20世紀に入る前に
さて、無事日本は明治維新を終えました。
西洋の産業革命をやり方をすべて真似、そのために全ての制度を書き換え、支配者の概念を書き換え、民衆の民度を上げる儀式なしで強引に切り替えました。
もちろん犠牲はとっても大きかった。
西南戦争その他の戦いでの戦死者や犠牲者その他はもちろんですがそれだけでなく、支配者自らがその権利を捨て去り、未だそれを欲していない天皇陛下や民衆に権力を委譲したのです。
そのために失ったモノはとっても大きく、にも関わらずその民主主義が機能する時間はとっても遅く、どころか未だに日本政府を税金を徴収してサービスを提供するサービス機関という自覚は少なく「お上」「お役所」という感覚が抜けません。
政治家も、政治をする前に冠婚葬祭のお金をどう捻出しようか?、地元企業、地方の名士とどう組もうかの方が重要ですしね。
民主主義に限らず、大抵の時間の大抵の地域の政府の出来具合は民衆による...アッシリアの王は「暴虐の王」ではなく「暴虐の民の王」なのだという道理...と考えれば、今の政治の体たらくは我々に合っているものなのかもしれません。
段々と改善していると信じたいものですが。
そしてそういう犠牲のインパクトは直後にとっても直接的に現れました。
「ド貧乏」
まあ幕府軍を攻めている時も戦費の調達に苦労してましたからね。
借金だらけ。
なんで借金したかはいろいろなご意見があります。
やはり物語的なストーリーが好きな人は「海外の列強からの搾取」とか言われてますね。
勧善懲悪で、悪のストーリーな列強諸国物語は楽しい読み物と読み物としては受け入れやすいですからね。
でも実際は何とも。
例えばアメリカ政府は日本から徹底的に儲けています。
南北戦争前は、日本とヨーロッパ諸国との金銀兌換比率が違うことを利用した大儲け、更に南北戦争でだぶついた中古の古い銃器を売りつけた..これを「騙した」「搾取した」は無体に思いますが..まあムカつくことは確かですね。
このおかげで南北戦争の戦費を調達し、アメリカから始まる工業化と第二次産業革命の原動力の一つとなったのは確かです。
死の商人として、イギリス、ドイツ、フランス、新政府軍、幕府軍、その他藩に食い込んで儲けてます。
1865年4月にグラバー商会への発注、
70ポンド先込砲15門
12ポンド後装砲10門
8ポンド後装砲5門
6ポンド後装砲5門
砲弾700トン
総額18万3847ドル
儲けたのは悔しいかもしれませんが、最新の(実は期待外れだったので大量採用は見送った)アームストロング砲の価格としては、搾取したと言うほどではない気がします。
結局、幕府側が倒れていくらか踏み倒しされたこと考えると良心的にさえ見えます。
在庫一掃セール、中古ですが。
それでも確かに借金は大変です。
海外向けは、幕府の分も含めてある程度は借金背負ったようですし、
大阪商人からの借財は..踏み倒しやがったので大不人気です。
出来たばかりの「三菱」が国債引き受けてくれましたので随分助かったようです。
これも「安価で購入して大儲けした、財閥むかつく」的な話になりましたが、これも報道機関やら暴露本やらが金持ちむかつく悪意満々で書いている気がしてなりません。
出来立てほやほや、信用度0の政府の債権を適価で引き受けるだけでも良心的と思いますがね。
まあこれも印象。
何にせよ、こういう借金で大変だったようです。
でも、いくらなんでも世界有数の富を持っていたはずの江戸時代の日本が
「なんでここまで?」
というほどのド貧乏はすごいですね。
こんな借金程度でひどくなるとも思えませんが。
なんか陳腐な物語好きは「列強からちょー搾取されたから」とか何とかで済ませてますが。
ぶっちゃけ「ルールが変わった」という答えが正しい気がします。
経済は「信用」という心理学の言葉でモノの価値を左右させますが、まさに日本人が「お金持ち」と思っていて、かつ海外からも「価値がある」、「信用がある」と呼ばれる根拠が全部崩壊してしまったのです。
端的に言うと、江戸時代に一番信用のある単位は「石」「石高」。極論すぎますが、一番信用ある通貨、徴税は全て「米」で国内経済を流通させていたりします。
もちろん国内の売買は金貨、銀貨で流通させてますよ?
