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人間の歴史。  作者: TAK
江戸時代
123/176

維新の嵐

安政の大獄からのテロ行為。



ハリス襲撃未遂事件    水戸藩士


ロシア海軍軍人殺害事件  水戸藩士

*ちなみに日本に賠償請求しませんでした。

 ロシア人、この頃から日本人に片思い。

 今でも。


フランス領事館従僕殺害事件 浪士?


日本人通訳殺害事件     浪士?


フランス公使館放火事件   浪士?


オランダ船長殺害事件    浪士?

*はじめて海外に賠償金。

 昔っから日本はオランダと相性悪いです。

 さすがヨーロッパで「ヨーロッパの朝鮮」

 と言われる国

 我が強くて気が荒い


フランス公使従僕傷害事件  浪士?


ヒュースケン殺害事件    薩摩藩士


第一次東禅寺事件      水戸藩士


第二次東禅寺事件      松本藩士

*松本藩が貧乏だったからというあんま思想と関係ない

 イギリス人の空気読めなさ加減がわかる事件


英国公使館焼打ち事件    長州藩

*高杉晋作デビュー!

 井上馨、伊藤博文も。

 将来の閣僚がテロリストですね。


井土ヶ谷事件        浪士?


鎌倉事件          浪士?

*実は幕府がイギリス人に媚び売るための

 冤罪って言われてますね。

 あまりに検挙数が少ないから嘘ついたという話もある。


鳶の小亀事件        力士

*遊郭で乱暴働いたフランス水兵をみかねてなので

 テロとは言い難いが処刑されました


ハリー・パークス恫喝事件  人吉藩


アーネスト・サトウ襲撃事件 例幣使

*天皇の使いの人を例幣使と言います


英国水兵殺害事件      筑前藩

*坂本竜馬)海援隊がうざかったので

 彼らの犯行とでっち上げられてます


ヘンリー・スネル襲撃事件  沼田藩

7月15日、オランダ人で、プロイセンのシャルジェ・ダフェール公使の書記官をしていたヘンリー・スネルが


英国水兵襲撃事件      土佐藩

*英国人が乱暴してたと自首してきましたが

 幕末の動乱、幕府崩壊で有耶無耶になりました。


明治政府に変わってからもあったのでご参考

・神戸事件

・堺事件

・パークス襲撃事件




最初は水戸藩が騒いでいましたが、薩摩藩→各藩の浪人たち、民衆達へと飛び火していく感じですね。

横浜港が開港して外国人が増えていくと、もうテロなんだか喧嘩なんだか、外国人の乱暴狼藉から身を守ったとか(多分それは真実)とかに変わっていきます。

最初の水戸藩もそうですが、みなさん道理を混ざらせてわけわかんないことになっています。


・幕府ムカつく


・徳川慶喜が将軍になれなかったことムカつく


・幕府の弱腰外交ムカつく

 (アメリカ人が大砲撃って日本人殺したとかのデマとセットです


・日本人を馬鹿にしている外国人ムカつく

 (そんなことなかったんですがアヘン戦争があったので第一印象最悪です)


・俺、かっけえ志士!

わけのわからない浪人がとりあえず有名になるためにやってます。

普通に日本人にも乱暴狼藉してたりしてるのでロクでもないやつらっぽい


・普通に下品な外国人むかつく

まあ水兵なんて食い詰め者なんで乱暴狼藉してたんじゃないですかね。


現代の沖縄と同じ?

