鎖国はなかった
江戸時代、中世、近世の限界まで一次産業、二次産業の発達していた日本、東名阪を得たおかげでとても発達することになります。
残念ながらどうやっても産業革命は難しそうですが。
石炭という資源を気楽に使っていたイギリスとはずいぶん違う金属資源、金銀あれど使いやすい石炭、鉄鉱石はなし。
工業の発達、職人が多い理由は、鉄鉱石が取れないという鉱業が厳しいところも含めて、羨ましいんだか寂しいんだかな立場です...
しかし、なぜだか歴史の授業を受けた時の江戸時代は貧乏で飢え死にしそうな悲惨さを醸し出してますね。
時代劇や子連れ狼あたりの陰惨さ、農民は農奴同然の奴隷な姿、武士はなんか妙ちきりんなプライドで殺し合い。
なんだかなぁ。
まあこの時代、間違いさがし...というわけではないですが、強引な解釈と勘違いで変な方向ばかりになってるから変な矛盾が噴出している時期です。
そもそも歴史的に前政権を否定すること、自政権をとっても良く言う事は為政者の基本なのでその余波がもろに受けているのが江戸時代。
まず豊臣秀吉が人気者だったので、それを否定せず豊臣家を否定しなければならないのでその後継者はボロクソです。
淀君は本当のアホでしたが、息子も従弟も養子もそこまで愚物じゃなかったんですけどね。
まあ、いまの大河ドラマでは秀吉の後継者候補は揃いもそろってアホと言われます。
織田家もそうですね。
けっこう傑物も居たのですが、なんか信長の子孫も物語では全員が愚物です。
そして家康は当然ながら神君。
なんだか妙な戯画化的な形で役割が決まってしまいました。
織田信長は強烈な支配者、秀吉はそれにのっかったお調子者、家康は律儀に最後に日本を組み立てた功労者な感じ?
夫婦喧嘩の仲裁、農民商人の気遣い、宗教家に対する気遣いとかぜんぶチャラで全部、周り中を切り殺して言った狂人のイメージ?
信長浮かばれませんねぇ。
ま、当時のベストセラーが三国志、水滸伝です。
そういう読み物に合わせて物語が歪んでいきます。
科白の剽窃も多いは、武将たちの行動も勧善懲悪、なんか性格も稚拙なお子様になっちゃいます。
なんか今川は「おじゃる」となってますしね。
さらに江戸時代は武士のやることがなくてなんかかっこよくなりました。
なんか戦国時代も主人に忠誠を誓う、犠牲的精神と妙ちきりんな美学で変な行動をとってます。
なんか茶釜を抱えて爆死した武将がいるらしいですよ?
本当にいたらマジキチです。
普通に農民上がりで「開墾」-「開墾」を続けた郷士の延長とは思えないほど、物語では教育程度が高く、の割に妙な理屈を振り回す変な連中となっています。
明智光秀はいじめられ、バカにされ、恥の概念で反抗したとか言ってますよね?
なんか事実だけ並べると、普通に野心家で下克上した武将と考えた方が正しい気がしますけどね?
