子供の我が儘
とうとうイギリスは悪の帝国になりましたが、確実に版図を広げていきます。
ここで注目したいのは、イギリスはあくまでインドという貿易相手を肥え太らせ、互いに富もうとした点です。
結果的に大成功です。
海洋国家は海をハイウェイとして活用することで利益を得る。
たとえ産業革命後でも、お互いがWin-Winの関係であったと思います。
あくまで貿易だけならですが。
中国はその手段としての当て馬。
黒字だけど、あくまでそれはインドを通してです。
英中貿易だと特産品の兼ね合いでどうしても金銀が流出してしまいます。
中国がイギリスから買うものないし。
もうアヘン戦争後の政府の瓦解で見る影もないですが、一応中国は先進国なのです。
直接の貿易相手はインドの方が美味しいので、アヘン戦争後こそインドのお茶栽培に力を入れます。
中国からの商品は、むしろ輸入額は低くなりました。
全インド統治後は中国からほとんど引き上げです。
アヘン戦争には勝ちましたが、なんやかんやで直後に中国への投資は引き、インドの方が大事なのでお茶栽培が出来るならぜんぶインドと、苦力とか労働力以外、あんまり中国から輸入するものはなくなります。
こんな感じで順調にインド経営をしようとしましたが、思わぬところから足をすくわれます。
インド統治が上手く行き、直接統治は現地の藩国に任せ、良い貿易相手として利益だけ取る。
経営資金は各藩国、統治も現地人任せ、間接的にいろいろサポートしてイギリス人憎からずと思ってくれれば成功。
少ない投資で大きな利益を得ました。
今でも「世界の警察官」のアメリカ合衆国がそれをやってます。
そして今のアメリカと同じように、広がる版図には有象無象のパンドラの箱を開かなければならないと。
今のアメリカ合衆国の悩みは「民族主義」か「宗教」か。
その先駆けとして、イギリスが最初にこれに悩むようになります。
それが「インド大反乱」「シパーヒーの乱」「セポイの反乱」「セポイの乱」「第一次インド独立戦争」とか呼ばれるもの。
実はここら辺は産業革命が起点であることは間違いないのですが、それはきっかけに過ぎず、英国人への反感はとっても複雑でした。
まず最初は餓死まであった産業構造、破壊にも近い変化。
機織り職人が多数いて、軽工業として全世界で名を馳せていたインド。
しかしそれをイギリスが全て奪います。
インド製1万円の布がイギリス製千円で出回ればそりゃ崩壊します。
最終的には農業国、本国の延長としての工業国としてイギリスは面倒はみますが、職人達の恨み辛みが重なります。
更に、貿易相手は同じ価値観で取引したいものだと。
取引相手が機織り職人か、香辛料か、お茶栽培の経営者か、阿片の材料のケシを育てる人かは別として、東インド会社は法律を本国に似せようとします。
近代的土地所有制度を持ち込んで、インド地域の民が搾取されることなく健全な徴税とサービスの享受ができる法制度を整理します。
内容はすごく良法な気がするのですが、今まで農民を搾取してきた地主が没落します。
更に民衆から搾取してきた年金等、特権を相続させないとか、そういう介入でイギリスを逆恨みする有力者がたくさん。
そして労働者も、物価騰貴にもかかわらず給料が据え置きなのでむかつきます。
イギリスのせいでも何でもないのに、藩国の政府ではなく、そんなん力を失っている感じなのでイギリスに反感を持つと。
そして英国人とインド人の給料格差。
英国人的には宗教上の理由で海外出張、海外出征の拒否をいわれると、そりゃ高い地位は上げられないんですけどね。
ここでイギリスに対して、宗教上の反感も出てきました。
いまのイスラム教徒がヨーロッパで起こしている問題と同じでしょうか。
結局、うがっていえば民族問題や宗教問題って子供の我が儘の延長なんですよね。
どっちかがどっちかに合わせなければならない。
我が儘を要求するのが少数派で、周りが多数なら我を通しきれない。
相手に対して理性的に工夫してものを言う。
しかし大人数だと気が大きくなり、一時的にでも強いので我が通せる。
相手はとりあえず聞いてくれそう。
しかもいったん聞いてくれたら、それが変わろうが「前もこうだった」という理屈を付加して通そうとします。
状況が変わった、実際統治しているとか理性的な理屈、道理は無視です。
だって子供ですから。
日本のクレーマーもそういう感じですよね。
一人一人が理性的でも、群衆になればそんなの吹き飛びます。
「豚食ってはいけない?」
そんなん少数の時は理性的に対処するのです。
米軍がイスラム教徒向けに、指導者に相談して、レーションの豚はアッラーの許可もらったから食ってもいいよ、潜水艦でもメッカの方向は教えてあげるよで良いよ、程度でイスラム教徒は納得するはずなのです。
進化論は教えてはいけない!
