テロの時代
アメリカ人が無責任に日本人を焚き付け、無責任にふざけた態度を取り、無責任に条約結び、無責任に去って、無責任に放りっぱなしになりました。
そして彼らは南北戦争に突入し、アメリカにとって日本は放置プレーとなります。
こいつら現代でも通じる迷惑な奴ら。
とりあえずやってみよう!
は世界中の奴らに大混乱にさせてます。
「日本人のできないは信用するな」
「韓国人のできるは信用するな」
「中国人のできたは信用するな」
こんなエスニックジョーク、アメリカ人は笑えないと思います。
私の友人のアメリカ人
「俺、サーフィンできるぜ!」
「俺、将棋ができるぜ!」
...実際の内容はお察し。
遊びやゲームや研究とかなら良いんですよね。
どうなろうがこうなろうが前向きです。
まあ遊びだし、友人だし、たとえ良い波が来ても、将棋の講習会になっても、我慢して初心者の友人に付き合いますよ。
まあちょっとムカつく程度です。
それに彼らは出来なくても楽しそうなんですよ。
アメリカの研究所は予算が潤沢とか嘘ですからね。
でも、日本人の何かと悲壮感を漂わせる国民性に対して、彼らはそれが貧乏でも何でも笑い飛ばせます。
彼らは楽しみ方を本当に良く知ってます。
ちょっとうらやましくなります。
スーパーマーケットのキロ単位の安肉と、私が持って行ったお土産の高級神戸牛といっしょにまぜまぜして
「うまいぞ!」
「ありがとう!」
とかまされるまでは。
しかしそれを国家レベルでやられてもね。
どれも刹那的で連続性のなさすぎてうんざりする。
「もっとこう...世の中っていろいろあるじゃん!」
と説教かましたくなります。
ええ加減な大統領制と共に、その刹那的な態度はいまでも世界に混沌をまき散らしてます。
まさにその刹那的でいい加減な「やってみよう」が思わぬひっちゃかめっちゃかになってしまいます。
そして太平洋を通しているので遠いものの、実はアメリカは隣の国。
この後にも何度も無責任にひっちゃかめっちゃかにされるのですが、維新、幕末というキーワードではこの後しばらくはご退場となります。
そして幕末の日本もアメリカのおかげで一気に不幸になっちゃいました。
なんか日本は美味しい国だった...実は枯渇寸前なんですが...諸外国が注目します。
そして幕府はとってもヘタレだった...実は普通の対応だったんですが...なんか日本全体が幕府にムカつき始めます。
まあどちらも根拠ないわけではないので何ともはや。
何だかんだで未だ諸外国に比べて日本はお金持ちです。
治安のよい大都市、アメージングな文化、礼儀正しい国民、これがあるだけでとっても優良。
枯渇して黄金国ではなくなりつつありますが美味しい国です。
そして幕府自体も政治力や弾力性が失いつつあり、海外への対応は無難でも、内政は後手後手、新規性は無しでそもそも民衆からダメ印を食らっている時期だったし。
その時は対外的には正しくとも、他が硬直化してダメダメでしたから。
それが「伝統」とか「歴史」とか、それ自体が守るべきものでない限り、そもそも継続、古さは否定されるべきです。
会社勤めなら、それを身を持って体験するでしょう?
製品は、それが「ある」だけで新規性を失い、コンタミ化が加速し、出来たとたんに陳腐化が始まるのです。
学校でのクラスメートとの話題でもそうでしょう?
