薩英戦争は英軍の勝利?
どうでも良い話ですが、うちの嫁さんは医者で、尊敬できる能力の一つは「救急車のサイレンだけで、どの地域から救急車が来ているかわかる」こと。
車の同乗して、「あ、~から来てる」はほぼあってます。
尊敬します。
そして「生麦」からの救急車が来るとうんざりし、なんとか勤めている病院のベッドを彼らがこれないようにできないか、なんとかベッドを埋められないかと試行錯誤しはじめます。
ベッドが空いているのに受け入れないのは絶対ダメな行為ですからね。
ろくでもない不幸を呼び込まないためにベッドを埋めるためにどうしようか?
そういう地域が「生麦」だそうです。
真面目に医者やるとやさぐれるらしいですが、特に関東地域にいると「足立」「生麦」はうんざりする場所だそうで。
・宿代わりに病院を利用する老人
・ぜったい治療費を払わない地域
・なにかと暴力が吹くゴッサムシティな土地
・やたらマウンティング行為が激しくて、
大した病気ではないのに自分の子供の順番がぬかされると
他人の子に殴りかかるお母さん
・その割に子供がひきつけおこしてもラインやスマホアプリが大事なんで
放置プレー
・自分の優しげで儚そうな外見を利用して、大規模な窃盗を働く
優しそうなおばあちゃん
あ、足立や生麦の関係者な人すいません。
そんなのは印象で個人の意見です。
でもまあそういう印象の地だそうで。
そんな地で起きたのが「生麦事件」
あまり説明ないのに、日本の学生を経験したらなぜだか年号と単語だけは覚えている不思議なイベント。
「カノッサの屈辱」「宗教改革」と並んで、意味が解らないけどとりあえず覚えさせられた歴史の授業Best3の一つでしょうか?
前回で述べたとおり、地域性はあんま関係ありません。
いままでなあなあで過ごしてきた未整備の国家体制や法整備のツケがどかんと吹き出てきた事件ということで。
とりあえず「イギリス人が斬りつけられた大事件」としてインプットされているでしょうが、殺人事件なんていくらでもあるでしょうにここだけひつこく覚えさせられたのは、その後に戦争のきっかけになったからです。
重要なのはここらへん?
「幕府がまともに機能していない」
「実は日本国の法律など『ない』」
「海外の国家が外交をしようとしてもまともな窓口がない」
「そのやりにくい体制で、イギリスの小役人と幕府の小役人が互いに小狡いことした」
「ペリーのデマで強圧的な態度が日本外交の定番だったが、見直すことにした。特にイギリスは幕府相手の外交より、薩長外交の方が重要と考え始めた」
「近世以降、はじめて日本が国家として機能し始めるきっかけ」
こじれにこじれ、イギリスの現地法人や幕府がともに小狡く、玉虫色でなあなあな解決をしようとして関係者を怒らせ、本来はもう少しスマートな解決が出来たのでしょうが大事件になっちゃいました。
大体、お互いのGNPを考えると、賠償金など雀の涙..どころかゴミでしょうに。
ここらへん後年でも現代でも、民間の会社でも政府でも、日本人の老害やことなかれ主義が関わるとややこしくなる典型的な事例です。
で、その老害や事なかれ主義達は、あるいは大して責任のない無責任丸出しの英国人の現地法人は、きっと関係者は今まで通りしぶしぶ言うことを聞くに違いないと望んだのでしょうがそうはいきませんでした。
特に薩摩国を始め、微妙にホラ吹かれた英国人、英国政府、被害者/加害者、近所に住んでいる人、誰もが納得できない状態で各関係者はヒートアップしていきました。
戦争自体は大したことないのですが、その役割はとっても大きかったのでそれを説明するための背景をまずは書きましょうか。
まず、西洋人は日本人を馬鹿にしている、東洋人を馬鹿にしているという意見は微妙です。
というか、この時代はむしろ産業革命前は西洋が遅れていた事実を西洋人たちは知っています。
超大国である「中国」など恐れてさえいました。
実はこの時代の数十年後~それは主に中国人を見てですが~本当に馬鹿にし始めているので、それが時代を遡って上書きされていったのが「馬鹿にしていた」の理由でしょうか。
