第40話 魔女の福音Ⅰ
蒼の星 ゾレグラ第一都市 防衛軍中央司令部
アルトリアと陸兵団が本格的に赤の星への攻略作戦を開始した頃。
バラセラバル連合艦隊が進出する蒼の星では早くも戦いの趨勢が決まろうとしていた。
ゾレグラ守備軍が構築していた三つの防衛網のうち、既に二つがバラセラバル連合艦隊の猛攻により壊滅的な被害を被っていた。残された最後の防衛網も第一、第二防衛網の残存部隊を吸収し戦力が充足しているとはいえ、突破されるのは時間の問題だ。
『アルテミス』と『愛国者』の内戦で戦力を削られていたが、それでもバラセラバル艦隊が精強な軍であることに変わりはなかった。
<同志将軍。申し訳ございません、第一、第二防衛網ともに突破されました>
赤い軍服を羽織のように纏う筋骨隆々の男が険しい表情を浮かべる。
将軍と呼ばれた彼の視線にあるモニターには、宇宙防衛軍指揮所の司令官が映し出されていた。
ゾレグラ外宇宙交易ステーション『ジェミニⅡ』に置かれている指揮所は、画面越しでもわかるほど荒れ果てていた。
艦砲の集中砲火を受けた指揮所内には機材や死亡判定が表示されたオペレータ―たちが宙を漂っている。 火花を散らす配線が飛び出した隔壁を見るに、空調機能も失われたのだろう。空気漏れによる急速に気温が下がった指揮所内の至る所で結露が生じていた。
司令官の吐き出す息が白くモニターに映る。
「いや、よくやってくれた。同志大佐。再出撃まで墓場でしばらく休むといい」
将軍は司令官へ労いの言葉をかけと、司令官が悔しそうな表情を浮かべた。
<お心遣いありがとうございます。では、私は―――>
司令官が最後の言葉を言い終わる前に、ステーションが限界を迎えた。激しい爆発音と共にモニターの映像が乱れ、ブラックノイズと共に途絶えた。
将軍が悔しそうに拳を握る。バラセラバルの進軍はゾレグラ側が想定したよりも早い。当初の予測ではあと二時間は余裕があると予測されていた。
さすがゲーム会社のお膝元である日本サーバーのプレーヤーたちだ。とはいえ、ゾレグラ側も万策尽きたわけではない。この場に、この戦場にいるすべてのプレーヤー達はこの絶望的な状況でも諦めない。希望となる光さえ灯れば、この盤面はひっくりかえせる。そう信じているのだ。
だからこそ。
「落ち着けい!第三防衛網はまだ持ちこたえている!ここで事を仕損じては散っていた同志たちに顔向けが出来ん!」
司令部の中に蔓延し始めていた空気を払う為、将軍はあえて大きな声で周囲へ聞かせる。
彼の言葉に気を引き締めたのか、浮足立っていた兵士たちが己の仕事へと戻っていく。
「V作戦の進捗状況はどうなっている?」
「現地にいる同志へ通信を繋ぎ―――」
「それは必要ありませんよ」
シェルターも兼ね備えている分厚い扉が横に開き、司令部の中へ一人の男が入ってくる。
オペレーターを遮った人物はえらく小柄で腕の長い妖怪のような印象を与える男だった。
本来180㎝近い高身長であるはずの体が強い猫姿勢のせいで伸長は小さく、さらに胴体に対して上肢が異常に長く見えてしまうのだ、
何よりも、彼を近寄りがたい存在にしているのが、まるで蜘蛛の複眼を彷彿させる眼鏡だった。左右四枚ずつ計八枚の大小の連結されたレンズが、モニターの映像を幾重にも重ねて反射していた。
将軍は彼の風貌にも驚くことなく友好的な笑顔を浮かべた。
「こっちへ来ていたのか。同志ドクトル」
「えぇえぇ。なんせ私のかわゆいベイビーの晴れ舞台です。鑑賞するならば司令部ほど適切な場所はありませんよ」
ドクトルと呼ばれた男が眼鏡のブリッジを中指で上げると、三機のキーボードホログラムが起動する。彼の複眼の眼鏡はウェアラブルコンピューターとなっており、キーボードと網膜の運動による視覚入力が可能になっていた。
「私のベイビーは準備万端。あとは魔女からの福音を待つだけです」
「『暗闇の魔女』からの連絡はまだか!」
将軍が声を荒げるものの、コンソールに向かう兵士からの返答はなかった。
苛立ちを隠せなくなった将軍に司令部の緊張感が一層高まる。しかし、ドクトルに焦った様子はない。
まるでクリスマスプレゼントを心待ちにしている子供のような、あるいは自分の子供の晴れ舞台を目の前にしている親のような顔でホログラムを見つめていた。
◇
バラセラバル連合艦隊 第一艦隊隷下第三航空戦隊『赤城』
クラン【Collars】のレッドリーダーは、コックピットの中で優位に進む戦況に満足しながらも、不満感を覚えていた。
<こちら『赤城』管制。甲板作業員はレッド隊への補給を最優先にせよ>
「……ありがたい話だがよ?ちょっとばっかしミーシャの奴は俺たちを頼りすぎじゃねぇか?」
自身への通信でもないのに、レッドリーダーは思わず愚痴をこぼした。
<そう言わんでくださいよ。多忙ってことは、それだけミーシャさんがあなた方を頼りにしているってことでしょ?>
このやり取りはすでに五回目だ。レッドリーダーのつぶやきに毎回飽きもせず相手をしてくれるのは、『赤城』の艦長だ。
「艦長。こちとら、星系戦が始まってから出撃しっぱなしだぜ?隊のメンバーも疲労が溜まっているし、損害も馬鹿にならん」