流行、遊び、タレント、漫画、それが話題に上ったとたんに新規性は失われはじめ、慣れはじめ、飽きがが始まるのです。
「伝統」「ノスタルジー」さえそうです。
ガリガリ君やカルピス、そのものは変わらずにいて欲しくても、そのアプローチ、存在意義、利益追求場所、アピールさは常に変わることを試みるべきです。
ガリガリクン「コーンポタージュ味」。
モノとしてはなくても、話題つくりには大いにありでしょう。
伝統は守っても、伝統に胡坐をかくような行為ではありません。
じつはちょっと美味しかったし。
ミスタードーナッツの期間限定カルピス味ドーナッツ。
カルピスの瓶でなく、もう全然違う他社の商品としてユーザーの手元に行く利益の薄いアプローチだとしても、その一つの方向性として突き詰めるのは大いにありでしょう。
ただ漫然と「また売れると良いな」とは全然違うものです。
しかし当時の幕府は。。。飢饉が起こった、地震が起こった、火事が起こった。。。漫然と過去の政治を踏襲するだけになってしまいました。
お金ばらまくよ
綱紀粛正するよ。
過去のそれは、例えば「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」が、当時の状況を必死につかみ、頭を抱え、部下の意見を聞き、それでようやく出した政策だったりします。
ところがこの頃になると、
過去に成功したから今度も成功するはずだ、
新規性出しても「それは責任取れるのかね?」
実は外の状況が変わっているので、「過去の実績」も「新規性」もリスクは同じなのにね。
現代日本でも通じる悪いところが現れました。
・上下は実力や実績よりも内部の力関係で決まり、
・政治の駆け引きにすべての才能をつぎ込むので、対外的、実行力はアホ
・カスタマー要望より社内ルールを優先する
・実績、伝統があると勘違いして新しいアイデアは採用しにくい状況になる
・新しいアイデアは「新しい」が目的なので有効かどうかは実証検証なし。
・新アイデアはどこまでも安易。というか実力を測るモノサシまで失われているので景気の良い、老害にウケが良いバカのグッドでグッダーな(でも中身がない)ものが採用される
・やったもん負け。不景気で正しいことをするやつはウザいのでどんどん失敗させられ、辞めていく。
こんな固定化された組織がはびこるのがいつもの日本。
海外でも同じなんですけどね。
それにしても「無能で鷹揚で人が良いのが最高の上司」という評価軸は、それが上手くいっている時でもずーっとある日本の伝統ですからね。
戦国時代にはなく、家康からはじまった妙な評価軸。
なぜか江戸時代に、武士道と共に、こんな上司が蔓延しました。
そして「新アイデアはどこまでも安易」は幕府内だけではなく、それを憂う志士まで蔓延します。
「維新の嵐」と格好の良い言葉でまとまっているけど、不満屋、反乱屋、テロリストが蔓延しますよ~。
しかも大多数の連中は、
それこそ不良のように恰好が良いから志士になりました。
合間で儲かるから志士になりました。
女にモテるから志士になりました。
本気です。
はてさて、とにかく「日本が美味しい!」が欧米に認知され、さっそくいろいろな国が日本を訪問します。
日米和親条約をとっかかりにこんな感じ。
日英和親条約
日仏和親条約
日露和親条約
日蘭和親条約
続いて修好通商条約が結ばれます。
日米修好通商条約
日英修好通商条約
日仏修好通商条約
日露修好通商条約
日蘭修好通商条約
不平等さがやたら強調されますが、実はそんなことないです。
関税率は交渉権ありだし、領事裁判権に至っては幕府側から申し出たこと。
日本って法律あってないようなものだしね。
そもそも当時は「日本政府」があったかも怪しい。
ただ金銀の等価交換は、、普通なら問題ないでしょうが、、やばかったっすね。
これでアメリカは大いに儲けました。
このおかげで南北戦争を乗り切り、第二次産業革命はアメリカ主導で行われ、大いに潤いました。
もちろん物理に限らず、お金も質量保存則的な理屈が当てはまります。
だから本来の価値以上に信用が上がってしまうと、その揺り戻しでバブルが破裂します。
アメリカが潤った分、日本が不幸になります。
もともと慢性的に災害、不景気が重なっていたところに追い打ち。
ついでに金山、銀山は閉山。
あらら。
まあアメリカ以外は大して儲かってませんが、それでもかなり美味しくはあったので各国は幸せだったでしょう。
もちろん、その分の不幸はすべて日本。
アメリカと一緒に一時的に儲けたであろう連中以外は。
更に老害や政治力のみ長けた連中はズルします。
勅書をもらう時に幕府は孝明天皇を騙くらかしました。
そのやばい条約を締結して、大原重徳、岩倉具視がムカつきます。
そしてなぜだか黒船来航は幕府がヘタレが原因。
アメリカは鬼悪魔、戦争吹っかけて殺しまくったぜとか変な噂が蔓延します。
正義のミカタ、志士たちが一斉に出現しました。
あらら。
更に更に、追い打ちをかけるように後継者問題が勃発します。
病弱であった将軍)家定には子がいなかったのです。
全てが実は全然無関係なのに、全てが関連して爆発しちゃいます。
明治維新のはじまりはじまり~
徳川慶福を推す南紀派、徳川慶喜を推す一橋派が激しく対立し、その政治工作が激しくなります。
なぜか関係ない条約問題も絡んで。
そして工作員の中に橋本左内、西郷隆盛、有名人が出てきました。
そして更に老害は、自分の正義をとっても信じます。
それが柳の下のドジョウだとしても気づきません。
むしろ一度ドジョウが採れたのだから次も絶対に採れるはずだ!
俺様は実績あるんだぜ!
後継者は慶福、家茂と改名して突き進む。
大老の井伊直弼はどんどん強権を発動します。
綱紀粛正するよ!
逆らったら厳罰だよ!
孝明天皇は無視し、その強権で関白・九条尚忠は立場を失い、水戸藩を反抗させ、世論や朝廷へ働きかける運動家を処罰。
1858年、「安政の大獄」と呼ばれる弾圧がはじまり、その強権はとうとうテロにも比すべき強烈な粛清がはじまります。
・勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印したこと
・孝明天皇をないがしろにしたこと
・将軍を強引に徳川家茂へと工作したこと
・アヘン戦争からの対外危機の訴え
冷静に考えれば、このすべてが関連するかどうか疑問です。
そしてこの問題のカウンター政策も、それは全く別なものになるはずですよね?