恐れていた~尊敬していた~軽蔑している~人間扱いしないという変遷は少しづつです。
理由もハイブリッド。
・西洋人が理解できない文化や文明。
・中央集権で漢から変わらない上位下達の考え方での国家は、
なんだかんだで民衆は農奴の延長でしかない
・貧富の差
・手工業的な文明は産業革命後は野蛮に見える
・民主主義の国民からすると、愛国心がない、
民度が低いだけで軽蔑の対象。
まあインドも東南アジア(アユタヤ覗く)も似たようなものなのでちょっとづつ軽蔑の対象になっていったというのが現実です。
日本への想いはというと、むしろ「俺たち、西洋人が劣っているのでは?」という感覚ですね。
上下水道、治安は絶賛です。
上下水道は、むしろ明治政府になって西洋化をすすめたらむしろ都市は不潔になりました。
それくらい優れた技術でした。
まあ戦国時代の武器を作る工業のマンパワーが、失業対策でそのまま料理包丁や下水管に変わっただけですが。
入浴、貴重な紙を鼻をかむ(鼻紙)ことにまで使って清潔を保つための習慣、美術、園芸、演芸、識字率も尊敬の対象です。
入浴は、当時のヨーロッパ人の貴族たちさえ風呂は数か月に一度でしたからね。
毎日入る日本人は尊敬の対象です。
#ちなみにヨーロッパの入浴(シャワー含む)が
庶民まで定着したのはWW1以降
鼻紙については、西洋人は袖でかぴかぴ。
西洋人不潔だな。
識字率は、寺小屋という民間制度と、実は読み物が娯楽やポルノだったからという理由ですが、それを含めて西洋人には恐ろしく感じたところです。
西洋では神曲やジュール・ヴェルヌあたりでようやく庶民向け読み物が出現し始めていたころですからね。
シェイクスピアやモーツァルトが庶民的かどうかはともかく、方向性はそちらに向かっていましたが。
ポルノが日本の文明の原動力なのは、アメノウズメがアマテラスのために性器剥き出しで裸踊りして以来の定番だったのですが、西洋人にはなかなか理解できないことでしょうね。
美術や園芸は、もちろんそれ自体もゴッホをはじめ、数々の芸術家を感動させてますが、とくに将軍から庶民まで同じことをやっている高尚な趣味は民主主義国家を感動させてます。
まあ逆にドン引きさせている習慣もありましたけどね。
治安はよくても、その残酷な刑罰は微妙でした。
「残酷なヨーロッパ社会が何言ってるの?」的な感覚はありますが、ちょうど現代ヨーロッパに席巻している中身がない平和主義やエコと同じように、19世紀はちょっと前の残酷な刑罰を反省して、、更に反省しすぎている時期なので。
お歯黒、白粉は毛虫のように嫌ってましたね。
人形みたいに不気味。
和食も不評。
というか肉食わせろ!
#箸や庶民のマナーは絶賛ですが。
微妙なところはこんな感じ?
ちょんまげ
まあ西洋で増え始めているサラリーマンのネクタイみたいなものだろと流してます。
武士道
その誇り高さを尊敬しており、ばかばかしく思ってたり...
切腹
武士道の延長で結構なカルチャーショックだったみたいです。
実は江戸時代の切腹ってあんまなかったのに、そこらじゅうにそれが書かれている。
医術
こちらも微妙。
西洋的なマニュアル社会での原始的な習慣や子弟制度は馬鹿にする対象ですが、の割には薬をあさってますね。当時の日本の主要輸出品に上がっています。
科学的なアプローチは皆無だけど、なんか効くという感じ。
同性愛
タブーのはずですがそこまで嫌ってないですね。
意外に西洋も同性愛者はいたから?
どうどうとしているのにびっくりです。
育児
日本は子供に甘いなぁ。
でもまあそれもありか。
的な感じ?
売春
西洋で売春婦になるのはそれこそ奴隷以下になって一生浮かび上がれない地位ですが、日本もその境遇は悲惨ではあるものの、その職業自体、あるいは引退後の女性の社会的地位がしっかりしているので、案外尊敬されてました。
いまでも「イエロータクシー」「ミニスカ下品」な日本人女性と同じ?