半分はでっち上げ、半分は第一印象悪いので印象操作、半分は普通に外国人犯罪者。

たくさんある事件でどれもこれもが一緒の訳ないんで。

ただ、沖縄の犯罪率より基地関係者の犯罪率は著しく低いらしいですよ。

軽犯罪は基地内で解決するんで少ないのは当たり前ですが、重犯罪もとっても低い。


まあ仕方ないですか。

「米軍人」というキーワードでマスコミが取り上げる可能性が数段上がるので、犯罪はたくさんあるように見えますね。

「報道しない自由」の反対ですな。






何にせよ、日本は動乱の時代がやってきたわけです。


あれほど華やかだった江戸時代は終わりに近づき、飢饉や天災が多発し、鉱山は枯渇し、政府の弾力が失われているのでその対処は後手後手に回り、民衆は不満が高まります。

実は飢饉や天災が多かったかどうかは微妙なところ。

江戸時代は何だかんだで天災が多い時代でしたが、優秀で頭の柔らかい徳川政権や、各藩の政治家たちは前~中期までは普通に対応し、解決してましたから。



しかし農民は借金で首が回らなくなり、自作農が小作農に変わり、商家は伝統を維持できなくなり、職人も仕事が激減し、武士も余剰となって浪人が増えていきます。






そして徳川家康がやり残した日本統一をしないままの各藩~実は統一していないので「各国」ですが~は、平和な時代ではぼろがでなかった状態を一気にガタガタにさせます。

各藩ごとに政府があり、各藩ごとに法律があり、経済も独立しており、各藩ごとの思想があり、、、そして幕府に忠誠を誓っていない強大な藩、長州(毛利)や薩摩(島津)、土佐(長宗我部)、仙台・宇和島(伊達)、一癖も二癖もありそな連中、祖先の悲願に応えようと250年間の亡霊を呼び出そうとします。

テロリストはいくらでも逃げ込み先があり、犯罪の温床としても機能し始めます。






そして身分格差がないことも動乱に拍車を掛けました。

寺子屋、習い事、学問塾、武道所、華道、書道、雅楽、茶道、みんながみんな習い事をし、身分、男女性差、経済格差を超えての交流があった日本。

日本国民すべてが文字を知り、計算を知り、剣術が出来、礼儀作法が出来る国、しかしこういう中途半端な知識層は平和な時代はとっても国の伸長に役立ちますが、動乱の時代は「民衆」「中層階級」は強力な原動力になります。

そこらじゅうに志士が産まれ、そこら中で政治談議が始まり、デマは既成事実になり、既成事実が更にデマを呼び、幕府と外国人の悪役っぷりがすごいことになりました。

ついでに、この合間をぬって一旗揚げようとみんな人生ギャンブルに走ります。


新撰組の近藤勇は武士と名乗っていますが、東京都調布市の百姓・宮川久次郎とみよの息子です。

ちなみに三国志の「関羽」に憧れていたそうです。

ただの農民の息子がそれを読んでいることが当たり前の時代だったのですね。


そして天然理心流道場・試衛場で、武士の息子、庄屋(農家の偉い人)の息子と、三国志演義の「義兄弟の契り」を結んだそうですよ。

つまり、身分関係なく「桃園の誓い」ごっこができる知識人だったわけです。

道場という習い事の場所で。




ついでに、微妙な宗教戦争の土壌もありました。

神社、寺社は縄文時代から共存していましたが、儒教だの朱子学だの国学だの神道だの、微妙なエセ

知識とその論客とかなんとかがはびこります。

いえ、宗教家自体は織田信長の虐殺ジェノサイド、キリシタン騒ぎ、その後の観光化で戦力はないんですけどね。

その浪士やら思想家やらがとっても怪しげな連中が担ぐことになります。


どう怪しげかというと...あのエロっぽくて自然宗教な神「アマテラス」がなんか一神教の神で、日本を憂いていて、正義を語るそうな、

なんだかなぁ。

とっても突っ込みどころが多くすぎて困ってしまいます。


ご本尊としてなんか変な絵画も売れました。

お坊さんと神主さんは仲良いのに、、、そもそも日本はお祭りやら記念やらの祭事は神道、お葬式やらはお寺と役目が別れている、、、まあ神社でもお葬式やるし、お寺でお祭りやるんで厳密ではないですが、、、なのに今更ながら「日本は神道」とか奇天烈な話を大真面目に語る馬鹿が増えました。

まあバカの一人は明治政府なんですけどね。


縄文時代から日本の宗教の一つとして、とっても自然宗教な、なぜかインドの神とかも含む、一神教とかの思想と全く縁がなさそな、半分は中国からの大乗仏教とか怪しげな仏教のおかげですが、、、それにしても日本の仏教はひどすぎます、、まあキリスト教だって道教だっておなじか、、そんな仏教は、ちょっと冷たい時代だったかもしれません。


なんか「神仏分離」だか「神仏判然令」とかで、結構仲の良かったお寺と仏教がちょっと疎遠になりました。

あんま民衆には関係なかったようですが。


キリスト教は相変わらずウケませんね。

一応外国人には


「キリスト教の布教禁止な、居留地に教会はOKだけど!」


まあでもおせっかいなキリスト教徒は布教に頑張ります。

蘭学者、英学者も含めて全然来てくれませんでした。


大浦に幕府に秘密で天主堂という教会を建てて布教してみたのですが、ぜんぜん来てくれなくてがっかりだったそうです。

というか日本の蘭学者、とっても偉い牧師様をへこまして困らせたそうな。

日本の勉強家おそるべし!