→条約を見直す
→天皇陛下を尊重しよう
→後継者選びを考え直そう
→対外危機は気を付けるよ!
しかし井伊直弼はすべてごたまぜにし、公家、武士、平民区別なく100人以上処罰しました。
そのうち死罪になった6人のうち吉田松陰がいました。
吉田松陰の松下村塾にはこんな人たちが。
久坂玄瑞
高杉晋作
伊藤博文
山縣有朋
吉田稔麿
入江九一
前原一誠
品川弥二郎
山田顕義
野村靖
渡辺蒿蔵
河北義次郎
まさに偉人が勢ぞろい!
「まあ眼鏡をかけるのになんて便利なところに鼻と耳があるのでしょう!」
という錯覚から除ければ、まあそんな有能な人ばっかだっけ?と思い直したくなりますが、「偉人」は伝記の中ではすべからく有能になりますが、伝記になるかどうかは有能かどうかではなく、実行したかどうかです。
吉田松陰自体は、半分はテロ野郎、口ばっかの理想家、現実離れ、過激派、とかなんとか悪口もあります。
ついでに長州藩からも、そのお調子のりの囃子やな態度は疎ましく思っていたので、実は吉田松陰が処刑された理由は玉虫色の長州藩の影響も大きかったりする。
しかし、少なくとも対外/世界/西欧を大いに学んでします。
そして日本の在り方、天皇陛下を中央とした中央集権国家の必要性はこの時点で目指しています。
それは独善でなく、弟子たち、というか同列の友人という扱いで大いに論じ、修正し、彼らにインプットしました。
そして本当に人格者かどうかは多分に疑いがあるものの、従わせるカリスマもありました。
後付だった、勝ってから偉人になったとか言われても、少なくとも日本の何かを作ったのは確かです。
そして、死刑になった時点で彼は神格化されました。
彼らの弟子は一斉に羽ばたいたのです。
そして、そのテロに比す強引な処刑は、1860年3月24日)「桜田門外の変」としてカウンターとして返ってきました。
水戸藩自らがカウンターテロとして井伊直弼を殺しました。
井伊直弼が何が悪かったか、、固定化した価値観、硬い頭、といっても実は彼らの中では柔らかい頭だったのです。
むしろいろいろしがらみに縛られた「やったもん負け」に囚われた人なだけかもしれません。
吉田松陰も「名君」として称賛していた人物ですから。
テロ行為を行った藩士は処刑されました。
水戸藩側の誰かの運動だったのは間違いないのですが、それはなかったことにし、ただのテロ行為として捕縛、処刑を要望し、見捨てました。
しかし尊王攘夷の急進派であり、蠢動したであろう水戸藩士は「東禅寺事件」「坂下門外の変」「天狗党の乱」等々でテロ行為の先頭に立って運動しました。
それに乗じて、徳川家康がなあなあで放っておいた「パンドラの箱」の蓋が開きます。
・薩摩、長州、それこそ関ヶ原の戦い、大阪の陣、数百年前の恨みが蠢動し始めます。
・幕府ってなんだっけ?日本ってなんだっけ?と見直す動きで、いままで見向きもされなかった天皇家が注目されることになります。
・海外とは何ぞや。西洋とは何ぞや、西洋で儲けたもの、西洋の学問に感動したもの、例え攘夷活動でも西洋から学ぶもの(吉田松陰の言葉もあるし)、西洋を拒否するもの、なぜか中国や朝鮮に期待するもの、無知なるが故に、様々な思惑が錯綜します。
これらを考えるさまざまな者たちは「学ぶ」というもの以外は全て攘夷活動として働くことになります。
何てことない、武力で言うことを聞かせることですね。
そして武力と言っても軍隊ではありません。
長もはっきりしません。
はっきりしているのは、身分区別なく「活動家」。
いわゆる「テロリスト」だっただけですね。
井伊直弼が人格者かそうでないかは知りません。
しかし安易にごたまぜにし、全てをはっきりさせないまま処罰してしまい、命をとっても安いものにしてしまったのは確かです。
そしてそのカウンターである水戸藩士も、それが自分の策謀、蠢動かどうかも明確にせずに殺しまくりました。
その中の一つは後継者争い、「利」「政治工作」であったはずですがそれは忘れて。
はっきりしない事項は関係者をたくさん増やしていきます。
それに乗じた利を求めるもの、思想を求めるもの、正義を求めるもの、立身出世を求めるもの、うさばらし、いろいろな運動家...ただの不満屋かも...が立ちあがります。
テロの時代が始まりました。