仕事先でヒジャブを被らせないのは差別だ!
フランスで抗議して暴力しているイスラム教徒。
日本は結構なイスラム教徒が多い国なのですが、そんなの問題は出たことありません。
最初に東南アジアのイスラム教徒が日本の集団に入り、自分の妥協点、相手の妥協点を探って社会に溶け込む。
次にトルコ系が出稼ぎに来ても、いままでの東南アジアのイスラム教徒に多少の上書き、多少の改善で終わり。
中東系が来ても、アフリカ系が来ても、日本はいっぺんに社会に入れないのです。
そして入ってきた隣人は時間をかけてコミュニティに入れると。
そしていったんコミュニティに入れて社会に定着したら、イスラム教徒は「日本在住」コミュニティという多人数側に回るので、次のが来てもそのイスラム教徒は少数。
いつの間にか日本は結構なイスラム教国なのですが、誰も気づきません。
どころか神道や仏教な中東系日本人はたくさんいます。
子供の我が儘ですから道理や法で訴えてもしょうがなく、まずは特別な集団は作らせないのが大事です。
サンヨーやシャープ、大量に移民を放り込んでやりっぱなし、アラブ語やポルトガル語道路標識になっていて、昼間っから成人男子がやる気なしで寝っ転がる地方都市。
そんなんが大失敗の例ですね。
連中がテロに手を出してもおかしくないっす。
シャープや旧サンヨー経営陣にまず行って欲しいですね。
グズグズに腐っている彼らには、武器と経営陣の個人情報を教えたくてしょうがありません。
話が飛びました。
ま、とにかくイギリスは理性的に、書類上も、法的な立場も、現地人に任せ、自分たちはインド人の意思に任せる。
こういう方針を貫いていたのですが、まさに子供の我が儘な民族問題、宗教問題、地元の有力者の反感が大きくなりました。
「イギリスのせいじゃないじゃん?」
たしかにそのとおり。
しかし子供の我が儘は道理でも理性でもありません。
地面の下のマグマは、そういう憎悪が蠢いていたのです。
そして地面の下のマグマは複雑でしたが、直接的なきっかけはとっても単純。
ヒンドゥー教徒、イスラーム教徒で構成される軍隊、その新式銃が配備されたときの噂。
「火薬と弾丸をセットで紙包みに包んだものに牛の脂が使われている」
「豚の脂が使われている」
それを食いちぎって火薬を銃口から流し込むのは宗教上の禁忌。
キリスト教への改宗のたくらみでこうしたんだ!
実際は牛も豚も使われてなかったんですけどね。
イギリスの対応
「口で噛み切らずに手で開封してください」
ヒンドゥー教徒の返答
「何にせよ牛をそんなことで殺すのは許されん!」
あれ!?
理由が変わってます。
「牛を口に入れさせるキリスト教徒はけしからん」
ではなくて
「牛を殺すのはけしからん」
になってます。
やれやれ、スーパーで牛のバラ肉買う私も許されないようです。
すき焼きなんてもっての他。
ま、子供の我が儘ですから。
マグマの下の非理性的な憎悪は、地面上でもアホな理屈が成り立ちます。
希望にいれてくれない、立憲民主党とかのたまう連中と同じでしょうか。
加計だのどうなったんでしょうかね?