なんかこの人は雅で教育程度が高く、でも狡猾で公家や宗教家に人気とか、どんなデマか。
秀吉の方がよほど人気者でしかも狡く、その割に知性は高そうでしたがなんか「猿」ですもんね。
これも面白おかしくキャラ付しなければならない物語の都合なんでしょうねぇ。
実際の武士の美学とやらは、戦国期も末期のようやくちょこっと出たくらいなのにね。
もっとも私も、武士は切腹がそこらじゅうで流行しているキチガイ人種と思ってました。
そんなんなかったのを知って安心安心。
更に歪むのが明治政府。
江戸時代の後の明治政府がさらにやばい組織でした。
なにしろ国民から超嫌われてましたから。
だから江戸時代をとっても悪く言う。
なんか農民は奴隷で、監禁されてるんかというほどがちがち、五人組とかチクり制度があって、飢え死にしそうで、悪の家康は「生かさぬように、殺さぬように」。
なんか「子連れ狼」でも百姓は悲惨で、一揆ばっかですね。
あと逆さ貼り付けとか。
とっても目立つ黒装束をまとった「忍者」とやらも含めてなかなか劇画な時代です。
現代文学も江戸時代はとっても悲惨な時代としたいようです。
さらに自由民権運動で、へんな運動家が
「僕たちは救世主だよ!悲惨な君たちを救いに来たんだ!」
としたければ江戸時代の農民を「農奴」「悲惨」とした方が活動しやすいですしね。
なんかいろんな思惑で江戸時代は「悲惨な時代」と定着してしまいました。
特にすごいなぁと思うのがキリシタン弾圧。
とってもキリシタンは正義で、それを弾圧する幕府...そもそも親藩でなければ藩は「国」なんで幕府関係ないんですけどね...は悪。
「ひでぇ連中、キリスト教徒可哀そう」と民衆はささやき、いかにもキリスト教徒は善良で人気者っぽいですね。
まあ明治の西洋化の流れで公家や公爵が積極的にキリスト教徒接触したので「セレブ」=「キリスト教」的なブランドもあったので、バイアスかかるのは仕方ない部分もあったんですが。
実際はどうだったんですかね?
まず時代劇とかのキリスト教徒は、弾圧されてもけなげにがんばる可哀そうな人達とかな感じ?
実際は...ローマ時代のユダヤ人+現代の新興宗教にはまる面倒な人+韓国教会みたいな人騙して売春とか売っ払うとか、ろくでもない認識っぽいです。
・たとえば人々の役に立った商家の旦那が不慮の事故で死亡、その後耶蘇(キリスト教)狂いの親族に騙されて一家全員財産吸い取られ、周りに迷惑かけまくって一家離散とか。
・密教じみた儀式で不気味。キリスト教徒でないものを上から目線で馬鹿にする。
・奴隷として人を売る。自分の妻も外国に売り払う鬼畜。
・宣教師が偉そう。
まあここは、数少ない、記録が残っている噂話ですからね。
事実かどうかは話半分で聞いた方が良いです。
が、少なくとも民衆にはうさんくさい連中と思われていたみたいです。
九州を除いて。
同時に、各大名も様々な対応をしてます。
信長や島津は布教も許すが贔屓するわけでもなし。
銃、ガラス細工、そういったお土産をたくさんもらって国教とした贔屓した大名。
一神教のストイックさに感動して素直に入信した高山とか。
キリスト教が九州なのは偶然ではありません。
中央がまとまるうちに技術も資源も滞り、藁をも掴む想いで頼ったのがキリスト教。
ただ、奴隷売買を一番積極的にやってたのもキリスト教なので、なんとも微妙な関係でしたけどね。
そして「キリスト教」と一口に言っても全然異なるもののごった煮であることを忘れています。
そして宣教師も全部同じとは言い難い。
一番有名な「フランシスコ・ザビエル」はカソリック、スペインはバスク人で、プロテスタントが台頭するほど腐っていたカソリックを立て直した「イエズス会」の創設メンバ。
日本だけではなく、各国から称えられる本当の聖人です。
インドでも多くの信徒を得てました。
日本でも薩摩国島津家に許可を得て布教に勤しんでました。
しかし本当に人気があったのでしょうね。
人気ありすぎてそこらじゅうで仏教徒とトラブル起こしてます。
まあこの頃は酒池肉林の坊主を抱えた一向宗が台頭していた時期でしたからね。
島津も含めた各国の扱いは同じ。
仏教徒を考慮しつつ、好意的な感情を抱きながら布教を許されたという感じ。
望遠鏡、琴、時計、ガラス細工、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃、こういったお土産も忘れない。
しかしながら仏教徒にそこらじゅうでいじめられてます。
尤も、論戦で勝って逆に信徒にしちゃってたりしますが。
ついでに日本らしく、仏教だって一神教とは程遠い自然宗教にしちゃった実績があり、なんかインドからきた新仏教と勘違いされてお寺に招待されちゃったりして。
信長お抱えの「ルイス・フロイト」も似たような聖人でしょうね。
とっても人気ありました。
彼自身も日本大好きっ子。
その文明の高さと清潔さ、民衆の教育程度の高さ、科学文明、絶賛してますね。
日本人に来た宣教師は日本ラブ多いです。
ちなみに信長はキリスト教だけを贔屓したは嘘ですからね?
