃいましょうか?
正直、産業革命に関係なさそうなんですけど。
冶金の発達で取扱い便利、化学の発達で火薬の無煙化/威力増大、新しい武器、運用の変更、戦術の変更/新戦術!
とは言ったものの、、、、
あー、すいません。
あんま知らないっすね。
というか、軍隊に居た割にあんまりそういうの縁ないもんで。
銃なんて自分の猟銃しか知りません。
田舎では必需品ですよ?
軍では必需品じゃないですが。
猪怖い、近所の小学生と事故起こされたらたまらんですもん。
鹿むかつく。
せっかく育てた木を食うなよ。
それだけ。
一応、将校だったんでハンドガン貸与された気がするんですが、P220?とか結構よわっちい銃しかもらえず(日本人的には結構掌が大きい方なのですが、それでも合う銃は少ない)、飾り程度に持っていて使いもせずに返しました。
訓練に参加したこともあるのですが、「重いな」以外思い出ないし。
まあそんなものです。
警察官になった同窓も同じようなこと言ってました。
上手い人、好きな人こそ事故起こすし、ロクなもんじゃないんでマニアは嘘か誠か面接のときはなるべく落とすことにしているそうです。
訓練以外は一度も使わない方が無難に退職できるようです。
鉄道会社に就職した人も似たようなこと言ってましたね。
XX駅の構造は裏の裏まで知ってましたが、新幹線の種類は2-3種類しか言えませんでした。
というか、父の大学、旧帝大!の首席で卒業した人も鉄道会社に務めましたが、最後はレストランの店長で電車の運転はさせてもらえなかったようです。
まあその人は如何にもレストランの店長で、とてもインテリジェンスな雰囲気はなかったので、きっとそれも原因でしょうが。
ま、詳しくなくても歴史にどう関係したかくらいはご説明できます。
というか、ナポレオンからWW1まで、あんま変わってないです。
無茶言い過ぎ?
まあ、専門家とか詳しい人は、コルトだ、ライフルだ、ボルトアクションだいろいろあるし、新兵器の100や200挙げられそうっすね。
でも私が理解してるのはこんな感じ。
・南北戦争まで実質火縄銃。
幕末も微妙なライフルっぽい銃
時の流れ、ナポレオンは1800年ごろ?~幕末は1866年ごろ?
・火縄銃は、語源こそフランス語の鷹、あるいはイタリア語のクロスボウ(あるいは蠅)という意味で使われたのが1500年代あたりですが、そもそも中国で1200年代から使われているのでとっても長い歴史。
・とっても長い割に、言葉だけで言えば火縄銃という言葉が続いているのは、1200年代のものと19世紀近くにあるものと、方式は同じでも中身、技術の土壌が全然違うから。
・技術以外に、銃の発達はとってもちぐはぐで、全てを押し込めるのは「あちらが立てばこちらが立たず」的な技術も多かったからという考え方もあったりする
・そもそもいろいろな技術はあっても、そもそも戦術の土台が、「弓矢や槍、馬と違って誰でも使える銃をたくさん用意して、数十年かかって訓練するベテランより数か月の訓練の徴用兵をたくさん準備して横に並べて撃ち殺せ!戦いは数だよアニキ!」
ま、「戦いは数だよアニキ!」と言っていた人はいちはやく死んじゃいますが。
おかげでライフル銃だのドライゼ銃だのコストかけて揃えてもコストメリットが少ないので開発はしてもなかなか広まらない
・ナポレオン以降、弱い者いじめ以外の戦争は少ない。というか、南北戦争、明治維新は比較で言うとこの時代では大戦争です。
こんな感じ?
