第3話 恋する新兵
平成30年8月7日 改稿
ログアウト後、アルトリアこと阿留多伎冬華は、自室のベットの上で目を覚ました。すぐに感じたのは、まるでサウナにでもいるような蒸し暑さだった。
べたべたと纏わりつく汗の感覚に顔をしかめながら、VRギアを頭部から外してベッドに腰かけた。
自身の体を見下ろすと、肌に張り付いたTシャツから下着がうっすらと透けていた。
意識がぼんやりする。そんな状態で部屋を見渡すと、カーテンの隙間からうっすらと日光が入り込んでいた。
冬華は額の汗を拭うと机に置いてあったエアコンのスイッチを入れた。型の古いエアコンが無駄に大音量を響かせながら口を開き、外気を吐き出す。
まだ冷え切る前の生ぬるい風を立ち上って全身に受けながら、冬華は顔をしかめた。
もう夕方の時刻とはいえ、まだまだ八月の真っ盛り。例年以上の猛暑が続きそうだと言う天気予報士の声と示された気温に、つい今朝方うんざりしたばかりだった。
そんな中、エアコンのスイッチを入れ忘れたまま室内を締め切っていたら当然こうなるだろう。安全管理はVRゲームを楽しむうえで初歩的なことだ。
生ぬるい風でも気持ち良く感じる。体の火照りが徐々に引いてくると同時に意識もはっきりしていく。
しかし、よく熱中症で回線遮断が起きなかったなと考えながら、シャワーを浴びるためにタオルをつかんで浴室に向かった。
◇
風呂場から出てきた冬華は、濡れた髪を乾かしながら鏡の前に立った。
鏡から見つめ返してくる姿は、平均よりも背が高く大人びた顔をしていた。少女らしい姿のアルトリアのアバターとは似ても似つかない。
ボブカットの髪は、以前友人にあこがれて長髪にしていたが、高校に入学すると同時にまどろっこしくなってバッサリと切ってしまった。
170センチを超える身長と発育の良い体は、その表情と相まって十六歳の割によく大人と間違えられる。
おかげで中学生時代には何度もナンパされた。そのたびに笑顔で断っているが、内心ロリコンどもめと罵っている。
冬華は、服をジャージに着替えるとアイスコーヒーを片手にメールのチェックするため、備え付けのディスクトップパソコンの前に座った。有名コーヒーチェーン店とコンビニとのコラボ商品のカップの中は、無糖のブラックコーヒーで満たされていた。
「そういえば、充電しておかないと」
そう言うと、ゴーグルと一体型のVRギアを専用の充電器に接続した。昔ほど高価ではないが、中学生の貯金ではちょっと買えない。そこで、高校受験が終わってから両親を拝み倒して買ってもらった。
まだ半年足らずしか使っていないが、頻度が多いため若干塗装が剥げていた。
ふと壁に掛けられた時計を見てみると針は夕方の六時半を示していた。ゲームの開始時間を考えると単純計算で五時間以上潜っていたことになる。
普段の冬華ならこれからログインする時間帯だ。だが、今日は星系戦で十分に戦い尽くしたので満足していた。
それに夏休みの課外授業が始まる前に、手つかずの状態で放置している宿題を捌かなくては。ゲームにのめり込んでいては、後々自身の首を絞めることになる。
パソコンが起動するとメールボックスを開く。数週間前に学校から宿題ファイルが添付されたメールが届いていたはずだ。
メールを確認しているとソラハシャ運営からの着信が入っていた。
―――八月度、第二回星系戦争結果発表および特典の交付について―――
星系戦争お疲れ様でした。
今回は、時間帯が日本サーバーのプレーヤーの皆様に不利な時間帯になってしまったことお詫びいたします。しかしながら、参加されたプレーヤーの皆様の奮闘は運営もきちんと把握しております。
よって、参加された方全員に航空機、または艦船を贈呈させていただきます。
下記リストよりご希望のものをメールでお送りください。
~戦闘機
・95式戦闘機1型
・HL51
・F3F-1フライング・バレル
・I-15
「へぇ。運営太っ腹だね。負けたのに報酬をくれるなんて」
メールのリストに上がっている機体は、どれも上位プレーヤーにとっては取るに足らない物ばかりだ。中堅のプレーヤーもいらないというかもしれない。
しかし、まだ始めたばかりの新参者が多い今回の星系戦。多くのプレーヤーが喉から手が出るくらい欲しがるものが多くラインナップされていた。
冬華も中堅とはいえ、攻撃機には乗り換えて日が浅いため装備は十分とは言えない。
もしかしたら掘り出しものがあるかもという期待を膨らませながら、攻撃機の項目までメールをスクロールさせた。