獣医師連合からお金もらっている香川県のなんとかさんは、あまりにクズっぷりで一周回って最近尊敬しています。
香川県の人はあんなんでいいんですかね?
多神教の日本人には理解できないよなぁと思いましたが、まあ彼らは反抗することが目的。
そういえば日本人も「友愛」「ポア」とか殺す理由にしちゃう人いましたね。
あるいはジャズ聴くだけで鬼畜米英の敵性音楽としてリンチしちゃう町内会長とか。
まあこういうことは全世界共通みたいですね。
何にせよ、反乱軍はおこり、彼らはイギリスの武器を手に入れ、英国人を殺すためにイギリスから奪った薬莢(紙薬包)をためらうことなく噛み切ったそうです。
最初の言葉は忘れて。
もういろんな不満、憎悪が集まってすごいことになったようです。
地方領主や藩王の裏切り、欺し、イギリス人の惨殺、同胞の惨殺、異教徒の惨殺、特にイスラム教とヒンドゥー教は、現代でも過激派は質悪いですしね。
少女をレイプして惨殺することに抵抗ない階級や地域もあるし。
そして英国人も温厚な態度はかなぐり捨て、見せしめも残酷でした。
大砲に人間を縛り付け、木製の砲弾で人間を四散させる「人間大砲」は有名です。
反乱は武力で収束しました。
この反乱の全ての責任を「東インド会社」に押しつけ、東インド会社は1858年8月2日、東インド会社は保有する全ての権限をイギリス国王に委譲させ、250年以上続いた役目を放棄しました。
そしてヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国の成立を宣言し、今までの形だけではなく、直接インドを統治することになります。
少ない投資でたくさんの実入り、あくまで現地人に合わせた穏健政策、インドのあらゆる身分の人はイギリス人と同じように裕福にして教育をうけさせよう。
そういう意思は全部おじゃん。
直接統治し、現地を無視したイギリス人の統治を行い、インド人はイギリス人の対等な貿易相手ではなく従属する植民地人になってしまいました。
まあ、現地藩王や有力者達の民衆への搾取っぷり、当時のヒンドゥー教徒やイスラム教徒の暴れっぷりからすると妥当なんですかね?
イギリスとの蜜月は終わりました。
投資して回収するだけの資本家としては、面倒事を押しつけられて誠に不本意だったでしょうが。
そしてそれ以降、イギリスは植民地経営はさっぱり上手くいってません。
カナダは投資先としてはなかなかに悲しい人口希薄な地帯です。
アフリカは、どちらかというと寄港先という感覚が大きいですかね。
ケニアとか一応植民しようと白人やインド人連れて入植しようとしましたが、全ての投資は失敗しました。
ゴールドコーストとか金が採れたので美味しい気がするんですけどね。
最終的な植民地経営としては赤字です。
南アフリカだけは豊富な鉱脈、温暖な地域、富む気配が大きかったのでインドと同じように丁寧に育てようとしましたが、時期が悪かった。
すでにイギリス式、ヨーロッパ式の軍隊のノウハウは全世界に散らばっていました。
ボーア戦争はインド人との戦争ではなく、同じ武器、同じ戦術、おなじ教育を受けたボーア人が相手でした。
苦戦しました。
勝ちはしたものの苦戦で大赤字になったようです。
ソマリア。。。でなくてソマリランド共和国か。
「たった5日の独立」で多少は有名でしたが、今でも誰も承認していませんが無政府で地獄なソマリアと比べて幸せそうです。
香港とかもそうですが、本国にひっついているよりイギリス領になった方が幸せそうです。
それ以外のモーリシャス、セーシェル、ディエゴガルシアとかも寄港地、避難港の役割が大きいです。
あんまり本気ではない。
今では海が綺麗な観光地です。
フォークランドもそうですね。
南氷洋の捕鯨の避難所、寄港地。
アンダマン島、ブルネイ、西インド諸島、オーストラリア、全て流刑地に近い。
発見はしたものの、放置プレーに近いです。
オーストラリアは微妙な流刑地ですが。
なにしろ軽犯罪でも送り込んでしたので実質の移民かもしれません。
現地について早々に現地人を殺し尽くし、ゴールドラッシュで中国人を移民、その直後に排斥、様々な移民の募りながら白豪主義で排斥する、繰り返し繰り返し、移民-排斥を繰り返す妙な国なのは、最初のアポリジニの虐殺が原因ですかね?
