江戸は日本最大の消費都市、世界最大の都市、江戸と大坂を結ぶ東海道は18世紀で一番人通りの激しい道でした。
さて、江戸も中期になってどんどん発達していきます。
19世紀の中期には江戸は100万人都市、京都/大阪は40万人都市、名古屋は10万人都市と巨大な都市となりました。
江戸は日本最大の消費都市、世界最大の都市、江戸と大坂を結ぶ東海道は18世紀で一番人通りの激しい道でした。
「江戸時代はかわいそう」
「江戸時代は悲惨」
それが如何に馬鹿げた考えかはわかるでしょ。
ポイントとなるのは「富」「人口」だけでなく、人の移動も激しいことです。
娯楽、輸送、移動、引っ越し、とても閉塞感のある時代ではありえないことですから。
ローマ街道の考え方が、時代を超えて江戸時代の徳川家康が頑張ったわけです。
どんどん発展していきました。
そして通称「鎖国」で海外への人の流出入がなくなり、「明」の海禁(鎖国)で大幅に経済構造が変わります。
具体的には、輸出入に頼っていた初期の豪商が潰れます。
代わりが、
・砂糖、生糸といった海外からの輸入に頼っていたものの国内生産に成功したもの、
・都市の建造による土木、材木、
・北方をはじめとした国内の特産品を扱うもの
(お茶やミカンとか塩田とか)
こういった者へと富の集中が切り替わります。
内需拡大というべきか。
それにしても、これを考えても日本は全体が富んできたのでしょうね。
こういったことにニーズがあるということは余剰生産力がとっても大きいということでしょうから。
「エンゲル係数」と似たような指標で国が富んでいるかどうかわかります。
食べ物以外にお金を払う余裕があったということでしょうから。
経済の流れは、換金、商業の倉庫として大阪にまず集中し、やがて最大消費都市として江戸へ流れた感じです。
ありとあらゆる物産が各都市に集中し、いろいろな地域へ流れていく感じ。
「東京が中心」「大阪が中心」、そういった話題が出ることありますが、発展の仕方は特定でなく同時に各都市が大きくなっていきます。
現代とちょっと発展地域は違いますけどね。
名古屋、金沢、広島、長崎、山口、伊勢、福岡、仙台、大分、鹿児島、青森、室蘭、、、、これら都市は人口集中地、産業発展地と共に周辺地域の集積地、物流のハブとして有機的につながっていきます。
そして貨客は網の目のように張り巡らされた航路でつながり、安全に素早く各都市をつなげたのです。
鉄道なんてなくても大量の物資がやりとり出来ます。
文化もすごいことになります。
元禄文化は有名ですね。
美術、浮世絵、工芸、茶器、書道、彫刻、金細工、寺社仏閣、こういったことは余剰生産が豊富でないとおこらないものです。
瓦版(新聞)、当時は「読売」と言ってましたが、そういったマスメディアがあって、それら情報を茶店でおもしろおかしく噂話する。
驚くことに識字率すごい。
余程の馬鹿でなければ字の読み書きは出来ました。
なんせ漫画とは言いませんが娯楽目的の絵巻物、滑稽本、エロ本まで書籍は揃ってましたからね。
日本人は江戸時代から現代まで、科学発展の原動力にエロは一助です。
インターネット、高速回線、PCの普及なんて典型的ではないですかね。
ちなみに神話時代がエロいは、女性が強いは、夜這いだ祭りだ自然宗教だで男女の出会いがたくさんあるは、江戸時代は現代でも通用するようなエロ本があるはで大きく誤解されてますが、性のモラルはむしろきちんとしてますね。
痴漢、強姦、浮気、不倫、駆け落ち、ありとあらゆる性犯罪は「死刑」。
どころか晒し者、埋葬も禁止だったり。
夜這いだの祭りだのエロ本だの一線を越えなければ妙に開放的なのに、越えた途端にまあ怖い。
刑罰も見せしめ的なことが多くて、罪を犯したことに対する恐怖をこれでもかと見せつけてましたね。
そういう部分も、世界有数の人口集中地帯なのに治安がとっても良い、自慢できる部分です。
千葉県市川市で一家4人を殺害して死刑になった少年のコメント
「綾瀬女子高生コンクリート詰め事件で誰も死刑になっていない、俺なんか楽勝でしょ。」
「未成年が死刑になるはずがない。」
「とうとう少年院行きか。」
確かに1989年の綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人で死刑にならなかったどころか、普通に暮らしてますもんね。
死刑廃止論者の「可哀そう」発言を聞くと、いつも的外れだなぁと思ってしまいます。
だってすべての刑罰はこれから生きていく人のためのものですから。
そして「コンクリート詰め殺人が起こった後に生きてきた少年」「千葉県市川市で一家4人を殺害した少年」が、それを例に見て自分の刑を予想したわけですから。
フランス革命前の、「処刑は娯楽」もなんだかなあと思いますし、モラルや日々の生活や治安で見物人にさらし者やのこぎり轢かせるとかの江戸時代のやり方が現代にマッチするとは思いませんが、少なくとも江戸時代は「刑の目的」はその後に生きていく人の為のものであることはわかっていて、死刑廃止論者の人はきっと「加害者」と「被害者」だけに終始してますよね。
本来であれば、次の犯罪予備軍が「怖い、おれは絶対やるまい」と感じるか、「やりすぎでドン引き」か、この程度だったらやらなきゃ損」、まず法律の目的から言ってそういった境目を主張するべきでしょうに。
「かわいそう」「人道」物事をシステマティックに考えられない人は本当にかわいそうです。
それが冷たい?
