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人間の歴史。  作者: TAK
南北戦争
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てっぽう

最近、SNS等に自慢話を披露するのが高じて犯罪までアピールする事例が後を絶ちません。


コンビニの冷蔵庫に入る、

酒場やスーパーで難癖つけて店員に土下座させて悦に入る

リベンジポルノ、脅迫。


特に中高生は落とし穴が多い。

現実世界では学生服着ていればお目こぼしでも、顔が見えないインターネット回線では罪も被害も大人と平等です。

当然、民事訴訟は年齢性別関係ないわけで。

一時の快楽の為に全てを失うアホですね。




と煽っておいて、同じく阿呆だった私の過去の犯罪をご披露しましょう。

小学生の頃、銃火器、爆弾を作ってました。


..正直、自慢話ではありません。

というかみっともない話。

でもまあそれが本当に刑法に違反するモノかどうかはともかく、紀元前の中国、近世の銃火器程度のものではありました。

南北戦争以前の武器ってこの程度のモノというご認識に丁度良いかも。

そして、理屈は同じでも工作精度、冶金の知識があればそれが数十倍にも高まるということも想像しやすいでしょう。




私が小学生の頃は子供の命が呆れるほど軽く、同世代の誰もが溺れ死ぬところだった、喧嘩の加減を知らずに人を殺傷する「武丸」君みたいな阿呆がたくさんいたり、あるいは無謀に川遊びして流されたり、山で遭難とか、建てかけのビルで崩落に巻き込まれたりとか。


あまりに多かったので地方紙レベルにもならない記事だったりする。

考えてみれば恐ろしい時代でした。

それこそ17世紀のパリとか笑えないのが1940-60年代の日本。

コーラで避妊できると本気で信じてましたからね。



「昔は良かった」とかいう爺を信用してはなりません。

乳児、幼児もころころ死んでる時代ですからね。

老害が子育てに口出しても信用してはいけませんよ。

もし、育児の機会があったらGoogle様に聞いた方が信用できます。

嫁さんは大事にしましょう。




当時は火薬なんてものもとっても気軽に手に入りました。


駄菓子屋には無防備に花火がぶら下がり、爆竹、爆薬が小遣いで買える程度のモノ、模型屋さんに言ったらモデルガンの横に火薬と薬莢が置いてある世界です。

そして工事現場ではキーの刺さったままの工事用車と資材、小学校の理科室は無施錠持ち出し自由、薬品使い放題。



そんな恐ろしい時代でアホな私が作った兵器。



一番簡単なのは、鉄パイプにロケット花火を詰めて導火線に火をつければ中国では火箭。

現代では無反動砲ですか。

大量に作って川岸を挟んで対戦しました。

50m以上でも当たります。

自分作った兵器に当たって、血だらけになって「えへへ」と笑っていた馬鹿な私はともかくも、基本的な無反動砲の原理ですね。


ソ連時代のカチューシャと呼ばれるロケット砲はまさにこれ。


「バズーカ」と商品名で呼ばれるバズーカ砲は、前にも火薬を詰め、当たると火薬の爆発が一点に集中して装甲を溶かせるような形状を工夫したもの。

バズーカ砲は装甲車の対抗として出現する20世紀まで待たねばなりませんが、カチューシャと同じ原理のモノは「コングリーヴ・ロケット」として既にこの頃から大活躍してます。


簡単に製造ができ、命中精度は低い、威力も低いが、悲鳴みたいな音を吐きながら集中投入できる火力は歩兵の集結場所に投射する、砲兵みたいになかなか動けない場所に投射して無力化するといったことに重宝しました。