「97式艦攻か。あんまり大差ないんだよねぇ」
97式艦上攻撃機はレッドリーダーの言っていた『ケイト』のことで96式艦上攻撃機より少し後にリリースされた機体だ。しかし、正直なところ性能は微妙で大きな差がない。
今現在『天山』という高性能機がある以上、あまり欲しいとは思えなかった。
「やっぱり新型機はそう簡単に手に入らないよねぇ」
最後まで確認したが、結局冬華が欲しい物は見当たらなかった。そこで売却して資金に変えるために掘り出し物を探すことにした。
戦闘機・艦上攻撃機(雷撃装備)艦上爆撃機、地上戦闘機、輸送機など様々なものがリストアップされていた。
その中には、複座の偵察機という珍しい物もあったが一瞬迷ってやめた。
この機種は、機体は防御力が低く脆いくせに修理費は高く、レーダー設備や通信装備を揃えるのにも資金が必要なのだ。
もし【海賊】に襲われて全ロストしたら目も当てられない。そのために個人で偵察機を使うプレーヤーは少なく、部隊やクランで一機ないし数機保有する程度で、ある意味でレア物だが資金的価値がないのでやめた。
「あ、船もあるじゃん」
リストに載っている船は、ほとんどが小型輸送船などの非戦闘艦だった。恐らく、これも初心者プレーヤー向けに運営が準備したものだろう。
手堅く資金を稼ぐなら輸送船団に参加して荷物を運ぶのが一番だ。それに上級プレーヤー達にも、小遣い稼ぎに便利な有償荷重の多い輸送船は人気だった。
最終的に冬華も『天山』を購入する資金集めのために輸送船を貰うことにした。
「ん?なにこれ」
長いメールがもうすぐ最後という時に、冬華個人あての文章がつづられていた。
―――初めまして、アルトリア様。
ソラハシャをいつもプレーしていただきありがとうございます。このたびの星系戦におかれましては、アルトリア様のご活躍を湛えまして以下のアイテムを報酬とさせていただきます。
今後も「宇宙の覇者は俺だ!!」をよろしくお願いいたします。
「宇宙の覇者は俺だ!!」運営一同。
客船『あるぜんちな丸』および付随する装備一式。
「客船?」
見慣れないものに冬華は首を傾げた。
今までソラハシャには、客船というカテゴリは存在していなかった。
プレーヤー個人が規模の違いはあれ宇宙船を持っているゲームだ。客船なんてものがあっても、まず利用する客はいない。
貨物を多く詰める貨客船とも、別枠でカテゴライズされているため有償荷重も多くないのだろう。つまり輸送任務で使えない。
「ま、いっか。明日学校だし、勉強しよっと。うわぁ。これ終わるかな」
これこそ使い道がないかもしれないが貰っておいて損はないだろう。一回試しに乗ってみて、いらなかったら売ればいい。
冬華は輸送船を貰えるようにメールを返信したあと、学校から送られてきた課題のファイルをクリックし宿題に取り掛かった。
◇
次の日、冬華はお盆休み明けの課外授業に出るために学校に向かっていた。
実に幸運なことに授業が始まる前日が星系戦の開催日だった。もし休みの日付がずれていたら、ゲームを優先するか、課外を優先するか、非常に悩む羽目になっただろう。
「ふわぁ~」
「おはよう。冬華ちゃん眠そうだね~」
手を口に当て、あくびをかみ殺していた冬華に一人の少女が話しかけてきた。
夏服の白い制服に生える長い黒髪、キレイというよりもかわいいという表現が似合いそうな顔。小動物のような愛らしい印象を抱く彼女の名前は、金崎真優。
冬華にとっては小学校からの親友ともいえる存在で、この高校を受けるのを決めた理由の一つに彼女が受験すると言う事も含まれていた。
それ以外にも、志望大学への合格率が高かったこともあったのだが。
若干、冬華の偏差値よりも高かったこともあり、受験の時はかなり苦労した。
「おはよ。ゲームしてたらさ」
「あれ?でも昨日イベントは夕方には終わってたんじゃなかったの?」
「えっと。あの後も潜ってた。ちょっと資金調達にね。お蔭でまったく宿題できてません」
「冬華ちゃんらしいね」
クスっと可愛らしく笑う真優の言葉に、冬華はニヤリと笑って言った。
「真優もやろうよぉ。ソラハシャ。面白いよ」
「うーん。ゲームの機械も持ってないから。でも、考えておくね」
ほぼ恒例となりつつある冬華の誘いを、いつと変わらず真優は断った。冬華と真優にとっては朝の挨拶と同じぐらい普通にかわされる会話だった。
その時に、学校のチャイムが鳴り響いた。