いまでも日本女性はとっても貞節か、とっても性に奔放か、どちらにふれているかはともかく勘違いされてますね。
#自由奔放な日本人女性は西洋人を混乱させます。
平気で売春婦のような恰好する割に身持ちが固い女性とか。
渋谷や恵比寿の飲み屋やライブハウスとかトラブル多いですね。
「そんな格好しているのは誘っているのと同じ」
勘違い外国人が多いので女性は気をつけましょう。
まあ何にせよ、「日本人を馬鹿にしていた」はあんまあてはまらない事です。
むしろその時代の自国の水兵や商人の下品さを憂いている人多数。
トラブルはあったでしょうが、それは馬鹿にしていたからという感じではないです。
日本人というか東洋人がいっしょくたに民族として馬鹿にされるのはもう少し後の話。
中国人が軽蔑の対象になる数十年後。
また各国の事情もいろいろ異なります。
イギリスは。。。「栄光ある孤立」とか言い始める前後ですね。
大英帝国で強大になり、なわりに中身すかすかで哀しいほど孤立している。
インドとの蜜月関係も終わり、ボーアだのカナダだのオーストリアだの植民地経営に苦労しはじめ、植民地経営は破綻し始め、一緒に生きていく仲間を探しているところ。
フランス。。。ナポレオンで消耗して文明国、科学国になってます。
とにかくイギリス大嫌い。
なんかあらゆる政策はイギリスに対抗する決まりがあるようですが、国力は微妙に回復してませんのでいまいちです。
アメリカ。。。南北戦争でいままでの産業は壊滅!新しく工業力で生きていこうと保護主義で自閉症気味の国家です。
でも南北戦争で金蔓になった国家が居たな。
えーっと、日本じゃん!
ということで支配する気はありませんが、金蔓にするきまんまんです。
オランダ。。。日本は俺の縄張りなのに~。でも、みんなが日本を金蔓にするならおいらも乗せて!
ドイツ。。。まだまともな国家と言い難い。ナポレオンのおかげで統一国家になり、精一杯見栄はってますが試行錯誤です。なんか日本を利用できないか。
ロシア。。。実は昔から日本ラブ。今回も仲良くなりたいなと。もっとも命が安いロシア人、乱暴者のロシア人。力が全てのロシア人。微妙にいつでも片思いです。
日露戦争でも、太平洋戦争でも、共産国家であるソ連の時も、あるいは今のプーチン大統領の時も、これはこれで日本大好きなんです。
愛の形が歪んでいるので付き合いきれませんが。
技術的な方向性は。。。
とにかくナポレオンのおかげで「軍事学」という科学が根付いてます。
ヨーロッパ社会なら戦争の仕方を知っている。。。実は日本もその書物を入手しているので密かに知っていたりする。
すごいな日本。
そして産業革命で技術的なレベルがチート状態。特に蒸気という動力と鉄鋼は他地域の追随を許しません。
相変わらず帆船ですが、蒸気動力を載せた帆船が増えてきました。
そしてアメリカの派手だが性能の低い外輪ではなく、本当に外洋でも使える性能の良いスクリューをつけている奴。
また南北戦争の時に、
「なんだかんだで実質は火縄銃だったよ!」
と言いましたが、中身が違います。
日本は相変わらず戦国時代の黒色火薬の硝石使った火縄銃。
それに対して西洋は、武器の扱いが変遷する直前(あるいは出来あがった直後、普及する直前と言えば良いか?)な状況だったのです。
そもそも南北戦争時点で普及してませんが、現代の火砲に通ずる技術はすでに出現していました。
鉄を切る技術と、鉄に穴をあける鉄のドリルで工作し、銃身に溝を彫る加工をしたライフル銃。
ライフル銃はライフル溝で弾を回転させる必要があるため銃身と同じ径か、それより若干大きくしなければなりません。
そのためには後ろから装填するための後送式のボルトアクション。
ばねで後ろを押し付けて密閉し、火薬の爆発力を後ろに逃さないようにしました。
火縄の代わりに着火しやすい薬品と撃針で点火する雷管
弾と火薬と雷管とを一緒にして取扱いしやすいようにした弾薬と薬莢。
黒色火薬より優れた、かつ爆発力が高い無煙火薬..はギリ間に合ってませんね。
あとコルトの回転式弾倉もこのころ。
全て現代も使われている技術です。
そしてその技術を大砲に持ち込みました。
「アームストロング砲」
日本でしか活躍しなかった、日本では画期的な活躍をした最新兵器です。
こういった技術をWikipediaで見ると面白いですよ。
使われた場所=>薩英戦争
まるで最新兵器の展示会みたいな戦争だったみたいで。
そういう背景で始まったのがこの戦争です。
圧倒的な技術力を持つイギリス軍と、古臭い武装を持っただけの薩摩軍(実は違う)との戦争です。
戦争自体は大して面白くないです。
1863年8月15日、幕府から金をせしめた英軍、ペリーのアドバイスどおり、「お痛はゆるさへんで~」的な感じで薩摩からも賠償金を集金しに行きました。
「強気で行く方が日本には上手くいく」
をどこまでも信じていたようです。
幕府は印象どおりでしたしね!