常に放置プレーなのでイギリス領であった頃も独立国に近いです。
移民としてうまく定着しているのはアメリカ人くらい?
それ以外の移民はどうも排斥され気味です。
日本も、近いし先進国なんで積極的に移民を募り、有色人種なので排斥されを繰り返されました。
いまは大量の中国人をどうしようかときな臭い感じです。
結局、相手を支配し、従属させて働かせる、そもそも無理があるんです。
だって投資しなければなりませんから。
現地人はいらない、資源だけ欲しいとして、じゃあ現地人を虐殺する手間とかありますし。
そしてなだめすかし、コントロールし、現地をコントロールするのにどれだけ投資が必要か。
逆説的な話、
アメリカは独立しちゃってイギリスと離れ、イギリス政府と別なものとして生まれ変わりました。
そしてその独立後こそうまい貿易相手になりました。
独立後も英国的な生活していたので貿易相手としては良い相手でした。
向こうは農耕、しかもコットンの材料綿花がたくさん。
こちらはアメリカの生活必需品を揃えることが出来る。
お茶は飲まなくなってコーヒーだけど、大西洋の制海権はイギリス持ってたのでアフリカからの輸送はばっちしです。
一時期は奴隷も運んで大儲けしました。
おかげでマンチェスターとか有数の工業地帯を作ること出来ました。
しかもいち早く人権問題で一抜けしたので奴隷問題はありません。
奴隷より労働者の方が大事になりました。
そして奴隷問題が出来ても、それはアメリカ人の責任です。
刈ったのはアフリカ人の王様でも、たとえ買い付けたのがイギリス人でも、不潔な環境で奴隷船を運用したのがイギリス人でも、すでにとんずら。
大儲けです。
あと、他国の植民地政策でもそれはわかります。
オランダ
あれほど暴れ回り、現地人を搾取し、香辛料を育て上げ、インドネシア人を奴隷のように働かせても、最終的には大赤字でした。
産業革命後の価格破壊でただの香辛料など二束三文、たとえ賃金無料でも奴隷経営でやっすい商品作るより、労働者が高付加価値をつけてくれるビジネスモデルの方がなんぼもまし。
黒字だったのは列強相手の地中海貿易、日本との貿易だけというのが皮肉なこと。
最後まで残ったインドネシアは第二次世界大戦で日本に占領され、オランダ人捕虜をインドネシア人の労働者が住んでいた宿舎に放り込んだら、戦後は日本軍の非道な所業と図々しくも糾弾したそうです。
インドネシア人、じゃあその所業を何百年もやったオランダ人はどれだけ非道なんだと糾弾仕返し、いまでもインドネシア人は日本人ラブ、オランダ人死ねだそうです。
フランス
フランス革命後はイギリスに負け、お金になるハイチやエジプトも失い、ただの農業国として地道に生きれば良かったのですが、欧米列強のプライドかまたイギリスに対抗して中国に手を出し、アフリカ横断とかで広大な植民地を手に入れましたが、まあ杜撰。
広大な土地を手に入れれば何か良い事があるに違いないとか思ったんでしょうかね?