でも一番大きい徴税、年貢の取り立てという最大の経済行為はこれに頼っていたのです。
だからこそ欧米に先駆けての「先物取引」が日本で存在していたりします。
お金だってスペイン太陽帝国の頃のように価値が上下しますが、お米よりましです。
そしてそのリスクを「先物取引」で分散させていたがもともとのハシり。
全部なくなりました。
農民はいったん「石」という重さの単位ではなく、「円」という通貨の単位に兌換し、「税金」を国に支払うことになります。
そしてビジネスのルールも大いに変わります。
国内だけで賄っていた経済行為を、海外向けに切り替えねばなりません。
もちろん「米」などイギリス人は購入しません。
イギリス人が好む「小麦」だって、兌換したら幾らもなりません。
イギリス人を中心に流通している様々な経済行為のほんの一部でしかありません。
日本最大の経済行為は、海外に開かれた途端に二束三文に堕したのです。
更にそれについていくための先行投資は膨大なものになります。
もう一部を除いて「和紙」だの「箱根細工」だの職人がつくった「箪笥」だのは伝統、芸術品としての価値しかなくなりました。
ヴェネツィアだの、ヨーロッパでも産業革命時に味わったことなんですけどね。
日本はなんだかんだで生産機械や蒸気機関でではないもののある程度は大量生産していたのでショックは少なかったはずですが、それにしても桁が変わる位の価値は減ったはずです。
1/10のコストで作れたら、それは10倍の利益をもたらすようなもの。
逆を考えれば、日本国内だけなら比較するものがなかったのに、海外に出たとたんにそうなれなかったモノの利益は1/10になったものも多いでしょう。
ただ、そもそも「石」「石高」という単位が限界に近い状況だったのも確かで、いずれ破綻していたのでは?というのも確かなので、ちょうど良い近代化、ルールの替え時のタイミングだったかもしれません。
「長州の国力は37万石、実際はサイドビジネスをやっていたので100万石以上の国力」
こんなんまかり通ること自体、長州どうこう、幕府どうこうの前に「石高」という単位が破綻していたでしょうから。
更に海外に進出することで、民衆も生活様式、モノの価値は大いに変わります。
「牛肉食べてよい」は大したことないように見えますが、多分牛肉を食べる分は何かの食物を食べなくなってます。
そして今までと違う「牛肉」を生産するためには、個人レベルでは新規事業、投資案件というだけでしょうが、国としては総合的に先行投資分のお金を失っています。
そして牛肉が出来たとたんに減る分は大したことないでしょうが、たとえば大名行列、お伊勢参り、巨大な経済活動、民衆の嗜好が変わって大きく減じたものがたくさん。
というか、潤っていた宿場町が軒並み寂れて宿屋や飲食店が軒並み潰れました。
大通りには人っ子一人通らない寂れた街道が多数。
こんな悲喜こもごもな、何にせよ「オイラ金持ち」と思っていたのに、海外基準では「ド貧乏」と気づいてしまったのが、あれだけ誇った江戸時代の財産が霞のように消えていった理由です。
といっても
「日本だけがなぜ先進国なのですか?」
という問いに応えられる一つは
「タイミングがとっても良かった」
はあると思います。
維新が成る頃、ヨーロッパが圧倒的なのは確かですが、追いつけないものなのか?という程ではありません。
確かに蒸気機関を利用した異常な生産力は、モノのコストがとんでもなく下がったことは確か。
でもそれで成ったことは..何もなかったヨーロッパが世界有数の富を持つようになった。。ある意味「たかが」世界有数です。
引き離したわけではありません。
何もない地でそう出来たのは大したことですがそれはそれ、むしろ肩を並べる程度のものでもあったのです。
それ以外も同列。
金属製のスプーンやフォークで清潔になりました。
別に東洋で箸を使い、清潔な食事になったことと大して違いはありまません。
食糧生産力、日本は蒸気機関無しで100万都市をいくつも食べさせるほどの生産力です。
世界を縦横に駆ける船、別にその直前まで中国の大型のジャンク船、イスラムの無数のダウが、世界の裏側の物資を運んで食材を豊かにしていました。
医療だって、細菌学、外科、科学的なアプローチ等々、今後はとっても伸びそうな気配はしますが、直接的な医療は別に東洋でも遜色ないですね。
船は未だ帆船です。
もちろんアメリカの黒船がハッタリであることはばれています。
本当の本命のスクリュー船は、スクリューを底に隠したまま帆船と同様な運用をしています。
各港に給炭所を置くの面倒ですしね。
燃料切れも大変ですし。
優れていたのは確かですよ?