銃と言っても水鉄砲とあんま構造は変わりません。
後ろから力をこめて水圧を上げ、前から水を飛ばす。
銃は水鉄砲の水圧の代わりに火薬の爆発力を使い、水の代わりに球を飛ばすだけです。
だから基本的な構造は、
・前に穴が開いた筒を用意し
・前から火薬をこめ、
・更にその前に弾をこめる
・火薬に火がつけば、その爆発での膨張圧力で弾が飛ぶ
という感じなので、銃の発達はまず火薬の発達と言えます。
初期は黒色火薬、木炭と硫黄と硝石を混ぜれば爆発します。
6-7世紀の中国の発明と呼ばれてますね。
使い道は、まずはグレネード、手投げ弾的な爆弾の「爆薬」の役割としてつかわれていました。
が、黒色火薬は配分によって燃焼速度の調整が可能です。
ロケットで空に飛ぼうとした中国人、花火で綺麗な花を空に咲かせたかった中国人。
燃焼スピードが速い爆薬では難しいことを、配分を調整して「火薬」として燃焼を遅くすること、これで役割を多岐にわたらせることができるようになります。
その一つがハンドガン、いわゆる火縄銃と後年言われるようなものが1200年代頃に中国で出来上がります。
火薬の用途をそれに広げたことは画期的だったのでしょうね。
いままで伝わらなかった「黒色火薬」は、たちまち世界に広がります。
むしろイスラム世界の方がたくさん使われるようになったので、
「実は使い物になる銃はイスラムが最初じゃね?」
という人もいますが、まあイスラム世界でも硝石は「中国の雪」、ロケットは「中国の矢」と言われているので中国から渡ってきているのは間違いないでしょう。
そして中国の4大発明の「黒色火薬」は、むしろ12世紀ごろに黒色火薬という爆薬を「火薬」にしたほうが偉大かもですね。
#爆薬のままだと、ロケットが前に進む、弾が飛ぶ前に、ロケット本体、銃身まるごと破裂して爆発してしまいます。
ヨーロッパでは15世紀のフス戦争にはあったことは間違いないのですが、ルネッサンスで中東と密ではあったし、モノ自体は単純なものなので(筒と火薬と弾にすぎませんし)、それ以前にもあったかもしれません。
ちなみに日本は1543年種子島とかありますが、それ以降に生産された銃がヨーロッパ製とずいぶん異なることから、
・構造上の違いから東南アジアから既に伝来していたろう、
・各戦国武将が保存していた文献で築城/戦術/猟の仕方からかなり古くに中国から伝わっており、それなり使いこなしていたろう
とか諸説もろもろ。
私も北条政権にモンゴル人が来襲して中世では未曾有の大戦争になった時、日本側も何も得なかったはずはないという事情、火縄銃生産に積極的で武器商人だった南宋と親しかったので(むしろモンゴルに攻められても最後まで捨てなかったくらいの仲)、とっくに知っていたという説を支持します。
というか、そもそも銃なんてそんな大きな構造改革はないのですが、当時からばねだの多用して着火の工夫をしていた日本の方が工学的にも優れてますね。
しかしその後の銃の発達はとっても多岐にわたります。
形状的に一番わかりやすいのは点火方式でしょうか。
どれも一長一短で、確実に火がつく火縄はなかなか捨てられませんでしたが、確かに面倒なので改善はとっても優先だったようです。
アイデア無数にありますね。
火を押し付ける方式もタッチロックだのサーペタインだの。
火打ち石で火縄を作るより、火打ち石で火薬を点火させた方が楽じゃね?とかいうのはホイールロックだのフリントロックだのガンロックだのスナップハンスロックだの。
どれも構造は複雑になるし、着火は不安定だし、着火してから火薬全部に点火するまで時間かかるし、使われはしたものの決定打にはならなかったようです。
でも松本零士の影響なのか(主人公の「戦士の銃」はコルト・ドラグーン、珍しいフリントロックに近いパーカッション)、銃はロマンだからなのか、とっても詳しい人が多いので教えてもらってください。
火縄が消えるのはパーカッションロック、点火しやすい雷管を火薬の中に埋め込む方式が出来てからで、しかもそれは弾の発達「メタルカートリッジ」で雷管の取り扱いが楽になるというおまけが出来るまで、それまでひつこく火縄銃が使われてました。
具体的に言うと、1658年のリムファイア式S&W回転式拳銃の弾丸が今の弾丸の直接のご先祖だと思います。
その中には弾の形状、着火方式の一部である雷管、火薬のつめ方、全てがこちらが決定打で、以降は大きく変わってません。
火薬そのものは、きっと黒色火薬でもいろいろと工夫はあったでしょうが、決定的な違いは無煙火薬ですね。
ノーベル賞なノーベルさんのダイナマイトを工夫して1889年にフレデリック・エイベルさんとジェイムズ・デュワーさんが開発しました。
爆発力一気にアップ!、生産性Good!煙やゴミがあんまでない!
