釣り針の先に付いたチョコレートケーキ 1
ここ竹取高校では全ての生徒が何かしらの部活動に所属しなければならないという校則が在った。
何故、竹取高校がそんな校則を掲げているのか、まずはそこから説明しよう。
近年の日本、いや世界はインターネットの爆発的な普及によって様々な娯楽が生まれた。
アニメ・ゲーム・SNSサイト等、インターネットを使った遊びやコミュニケーションツールが生まれ、世界人口の殆どがその虜になって居た。
その結果、名前も素顔も知らない人々と気軽に遊べる空間が世界中のあちこちで広がり、何処に居ても通信環境さえ在れば、誰とでも交流を持つことが可能になって居た。人と気軽に交流を持てる、だからそこ人々はインターネットの虜になり、依存し、ネット上の交友関係さえ在れば良いと考える人まで現れた。
だが、所詮はインターネットで知り合っただけの関係。ネットの向こう側の友人が自分が困った時に助けてくれる程の関係まで発展する事はそうないだろう。誰かと出会い、友人を作り、恋人を作る。
だが素性を隠した者同士が実際に出会い、友人になり、恋に発展することはそうないだろう。
それでも人々は老若男女関わらずインターネットに依存する。
だが、そんな希薄な関係だけの世界になることを世界中が危惧した日本は、大々的にそれに対する政策を打ち出した――それが学生達に対する部活動の義務化である。
だからこの竹取高校もその政策に賛同する様にその取り組みを実施し始めるのだった。
竹取高校一年生、間宮明石、彼は竹取高校に通う新一年生で在る。
風貌は黒髪に黒の学ランという周りの生徒達と変わらない格好で静かに自分の席に座って居た。
入学したての彼の周りの席はそこそこ会話が聞こえて来る。まあ、大体の話題は彼の机の前に置かれた一枚の用紙についてだろう。そう思いながら、彼は再度机の上に置いた用紙を手に取る。
――部活動の義務化……ねぇ……
近年騒がれていた学生の部活動の義務化というものを、間宮は何気なしに見て居たテレビでその事を知っていた。だが、部活動の義務化というのがこうして自分の前に現れて初めてそれが実際に起きている出来事なんだなと実感し、「面倒な政策を良くも提案したな日本政府め……」とぼやきながらも彼は竹取高校にどんな部活が在るのか、部活動紹介のパンフレットに視線を向ける。
部活動紹介のパンフレットには運動系と文科系の二種類に分けられ、部員の人数とそこに所属する部員の誰かの一言が書かれていた。間宮は運動系の部活を軽く流して読み、文科系のページをゆっくりと読み始める。その中で部員数がたった一人の部活に目が留まった。
――茶道部か……
間宮の目に何となく留まったその文字を見て、少しばかり惹かれてしまった。
他の部活を見ても、運動部程では無いが結構な数の部員が居る。それなのに茶道部には一人しか部員が居ない。それ程までに人気が無い部活動だと思い。部員が一人ならば真面目な部活動なんて絶対やってないだろう……ならば部活に入りながらも、部活動をサボることが容易と考えた間宮は、すぐさま入部届にその部活動の名前を書き込むのだった――茶道部と。
竹取高校茶道部は校舎一階の一番右隅、人通りが殆ど無い場所に部室を構えて居た。他の教室と同じスライド式の扉で、横には筆で茶道部と書かれた木製の看板が立て掛けられる。室内からは人が居る様な気配や物音は感じられないが、間宮は誰も居なくても構わない事を承知で扉に手を掛ける。
ゆっくりと扉は横に動き、中の様子が徐々に視界に入って来る。扉の手前には玄関の様な靴置き場が広がり、その先には広々とした畳の空間が広がって居る。そして部屋の中央には正座になりながら目を瞑り、湯呑に口を付ける女生徒の姿がそこに在った。長い黒髪で清楚な気品溢れる容姿の女生徒で、茶道や華道がとても似合いそうな風貌だった。
流石にコレは場違いなのだろうと理解した間宮は、ゆっくりとその場を去ろうとした。だが湯呑を置いた女生徒と視線が合い、彼女にこう話し掛けられる。
「君は?」
「えっと……間宮明石です……」
「そうか、私の名前は柊椛だ」
「そ、そうですか……」
まさか名前を聞かれて自己紹介が始まるとは思いもよらなかった間宮は、すぐさま「部屋を間違えました」と言ってこの場から去ろうと思った。だがそれよりも先に柊の方が動き始め、間宮は彼女が何をするのか無意識に気になり、彼女から目を離すことが出来なかった。立ち上がった柊は間宮に近づき、間宮が握る入部届の紙を唐突に奪い取る。
「あっ、ちょ……」
「……」
そんな情けない声を出す間宮を横目に、柊は間宮から奪い取った用紙に目を通した。その後、柊は表情を変えずに用紙を見つめ、その用紙を小さく折りたたんで制服の内ポケットに仕舞い込んだ。
