南軍は事実上、壊滅状態になりました
南北戦争も佳境に入り、大きな転換点を迎えます。
相変わらず南軍有利なものの政治的には完全に孤立、北軍は不利な状況ではあるものの潤沢な兵力のまま各国からの支持を得て昇り調子。
かといって「奴隷解放」は諸刃の剣、北が自分達の奴隷を解放したわけでもなく、むしろ州の自治にとっても気を遣って、特に境目の州の奴隷については、とっても一生懸命、もう絶対見ないぞ的な感じで丸無視していました。
まして奴隷解放論者も賛成論者もテロリスト同然の暴力の化身でしたしね。
こんな連中が力をつけ始め、結構後悔している北軍です。
しかし、生き残れば南軍の勝ちという勝利条件を削ぐことになります。
各国から見放され、孤立し、武器弾薬、継戦能力に限りが出ることになります。
そして妙な状況にも陥ってます。
あれほど地方自治にこだわった南軍は、孤立感と戦争資源の集中のためにとっても中央集権の国になりました。
逆に北軍は州の自治にとっても気を遣ってます。
本当に奴隷が解放されたのは実に二年後。
しかもケンタッキー州以外は全て自主的な返納済み。
なんか南軍が主張したとおりに、地方自治に気を遣いながら「奴隷解放」という連邦法を変えました。
...なんで戦争したんですかね?
今更感ですが、どっちがどうでも主張もゴールも同じような気がしてしょうがない。
そして、その戦争のドロ沼にはまっていくのは、政治やモチベーションだけではありません。
うなるほど金がある北米大陸に売りつけた武器の数々。
いろいろな新兵器は微妙だったんですけどね。
雷管で使いやすさや連射性能が上がろうが、ライフル溝で射程を伸ばそうが、鉄鋼船で厚い装甲を貼って沈みにくくなろうが、別に双方持っているのであんま関係なし。
結局、主兵器はマスケット銃ですしね。
マスケット時代から変わらず、「数揃えて一斉射撃」では一部が旋条だろうが雷管だろうがあんま効果は変わりませんでした..とは言い切れませんが、一回戦あたりの数字も死傷率も戦術も大きく変わってません。
犠牲者数が多いのは会戦数が異常に増えているからですが、これは新兵器のせいではないですし。
新兵器の活躍はいろいろあったみたいですが、それは識者の方々がいろいろ書いてますのでそちらの方を。
武器つえぇ、かっこいいは男の子の夢ですし。
ああ、指揮官の死傷率はとっても上がってます。
マスケットでばかばか打ち合っている間に、射程の長いライフル銃で指揮官や指揮を伝達する軍楽隊を狙撃するのはとっても有効そうですもんね。
しかし何よりも変わったのは...正確に言うとこれが決定的になったのはWW1だったのですが...鉄道、船舶です。
会戦数が増えた理由はこちらですね。
南北戦争の戦闘回数、実に大きな戦闘で約50回、小さな戦闘は無数。
とんでもなく多いです。
そして合衆国の歴史で一番多い犠牲者62万人。
#参考:第一次世界大戦の犠牲は11万
第二次世界大戦は32万
これは戦闘移動に比べて、戦略移動が非常に早くなったことからです。
戦場にたくさんの兵士を集中投入できるようになりました。
具体的にいうと戦場では徒歩で、戦場に来るまでは鉄道や船で来るようになりました。
騎馬といえども戦場で自分だけ素早く動くわけには行きません。
敵が銃を持っている前では徒歩。
戦場で軍隊はしずしずと進みます。
しかし、戦場に来るまでの兵士は、汽車に揺られてシュポシュポと素早くやってくることになります。
駅や港、河川がとんでもなく重要な拠点となりました。
戦いもこれらを奪い合うことになります。
何割か戦死しても汽車や船ですぐに補充。
死が累々と続くことになります。
まさに「橋だって戦争で使う」の延長ですな。
南北戦争で一番活躍したのは汽車かもしれません。
#ちなみに第一次世界大戦は、
これを10倍規模で再現することに
なります。
こういう感じで、双方は何のための戦争か甚だ疑問な状況になるものの、どちらも憎しみと恐れと意地で戦争が続くことになります。
どちらも一進一退。
一応、大きな戦としてはゲティスバーグの戦いがありました。
事実上の決戦だったと言われてます。
南側から仕掛けています。
封鎖、孤立ということで継戦能力に陰りができ、北の食糧庫を狙うことで延命すること、フィラデルフィア、ボルティモア、ワシントンに圧力をかけることで北の厭戦気分を狙う事、こちらが戦略的な目標でしょうか。
対する北は16万人を動員して迎え撃ちます。
北軍勝利ですが、リー将軍の悪名で追撃を躊躇し、思ったより成果が上がらなかった感じ?