ただの傘貼り、提灯貼りの職人が蒸気船を作れるほどの知識があるのです、

たとえ宣教師のエリートでも、相対的に民衆を圧倒させるほどの知識ではありませんでした。

まあ印象と違って日本人は尊敬されていたので強引なことが出来ないという点もありましたが。




なんかNHKの大河ドラマとか、キリシタン弾圧だの必死に神を守る人とかほぼ嘘っぱちですから。

あれは西洋化の流れで日本の貴族たちが改宗したときに作り上げたデマです。

なにからなにまで西洋化する必要あったのでなりふり構わずでっち上げただけ。





ああ、また話がとんでいきます。

何にせよ、ちょっとばかし自分の箔をつけるため、思想家や志士が宗教を利用しまくって妙な新興宗教が乱立したのは確かです。

「天照大神の名の元に天誅を加える」という、たった15文字にたっぷりはいった矛盾を無視して、神の名の元に強盗だの脅迫だのしていたわけです。

天照大御神様も困ったことでしょう。





更にその思想が変質したのが「尊王」。

いままで冷遇してきた天皇陛下をとっても祭り上げることになりました。

まあ、それ以外はいなかったからしかたないか。




そんな背景を背負って、自分の我を押し通そうとテロリスト達が跳梁跋扈します。

そこらじゅうで殺人事件が起きたのですが、まあ攘夷活動という名の元に有耶無耶になってますね。

ただの強盗もたくさん居たのですが。



思想としてはこんな感じ?


尊王:天皇陛下を尊ぼう。幕府死ね。西に多い。

   そりゃ京都あるし。毛利、島津がいる。

   ↑

   ↓

佐幕:幕府を盛り立てて中央集権国家を作ろう!

   意外に思うかもしれませんが一番人気でした。

   特に東日本。

   だって江戸の神様は公方様(徳川家康)でしたから。


公武合体はその名のとおり、天皇家と徳川家を一体として考える、、、、延長として、結婚させようかという考え方。

主として佐幕側からはみ出させた考え方ですが、普通に尊王側の穏健派にも多い。

武器商人の割に平和主義者だった坂本竜馬もこちらに近い?




攘夷:外国人ムカつく。殺せ!追い出せ!

   なんでか中国、朝鮮はのぞく。

   同列なんですけどアヘン戦争の影響で

   「東洋」「アジア」というくくりで

   一緒にしたがる人が多いもので。

   いまでもその影響は激しい

   ↑

   ↓

開国:インテリゲンチャに多い

   蘭学者や英学者だけではなく

   幕府、各藩の要職に就く者とか。

   薩摩、長州の政府関係者は実はほぼ全員が開国論者

   だって密貿易で外国と儲けていたもの。

   でも叫ぶと殺されちゃうんで大人しい。



こんな感じで、だんだんと話がまとまっていきつつ、中央集権を模索しつつ、殺し合いを続けていたわけです。




主なイベントはこんな感じ?


