第26話 三大国会議 後編
しばらくして、兵士が一人の男を連れて戻ってきた。彼らが入ってくるのと同時に机の中央に映っていたホログラムが消える。照明が切り替わり、薄暗かった室内が天井の電灯によって明るく照らされる。
会議室にいた全員の視線を向けられた男は五十代半ばといったところだろう。キラリと電光が反射する禿頭に豊かに蓄えられた髭が、メイビスの目を引く。
派手なワインレッドの軍服といったいで立ちで、胸元にはいくつもの豪華な勲章がぶら下がっていた。
「【赤の指導者】の右腕」
誰かが小声でつぶやいたのが聞こえた。メイビスが右隣に視線を送ると、無言のミーシャがいる。その奥に、同じように男を見つめているアルトリアがいた。彼女の表情はいつもと変わらなかった。ただ銀色の瞳だけがまるで心の動揺を物語るかのように揺れ動いていた。
「どうぞ。こちらに」
「いや、ありがたいが、私は敗北者だ。遠慮させてもらおう」
先に入室した目出し帽の兵士が、椅子を引こうとするのを禿頭の男は、手で制した。
そして、会議室にいる面々に向かって挑戦的な笑顔を浮かべる。
彼の口からは、はっきりとした口調であいさつが述べられた。
「初めましてだな。『ペトロパブロフスク』艦長のボルシチだ」
「初めまして。ミーシャニャ。隣にいるのが、アルトリアちゃんとメイビスちゃん」
「【愛国者】の蝮だ」
「【アルテミス】所属のサバ缶です」
淡々としたミーシャの自己紹介。
合わせて、ほかの三大国のマスターたちがそれぞれ自己紹介をする。
なんとなく発言する機会を逸してしまった、メイビスとアルトリアは口を開かず軽く頭を下げるだけにとどまった。
ミーシャが金属の猫耳をカシュカシュと動かしながら口を開いた。
「さて【赤の指導者】の右腕。……いや、ボルシチ。あなたはバラセラバル領土であるファラリス星系に無断侵入、そして同宙域で艦隊による戦闘を行い、多数の警備艇と駆逐艦を撃沈した。これに間違いはないのニャ?」
「あぁ。間違いない」
彼女の問いに、ボルシチと名乗った禿頭の男は、見かけに反して知的な声のトーンで告げた。無機質な机の上に左肘をついたミーシャがつまらなさそうに聞く。彼女の視線は冷ややかだった。
「何が目的か、などと言わないでくれよ。猫の長」
「言わないニャ。実際、『アリエス』と『アリエスⅡ』を抑えられていたら、戦力ダウンは間違いないし、星系戦を控えたこの時期には有効な手だとは思うニャ。―――ただ、解せないことが一つあるのニャ。……なぜ、作戦指揮官があなたのニャ?」
ボルシチは、立ったまま軽く肩をすくめる。まったく気にはしていないようだ。
「不自然か?」
「不自然も何も、お前さんはゾレグラ最大のクラン【赤の指導者】の右腕と呼ばれる男だろう。それが、わざわざこんな面倒な作戦を実行しやがった」
蝮が、口に咥えた葉巻にライターで火をつけながら言う。ほのかに漂ってくる葉巻の香りが嫌いなのか、あるいは話に割り込まれたのが気に食わないのか、隣の座っていたミーシャが軽く顔をしかめた。
紫煙を吐き出した蝮は、ミーシャの顔に気が付いているのかどうかわからないがそのまま質問を続けた。
「汚れ仕事なんて NPCの【海賊】にでもさせればいいだろ。ここまで積み上げてきた【軍人】としての実績も貢献も、すべてを棒に振ってまでする必要があったのか?」
「……【軍人】だからこそだ」
ボルシチは、深く息を吸い込んだ。肺を格納している胸郭が、緩やかに広がった。
取り込んだ空気を少し吐き出す。それは、言葉となりメイビスの耳に届いた。
「―――ゾレグラは今まで防衛戦に関しては敗戦続きだ。むろん、我々トッププレーヤの力が及ばないためなのだが、結果的にゾレグラに所属するプレーヤーは、驚異的な速度で減少している。翻訳なしで同じ言語を使っている同郷の者たちまでも、だ」