その後も粛々と発達していたようですが、無煙火薬を辞書で引くと、ノーベルさんが作ったバリスタイト(コルダイトとそっくり)以外は2007年のヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンとかお経みたいな名前の火薬しか出てないんで、コルダイトが決定打なのでしょう。
弾は、最初の弾丸と言うだけあって鉄の玉、パチンコ玉を思い浮かべればよいです。
それを火薬と一緒に袋にして落とし込む、ドライゼ銃とかは紙の薬莢ですが、メタル薬莢の弾丸と構造がそっくりです。
エンフィールド銃やミニエー銃は、ライフル溝で弾を回転させたら長射程という理屈を有効活用するために弾の形状を細長くしてますね。
それが産業革命を経て金属がとっても安くなり、薬莢と弾丸、雷管をいっしょくたにし、規格化して複数の工場で生産できるようにし、それが前述のリムファイア式S&W。
いろいろとご意見あるでしょうが、簡単に言うとそこに収束しちゃいます。
現代人が考える「弾丸」とほぼ一緒です。
この後、弾種を変えたり、尖らせたりへこませたり、材質を替えたり、裂け目をつくって被害を大きくさせたり、火薬を替えたり、大きくしたり、火薬を増やしたり、いろいろ試みているようですが全部この弾にあわせてつくった規格に収めはじめました。
まあ異論は認めます。
ウインチェスターでしょう、コルトでしょう、モーゼルでしょう、エンフィールドでしょう。
どれもそう言われればそうと思ってしまうかも。
何にせよ、この後は規格化された弾、薬莢、火薬、雷管、撃針、いままでちぐはぐだった銃の技術はこの規格に収束されて作られ、開発されることになります。
いままでの銃も、少しづつ火縄から雷管方式に置き換わっていたのですが、これ以降は積極的に火縄銃を使うことはなくなります。
その使われた歴史の長さを考えると、結構大きなイベントではありますね。
後装式、前装式、ライフルとかも同じようなものですがなんとも説明しにくい。
ライフルは誤解があるようですが、要するに「銃身に溝を彫って弾を回転させればよく飛ばね?」という理屈の総称で、銃身に溝を彫るということについては最後の「ライフル銃」、後代の小銃の総称となる名が有名すぎて誤解が多いです。
たとえば円弾でも回転させればライフル効果は生まれますし、それがライフル銃かどうか言うかはなんとも判断つきにくい。
スプリンフィールド銃、エンフィールド銃やミニエー銃、これもライフル銃ですが前装式です。
銃身にライフル溝が彫っとり、弾丸もライフル溝に沿いやすいように溝があって、でも前装式。
ライフル溝で弾が回転するほど狭い、でも前から弾が装填できるほどがばがばな銃身なわけですね。
ライフル溝のおかげで長射程なのか、銃身ががばがななおかげで火薬のエネルギーを逃し、短射程なのか。。。
まあ後半のミニエー銃だと滑空式の火縄銃の3-6倍とは言われてますね。
南北戦争は、相手が火縄銃の射程前提で隊列を組んでいる時に、その油断をついて長大なミニエー銃で狙撃する、相手の裏を突く狙撃兵を多用しました。
後装式のドライゼ銃も微妙な立場ですね。
弾をこめる銃身の両側に穴をあけ、その蓋を「ばね」で抑えて密封すれば、後ろから弾込められて便利じゃね?
いわゆるボルトアクションという奴ですね。
これも試行錯誤の産物。
後ろから弾が込めることが可能。
これは前から火薬と弾をこめ、押し込めるより取り扱いが圧倒的に便利になると共に、ライフル溝をとっても効果的に使えます。
だって前から詰めるライフル銃なんて悪夢ですし。
何発も撃って溝にゴミでも貼りついたら泣きたくないますよ?
毎回クリーニングもめいどいし。
後ろから撃てるなら、そんな悩みも即解決!
長射程になります!
でも後ろに穴が開いている=隙間があるですからね。
ここの密閉性の問題で火薬の圧力が有効活用できない=射程が落ちる。
なんとも「あちらを立てればこちらが立たず」的な技術ばかりだったわけです。
が、銃身が丈夫になり、部品の精度が高まり、密閉できるほど柔らかく、でも火薬の圧力にも熱にも耐えられ、乱暴な取り扱いをしても丈夫なパッキンが出来上がり、構造も回転式やらカートリッジやら、銃身並べた連発やら、後装式の欠点はほぼなくなり、ボルトアクション、シリンダー方式が定着します。
ここらへんの兼ね合いが、スナイドル銃を経て、ボルトアクション式のモーゼルM71とかリー・エンフィールド、モシン・ナガン、今の猟銃にそっくりですね、それに行きつくことになります。
もちろん弾はS&Wで定着したフルメタル薬莢。
ここらへんになるとS&Wが最初かどうかなんて関係ないですね。
随分と試行錯誤の時間が経って特許問題とかもクリアされつつあります。
弾どころか銃身や撃針まで規格化され始めます。
こんな感じが銃の発達。
まあ、でも銃が発達したからと言ってあんま戦術は変わってません。
といっていいのかな?