産業革命後のワイヤー、ピアノ線、丈夫な船体や帆桁、釘やネジ、それこそ港湾用のタグボート(蒸気船)が接舷を手伝ったりするので、船体がとっても細長い取り回しの面倒な高速船も活用できたとか、東洋や中東を大きく引き離しているのは確か。
最高速度は20ノット(時速約37km)に達する帆船「カティーサーク」、これをすごいと言うのか、俺でも作れると考えるのは見方次第、立場次第。
しょせん仕組みが分かっているただの帆船とも言えますし。
通信が出来る電気、清潔な食材入れである瓶/缶、蒸気機関車、様々なおもちゃやレジャー、すごくもあるし、羨ましくもあるし、優れているのも確かですが、経済的にも大いに引き離されたのは確かですが、技術、真似できるか?的な観点からは「大きく引き離された」とも言い難い程度なのが明治維新の時代。
しかし、この後の第二次産業革命直前、この後世界を塗り替えますが、その直前に参加出来たのはとっても良い時期でした。
しかもヨーロッパが試行錯誤して作り上げた世界、教育システム、書物を教科書としてとっても真似しやすい時期でもあるし。
その教科書を読むための識字率その他は日本は大いに有利となりましたが、何よりもその時期も都合がよかったと言えましょう。
そんな感じでいったん話を「世界史」に切り替えましょうか?
明治維新が成った頃、世界もとっても大きなマイルストーンが近づいていますからその整理に。
世界の主人公は完全にイギリスとなっています。
歴代最大の帝国。
「列強」と言いつつ実情はイギリス一強です。
尤も、歴代最強は結果論で彼らが望んだ結果ではありません。
彼らは産業革命後の巨大になった産業の商業行為、経済行為の延長での拡大というだけの話で、それこそ歴代2位のモンゴル、あるいはそれ意外の帝国たちの「征服事業」という行為からはほど遠い。
というか、正直彼らに植民地は荷が重いみたいで、とっても持て余してます。
彼らが巨額の富を得たきっかけであるインドは、友邦国であったときは大いに儲けましたが、属領となった途端に利益は急降下です。
一番の理想形は
イギリスはインドに売りつけ、
インドは中国に売りつけ、
中国が中東に売りつけ
コストなしで三つの巨大帝国を販売先にできること。
それが中国が言うこと聞いてくれるようになったとたんにインド経営が破綻してコストのかかる属領になり、中国もなんだか二流国家に堕し、中東もパッとしない二流国になりつつあります。
そして、
・新規の南アフリカ経営も上手く行きそうになく、
・カナダやオーストラリアは貧相な土地、
・元々貧相な土地と思っていたアメリカ合衆国は、なんか行けそう?な感じになった途端に独立して閉鎖主義になり、
すでに斜陽が見え隠れしてます。
しかも一強なので他国から疎まれ、フランスからは毛虫のように嫌われ、ドイツやアメリカ合衆国に利用されまくってます。
「名誉ある孤立」とか、いぢめられたボッチの言い訳を言っていた時期に、とっても大事な恋人「日本」を見つけました。
もう武士道というとっても格好の良い思想を持ち、弱くても雄々しく立ち向かう勇ましさ、自分の属領となっただらしない連中と違って啓蒙主義を持ち、尊敬できる首長が統治し、約束は守り、商業もキチンとしてくれる、
日本ラブ、最後は結婚します(日英同盟)。
もっとも実は日本は結構な性悪女で、利用しまくるだけしまくり、喚くはヒステリーだわ恩知らずだわ、美味しいところはかっさらい(WW1)、離婚してもわめくし(国際連合)、噛みつくし(第二次世界大戦)、まあ蜜月は短くそんなに幸せそうではありませんでした。