あほらしい。
そういう中身が現実にあるからこそ「人道」も「優しさ」も映えるという考え方がないから、すかすかな言葉になってしまうんじゃないですかね。
そして、そういう考え方を健全に持っているからこそ、現代と違って治安が良かった江戸時代でした。
あとは観劇、能や歌舞伎、それ以外でも落語や寸劇、サーカスみたいな見世物、移動動物園、パレード、相撲といったスポーツ、道場もたくさんで子弟が通ってました。
もちろん塾とか学問所とかも。
武士、商人、農民問わずいろいろな習いものがあり、身分の敷居はほとんどなかったようです。
武士道の考え方は、武士ではなくても道場でたっぷり教えてもらいます。
「武士」と名がついていますが、結果ではない生き様が大事、そういう考え方が道場を通して身分区別ない考え方となっていきます。
そういえば女子の方が習いものが多かったようです。
華道、茶道、かるた、薙刀、体術、学問、女子の活躍がすごくなってますね。
武断政治(武力で言うこと聞かせる)のが希薄になった証拠でしょうか。
幕末になるまで、幕府軍が動いたことはほとんどありません。
大塩平八郎の乱くらい?
科学の発達もすごいですよ。
儒教だの仏教だのだけでなく、自然科学もとても発達しています。
算数、農学がすごいのは日本らしいですが、
例えば医学は中国医学を独自の解釈で解析し、農学や林業(本草学といった方がよいかも)から派生した生物学を組み合わせ、豊富な金銀で海外の植物を購入し、薬学など世界一だったかもしれません。
生物学も発達してます。
誠に日本らしく食べ物から入ったりしてますが。
椎茸は自然では数少ない上流階級の食物でしたが、栽培に成功して一気に庶民的な食べ物になりました。
農学の肥料の研究から土や腐敗といった化学にも踏み込んでます。
そして西洋に教えられるまでもなく細胞の概念を知っており、
なぜか家庭菜園から植物学にも踏み込んでますね。
納豆の生産は生物学に入るんだろうか?