ボルシチが、先ほどの知的な印象のまま一言ずつ紡いでいく。その言葉の隅々に悔しさをにじませながら。
会議室にいるメイビスを除く全員が真剣な表情で、彼の言葉に聞き入っていた。
「今では、ゾレグラ本星の周囲宙域ですら安全を確保することが困難になっている。ルーキーたちが安全にチュートリアルを終えることすらできないのだ。―――彼らが、他国の船に蹂躙される、そんなこと許されるはずがない!!ならば、【軍人】である私たちがやるしかないだろ!!たとえそれが、道義に反することだったとしても!!」
ボルシチが、豊かな髭を揺らし、声を荒げる。強く握られた彼の両手は、現実であれば血が滲んでいるだろう。
その姿を見て、メイビスの心臓が先ほどよりも早く鼓動を打ち始める。
この時、初めてメイビスはこれがただのゲームではないことを思い知った。彼らは、本気で戦っているのだ。命を懸けているのだ。
それに彼だけではない。自分が感じているこの鼓動も、感情もVRなどという薄っぺらなものでは、説明ができない。
ここにいるのは、間違いなく、金崎真優という普通の女子高生ではない。この世界に生きるメイビスという一人の女性なのだ。
そう思うと、メイビスの頬が少し赤くなった。
その向こうではボルシチの魂の叫びにも似た独白を聞いた蝮が、ニヤッと頬を緩めながら笑った。
「なるほど。それがお前さんの矜持というわけか」
「いかにも」
一切の躊躇いもなくボルシチが頷く。
すると自分の聞きたいことは聞いたと満足顔の蝮が、葉巻を旨そうに燻らせた。リラックスした状態で後ろに体を倒す。彼の椅子の背もたれがわずかに軋んだ。
「なら、俺からいうことはもうないな。ミーシャ続きを」
「はぁ。わかったニャ。でも、蝮。会話に勝手に割り込まないでほしいのニャ。―――ボルシチ。確かに貴方は、芯の通った素晴らしい【軍人】です。今後、あなたと交友を持ちたいと思いますし、できることならば、このまま通常の罰で開放したい。しかし、どのようにしても許されないことがあります」
あれ?ミーシャさんがまともに喋ってる。急に、語尾につけていたニャを外したミーシャの顔をメイビスは驚愕の表情で見る。周囲の反応には特に驚いた様子もなかった。
どうやら、これは周知の事実のようだ。
彼女は、ふわふわとしたオレンジ色の髪を軽く後ろに払う。
そして、椅子を後ろに引いて立ち上がると腰に持っていた拳銃をボルシチに向けた。会議室の空気が一気にピンと張り詰めた。
「ファリス星系での、NPCを巻き込んだ爆破テロ。これに関しては、私たち【三大国】でも不満を抑えることはできません。もし、このままあなたを解放したとなれば、ファリスのNPCや非戦闘員プレーヤーが黙っていないでしょう」
「ちょっと待ってくれ!!テロだと、はぁ!?何の話だ!!」
銃口を向けられても反応を示さなかったボルシチが、一瞬呆けた顔をした。そして、彼は怒りの感情を爆発させた。拳銃を構えているミーシャに怯むことなく、一歩前に足を踏み出した。
「私は、テロなど起こしていない!!」
「ですが、貴方たちの攻撃する直前に爆破テロがあり、NPCに偽りの手配書まで出回ったのですよ?」
「確かに、【アルテミス】と【愛国者】、そして【三毛猫海賊団】にNPCを派遣したことは間違いない。【警察】にも偽満情報を流すように指示した。だが、テロはやっていない」
さすがに、彼の話を聞いておかしいと思ったのか、ミーシャが怪訝な顔のまま拳銃を下した。ボルシチは、無機質な机の上にバンッ!!と強く両手を置いて言った。
彼の眼には、強い意志が見て取れた。
「もし、疑うようなら、私の指示記録をすべて見せてもいい」
「おいおい。そんなことしたら、お前さんの手持ちの戦力がすべてバレちまうぞ」