ナポレオンの頃から「コングリーヴ・ロケット」というネーミングで出現しました。

アメリカ国歌の歌詞の「Rocket」もこれを現します。


And the ”rockets” red glare,

the bombs bursting in air,

Gave proof through the night


これは米西戦争の歌ですが、当然ながら南北戦争でも大活躍です。

当時の迫撃砲もこれに似たような構造ですかね。

「砲」なのか「ロケット」なのかは識者にお任せしますが。

とにかく作るのは簡単です。

いわゆるロケット花火ですから。

もともと構造的に精度も出せないのです。

とにかく数揃えるだけ。




それの応用編は火縄銃、マスケット。


工事現場から鉄パイプを盗み、その底に粘土と導火線を詰め、その前にモデルガン屋さんで購入した火薬を詰め、その前にパチンコ玉とか石とか詰める。


これが火縄銃、マスケットと呼ばれる基本構造です。


粘土が火薬の威力で抜けないような詰め方、粘土の底が抜けないように導火線で火が消えないように量や構造を工夫し、中の火薬に上手く着火するとズドンと。

アルミ缶くらいはあっさりと抜け、鉄缶でもあたりどころが良いと穴開きます。

たしか「少年ジャンプ」のなんかに作り方が記載していた恐ろしい時代。。。。


構造的にも単純ですが、実現するのは大変なのも想像できます。

鉄パイプもそうですが、玉を密閉しないとほとんどの火薬のエネルギーが逃げて威力がとっても落ちてしまいます。

そして石を手で投げる代わりに火薬で投げるようなものですから、命中も安定しないわ、玉の形状で精度も変わるわ、弾が玉だと風の影響を受けやすいわ。



1500年代の日本、1600年代の日本でも大量に出回った兵器ですが、上記のような悩みは少しづつ変化していきますが根本的には変わりません。

それが19世紀になってようやく変わりました。

300年間使い続けた火縄銃もようやく根本的な構造変化が起こります。



まず、インドとの戦争の時にちらっと出ましたが、玉と火薬を一体化させようと試みます。

私のお手製の銃は、粘土詰めて、導火線詰めて、火薬詰めて、弾詰めてと面倒ですが、弾と火薬の入った袋をくっつけておいてそれを詰めるならワンアクション減りますね。

そのときの火薬を包む油紙がインドの戦争につながるのが歴史の不思議というところですが。

それの延長が現在の銃弾、玉ではないブレッドと火薬を詰めた薬莢カートリッジ


そして更に装填しやすくしたのが1836年に完成したドライゼ銃。

後ろから玉ではない紡錘型で空気抵抗を受けにくいブレッドと装薬を一体にした弾丸を詰め、ばね(ボルト)で後ろを密閉してから撃てるようにしたモノ。


ボルトアクションとか現代でも言われるモノはこれです。

レバーをひいて後ろを開き、弾を詰めてボルトを戻して後ろを密閉して後ろに火薬エネルギーを閉じ込めたもの。

正直、後ろが開いていない前装式の火縄銃の方が確実にエネルギーを後ろにやらないので性能良かったのですが、前から詰めなくて済む連射性能は得がたいモノでした。


これは後年の銃の発展に一定の方向性を与えることになります。

火縄銃マスケットだと、前から詰めるので銃口より大きな玉は詰めません。

後ろからなら銃口より大きな弾を装填し、密閉させて威力を大きくさせたり、銃身にライフルをつけて弾に回転をあたえたりとか。

後年は後装式が当たり前になりますが、南北戦争の頃はまだまだ性能は低いです。

が、将来的に工作技術と冶金で、前装式より性能が良くなる可能性が高まりました。




そして私の悪行その三。


爆弾作り。


アロンアルファの容器にモデルガン屋で購入した火薬と、理科室で盗んだ濃硫酸とプラスチック容器と銅板とマグネシウム板。


爆弾なんて爆発させれば良いので、爆発物を詰めて火をつければよろしい。

たとえばT型フォードはアルコールを爆発させる内燃機関を使っていましたが、その爆発物「アルコール」を瓶につめて、布で栓をして、その布に火をつけると火炎瓶モロトフ・カクテルの出来上がり。

ま、現代の自動車はガソリンなのでガソリンの詰めて火炎瓶の方がメジャーですか。


しかし小学生、中学生にこんなのは如何にもスマートではない。

だってカッコつけ以外目的ないですもん


ポケットに容器を忍ばせ、敵が来た時...その敵とやらはなんなのかはさておいて...いざというときにボタンを押して敵に投げつけて爆破させる!