ついでに寿司で衛生概念とか、フグで解剖学とか毒物の知識とか。
「中国人はまず食う」という諺ありますが笑えません。
江戸時代はまず食うものから始まってます。
あと「毛利梅園」という画家、生物の絵をまずは美術として描いてますが、その精密さ、精緻さで博物学まで踏み込んでます。
正直、見ると圧倒されます。
というか、いまの図鑑よりとってもわかりやすい。
美術から入る自然科学ってすごいです。
旗本の暇人だったそうで。
その隣に当然のように「妖怪図鑑」←これもすごい!! が並ぶのがもう一つの江戸時代のすごいことですが。
これも精緻で精密でしたが、これを自然科学とは言えませんね(笑)
あと地理ですかね。
そして「中国、インド以外に世界があった」、これは日本人にそれなり衝撃だったんでしょう。
信長の時代からちょこまかと発展していったのですが、世界地図、地球儀が流行してます。
紙から屏風から工芸品まで世界地図が見れるようになります。
そしてその影響だか地理学、地図、世界情勢、日本から一度も出たことない人たちがとっても国際情勢を知ることになります。
へたすりゃ出島のオランダ人よりヨーロッパ各国の情勢が詳しいという。
あとその影響か日本地図もとっても精密になっていく。
妙ちきりんな文明の発達です。
さらにその延長なのか天文学や暦学、世界史も。
暦は陰陽士が元々いて、江戸時代に花開いたのか、江戸時代の天文の発達で陰陽士が今のイメージになったのか。
神道、仏教、儒教、キリスト教...スペイン・ポルトガルがダメなだけでイギリス人やオランダ人はOKでしたから、その他を各々が研究してがちゃんこして、宗教から入った癖に案外と正確な世界史が出来上がりました。
こういった文化の特色。
とにかく雑多。
「幕府がやった」
にしても、それがシンクタンクとしてまとめて管理するわけでもなし、民衆や、民衆同様の旗本、幕府や大名に頼まれたとしてもそれが体系だてているわけでもなし、なんだかよくわからないけど日本人の知識は貯まっていきました。
身分の格差もほとんどありません。
大商人が成功しても、あまり大々的に散財せず、なんか湯たんぽつき下駄とか、貴重な茶葉とか、ちょっとセレブ指向?で下品な成金が減ってます。
下品な成金っぽい小判ばらまいてとかもありましたが、近隣に振舞う、橋かける、芸人を育てるとか、自分だけで偉そうに権力を見せつけるようなものとは一味違う感じになってます。
ここらへんもローマとお金の使い方が似てますね。
「粋」「洒落者」「傾奇者」
こういう考え方は武士道と共に醸成されていきました。
そして誰もがお金を得るチャンスがあるし。
こんな感じで江戸は発展していきます。
トピック。
現代の先物取引の元祖が出来たことでしょうかね。
「先物取引」という金融商品は日本が元祖です。
1730年には大坂の堂島米会所で始まりました。
貨幣での取引に関わらず各大名は米で税金をもらっているので、米の価格変動リスクを減らそうとその安定供給を望んでですか。
今のギャンブル的な要素とは真逆の目的です。
尤も、財政のひっ迫で米が足りなくても売ってしまう大名とか居て、すぐにギャンブル/相場的な目的での購入に変わってしまいましたが。
災害
長い期間ですから結構ありますね。
1万人以上死んだ飢饉だけでもこれだけ。
寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉
どれもこういったイベントで政治が大きく変わっています。
寛永の大飢饉では武士が困窮して農民につらくあたるとか反乱とか出てきたので、武力で脅す武断政治をやめて財政健全化、福祉の充実に努めました。
享保の改革で司法制度改革、新田開発、目安箱等で民衆への統治、信頼を強化しました。
飢饉後に最大の経済力になるほど効果ありました、暴れん坊将軍すげぇ
天明の大飢饉は浅間山噴火で東北地方は地獄でした。
今更ながら重商主義政策だったので「すごい政治家」とは思いませんが、別に失政なかったのに責任とって田沼意次失脚します。
可哀そうに。
その後「寛政の改革」として災害対策用の備蓄、緊縮財政、株売買の禁止、高利の禁止とか松平定信がやりましたが、しけた政治は不人気です。
緊縮財政は一時的に避けるだけならともかく、根本的には解決策とならない典型例ですな。
日本の企業がリストラしすぎて現在、にっちもさっちもいかない状況とそっくりです。
天保の飢饉は洪水冷害でひどいことになりましたが、無能な松平定信さんは死後に役に立ちました。
飢饉の規模に比べて死者が少ないのは、寛政の改革の時に災害対策用の備蓄をしたおかげ。
良かったね。
大塩平八郎の乱はこの時です。
実に200年ぶりの幕府にとっての戦争。
その後は天保の改革として、水野忠邦は「富の元は農業である」と重農主義として農業を優先し、商業をちょっと共産主義っぽく価格コントロールしようとしました。
当たり前ですが失敗します。
印旛沼開拓とか全てが失敗というわけではないですが、経済を統制するのはほんの一時期のソ連以外はあんま成功したことないですね。
ま、その頃になると江戸時代、徳川政権そもそもが瓦解する徴候を匂わせてきたので、なんにせよ「終りのはじまり」が出始めたのは仕方ないですが。
それ以外の災害は...富士山大噴火?