「なるほど……入部を歓迎するよ、間宮君。私は茶道部部長の柊椛だ。まあ、靴を脱でそこに座りたまえ」
そう言って柊は間宮は部屋の中へと招待するが、間宮はその場から動かず柊にぎこちなくこう返す。
「えっと……すみません。柊先輩……まだ茶道部に入るかちゃんと決めてなかったので、入部届を返して頂けないでしょうか?」
「だが、入部届には茶道部としっかり書いてあったろう? 仮入部届は別にちゃんと用意されてある。もしかして、間違えて正規の入部届に書き込んでしまったのか?」
柊の言葉に便乗する様に、間宮は慌てた様子で適当な理由を口にする。
「そ、そうなんですよ!! 茶道部に仮入部しようとしただけなんです!! なので、その入部届を返してください!!」
「うむ、駄目だ」
「はい、ありがとうございま……えっ?」
「聞こえなかったか? 駄目だと言ったんだよ、間宮君」
間宮は柊のその言葉を聞いて一瞬思考が停止した。そして、確認する様に柊に尋ねる。
「えっと……駄目っていいました?」
「ああ」
どうやら聞き間違えではないらしいと再度確認した間宮は、その理由を柊に尋ねる。
「一応聞きますけど、何故ですか?」
「何故って、簡単だろ? 君は間違って入部届を提出した。そして私が受理をした。つまり、君は正式に茶道部次期部長になることが決定した訳だ」
「まって、柊先輩。おかしい、それ絶対おかしいですよ?」
「何か……おかしいところが一つでも在るだろうか?」
そう言って柊はワザとらしく困った表情を浮かべる。
「いや、おかしいところししかないでしょ……まず、間違って提出……ってそもそも俺は自発的に先輩に入部届を提出してないですよ!! そういえば先輩が勝手に奪って、勝手に受理したんじゃないですか!!」
「君が私に入部届を渡す手間を省いただけだろう?」
「そもそも、俺は入部届を渡す気はなかっ……あっ」
そこで慌てた様子で柊に反論しようとした間宮のボロが出た。それを聞いた柊は間宮の口にした言葉の先を追及する。
「ほう、それは興味深い意見だ。その意見を最後まで聞く事にしよう……さあ、続けたまえ」
間宮はしばらく黙り、考える。そしてゆっくりと口を開いてこう言った。
「そのですね……俺はここの部員が少なく、部活動をサボっても何も言われないだろうと思って、茶道部に入部しようと思ってたんです。でも、先輩は真面目に部活動をやっているみたいなので、不真面目な俺は何処か別の部活に行こうと思ったって訳ですよ」
「なるほど、私の事を思っての行動ということか……そういうことなら……」
「はい、理解してくれてありがとうございま……」
「私は本当に、君を茶道部に歓迎しよう」
「……」
――駄目だ。この人、俺の話を全然聞いていないぞ……
そんな事を思いながら、間宮は柊の説得を諦め強行手段に出る事にした。それは、この場から立ち去り職員室に出向き、この現状をありのままにそのままに伝え、新しい入部届の用紙を貰う事にした。だから、間宮は振り返って部屋の外に出ようとした。だが柊に声を掛けられて呼び止められる。
「まあ、待ちたまえ。間宮君」
「入部届を返してくれる気にでもなったんですか? 柊先輩」
「いや、その気は更々ない。まあ、話だけでも聞いて行きたまえ……そうすれば君の気持も少しは変わるかもしれないだろう?」
「安心してください、俺の決意は固いです。ここより楽そうな部活をきっと探してみせますよ」
そう言って、もうこれで話は終わりと言わんばかりに間宮は一歩前へと踏み出した。
「そうか……残念だ……」
柊はやっと諦めたのだろうと思った間宮はやっとここから解放されると安堵の溜息を吐いて、前へ進もうとした。だが、柊が続けて発した一言を聞いて間宮は足をその場に踏み留めた。
「私の話を『聞くだけ』で一個千円するケーキを振る舞っても良いと思ったのだが……間宮君がそこまで言うなら仕方がない……」
柊は『聞くだけ』の部分を強調しながら、足を止めた間宮の後姿を見て更に言葉を続ける。
「ああ、一個千円もするチョコレートケーキ……それを私の話を『聞くだけ』で食べれたというのに……まあ、仕方がないか。間宮君は私の話を『聞くだけ』でも嫌なのだろうからな……」
「……」
間宮は前へ踏み出した足を戻し、柊の方を振り返りこう言うのだった。
「全く、柊先輩は仕方がない人ですね。本当に聞くだけですよ……」
「そうか、それは良かった。そうだ間宮君……ところで君、チョコレートケーキは食べられるかな?」
「ええ、食べれます」
「なら良かった。今日は丁度、お茶菓子として一個千円するチョコレートケーキを用意しているんだが……良かったら、食べるかい?」
「はい、頂きます!!」