・横浜開港

各国の要請を受けて横浜が開港しました。

埋め立てて居留地を独立しやすい地形にして、巨大な港にしました。

将来のかっこよい「横浜」はここからです。

出島と違って結構開放的でした。

というか、勝手に日本人が押し入って外国人相手に勉強してます。


・寺田屋騒動

島津家が幕府に恭順を示すために自国の志士を捕縛します。

西郷隆盛、村田新八、森山新蔵も含まれます。


なんかそれを聞いて「憂国の念」、、、ちょっと違う気がしますが、、、関白と京都所司代を襲撃して無理矢理に薩摩に蜂起を促すとかやろうとしたので捕縛は当たり前かも



・生麦事件

英国人を薩摩藩が斬り殺した事件として有名ですね。

なんか薩摩藩が攘夷に狂って英国人を斬り殺したとか、大名行列で「下に~下に~」をやらせて斬り殺したとかよくある時代劇や大河ドラマは印象操作です。


まあ以前話したように、別に大名行列で土下座する必要は元々ありません。

道避けろくらい。

特に外国人が礼儀を知らないのは当たり前。

少し前にジェームス・カーティス・ヘボンが近所の丘の上からオペラグラスで覗いていても、敬意を現していたので不問にしてます。

というか、そもそも大名行列の目的は穿って考えれば「マーチング・バンド」。

別に見物されるのは悪いことではないですからね。






事実はこんな感じ?


リチャードソン一行は乗馬の帰り、大名行列にぶちあたりました。

幕府へは正式な通達がなかったらしいですが、まあ他の皆さんは知っていたので当日の外遊は自重すべきと他の居留地のみなさんは考えてます。


しかしこの一行は遊びを強行しました。

案の定となりました。


大名行列がもうすぐな時なので引き返そうとし、

言葉の誤解で混乱が生じ、

やがて馬が暴れ回り、暴走し、藩士たちはかなりがんばってそれを抑えようとしましたが失敗、

それこそ籠に近づいて事故が起きる直前で奈良原喜左衛門が「馬」を切り殺したが実際です。


まあアーネストサトウの手記も含めていろんな事実が集まっていますが、馬の暴走や斬殺は解釈次第ですかね。


囲んで斬り殺したとかやたらいろいろな書物に書いてますが嘘でしょう。

ただ噂で後からそうされてしまいました。

状況証拠だけでは何ともなのは確かですが。


そして当然ながら落馬し、重傷で助からないであろうとそれ以上苦しませないために海江田信義が介錯してあげたというのが状況証拠からわかります。

結構、護衛の一兵卒から指揮官まで、各人は記録に残していたので。


介錯云々は著作だけが根拠で異論がありますが、当時の海江田信義がわざわざその機会をまって攘夷を理由に斬り殺したとはとても思えませんしね。



女性宣教師マーガレット・バラ

「その日は江戸から南の領国へ帰るある主君の行列が東海道を下って行くことになっていたので、幕府の役人から東海道での乗馬は控えるように言われていたのに、この人たちは当然守らなければならないことも幕府の勧告も無視して、この道路を進んで来たのでした。そしてその大名行列に出会ったとき、端によって道をゆずるどころか行列の真ん中に飛び込んでしまったのです」


林董の回顧録

「リチャードソンたちは『今日は島津三郎通行の通知ありたり。危険多ければ見合すべし』と友人から忠告されていたという話も見えて、アメリカ公使館は非公式の通知を受けていたか、あるいは情報を得て、独自の判断から自国民に警告を出していたのではないかとも考えられる。」


「事件が起こる前に島津の行列に遭遇したアメリカ人商人のユージン・ヴァン・リードは、すぐさま下馬した上で馬を道端に寄せて行列を乱さないように道を譲り、脱帽して行列に礼を示しており、薩摩藩士側も外国人が行列に対して敬意を示していると了解し、特に問題も起こらなかった」


「ヴァン・リードは日本の文化を熟知しており、大名行列を乱す行為がいかに無礼なことであるか、礼を失すればどういうことになるかを理解しており、『彼らは傲慢にふるまった。自らまねいた災難である』とイギリス人4名を非難する意見を述べている」


「リチャードソン氏は慰みに遠乗りに出かけて、大名の行列に行きあった。大名というものは子供のときから周囲から敬意を表されて育つ。もしリチャードソン氏が敬意を表することに反対であったのならば、何故に彼よりも分別のある同行の人々から強く言われたようにして、引き返すか、道路のわきに避けるしなかったのであろうか。私はこの気の毒な男を知っていた。というのは、彼が自分の雇っていた罪のない苦力に対して何の理由もないのにきわめて残虐なる暴行を加えた科で、重い罰金刑を課した上海領事の措置を支持しなければならなかったことがあるからである。彼はスウィフトの時代ならばモウホークであったような連中の一人である。わが国のミドル・クラスの中にきわめてしばしばあるタイプで、騎士道的な本能によっていささかも抑制されることのない、プロ・ボクサーにみられるような蛮勇の持ち主である」