それでも現代も含めて、天皇家も含めて、未だにイギリス大好きな人多いですし、いまでもそれなり仲が良い。
ナンバー2はフランスですね。
ナポレオンで死屍累々になり、その後重農主義やらで引きこもりになり、ひたすら国力を上げました。
元々はイギリスより巨大な経済力があり、工業も発展していて、しかもドイツや東欧のように職人が幅を利かせる程こだわりのある工業でもないので産業革命もスムースで、ナポレオンその他の戦争で科学発展のモチベーションがあり(瓶詰、缶はナポレオンの軍隊から)、しかも教育に熱心。
とにかく工業力を邁進させ、民主主義で民度を上げ、教育に力を入れました。
イギリスに遅れを取った軽工業中心も良かったのかもしれません。
パリモードは伊達ではなく、衣料その他、あこがれなおしゃれな街という定着もなされます。
産業革命前の汚くて不潔な生活というイメージも一新されます。
フランス王朝という雅な文化が元々あったのも大きかったでしょう。
フランス王朝のお洒落な衣装、美味しい料理、こういうのは暇な貴族たちが発展させていったのですが、それが下野に降って街中でレストランやブティックを開き、パリの評判を良くします。
フランス革命のロクでもない役割だった貴族たちが役に立ってたとは!
何が功なのかはよくわからんものです。
で、性懲りもなくイギリスに対抗して植民地で争い始めると。
フランス人は100年戦争からこの方、「絶対にイギリス人に対抗しなければならない」というルールがあるようです。
まあイギリス人もそのようなので片思いでないのがましですが。
例によって歴代最大の「大英帝国」を羨んでナポレオン3世の頃に頑張ります。
アルジェリア、メキシコ、ベトナム、ラオス、チュニジア。
そしてアフリカ横断政策でアフリカ西岸から、東岸のジブチまでを接続とか。
モーリタニア、セネガル、ギニア、マリ、コートジボワール、ニジェール、チャド、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、マダガスカル、ジブチ、モロッコとか。
全部外れくじでした。
やらなきゃいいのにという典型。
というか、イギリスも実は「残念!成功してませんでした」
イギリスが成功したのは、属領になる直前の商売の時です。
しかもお互いの不幸です。
アフリカの、フランスに征服された国々は
「イギリスに征服されたかったなぁ」
「フランでなくポンドだったら幸せだったよなぁ。」
まあ考えてみれば、教育のない、福祉や生活保護を大量に必要とする人達を受け入れた移民のようなものですよね?
プランテーション、モノカルチャー、鉱業で儲けた個人のビジネスマンはお金持ちになったかもしれませんが、フランス政府的には負担ばかりかかる不幸が舞い込んだようなものですね。
それなり一生懸命に経営しようとしましたが、そんな先行投資に湯水のようなお金をかけられるわけでもなく、中途半端な投資はお互いの不幸を呼び、ベトナム人やアフリカ人は毛虫のようにフランス人を嫌っています。
しかも結果論として見捨てたし。
フランス本国の「フラン」がユーロに代わり、いまや元植民地だけが「フラン」を使っている現状は恨まれて当然と思われてます。
昔のナポレオンのせいで貧乏な頃のカナダ経営のように、商館だけ立てて毛皮の売り買いだけしてれば、ぜんぜん縁のない国で恨まれる必要もなかったのにね。
そして儲けてたし。
ちなみに「日本だけが植民地に対して優しかった」というのは嘘ですからね?