「構わない。テロ疑惑など、掛けられているよりマシだ」
「なら、見せてもらうニャ」
いつの間にか、語尾に戻っているミーシャが、タッタッと軽い足取りでボルシチの方へと向かう。正面に立っていたボルシチのもとへ行くには、ぐるりと机を回り込む必要がある。
しかしミーシャが、蝮の後ろを通ろうとしたとき、目出し帽の兵士が前に立ちはだかった。
「ム、君。そこをどいてほしいのニャ」
休めの姿勢で胸を張って通せんぼする兵士を、下からミーシャが鋭く睨み付ける。兵士の表情は目出し帽で全くと言っていいほど見えなかった。
だが、兵士の感じている緊張感はメイビスにもヒシヒシと伝わってきた。
睨まれている兵士の横で足を組んで座っている蝮が、葉巻の火を携帯灰皿で消しながら言った。
「ミーシャ、お前は信用できん」
「どういう意味ニャ」
「俺は、あの男が気に入った。その男の個人情報をお前なんかに見せられるか」
彼の視線が、ボルシチからアルトリアとメイビスに向く。眼帯がウィーンと音を響かせた。メイビスは何を言われるのか。思わず驚いて姿勢を正した。
「アルトリアとメイビス。すまんが、二人が確認してくれ」
「別に、私はかまいませんけど。【三大国】の方が確認したほうがいいじゃないですか?」
「あいにくと、ミーシャも信用できないが、そっちに座っている寸劇野郎も信用できん。初対面ではあるが、この中で一番信用できるのが、お前さんらというわけだ」
それに俺の部下を使うのはフェアじゃないとの蝮の言葉に、彼の対面に座っていたサバ缶があきれたように苦笑した。そして、メイビスとアルトリアに向かって苦笑とは異なる、朗らかな笑顔でうなずいた。
「わかりました」
アルトリアが立ち上がると、メイビスも慌てて彼女の後に続く。
二人がボルシチの近くに寄ると、彼はウィンドウを開き自身のプロフィールをメイビスとアルトリアに開示した。
最もメイビスには何が書いてあるのか、ほとんどがわからなかったが。
アルトリアは、目的とするデータがどこにあるのかわかっているようで、迷う様子もなくパッと開き確認した。彼女の銀色の目が、左右に行ったり来たりする。
「……彼の記録にはテロに関する情報は一切ありません」
「でも、別のプレーヤーに指示してやったのかもしれないニャ」
だからミーシャにも見せるのニャと、一部が騒いでいるものの殆どはアルトリアの言葉に納得したようだ。
「しかし、そうなるとテロの犯人は誰なんだろうな?」
まるで駄々をこねる幼児のように暴れるミーシャの襟首を捕まえていた蝮が、彼女を開放しながら言う。
確かに、結局犯人は分からずじまいだった。
「もしかしたら、私が受けたミッションが関係するかもしれません」
「なるほど。なら、そっちの線で探したほうがいいだろうな。―――もしかしたら、お前さんらにも何かと助力を頼むかもしれん。そのときは頼まれてくれ」
確かに、ドナルド・レーガンがこの話に関係している可能性は大いにあるかもしれない。そうなれば、コンタクトをとれるのは、アルトリアとメイビスしかいない。
蝮の言葉に、メイビスとアルトリアは静かにうなずいた。
◇
「……じゃぁ、ボルシチの罰則を伝えるニャ」
子供のように不貞腐れた顔のミーシャが、自分の席に腰かけながらウィンドウを開いた。そして、不満がたらたらと零れ落ちる声で読み始めた。
「まず、通常捕虜になった場合は、ゲーム内時間で五日間の監禁。及び損害の賠償ニャ。と言っても、【アルテミス】と【愛国者】の戦闘に関しては、根幹にあるのはテロ事件だし、情報に脅されたのが悪いのニャ。両クランのマスターも、賠償を求めることはないニャ。……そんなわけだから、賠償として求められるのは、巡視船の修理代と駆逐艦の修理代だけニャ」