ちゃんとイギリス側も分かっていますね。

そもそもイギリスのミドルクラスは上海でも粗暴で評判悪く、事故、「リチャードソンが悪い」は普通の考え方でした。


で、イギリス公使側も、幕府側も


「お互い不幸な事故だった!握手!」


で終わるべきでした。

別にイギリス政府は滅茶苦茶ではないのです。



しかし各人の中間管理職が事態を悪化させます。




イギリス側


攘夷の雰囲気を感じ取り、居留地の住民が騒ぎ立てます。

武器をとっての報復まで叫びはじめました。

なにしろデマが流れてます。

囲んでなぶり殺ししたとか。


ニールは居留民や自分達の落ち度を糊塗するために本国へ微妙な嘘つきます。


・勅使の通行は連絡があったのに、なぜ島津久光の通行は知らせてこなかった

・リチャードソンを囲んで斬り殺した


本国からの通達は謝罪と賠償金10万ポンド。

ついでに薩摩藩に犯人の処罰及び賠償金2万5千ポンドを要求


「日本政府」というものがない弊害ですね。

薩摩と幕府がお互い事情も分かっていないのが更に面倒なことになっています。


ついでにアメリカ野郎の「日本は圧力をかければ何とかなる」ということを信じて脅しかけました。

イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四カ国艦隊が順次横浜に入港しました。


ついでにこの期に及んで幕府の方も事なかれ主義を掲げます。


島津側

「少々のことには目をつぶれ、と藩士たちに達してはいるが、先方に目にあまる無礼があった場合はそのままにするわけにもいかない。各国公使へ不作法は慎むように達して欲しい」


幕府側

「そういう達しはすでに出しているが、言葉も通じず、習慣も違うことから、我慢して穏便にすませて欲しい」



ついでに島津側も嘘を。

「足軽の岡野新助が、行列に馬で乗り込んできた異人を斬って逃げた」





更にまたアメリカ野郎?

あるいは幕府の浅はかさ?

どんどん事態を悪化させます。


日英修好通商条約の治外法権規定、当時は「日本政府」がない、「日本の法律」が統一してなかったので裁判は他国に合わせるしかなかったのですが、ここにきて脚光を浴びることになります。


イギリス人が日本の法律に従ういわれはなく、たとえ日本の国内法で無礼討ちが認められていようとも、当然のことながらそれはイギリス側からは認められるものではない。

じゃあ、どの法律に従うべきかは微妙ですが。


「国内法との整合性がつかない治外法権を含んだ条約は、朝廷の許しも得ず幕府が勝手に結んだもの」

島津側の訴え。


じゃあどうすればよかったのかはともかく。


現代の教科書でも、「強圧的な諸外国が治外法権を認めさせた」ということが既成事実になっちゃいました。




更に事なかれ主義が横行します。

確かに幕府は腐ってます。


徳川家茂は上洛中。

小笠原長行が代理で交渉し、賠償金の支払いをするで決定。

徳川慶喜は京都から戻り、賠償金支払い拒否。

イギリス側へは前日になって支払い延期を通達(勿論、嘘)。


再び江戸で開かれた評議では、支払い拒否。


小笠原長行は評議に関わらず独断で賠償金を払う。

何か非公式に誰かが頼んでいた模様。

玉虫色で、有耶無耶にしようとしているのが分かります。


そして薩摩へも交渉に赴きます。

圧力をかければまた何とかなると思ったのですかね?


もちろんそんなことありません。

日本人は別に大人しい民族であったことはありません。

老害と事なかれ主義が横行しやすいだけ。



ペリーがいなきゃ、普通に丁寧にイギリス政府は交渉していたでしょう。

幕府が普通に働いていたら、イギリスの落ち度とかで落ち着いたかもしれません。

何だかんだで日本政府は全般お金持ちなので、賠償金の代わりの慰労金くらい払ったかもしれません。

イギリス政府も真実知ったら、インドと同じような扱いにしたかもしれません。

イギリスが強圧的なのはもう少し後の話なのに。


どちらにせよ、全て失敗しました。

戦争がはじまります。

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