「ヤバッ!!今日数学だよね!?」
「急がないと、先生に怒られちゃうよ!?」
今日の授業は、時間に厳しい数学の先生が担当だ。もし授業に遅刻でもしようものなら、課題を倍に増やすという鬼畜野郎だ。そのことに気が付いた冬華たちは慌てて駆け出した。
◇
お昼休み。二人は屋上に上がりお弁当を広げていた。この後、教室を掃除したら一時半ぐらいには帰宅できる予定だった。
「冬華ちゃんが言ってたゲームってこれ?」
「うん?そうだよ」
さて、帰宅したらまた資金調達だ。お弁当を開けながら考えていたところに、真優が唐突にソラハシャの話題を振ってきた。
彼女はスマートフォンを取り出し、画面にソラハシャのホームページを表示させた。
『宇宙の覇者は俺だ!!』の文字が表示されると同時に戦闘機が飛び交い、戦艦が撃ち合う動画が自動再生される。スマートフォンのスピーカーから音楽と砲撃音が鳴りだし、周囲にいる生徒の声も合わさり周囲が少しだけ騒がしくなった。
「これ、女の子がするゲームじゃないよね」
「そうかな?まぁ女性プレーヤーは少ないね」
お弁当に入っていた卵焼きをお箸で摘まみ上げながら、冬華はそうつぶやいた。
女性ならばこんな殺伐としたゲームではなく、もっとファンタジーやラブコメのゲームがたくさんあるし、そちらの方が人気だった。
「でも、プレーヤー人口が大きいから女の人も一万人ぐらいいるんじゃない?」
ソラハシャは先日全世界二百万人登録を突破しており、女性が閉める割合は少なくとも人数はそれなりにいる。
冬華が説明している間、真優は箸を止めて物憂げな顔でホームページを見つめていた。
「どうしたの?」
「じ、実はね。隣のクラスの後藤君ってしてる?」
「えっと確か、めっちゃ頭いい子でしょ?来年の生徒会長候補に挙がってるていう」
冬華は、箸を止めると後藤君と呼ばれる人物のことを思い出した。
成績優秀。サッカー部に所属して、一年生の段階でレギュラーを獲得。さらにはスカウトされるぐらいのイケメンでその端正な顔立ちには、惚れる女の子も多く同年齢や先輩、はたまた中学生や大学生から告白されている。男子なら羨むまさに完璧君だった。
まぁ、冬華はあまり興味がなかった。顔も知らない。
冬華は、頭の隅のそんな噂話を思い出しつつ、食事を続けようと箸を掴んだ。
「で?その完璧君がどうしたっての?」
「そ、その……」
真優は恋する乙女のように、頬をうっすらと桜色に染めていた。
冬華の箸が再び止まり、掴みかけていたプチトマトが箸の間から滑り落ち、お弁当箱の中に落下した。
「まさか真優。そいつが好き、って―――うわっ!!」
「と、冬華ちゃん!!」
とんでもない爆弾をそのまま放りだしそうになった冬華の口を、乙女の危機察知能力が働いたのか素早い動きで真優がふさいだ。
「わ、わかったって。言わないって。落ち着きなよ」
「うー」
頬を赤くし、今にも泣きそうな真優に少し真剣な顔で冬華は言った。
今まで浮いた話どころか男子に見向きもしなかった真優がこんなことを言うとは、これは本気だと感じた冬華はお弁当と箸をおいて座り直し聞いた。
「まず確認させて。真優は後藤君のことが好きなの?」
「とととうかちゃんわ、わたしは、――――」
「うん。わかった。とりあえず深呼吸しよう」
聞いてみたは良いものの可哀そうなほど動揺している真優に、冬華はこれ以上聞くのを止めて仮定の話をすることにした。
「じゃあ仮定の話。今真優が後藤君のことを私に話すのと、ソラハシャの動画を見せられるの。どんな関係があるの?」
「え、えっとね。後藤君がこのゲームをやってるんだって」
「ほほう?なるほど。ゲームを口実に意中の彼に近づこうということですか」
したり顔の冬華に、すねたように真優がそっぽを向く。
「ちゃ、茶化さないでよう」
「まぁ。いいけどね。つまり、真優は後藤君のためにゲーム始めたいと」
「そ、そうかな」
「じゃあ、一先ずはゲームを始めよう。ってか親御さんは許可くれるの?」
真優の家は所謂地主で父親が非常に厳しく、もしゲームをすると言ったら、そしてその理由が好きな男子のためと聞いたらどんな反応をするのだろうか。冬華は非常に心配ではあったものの、真優の決意は揺るぎなかった。
「大丈夫。お父さんには内緒にしておくから。お母さんには許可貰ったし」
「なら良いか。じゃいつハードとソフト買いに行く?」
なら応援するか。そう決めた冬華は、再びお弁当を食べながら具体的な計画を立てることにした。