第一次世界大戦初期の戦術。
塹壕を掘り、そこに立って並んで銃を構え、撃ち続ける。
ナポレオンの時代から変わったのは塹壕くらいですかね。
突撃はさすがに横に並んでしずしずととはいかず、ナポレオン時代の、隊列を組む前に強引に押し込めちまえの延長ですが。
南北戦争ではミニエー銃といった狙撃というか、長射程で異方向からも来ることにもなり、隊列も組まないで一斉だがばらばらに突撃が一般的になり、まあ戦術なんてあったもんじゃない状態になってしまいます。
塹壕なんて古代ローマから使われていましたが、黒色火薬から無煙火薬に変わったのは大きいですね。
臭い煙がまう黒色火薬で、塹壕という穴にこもって銃が撃てるかどうか、それでも南北戦争でもぽつぽつつかわれてましたが、狙撃銃、機関砲で、穴に立てこもって弾を避ける必要が切実になってきました。
充分な穴掘ってれば立てるので、地面に這うより増しですしね。
現代戦でもつかう方式が段々と増えていきます。
じゃあ狙撃銃も。
後装式ボルトアクションが定着すれば、積極的に狙撃もしたくなります。
いままでの火縄銃、滑空銃ではあまりに命中しないのでそんなこと考えもしなかったのですが、、、、でもないですね。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、比較的精度の高い銃を選定して小さな望遠鏡を装備させたのが、文献で延べられる世界はじめての狙撃銃らしいですから。
使い物になったどうかはともかく。
当初は撃ってみて精度の高いものを腕利きにまかせて、隊列とは別な場所、後方や安全な側面から撃たせていただけのようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチを持ち出すまでもなく、火縄銃とも呼ばれないような原始的な中からこれを考えていた人は多かったようですが、アメリカ独立戦争のミニットマン、、射程の短い銃でも隊列組めるほど訓練していないので全員が狙撃兵と言えないこともない、、から戦術に組み入れはじめ、南北戦争で塹壕、大砲を避ける掩体壕と共に、その防御力を何とかするための遠距離射撃を試しはじめ、WW1から教科書に載るというところでしょうか。
基本的な戦術は変わってなくても、脅威がどんどん増えていく感じ。
機関砲については、イギリスは18世紀初頭、Puckleさんが考えましたが、マスケットよりはるかに連発は出来るものの、数揃えればいいじゃん程度なのであんまウケませんでした。
銃を束ねて連射させるガトリング砲も古くから考えられていましたが、本格的な採用は南北戦争、1865年 真鍮製薬莢の実包を自重で落として給弾する箱型弾倉式が出来てから私らの考える機関砲、というより多銃身砲ですね。
それまでは結局手で込めてたし。
200発/分の連射速度は驚異的で、メーカーの営業マンが自ら戦場に立ち、実際に敵兵を撃って見せるという会社員の鏡か、極悪非道と考えるべきなのか。
尤も、当時はあまり役に立たないと思われたみたいでそんなに発展はしませんでした。
塹壕に入れて撃つとか難しそうとか思われたし。
日露戦争で日本兵が死屍累々になるまではですが。
大砲。
戦列艦、海軍のおかげでとっても数が作られ、産業革命の結果というよりはむしろ産業革命の原動力の一つと言われる立場でしたが、意外に銃ほど発展してません。
大きいし、けっこういい加減でも機能しますしね。
戦国時代、銃は堺で鋼鉄製でトンテンカンつくっていても、大砲は簡単に青銅を型に流し込んで終わりとか。
ベトナムでは木製だったり。
一時期は銃より大砲の方が射程が短いとか、そんな世界だったりします。
フランキとか後装砲も作られましたが、ガスが漏れるは大して装填速度も上がらないわで、生産性、頑丈さ、葡萄弾だの散弾だの弾の工夫は成されていましたが、根本的な発展はあんま変わりません。
火薬をたくさん積めてもそもそも大砲自体がふっとばされて狙いがつかないとか、射程長くしても意味がないとかいう理由もありました。
きっかけは三つ。
1840年ごろから実用化した駐退機で、火薬の爆発を、砲身の後退とばねや水圧による吸収でなんとかできる技術にめどがついたこと、
ライフル銃のライフル効果を大砲にも適用しよう、
黒色火薬から無煙火薬に変わって火薬量を増やして飛び回るゴミやらほこりやらの支障がなくなったこと
ここらへんから大きく発展します。
日本人には、1855年に開発されたイギリス製後装式ライフル砲、アームストロング砲が有名でしょうか。
上の事以外でも、複数の筒を重ね合わせて丈夫さとメンテさを両立させた層成砲身とか、尾栓を密着させ、かつ火薬に着火させるための銅製リングで密着させるプラグとか、最新技術を詰めいままでの大砲の未発達な技術を一気に押し上げます。
ついでに生産設備も、最新のパドル炉、圧延機、加熱炉、蒸気ハンマー、最新設備での鉄の生成加工。
維新の時はそれを真似できた佐賀藩とかなんなんでしょうね?
