番外編 ~ルリカの憂鬱~
ルリカ視点、過去編となります。
「ルリカ。一緒に行こう? 美味しいお菓子があるよ」
まだ幼いカイ様が私の手を引く。あぁ、これは夢なんだ。
「はい。カイ様」
とっておきの笑顔をつくって、私はカイ様と一緒に歩き始めた。ふわふわの黒い髪の毛が風に靡いて、……幼い私は見とれていた。
そう、本当にこの方のことが好きだった。……今でも、好きだ。
「……止めよう」
カイ様に聞こえないように小さく呟く。この頃の楽しい思い出に、浸りたい。
「何か言った?」
「いいえ、何でもありません。それより、厨房に行けばラズベリーのパイが食べられますよ」
そうやってよく王宮の中を歩き回っていた、幼少の頃──……。
私が、一番楽しかった時代だ。
「……すまない、ルリカ。お前を、救うことができなかった」
……これは、私が勘当を喰らった頃?
眉尻を下げたカイ様に、私はなんと答えたのだったか。
「いえ。最初から私には、公爵令嬢だなんて立場は耐えられませんでした。どうか、顔をあげてください」
私の父は、世間体を過度に気にする人だった。口癖のように「いき遅れだなんてみっともない。見た目は悪くないのだから、早く結婚してくれ」と言っていた。
ある日夜会に出掛けた私は、隣国の貴族の誘いを断った。ところがかなりのお偉いさんだったらしく、「こんな侮辱は初めてだ」と激昂。揉め事になり、隣国との付き合いも考えて私は一週間の謹慎となった。
こんなことだけで、父は私を勘当した。
「すまない。王宮で侍女として働けるよう、手配しておく」
「カイ様……いえ、第一王子殿下。私はもう、一侍女です」
「ああ……。そうだった、な……」
この執務室からでたら、もう二度と想いは伝えられない。
届かないのは分かっている……、だけど。
「お慕い申しておりました。……友人として扱って下さり、ありがとうございました。これからは主として、宜しくお願い致します」
カイ様の反応も確かめずに、一礼して執務室を飛び出した。
カイ様が、沢山の女性に囲まれている。
ジラケド公爵のご令嬢、ストレミング男爵のご令嬢──。いずれも、カイ様の側室のお姫様である。
──……もう、私の手は届かない。
お仕着せを着て、ひっそりとその様子を眺めていた私から、遠ざかっていく。
夢だと解っているのに。幻だと解っているのに。馬鹿な私は、手を伸ばす。
「──」
口から、言葉にならない声が漏れた。
「あ、……。やっぱり、夢だったのね」
うん、そうだよね。本当に馬鹿みたいだ。
「……今更泣いたって、意味なんて無いのに」
頬を濡らしていた液体を、急いで拭く。無意識下で泣いていたらしい。
今の私は、ただの侍女。セシル様の御世話に明け暮れる日々。ちゃんと分かっているよね?
自分の位置を確認し、のそのそと起きあがる。毎朝五時起きだ。
鏡に映った私はひどい顔をしていたけれど、いつも通りに朝ご飯を食べ、服を着替えて、化粧をして誤魔化す。
そして、寝起きの悪い主を起こしにいく。
声を掛けて軽く揺さぶれば、「んー」と唸りながら起き出した。
今日は随分とスマートに起きた。いつもなら、起こすのだけで二十分程かかる。
「ルリカさん、おはよー。ドレス選び、お願いしまーす」
ボサボサの髪の毛を整え、ドレスを選んで差し上げて、御所望になれば化粧を施して──。
こうして、セシル様の従者の一日は廻っていく。