かっけぇ。

私の手作り爆弾は飛ぶように売れました。


安全ピンを外し、アロンアルファの底をボタン代わりに押し込むと、、、濃硫酸が銅とマグネシウムを溶かして高熱を発します、、、そして投げつけると数秒で爆発し、敵は木っ端微塵。

そんな敵が小中学生の相手に居たのかどうかはともかく。



作り方は教えません。

普通に作ったら間違いなく失敗しますし危険です。

いまや店頭で火薬なんて花火をほぐすとかしか出来ませんし、学校の理科室が施錠している現代では実現不可能でしょうが念のため。

 #知っていればスーパーマーケットと

ドラッグストアーで実現できちゃうのですが



私たちは最終的に爆弾相手の敵には出会えませんでした。

その代わり、クラスメートが机の中に爆弾を忍ばせ、不用意に落としてしまい、ドカン!!


人的被害は0でしたが、教室の床は半径1mが焼け焦げになってしまいました。

落とした友人も、足下に熱風が吹いて火傷はしなかったが怖かったと。

制服の黒スラックスの色が黒ではない何かにちょっと変わってました。

そして本当の敵は内申書であり、それには全く爆弾は通用しなかったことだけはお伝えしましょう。




上はどうでも良い話ですが、南北戦争の頃の技術で一番でかいのはこれかもしれません。



火縄銃の欠点は火縄が必要なこと。

天候を気にしながら、火薬に火をつける「火」そのものを維持しなければならないのはとっても大変です。

それが面倒なので導火線をやめ、直接火薬に火打ち石で火をつけようかと試みます。

それがフリントロック。

人間誰しも同じことを考え、1600年頃から既にあったのですが、火縄を火薬に押しつけて着火するのはすぐですが、火打ち石でパチパチやって着火するのは不発が多い。

火薬に火が回って爆発するまで時間がかかる。

あんま普及しませんでした。


それを上記の私のように、導火線なしで着火できるようにしたのが雷管式パーカッションロック

もちろん小中学生の私が浅はかに使用した、落としただけで着火するような安易な雷管ではありません。


1806年、スコットランドの牧師様フォーサイスが雷汞(起爆剤)を利用した方法を考案し~これは私並みに浅はかだったのですが~、その後ゴムで包む、鉄のカートリッジに詰めるといった工夫で実戦に耐え得るようになりました。



南北戦争はこういった技術が各国から押し寄せられ、さながら兵器の実験場のようになります。

そしてその集大成が、その直後に産まれる「コルト社」の「ライフル」。

アメリカで銃器が有名な会社ですね。

この後の猟銃的な銃は全て「ライフル」と呼ばれることになります。


現代とほぼ同じ構造。




200年以上、火縄銃マスケットで戦っていた人類がようやく次の武器を手に入れました。

皆さんのイメージとの違いはどうでしょうか。


なんか日本の時代劇はあまりに日本刀でロマンがあるので馬に乗って日本刀でちゃかちゃかなイメージでふざんけなですが、アメリカはアメリカで、


西部劇でインディアンが「馬」に乗り、後装式のいわゆる「ライフル」っぽい武器でお互いが戦い、サラブレッドが引いた幌馬車を守る場面、


...インディアンがどこで馬を育てたのか購入したのか、


ライフルが使えるようになる条件、「後装」「雷管パーカッション」「ボルトアクション」「線条ライフル」の技術が全て揃っていたのか、


幌の布はいったいどこで購入でき、そのサスペンションは誰が作り、そのアラビア馬より立派な馬がどこから来たのか。



実際のイメージと違って銃が使われるようになって長い間は火縄銃マスケットだったのです。

実際の歴史で、火縄銃マスケットはじつに200年以上長く使われていたのです。

そしてそのマスケットである限り、人を揃え、隊列を組み、鼓笛隊で運動し、射撃する「長篠の戦い」から長く続く集団戦法は変わらなかったのです。


しかし「ミニットマン」と呼ばれたその頃の先進国イギリス兵からするとあまりにいい加減な民兵が、当時の最新兵器を双方とも入手し、戦うことになります。


18世紀の独立戦争の頃と違い、19世紀の南北戦争になると、鼓笛隊、集団戦術がそろそろ通用しなくなる頃です。


そういう時代背景で南北戦争は戦うことになります。

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