尤も、薩英戦争で暴発、英軍の正式採用は見送られ南北戦争にだぶついたやつをセール、南北戦争が終わると、中古販売も含めて維新の頃の日本にばったもんセール、なかなかに日本が関係した不幸な人生っぽい。
そして後年「ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲」が作られ、「完成度高けーなオイ」と言われるかどうかは知りません。
それ以外も、射程1kmを正確に狙える3インチオードナンス砲、尾栓にスクリュー(ハンドル)を実装したホイットワース12ポンド後装式ライフル砲(射程10km)とか、大きな砲にふさわしい、数十キロ単位の射程のライフル砲が登場します。
まだまだ目視の直接射撃、歩兵の援護以外の用途はないですが、我々のイメージする大砲はもう少しというところ。
丁度出てきたし、海軍の方も。
帆船がようやくなくなり、蒸気船、動力船に切り替わる頃。
まだギリ艦砲とは陸上の火砲と共用で、時代のあだ花のように衝角をつけた外輪蒸気船とか、タグボートのような突撃艦みたいなものもありましたが(あるいは鎮遠だか役立たずの衝角つけた大型艦とか)、大型艦に横に大砲並べたものが戦艦と言われていますね。
ただ南北戦争の頃、ただの船に大砲をくっつけるのではなく、鉄を装甲にして覆った装甲艦、甲鉄艦ともいわれる艦種が出てきます。
1859年)フランス海軍装甲艦「ラ・グロワール」
排水量5,635トン、163mm後装砲36門、舷側装甲120mm
1861年)アメリカ南軍装甲艦「マナサス」
排水量)387トン 64ポンドダールグレン砲 x 1
1875年3月)イギリス海軍「ドレッドノート」
10,866トン 31.8cm前装填式連装砲2基
大きさもバラバラ、使い方もばらばら、砲数も口径もいまいち定まらないものですね。
動力も帆走、帆走&機走のハイブリッド、蒸気機関のみ(沿岸しか活躍できない)とか、使い方も定まっていません。
というか、試行錯誤の補助艦で期待もされていない感じです。
しかしこれが後に巨大になり、その艦専用の大型砲が積まれ、遠方から巨大な弾丸を間接射撃による一斉射をすることになり、それが戦艦と呼ばれて海の女王となるのはもう時期です。
まあこんな感じで現代戦とはほど遠い、近世のナポレオンの軍隊と同じと言い切れるか言い切れないか微妙な軍隊、といってもその裏付けとなる兵器は用途は同じでも技術は産業革命のおかげで別物、試行錯誤で妙なものがたくさんある、でも戦い方は相変わらずナポレオンっぽい。
そんな戦争が南北戦争や維新のころの19世紀。
なんか列強だの世界を征服しただの言われる時代でも実は中身はあんま進展せず、でも産業革命で生活は別物になりかわり、サラリーマン、核家族、重工業、化学、電気、この成果があふれんばかりにある状態。
かといって弱い者いじめ以外戦争があんまない微妙な時期。
そんな状態なので当然ながらこの後は徹底的に変わります。
それを最初に味わったのが皮肉なことに日本。
残念ながら弱小、貧乏、よわよわな状態ですが、だからこそ最初にパンドラの蓋をあける役どころになります。