「熱田神宮」「本能寺」寺社仏閣にも巨額の投資してます。
延暦寺焼き討ちとかは、別に宗教を相手に戦ったわけではないですよ?
僧兵、郷士、地場の武力集団をかき集めた一大武装集団とぶつかっただけです。
ちなみに信長だけではないです?
越後)上杉謙信もとっても攻略に苦労してます。
彼はなんか女だか正義だか勘違いしている人多いですが、親戚殺して大名になり、信長と同じように普通の大名としていろいろと苦労してます。
尻垂坂の戦い、富山城の攻略とか、もう大名同士の戦いと変わりませんな。
ポルトガル人)フランシスコ・カブラルは逆に日本人に不遜な態度をとったカソリック司祭。
正直、あんまポルトガル人冒険者との境目ないです。
現地人を徹底的に馬鹿にする態度はそういうところからきてるのかもですね。
だいたい彼が宣教師になれたのもスペインとの政治的バランスで就いたので、そこらじゅうから無能扱いですね。
とっても不人気でした。
そして「スペイン・ポルトガル人の宣教師の後に征服戦争が始まる」という噂の原因も彼が最初でしょうね。
そもそも日本を征服できるような実力ないのにね。
すぐに解任されました。
ざまぁ。
「私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない。…日本人は悪徳に耽っており、かつまた、そのように育てられている」
「カブラルは、日本人を黒人で低級な国民と呼び、その他、侮蔑的な表現を用いた。かれはしばしば日本人にむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人だ」というのがつねで、日本人に対して、日本人が誤った低級な人間であることを理解させようとした」
そして九州をとっかかりに死の商人、奴隷売買に乗じてた商人たち。
ポルトガル、スペイン、実はフランスとかロクでもないことをしてます。
実はオランダ人も何ですけどね。
比較的健全なフランス人、イギリス人以外はロクでもない様子。
これらがキリスト教の評判をどんどん悪くしてます。
実際、文明と呼ぶのを迷うような南太平洋の連中はかなり悲惨なことになってますしね。
インドネシア人に対するオランダ人、ベトナムに対するフランス人が「俺は日本の被害者だった。かわいそうだった」とかで激オコです。
俺らの方がもっと悲惨だったじゃんよ。
なんで俺らがお前らに入れられた収容所に、日本軍がお前らを住まわせたら残酷ってどゆこと?