フランスの植民地だった場所は、現代でも超貧乏国家として名を馳せてます。
マリとか、
「現地通貨は本国がユーロに変わったのに使えないフラン、英語だったら働き口があるのにフランス語だからまともな出稼ぎ先もない、ああ、イギリスに占領されたかった。」
所詮は大陸国家、ルイ16世やナポレオンの頃で海軍が強大だった時も、ただの大陸経営と同じようなことをしました。
儲けはなかったようです。
オランダほど極悪非道な政策ではなかったようですが、それでも反乱は多発。
安く上げるためにフランス傭兵部隊とか作りましたが結構有名ですね。
ベトナムとかはあまりに無策なので餓死寸前でフランス人を恨んでいるようですが、現地経営のときはそれほど反抗的ではなかったようです。
ちなみにフランス傭兵部隊に夢見ているひと多数のようですが、どの時代もあんま評価は高くありませんね。
ま、現代では重火器ない軽歩兵はあまり役に立ちませんが、ドイツ占領下のヴィシーフランスの評価でも「使えねえ」だそうです。
所詮は植民地への抑え、たとえフランス政府がなだめすかして賞賛しても、烏合の衆というところですかね。
あと、スピードが遅いがとっても航続距離の長い戦闘機と、航続距離が短いがとってもスピードが速い戦闘機と編隊組んだら、スピードが遅くて航続距離が短い航空編隊になってしまいます。
陸軍でも大なり小なりそういうことは当てはまるので、でこぼこっぷりも傭兵部隊の低評価なのかもしれません。
ドイツ
完全な大陸国家。
ニューギニア、アフリカいくつか。
経営プランテーションとして農場の開発投資しました。
元が取れるまでとっても時間がかかり、元が取れる前に第一次世界大戦が始まって、イギリス、フランス、日本に取られます。
アメリカ
中南米にちょっかい出してますね。
なかなか残酷な様子。
米西戦争でフィリピン取りましたがここも残酷な様子。
でも中南米の領土拡張という意思以外はあんま興味なく、あくまで軍事的な寄港地というだけみたいです。
中国に手玉取られて中国権益の深みにはまるとか、なんか現地政府とか独裁者に欺されたり、悪巧みする経済人のせいで手を出し、深みにはまり痛い目に遭うというパターンが多いです。
ロシア
いくつかちょかい出そうとしますがそれだけ。
シベリア広いし、アフリカに手を出している場合じゃないですしね。
南下政策は、トルコやらパキスタンとか、タタールのくびきからこの方の恨み辛みのお互いの紛争です。
きっと植民地とか思ってないです。
ま、こんな感じでヨーロッパの植民地政策は軒並み大赤字。
上手く言ったものは
植民地でなかった頃のインド経営、
植民地ではないアメリカ貿易、
植民地ではない日本貿易、
それ以外は赤字と言われてます。
考えてみれば産業革命後のモノの価値は大幅に下がり、ただの一次産業でしかないプランテーション、採鉱だけでは元が取れそうにないのは道理です。
個人レベルで「ゴールドラッシュ」はアメリカ、アフリカ、オーストラリア各地で起こり、財を起こした人は多数でしょうから、それに引き摺られ、それにのせられて植民地経営をし、維持が大変で結果的に赤字になっちゃったけど仕方ないというのが本当のところでしょうか。
そこら辺、形を変えた現代のシャープや旧サンヨーと同じでしょうかね。
一攫千金で労働者を移民させる、ただの奴隷や労働者を引き入れるのと同じで投資はとっても小さい。
実は維持はとって大変で大赤字になるけどそれはシャープやサンヨーの経営陣の懐ではなくて日本国民の税金。
僕はとってもサンヨーの役に立ちました!
株主様、報酬はたっぷりもらいますよ!
で、個人の懐にたっぷりお金が入り、後始末は税金なので知らぬ存ぜぬ。
税金と言ってもメルケルの懐は痛まないので知らぬ存ぜぬ。
どことかユーロになってからはドイツの懐はなるべく痛まない魔法が使えます。
人権とかグローバルとか言えばなんか民衆もごまかせますし。
植民地経営って、実はこういう理屈なんでしょうね。
お金は植民地から、日本国内かの違いはあっても個人の財をなすため、
後始末は国の税金。
税金使っても、儲かりますよ~。領土広いですよ~。おれら強国ですよ~
と民衆は誤魔化せばOK
こういう悲しい話をして大英帝国の話は終わり。
尻つぼみな話です。
誰も幸せになれなかったという大英帝国にふさわしい話です。
歴代ナンバー1の大帝国の真実。