イギリスもフランスもそれなり頑張って投資してました。
オランダやロシア、アメリカ野郎のように腐った連中が目立っているので「欧米列強」「乱暴」「悪魔」的な立ち位置になっていますが、クック船長と同じで、冒険をして、数々の島から歓待を受け、最後のハワイ島で食われちゃったら「食人」と言っているようなものです。
そんな国がナンバー2のフランス。
ナンバー3は、大きくナンバー2に大きく引き離されてはいますがドイツ帝国でしょうか。
1871年1月18日に建国された新興国。
日本の建国が、1867年の大政奉還か、1889年の立憲君主制への移行かはわかりませんが、似たような時期に建国されました。
尤もそのドイツ帝国はプロイセン国王を首座に置いてバイエルン王国、ヴュルテンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国、ルザス=ロレーヌを吸収したようなものですね。
元々プロイセンがドイツ騎士団だのポーランド人だの農民だのの寄せ集め、
そのプロイセン王国が周辺の強国ぶりをみて周辺の小国たちが身を寄せ合って吸収されたようなものです。
ナポレオンという強者で生まれ、ロシア、フランス、イギリスといった列強に対抗するためにさらに寄り集まり、多分に後ろ向きな帝国。
ただ中身は詰まっていますよ?
そもそもドイツ帝国が帝国らしい振る舞いになったのは有名な宰相「ビスマルク」のおかげ。
もともと宗教革命がおこっただけにプロテスタントが強い地。しかもユダヤ教、ポーランド人、もろにカソリックのために戦ったドイツ騎士たちバイエルン、南西ドイツ4領邦をくっつけ、思想も身分も宗教も寄せ集めです。
それら接着剤をフランスやイギリスのように啓蒙主義や民度や教育を上げること選ばずに「民族主義」を選択します。
スペインの王位継承問題に、同じく関心を持っていたフランスとの関係を悪化させ、普仏戦争を起し、国民を一体化させて勝利を納めます。
宗教や身分の諍いなどあっさり吹っ飛ばしました。
昔っからドイツはドイツですね。
それが良いか悪いかは知りませんが(少なくとも現代で民族主義は頭の痛い問題ですし)、フス戦争から始め、虐殺、殺し合い、蹂躙、差別、、弱い者は殺され、犯され、な極悪な所業が蔓延していた地を一瞬でまとめ上げたのは確かです。
ついでにイギリスやロシアを外交で手玉に取り、本来は骨肉の争いをしてもおかしくないオーストリア=ハンガリー帝国と仲良くし、とってもしたたかに生き抜いてます。
経済も..たとえば有名なクルップ社とかでドイツの立ち位置が良くわかります。
元々はエッセンの鉄職人フリードリヒ・クルップがイギリスの産業革命で危うい位置におかれ、イギリスの製鉄の秘密を一生懸命研究しました。
失敗しました。
39歳で貧困のうちに窮死。
で、14歳だった長男のアルフレート・クルップがさらに籠り、成功します。
さすがドイツ職人らしくひつこい!
2世代にわたる苦労の末、イギリスと同じようにナイフやスプーンの製造を始めます。
で、更に工夫を絶やさない。
鋳型に模様をつけることで、柄に花などの模様のあるスプーンを作ったり.....大ヒットですね。
さらに工夫し、工夫し、工夫し、....その成れの果てが有名なクルップ社です。
後に戦車、大砲、造船、いろいろなもので活躍した会社の最初は、花柄のスプーンからです。
まあ日本と同じでタイミングも良かったんでしょうね。
いくら産業革命が画期的だったとしても、まだ職人が頑張って頑張って...大抵の職人は昔を懐かしみながら滅んでいったのでしょうが、、、太刀打ちできないほどではなかったのです。
こういう頑張って頑張って...な職人たちが工業国「ドイツ」を作りました。
植民地については、しょぼしょぼ。
フランス、イギリスの真似しようと頑張りましたが、まあ頑張っただけです。
アフリカにしょぼしょぼ、太平洋にしょぼしょぼ。
ほどなく戦争に負け、アフリカはイギリスに取られ、太平洋は日本に取られています。
まずはこんな感じが本当の列強。
次は、「列強」と言い難いけど「列強」と言われていた国々を語りましょうかね?