「薩摩はん。お痛しましたなぁ。2万5000ポンドくれや!賠償金や!」
現在の価値では377万円だそうです。
しょぼ!
当時の価値だと7500万円くらいでしょうかね?
死亡事件の賠償金として妥当かどうかはともかくむちゃくちゃというわけではないですね。
国家予算からすると見舞金として即座に払っても良い程度。
しかも「賠償」というと語弊があるので「妻子養育料」という日本に受け入れやすい名目だったし。
薩摩
「いやじゃ!ざけんな!幕府の勝手な交渉で幕府が勝手に言ってるだけですな。うちは独立国なんで勝手にやらせていただきますわ。」
いきなりカウンターです。
はした金なのにこの強気。
なんかペリーさんと言ってることが違います。
しかししょせん弱気な日本国。
やっちゃったら何とかなります。
やっちゃいましょう!
大英帝国艦隊出撃!
フリーゲートより小さいコルベット小型船5隻。
しかしまだ実戦で使用していないアームストロング砲を積んでいます。
ライフル銃だってようやく普及したころなのにライフル溝を彫った後送砲。
最新鋭艦です。
弱気で鎖国な日本の更に小さな小国である薩摩国。
鎧袖一触と思われました
しかし日本、反撃してきました。
日本最初の蒸気船たちが待ち構えていたのです。
天佑丸、白鳳丸、青鷹丸。
外輪船、蒸気ボイラーは密閉できずスカスカ。
およそ使い物にならないぼろ船です。
しかし、黒船が来る前にすでに薩摩は設計し、造船してたんですね。
書物だけで。
すごいものだ。
英軍もなかなかショックを受けたようで。
イギリスはそれら蒸気船にいきなり横付けして拿捕し、交渉を有利にしようとしました。
それは成功します。
これで薩摩も大人しくなるかなぁ。
びびったろう?
「おっしゃー、イギリス軍は海賊行為した。おれら正義じゃ!いてまえー!」
幕府と違って薩摩は強気でした。
というか、本来のブチ切れた日本人ってどちらかというと薩摩のような態度ですよね?
あるいはぐちぐち「遺憾である」を連発して最後にブチ切れて「トラトラトラ」か。
チャーチルも泣いた掌返し、豹変は日本の昔からです。
損得抜きで反撃します。
もっとも、そもそも英艦に忍び込んで先に無茶苦茶しようとしていたのは薩摩軍なんですけどね。
偉そうなこと言えないのはお互い様。
湾岸に据えた砲台が一斉に火を吹きます。
陸戦用の臼砲なのですが、まさか反撃が来るとは思わず慌てふためく英軍。
英艦「パーシュース」はいきなり逃走しました。
司令官キューパー提督、拿捕した日本の船を沈没させ、各砲台に最新鋭砲「アームストロング砲」で反撃します。
なんかオーバーキルかというほど各砲台を破壊しまくりましたが、日本はひつこい。
小舟で接舷を試みようとしたり、小銃で狙撃しようとしたり、無理やり大砲を積んで急造した小舟で反撃しようとしたり。
ひつこい反撃で、とうとう旗艦ユーライアラスの甲板が被弾します。
居合わせた艦長・司令官などの士官が戦死、負傷。
キューパー提督も左腕に傷を負います。
善戦どころではないですね。
英艦は次々と被弾し、なりふり構わずになってきました。
近代工場群を砲撃し、港に停泊している小舟も砲撃し、城下町にロケット砲を叩き込みます。
民家350戸、侍屋敷160戸、多くの寺社が焼失します。
薩摩側もリモート操作の電気点火型水中爆弾で反撃しようとします。
あれ!?