ミーシャは別のウィンドウを開き、それをアルトリアとメイビスの前に表示させた。
「あと、拿捕した船はすべてアルトリアちゃんとメイビスちゃんの物になるニャ」
「……えっと。ミーシャさん聞いてもいいですか?」
「どうしたニャ?」
「いえ、私の駆逐艦一隻に対して、二十五隻は明らかに多いと思うんですけど」
まるで、エクセルのソフトで作ったかのような表を見てみる。表にはロシア語と日本語で書かれたいくつもの船の名前とクラスが記載されていた。
うち一つを指先で触れてみる。
別のウィンドウが開き、その船の状態がどういう状態なのかを3Dのホログラムで事細かに教えてくれた。
一番上の戦艦『ペトロパブロフスク』と重巡『クラースヌィイ・カフカース』、そして数隻の駆逐艦が拿捕の状態にあり、その他は撃沈判定で所有権の扱いになっている。
「こんなに所有権いりませんよ」
「ズズズッ。なら、売っちゃえば?」
「いや、そういうわけにも……。どうする?メイビス?」
ミーシャがどこからか取り出したのかパックのジュースを飲みながら、適当なアドバイスをする。そのあまり解決策になっていないアドバイスに困り果てたアルトリアが、メイビスに視線を向ける。どうやら、アルトリアは本当に必要ない様だ。
「うーん。アルちゃんは必要ないんでしょ?」
「まぁ。そうだね。維持費を考えるとねー。売るにも回収しないといけないし。いらないかな」
「だったら、返そうよ」
グフッ!!メイビスの言葉に、ストローでジュースをすすっていたミーシャがむせた。少し、ジュースの中身が机にこぼれた。サバ缶が少し眉をひそめた。
「え、いいの?壊れてても二十五隻も売ればかなりの額になるニャ?」
「まぁ、私はあまり船に興味ないので」
アルトリアがメイビスの意見に同意した。この世界にいる目的は、船を集めることでも、お金を集めることでもないだから、必要以上のものはいらない。
そのまま、アルトリアは驚いて呆けた面になっているボルシチに話を振る。
「それに、ボルシチさん、今【赤の指導者】に所属していませんよね?」
「あぁ。いくら私が【赤の指導者】の幹部とはいえ、宙域封鎖作戦には、反対の声も強い。作戦が成功したとしても、何かと遺恨が残るだろう。それでは、マスターに申し訳が立たない」
「なら、船がなくなったら無一文ではないですか?……ほかの人たちも」
アルトリアが静かに告げた言葉に、ボルシチはうつむいた。
先ほどの彼のデータを覗いたときに、彼と同じ所属になっていた人物のことだろう。
「本来であれば、一人で行うはずだったんだ。しかし、クランを抜けてまで付いてくるという馬鹿どもが何人かいてな」
「だったら、なおさら返します。異論は認めません」
言うが早い。アルトリアは、ボルシチにすべての所有権を移した。
すると彼の目の前にピコンという音がなり、二十五隻分のリストが表示される。
「代わりにと言っては何ですけど、こちらに捕まっている諜報員NPCを私にください」
「……了解した。感謝する。そちらのお嬢さんは何か要望はないだろうか?」
ボルシチは、アルトリアの要望に、一瞬、眉をあげたがすぐに受け入れた。
そして、隣で座っているメイビスに向かって言った。
「私ですか?うーん。とくにはないですけど。……なら、今度、おいしいロシア料理を食べさせてください。―――あ、もちろんゲームでいいので」
以前の『あるぜんちな丸』の時の、コース料理を思い出しながら、メイビスは答えた。
美味しいものに目がない彼女にとって、外国の食文化ほど興味をそそられる物はなかなかなかった。
「そんなことでいいのか?」
「はい。私、おいしいものには目がないので」
「……わかった。最高のロシア料理をご馳走しよう」
そういってボルシチは、この会議で初めて好意的な笑みを見せた。