で、オランダ女王陛下が更に火に油で、オランダは大嫌われ者です。
さすがアメリカ大陸の殆どの文明をリセットした征服者です。
国が率先してやったわけではありませんが、取り締まってもないので仕方ないですね。
一方で宗教家ではないオランダ人「ヤン・ヨーステン」、イギリス人「ウィリアム・アダムス」。
プロテスタント(イギリス正教も一応はプロテスタント。
リーフデ号が難破漂着し、プロテスタントを嫌ったイエズス会が「海賊船」「侵略の尖兵」だのないことないこと吹き込んで排除しようとしましたが、元々その宗教争い自体が嫌だったんでしょうね。
相手した家康はむしろこちらを信用しました。
当時はむしろオランダ人の方が侵略的だったんですが。
しかし、そういうことを含めて全て家康に説明し、それが気に入られて大名になってます。
ヤン・ヨーステンの屋敷跡は「八重洲」
ウィリアム・アダムスの領地は「安針塚駅」(京急)
彼らの勝利で、スペイン、ポルトガルが排除され、教科書の言う「鎖国」が実現しました。
教科書の言う「鎖国」はスペイン・ポルトガルとの貿易禁止、キリスト教の禁止。
オランダ人が品行方正とは聞いてませんが、ヤンさん、アダムスさんは誠実だったので評判爆上げでこうなりました。
特にキリスト教の禁止理由は、一つではありません。
・日本でもカソリック-プロテスタントの宗教戦争を始めてうんざり
平山常陳事件とか、彼らの争いに幕府が巻き込まれてうんざり。
・日本征服の尖兵という「噂」
(事実ではありませんし、そんな実力ないし、大名、徳川家はそんなの信じてませんでしたが)
・キリスト教を邪教と罵る連中がうざくなってきた。そして奴隷売買、売春等、ちょっと真実がある。
・オランダ人の台頭とカソリック弾圧のすすめ
(オランダ人、自分のプロテスタントを布教する気は皆無)
・キリスト教を信じている大名がウザくなってきた。
元々中央に征服されたくなくて縋り付いた連中なんでそもそも反抗的。
そのオランダvsスペイン・ポルトガルの政争の結果が「鎖国」の核だったんだね。
そんな流れで日本最大の内戦が「島原の乱」です。
一神教の反乱はとっても面倒みたいです。
胃の中が海藻しかない状態まで飢えても反抗していたらしいですから。
マサダ砦ではないですが、それを敬うべきか、その悲惨さを怒るべきか、その愚かさを馬鹿にすべきかわかりませんが、悲惨であったのは間違いありません。
ある意味日本らしく変質していたらしいので、新興宗教、洗脳は大変だよなぁという見方もあります。
欧米人は、それらすべてを丸無視して「聖人」としましたが。
いちばん悲惨なのは天草四郎さん(15歳)ですかね。
奇跡を起こしたらしいですが、なんかまるで聖書から剽窃したもんばっかなんでちょっと陳腐な創作らしいです。
記録もほとんど残ってないし、なんか絵に描かれるといつも同じ服装なのでなんだか担がれたっぽいですね。
だってきちんと偉業を成してたら、そういう記録も、育っていく経過も服装もいろいろあるはずですもんね。
他書からパクる必要ないですしね。
思春期真っ盛りの良い時に担がれ、聖人としてでっち上げられ、言いようにでっち上げられ、胃に海藻しかない状態まで追い詰められ、首切られるのはなかなか悲惨な死に方。
次点は彼と年恰好が同じ、その場にいた少年達ですかね。
そもそも天草四郎さんがどういう人だか誰も知らないんで、そこらじゅうで掴まえられて首切られたようです。
まあそんな感じでキリスト教禁止、スペイン・ポルトガルとの国交断絶が実現しました。
これが鎖国っぽいものの第一番目?