英軍は大ショックです。
平和な日本と思っていたら牙剥き出しの戦闘民族。
強きでおっけぇな筈のペリー君のアドバイスは全くの見当違い。
火縄銃で時代遅れの軍隊のはずが、なんか蒸気船やら臼砲やら、よくわからないリモートコントロールな水中爆弾まで持ち出して。
しかも明らかに軍事学を知っていて理が適っている戦術行動をとり、素早い機動、引き際も見事。
おたおたし、逃亡し、単純な艦隊行動もとれず、ただ平押し力押しでひたすら頭悪く火力を叩きつけただけの英軍からすると屈辱でした。
結局、英軍は被害甚大で撤退。
戦争は中途半端に終わります。
薩摩側の損害。
5名戦死。
守備兵13名の負傷。
ただしアームストロング砲やロケット弾の被害は甚大で、実に城下市街地の「10分の1」が焼失しました。
英側の損害
イギリス艦隊 大破1隻 中破2隻
死傷者は63人
旗艦ユーライアラスの艦長や次官司令は戦死。死者13人、負傷者50人内7人死亡
教科書では、薩摩側は英側と和睦、事実上は敗戦、その後に開国に傾いたという感じでしょうか?
当時の薩摩は英軍撃退、勝利!
そもそも蒸気船や臼砲をかき集めている時点でわかるように、攘夷なんてとんでもない、そもそも首脳陣は開国が前提は明らかですね。
「撃退できた」だけが事実です。
英軍側は屈辱にまみれ、いっそ大阪、東京を占領して日本を植民地にしてしまおうかと考えましたが、この状況で横浜防衛を固めるためのたった2000名の兵士も供出できず、事実上の停戦となりました。
そしてニューヨークタイムズでは「大英帝国が負けた」です。
正確には勝利を諦めただけですが、強大な大英帝国が目的を果たせなかったのは、各国は敗退と見えていたのです。
「この戦争によって西洋人が学ぶべきことは、日本を侮るべきではないということだ。彼らは勇敢であり西欧式の武器や戦術にも予想外に長けていて、降伏させるのは難しい。英国は増援を送ったにもかかわらず、日本軍の勇猛さをくじくことはできなかった」
本国のイギリス議会も国際世論もむしろキューバ提督や現地法人、英海軍を非難し、そもそもイギリス側が幕府から多額の賠償金を得ているうえに無茶を言い、鹿児島城下の民家への艦砲射撃は必要以上の非道をなじりました。
最終的には薩摩は賠償します。
ただしまたぞろ惰弱な幕府の説得とお金で。
薩摩は「撃退した」、「自分たちは弱い」とは考えましたが負けたと考えていないので惰弱な幕府の言うとおりに右から左にはした金を流しました。
もっとも、ここまで薩摩が抵抗したのも誤解っぽいですけどね。
イギリス政府の外交文書は「加害者引き渡せ。裁判するから」
薩摩「殿様死刑な。早くしろと英政府が言ってる」
何か徹頭徹尾、各人の意識があってないですよ。
幕府は薩摩を黙らせ、調律して解決したと考えています。
イギリスは二枚舌というか、二重外交というか、賠償その他の交渉という強気の名目で接近しましたが、中身はむしろ親交が目的でした。
日本は強力な軍事国家と認め始めています。
イギリス政府は、事実上、幕府より薩摩が外交相手と考え始めています。
事実上、日本との外交で頼りになるのは薩摩と位置づけました。
日本側は、城下町を火の海にした強力なアームストロング砲、スクリュー船、イギリスの技術力を求めます。
撃退できただけで、おんぼろで役に立たない外輪船、しょぼい大砲、そんなの何の役に立たないと改めて自覚しました。
イギリスは不良弾ばかりで日本を屈せなかった理屈倒れのアームストロング砲を軽く見て、最新兵器としての枷を外し、どちらかというと役立たずと位置づけます。
そして備蓄していた大量な砲を放出し、大量に海外に出回ります。
その多くは日本ですね。
幕府軍を壊滅させ、日本中を火の海にした火器は、南北戦争が終わってだぶついたアメリカの銃と、イギリスのアームストロング砲でした。
誰もが目的を果たせず、誰もが自分たちの甘さを自覚し、認識を改め、でも改めた認識は全てが一方通行。
イギリスは日本を強いと考え始め、日本は逆に日本は弱いと感じ始めました。
イギリスは自国の武器は日本には通用しないと考え、更に最新兵器を求めます。
日本はそれに恐れおののいたのに。
そしてそのだぶついた各国の火器は日本に一斉に集まります。
妙な事件でしたが、維新を成功させる重要なマイルストーンとなりました。
そんなイベントが薩英戦争。
どちらが勝ったかは大河ドラマや歴史の教科書だけを見ず、ご自分たちでも判断したら楽しいかもしれません。
今回はこのくらいで。