まぁ、艦長に愚痴を言ってもミーシャが方針を変えるはずもない。仕方が無いと諦めるしかないだろう……。と心の中でつぶやくだけにしておく。
『アルテミス』所属であるはずの『赤城』の艦長だってミーシャからいろいろ言われているだろうから。
「ほんと、現実だったらブラック企業だぞ……」
<そこは否定しませんよ。―――ところでレッドリーダー、新しい機体の状態はどうですか?>
このままだと腐って納豆にでもなりかねない。
急に話題を変えた艦長の心遣いに、レッドリーダーは大人しく便乗することにした。
<試製亜空間戦闘機、仮称『強風』でしたっけ?確か工廠からデータ取りを頼まれていた―――>
「あぁ。プロトタイプの割にはかなり良い仕上がりだ。ロールアウトしたら売れるさ」
そう言ってキャノピーを拳で軽く叩いた。
『強風』は偵察機に多い亜空間跳躍機関を装備した珍しい戦闘機だ。
レッドリーダーは、今回の星系戦に参戦する前からバラセラバル兵器工廠からの指名依頼を受けていた。
『強風』は工廠から貸与された機体だ。
初期装備に亜空間跳躍機関装備を付けていることをを考慮しても非常に素直で扱いやすい。
搭載されているプラズマエンジンも『零式艦上戦闘機』に比べ出力が向上しているため、機首と胴体に装備されている同型の20㎜と7.7㎜プラズマ機銃でも威力が段違いだ。
星系戦に亜空間跳躍機関の出番はないので置いてきたが、単独で亜空間航行を利用できる戦闘機の優位性は計り知れない。
「俺も手元に一機は持っておきたいよ」
<貸与ですもんね。くれないんですか?>
「一応、データの内容によりけりで追加報酬も考えるっては書いてあったけどなぁ」
依頼の達成条件は実戦での戦績。
期間内に一定の撃墜数が必要となるが、以前使っていた『零式艦上戦闘機』よりも性能は優れているため星系戦が終わるころには達成できているはずだ。
<依頼の事、ミーシャさんにバレたらヤバそうですね>
「言うなよ、艦長。あいつのことだ、何言ってくるかわかったもんじゃないぞ」
ミーシャにバレでもしたら戦績稼ぎが出来たのは私のおかげだろ、感謝しろとでも言いそうだ。
恩着せがましいったらありゃしない。
<私も分を弁えてますよ。わざわざ猫の尻尾を踏んで、面倒事になるのは御免です>
艦長との軽口を叩いていると、『強風』のレーダーが何か捉えた。一瞬反応したのは熱源だったが、レッドリーダーが再度確認する前にレーダー上から消滅した。
もしかしたら味方を誤認したかもしれない。
レッドリーダーは連合艦隊の戦況報告と現在位置をホログラムに表示させる。
【アルテミス】を主力とする第二艦隊は、ゾレグラ防衛部隊と絶賛戦闘中だ。距離の関係上、第二艦隊の艦影がレーダーに映りこむことはないだろう。
次にバラセラバル連合艦隊の総旗艦である軽巡洋艦『大淀』を中心に展開する空母群と発着艦する航空隊が目に留まる。
幾重にも連なるエンジンの航跡が暗闇のキャンバスを彩る。
連合艦隊司令長官様が直々に指揮を執る第一艦隊は、【アルテミス】と【三毛猫海賊団】の正規空母五〇〇隻を中心とする機動部隊で構成されている。その数は連合艦隊における航空戦力の七割を占めるほどだ。
対して先陣を切って戦っている第二艦隊は戦艦と巡洋艦を中心とした砲戦部隊であり、制空戦に関しては後方に展開する第一艦隊の航空機に依存していた。
今も『赤城』をはじめ周辺に展開する空母から多数の航空機が発着艦を繰り返し、レーダーも熱源探知も表示が一杯になるほどだ。
だが、どこを見てもレッドリーダーの目に入った熱源らしき反応が無い。
気のせいかもしれないが、何かピリピリしたような肌に纏わりつく感覚がこびり付いていた。こういう時は大概何かある。
「艦長。おしゃべりは終いだ。隊の補給状況はどうなってる?」
<八割は完了していますが……。敵ですか?>
「わからん。勘だが嫌な感じがする」
<『Collars』の勘はよく当たりますからねぇ。―――全艦へ対空戦闘準備、護衛部隊にも通達!レッド隊の発艦を最優先に!」
「整備員、レッドリーダー発艦する。姿勢制御スラスターを使うから周辺の奴らは退避してくれ!」
カタパルトで悠長に射出してもらう時間はないと判断したレッドリーダーは、機体下方へスラスターを向けて甲板に接続されていたロックを解除する。
『強風』の周りにいた整備兵たちが作業を中止して、わらわらと艦の構造物へ退避していく。
退避完了の報告を聞くと同時にスラスターを点火して『強風』を垂直離艦させる。レッド隊の各機もわずかに遅れながらも迅速に編隊を組んでいく。
<レッドリーダー!急にどうしたんですか?>
「わからん。だが、嫌な予感がする。とりえあず、何か不審物がないか探す」
<了解。なら隊を分けますか>
レッドⅡの提案にレッドリーダーは頷いた。
ブートキャンプで面倒を見てやって以来、イベントの際には必ず編隊を組むプレーヤーだ。
「見つけた報告してくれ」
<了解>
レッドリーダーの指示に全機が機体を翻し、艦隊の合間を縫うように散っていく。
見送ったレッドリーダーは言葉に出来ないような不安感を感じながらも、『強風』の速力を上げた。