リー軍の犠牲は27,000名以上、北軍は30,100名以上。
リー将軍のありとあらゆる目的は達成せず、見事に南軍の迎撃を果たしたと思うのですがリンカーン的にはちょっと不満という感じ。
南軍的には実質、当初の継戦能力で維持できるアテがなくなり、崩壊の序曲となります。
その後少しづつ負け、ミシシッピーを取られて分断され、勝利する可能性はほぼなくなります。
あとはどう負けるか。
#それ以前では勝てたかどうかはともかく
次の年の1864年は「オーバーランド作戦」「バミューダ・ハンドレッド作戦」、「リッチモンド・ピータースバーグ作戦」。
前回のミード将軍の弱気を嫌い、リンカーンが梃入れした強気な将軍達が指揮を執ります。
まあ、こういう政治家が軍の人事に口出すとロクなことがないという典型ですな。
北軍、全部失敗しました。
北軍も南軍も何一つ成果は上がらず、犠牲だけが生じた感じ?
しかしここでイベントが。
リンカーンが再選を果たしました。
ここで南軍の運命が決まったようなものですね。
弱者で孤立している、消耗戦で膠着状態、ここで北軍の意思は選挙で「徹底抗戦」が選択されたわけですから、いずれ枯死することが決まったようなものです。
まあさらに次の選挙まで粘れれば良いのですが、かなりハードな難易度。
実際、次年の1865年で敗北してます。
まずアトランタ方面が辛勝。
しかし北軍の士気を大いにあげます。
そしてその指揮官「シャーマン」(戦車で有名ですね)が「シャーマンの海への進軍」という非情な行為を行います。
具体的にはアトランタから南東400キロの港町サバナまで行った破壊進撃。
鉄道、産業施設、個人資産、ありとあらゆるものを破壊し尽くしました。
太平洋戦争の時もそうでしたが、アメリカは結構(世界にめずらしい)正義の軍隊で、例えば爆撃一つでも敵の市民の犠牲とか気にするのです。
「無差別爆撃は可哀そう」
「銃後の市民を狙うのは卑怯だ」
「発電所や鉄道とか、生活に困るだろう」
同盟の、決して仲は良くない英軍、しかも覚悟のない頼りない弱輩に怒り狂っていたものです。
「まじで戦争やってるんですか~♪」
「スポーツやってるんじゃねえんだよ!」
しかし、例えば第二次世界大戦の爆撃機B-17の損失数は4688機なんですよ。
一機に10名くらい乗ってるとすると、犠牲になった乗員数4万6千人...まあ全部死んじゃったわけではないですが、航空機は落ちたら死亡する可能性高いっすからね。
その家族や友人の悲しみを考えると、得票数はその10倍くらい?
ブチっ
その後は皆さんのイメージするアメリカですね。
ドイツを焼き尽くし、そのとばっちりを受けて日本も焼き尽くし、ブルドーザーのように殺人しました。
今度はその破壊力に、英軍は逆の意味で涙目。
自分たちのしょぼい爆撃機、しょぼい戦果と比較するともう。
英軍がWW2以降は覇権国家を諦めた理由の一つはこれではないですかね?