1707年に宝永大噴火おこってます。
慶長の大地震とかは東北震災となぞらえて有名ですかね。
江戸時代につくられた東北地方の街道は軒並み無事だったとか、古い村は祖先のしきたりで高台に船も人も置いておいたので全員無事だったとか。
被害にあったのは明治になって、高度成長期にそういうの無視して作ったからだとか。
ちなみに神戸震災の時は外資系会社のボランティアとして、東北震災の時は救助者としてどちらも参加しました。
神戸震災の時は電線つなげる作業で終始してましたが、まあ被害者が騒ぐは、政治家は騒ぐは、マスコミは騒ぐは、芸能人は騒ぐはで「ムカついた」以外はあんまり思いでないです。
東北の時はあまりに静かでやりきれなさを感じましたね。
被害が大きすぎるからか一面波に掻っ攫われて何にもないところで静かに被害者が待っている状況はなかなか凄惨でした。
本当に何にもなくなっている地で静かに救助活動は、あまりに余計なこと考えて嫌になりました。
どうでも良いけど、現場の東京電力の人(と東芝の人?)を嫌う気にはなりませんでしたね。
米軍も自衛隊も警察も消防も私も、みんな逃げても彼らだけは踏みとどまってましたから。
去る時は思わず敬礼してしまいました。
あとスマップと江頭さんも好きになりました。
神戸震災の時に大嫌いだったマスコミの人も好きになりました。
大阪市バスの人も好きになりました。
で、政治家と民主党が大嫌いになりました。
「かん」とかいう首相な野郎と、現場知らない東電の役員だった奴は今でも超ムカです。
どうでも良い話ですね。
あとのトピックは。。。。
秋田美人、秋田犬はこの頃にロシア人が入ったからとかなんとか。
俗説と片づけられてますが、古代からユーラシア大陸との交流拠点があった場所ではあります。
ロシア人との交易による接触は結構ある、遺伝子上はコーカソイドが多いとかあるので、ここら辺で秋田犬、秋田美人が確立された理由はあるのかもしれませんね。
まあ真実はわかりません。
しかし、彫の深い、肌が白い美人と、狼に似た精悍な秋田犬はこの頃から有名になりました。
ついでに室蘭とか?
いよいよ北海道にちゃんとした地歩を築いてます。
本州がようやく発展しまくり、いよいよ北海道、北方領土への進出が始まってます。
アイヌいじめたとかはなさそうですね。
開拓は明治時代とかで、江戸時代は北アメリカに商館立てたフランス人の感じ?
アイヌやロシア人と特産品交換し合った商社っぽいです。
室蘭の古地図見てもそんな感じでした。
うーん、途中から何の話か分からなくなってしまった...
まあなんやかんやで江戸時代はとっても幸せな時代だったと思います。
現代に通ずる意識や産業の元はここらへんで醸成されています。
しかし、幸せの時代は徐々に失われていきます。
まず、災害は万遍なく全時代で起こっていますがその対策のところで「○○の改革」、後ろになるほどしょぼい改革になっていきます。
政治の硬直化とか言われてますね。
そして重商主義の失敗、重農主義の忌避感、ヨーロッパではすでに経験して行き詰まり、失敗している政策が民衆の不満を募らせます。
すでに娯楽や享楽、科学の発展からいまさら引き戻すような政策が上手くいくわけありません。
そして欧米は産業革命を終え、近代に突入しました。
いままで外交にイニシアティブをとっていた立場が失われます。
今まで日本側が外交の取捨選択をしてきたのですが、それが通用しなくなってきました。
アヘン戦争もオーバーに日本に伝わってきます。
超大国「清」「中国」が敗北した、、、実際は蒸気船という川船で小舟を倒しただけだったとしても、超大国が「負ける」というのはすごいインパクトです。
そして安政の大地震と呼ばれる1850年代に頻発した連続した地震。
安政東海地震、
安政南海地震、
飛越地震、
安政八戸沖地震、
伊賀上野地震、
安政江戸地震。
安政年間に発生した連続した地震、通称「安政の大地震」と総称される不気味な地震群。
こんな自然現象、世紀末とおもってもしょうがありませんわ。
そして最後のとどめ。
日本の繁栄の象徴の一つ、金銀銅といった貴金属の鉱床が軒並み閉山となります。
海外との取引の増大で貴金属が流出し、枯渇し、それこそ中国ではなく、日本が海禁して取引を中止したくなる立場、、、しかし江戸時代の中期までは充分に力がありましたが、後半のこの頃になると日本は弱者の立場になっています。
海外の事情を無視して繁栄を謳歌した日本は、その今までのツケを全て支払わなければならない時代がやってきました。
幕末は動乱の時代になります。