二番目の鎖国っぽいことは、対外国貿易、あるいは他国から見た対日本貿易が上手くいかなくなったことです。
まずイギリス。
日本は金銀財宝豊富、各国はそれを狙って次々と貿易を開始しましたが、実はそう上手くいきませんでした。
毛織物その他、イギリスの商品は魅力がなくて大赤字、一方的な貿易不均衡が起こり、商館は閉鎖されます。
朱印船による許可貿易が破たん。
魅力的な日本との取引で貿易許可書「朱印状」そのものが奪い合いになったりする。
許可制になり、奉書船制度で面倒な手続きがおこる。
実際、幕府の独占、幕府に莫大な利益をもたらすはずでしたが、他の理由も含めてむしろ日本との貿易は縮小傾向になってしまい、目論見は失敗しました。
二月令
海外渡航禁止、海外の日本人の帰国禁止
なんかだらだらと密貿易とか、抜け荷があったこと、キリスト教の心配で許可なく渡航、帰港禁止となりました。
こちらも幕府による統制貿易をしようとして失敗した例ですね。
なぜか後年に第一次鎖国令と呼ばれます。
当時の人が聞いたら「意味わからん」でしょう。
各国の海禁政策といわれてますが、中世の帝国は軒並みブロック経済を取るようになります。
たとえば明は日本からの銅、貨幣の輸入で対外赤字。
実は日本の銅は銀が大量に含まれていたのでお得感たっぷりだったのですが、それだけに人気があり、さらに貿易赤字が垂れ流されることになります。
ついでに「倭寇」と呼ばれる海賊が跳梁跋扈、海運は中世の帝国にとって美味しいものとはなくなりました。
そして明が滅亡し、明再興を目指す勢力が日本に支援を求める、清が妙な接触をしはじめる、それに巻き込まれたくない幕府は中国大陸の貿易に積極的ではなくなりました。
....これが鎖国っぽいものの全てかなぁ。
なんでそういうことを言うか。
実は「鎖国」という言葉は江戸時代はありませんでした。
「第一次鎖国令」などという言葉も江戸時代にはありません。
なぜか第四次まで名付けてましたが、何者のどういう意図でしょうかね?
なんか対外的に縮小した事例を無理やり「鎖国」という何してます。
「二月令」なんて、そもそも幕府の貿易拡大政策(失敗)なんですけどね。
その文書には「開国」という単語が使われてます。
・江戸時代はカソリックとプロテスタントの争い、東インド会社同士の争いがうざかった。
・日本のキリスト教は妙にとんがって新興宗教みたいなことになってた。
さらに侵略の尖兵とかの噂で民衆の声もうざくなったのでキリスト教禁止。
オランダだけは宗教持ち出さなかったのでOK
(キリスト教国以外は別に禁止してない)
・対抗の他国がインフレ、デフレ、対日貿易赤字で縮小(漢字の国では「海禁」と言ってます。「鎖国」と言っているのは明治の日本だけ。
日本の教科書以外は「鎖国はなかった」と言ってます。
教科書は姑息に鎖国「など」と、私の頃と書き換わってます。
文科省の意図はわかりません。
「間違いを認めたくない」役人根性かもしれません。
明治政府の妙なごった煮のおかげで幕府の一大政策みたいになっていますが、端々の文書をニュートラルに見ると、別に貿易禁止をしたいなんて思ってもいませんでした。
江戸時代が終わった明治時代に、鎖国を「鎖」という強烈な字を充てるのは変な意図を感じます。
蘭学者の志筑忠雄という人が、1801年に『鎖国論』」という本を書いたから?
ドイツ人)ケンペル「日本誌」の付録論文題名の日本語訳「今の日本人全国を鎖して国民をして国中国外に限らず敢えて・・・」という誤訳?
まあ幕末の維新野郎、攘夷野郎はそうして「日本は間違っていた」と言いたいためのバイアスかもしれません。
正直謎です。
まあ「鎖国」とやらは各国の海禁で貿易が縮小した程度で良いと思います。
といっても大きな影響はなかったんですけどね。
明との戦争中も、中国の製品は台湾、朝鮮、沖縄、その他を経由して普通に届いていたんですけどね。
ヨーロッパの製品もロシアを経由して、中国を経由して普通に入ってましたし。
そしていくら幕府の取り締まりをしても、各藩は無視して平気で貿易してましたし。
ついで、幕末の不景気は銀の流出が止まらず、デフレになりました。
各国が日本との取引で海禁政策をとったのと同じ理由でです。
つまり、デフレになるほど貿易してたんですね。
なぜか頑なに、日本の教科書は「鎖国」「鎖国」と言っていますが、その教科書しか見ないであろう一般人以外は、普通に鎖国などなかったと言ってます。
今回はこんなオチで。