ソ連とアメリカの圧倒的な破壊力を見せつけられたら、生意気なこと言う気はなくなるでしょうね。
そういやベトナム戦争でもそうでした。
「クリスマスだから休戦しよっか。」
「正月だしね!」
「お祭りの日に爆撃なんかするわけないよね!」
ブチっ
ジャングル焼き尽くしました。
ちなみにNHKとか左巻きの報道マンがくっちゃべってる「ジャングルを爆撃するバカな軍隊」は嘘ですからね。
北ベトナム軍のとても勝者とはおもえない犠牲者は、ケサンの砲爆撃、オーバーロード作戦での絨毯爆撃
、ジャングルを破壊しつくしてとっても効率よく人殺しの結果です。
正義の味方(自称)を怒らせたら怖い怖い。
まあそんな感じで合衆国(北軍)はブチ切れました。
シャーマン将軍、サバナまでたどり着いてもまだ足りないとコロンビアを破壊し、チャールストンを降伏させ、ノースカロライナ州を破壊し、そのまま1865年の4月の降伏まで破壊し続けます。
そしてアポマトックス方面作戦、すでに風前の灯の南軍、最後の補給線であるサウス・サイド鉄道、アポマトックス駅を失い、1865年4月9日にリー将軍が降伏することで実質の終戦となりました。
最後は食糧がほとんどない状態だったようです。
投入戦力 北軍:2,200,000人 南軍:1,000,000人
北軍の犠牲
死者:365,000人以上
負傷者:282,000人以上
南軍の犠牲
死者:290,000人以上
負傷者:137,000人以上
尚、南軍だったところはこのようになりました。
人口 9万人以上→3万人以下(流出、戦後の虐殺含む)
鉄道 8800マイル→0
工業生産 北米の10%→0
綿花 4万5千梱→0
輸出 北米の70%→0
事実上、0が並んでいるのでわかるように壊滅状態になりました。
実にアメリカの輸出の70%を担っていた綿花畑は0になりました。
ありとあらゆるインフラも消滅してます。
誠にアメリカ合衆国が関わった戦争らしく、焦土。
南部は、この後の復興を考えると独立されるよりお金のかかるお荷物になります。
奴隷解放も、無理やりな解放だったからなのか北部も含めてその後は白人全体が黒人を憎むようになります。
実質、人種隔離政策となり、黒人が本当の意味で解放されるのは公民権運動1964年7月2日。
他のヨーロッパ諸国のように、自然と黒人も人権を持つような国ではなくなってます。
あれほど離反にこだわったリンカーン、勢いに乗じて黒人の奴隷解放をもくろんだ政策、彼の思考では成功だったのでしょうか?
失敗だったのでしょうか?
何にせよ、古いもの...それが悪いものとはとても思えないような..を捨て、新しいアメリカとなります。
それはとても華やかで豊かで幸せそうに見えますが、アメリカの作家「フィッツジェラルド」が書くような、どこか欺瞞が見え隠れする社会となります。
そして北で奴隷を解放した農民は「怒りの葡萄」を書くような陰惨な生活になりますが、それは歴史に埋もれてあまり誰も気にしません。
「スタンドバイミー」の映画で感じるようなものが本当のアメリカなんだという人はたくさんいますが。
そんな感じなのが南北戦争後です。
尚、最近は銅像を引きずり落とせで有名なリー将軍は、普通に人格者なので恩謝され、ワシントン大学の学長と南部の復興のための人材育成に尽力しました。
1975年にフォード大統領の承諾と米国議会によって米国市民権を回復し、アトランタ近郊のストーンマウンテンパークにはリー将軍を含む南軍将軍たちの巨大なレリーフが彫られています。
吹奏楽部の次女にせがまれ、今更ながら「響け!ユーフォニアム」の映画を見てきました。
良い映画ですね。
吹奏楽部を知っていると感動します。
直後にBOXもCDも全て買ってしまうちょろい父親。
しかし制作年度を見ると...いったい何周遅れか!
そして海外も含めて、SNSでの感想が全てとっても大きなお友達なのが笑える。
感想:
50歳、男子、吹部経験者
47歳、女子、吹部経験者
そしてこの年代は偉そうなのも笑える。
語ってますなぁ。




