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自分を呼ぶ聞き慣れた声に、セラヴィーンはそちらへと首をめぐらせた。
勢い良く走ってきた少女は、彼女の傍に立っていた相手に気が付いて、慌てて腰を折る。
「学院内だから、礼をとる必要は無いよ、マリアベル嬢。じゃあ、例の件頼んだからね」
前半をマリアベルに後半をセラヴィーンに言うと、青年――皇太子であるエルリック――は、軽く手を上げ、その場を去って行った。
「びっくりした、まさか殿下と一緒だなんて」
「普通気が付くでしょう、あんな目立つのがいれば」
ベルの言葉にセラは笑った。この国の王族は…自分も含めてだが、美形率が高い。DNAの優性遺伝が、こんな風に発達しなくてもいいのに、と常日頃考えてしまう。
とはいえ、いくら少女とはいえ、一国の皇太子に向かって勢い良く駆けて来る事が咎められないのは、ここがエルファイン学院の内部、しかも選抜クラスが有る学塔の中故である。一般の学塔以上に選抜塔では身分を表には出さない。それが此処の不文律であり、学院の意向でもあった。だから、名前が被らない限り、学内ではお互いに名前を呼び合う。家名を持たない、庶民を慮っての処置だ。
『学内では身分の上下は存在しない。よって貴族を示す家名は存在しない』
学長の、入学式の最初の言葉である。
そうはいっても、歴然たる上下関係は存在したが。
それは兎も角。
「そうしたの、そんなに慌てて」
柔らかに笑う友人を見て、思わずベルはうっとりとしてしまう。
入学当初から話題に上がっていた現国王の姪は、噂以上の存在で常に学年トップの地位に君臨していた。特に魔術では右に出る者は無く、国内に留まらず近隣諸国を探しても彼女ほどの魔力の持ち主は居ないといわれている。
当の本人は、至って気さくな性格で貴賎を問わず接してくれる。
だが、誰にでもというわけではない。彼女のポリシーに反する存在には全くと言っていいくらい、辛辣になる。口は笑っていても目は笑っていない、というヤツだ。
「ベル?」
訝しげな友人の声に、ベルははっと我に返り、彼女を探していた原因に顔を青くさせた。
「どうしよう、セラ。王宮主宰の舞踏会なんて、私出たことないよ~」
大きな共通の最初の恋愛イベントだったな、と思い出しながらセラは笑みを深くした。
「出た事ないって…ああ、そういえばデビュッタントは熱出して寝込んだって言ってたっけ」
「セラ~~」
上目遣いの少女にセラは軽く肩を竦めた。
この国の貴族の子女は12になる年に王室主催のパーティに呼ばれ社交界デビューする。勿論、出欠は自由であるが余程の理由が無い限り欠席する貴族は居ない。自分と同い年の彼女が居なかったことに不思議がったセラは、当人の口から、それを聞き出していた。
遠足前の子供よろしく、興奮して寝付かれず部屋を寝巻きのままうろつきまわって風邪をひいたのだ、と。
毎年何人かは居るらしいのだが。
「毎年恒例のことだから。この先3年間はどうしたって出なきゃいけないんだもの、諦めなさい」
「いや、だって、陛下の御前だよ。立ち居振る舞いとか…ドレスなんて此処暫く作っていないし」
「衣装一式は王室から支給されるわよ。近々採寸を行うって話聞いていないの?」
へ?と目を丸くする友人にセラは思い切り嘆息する。きっと、舞踏会のくだり辺りからテンパって何も憶えていないに違いない。ゲームでは見なかったシーンだけに、思わずやれやれと生暖かい視線を送ってしまう。
「ダンスはできるんでしょ?」
「まぁ、一応。実家でも叩き込まれたし」
学院の教養科目でもダンスは必須だ。踊れる、踊れないに関わらず授業で受けさせられる。それ故「踊れる」者は、初心者や上手く踊れないものに教えることになるが、セラの記憶ではベルは「教える」側だったはずだ。
「自分で用意できるものは別にして、ドレスは支給されるし、ダンスも出来るでしょう?マナーだって授業でやったし…問題ないんじゃないの?」
「う…だけどさぁ」
やれやれと、苦笑し場所を変えようと、セラは寮の自分の部屋にベルを誘った。
「ありがとうございます」
紅茶を置いたトリスタンに頭を下げると、青年は微かに目を細め、次に主の前に茶器を置いた。セラが笑顔で応じると静かに頭を下げて部屋を出て行く。
「やっぱり、トリスタンさんが淹れるお茶は美味しいよね」
「ランスじゃ、こんな繊細な味は出せないわよね。で、何が不安なの?」
あー、とかうーとか、訳の解らない声を出した後、ベルは友人を正面から見据える。その勢いに思わずひいてしまったセラだが思いのほか真剣な眼差しに、首をかしげた。
「エスコート」
「は?」
「だから、エスコート役、よ。誰に頼めばいいの?」
ここで、今日何度目かの溜息を彼女は吐く。
「本当に、何も聞いていなかったのね」
「へ?」
にっこりと、本能的にベルが身体を後ずさるほど「素晴らしい」笑顔で、セラヴィーンは友人に顔を向けた。
「王宮入城のエスコート役は、一部例外を除いて先輩たちがしてくださいます。男子の場合は先輩たちをエスコートします。原則として、ランダムに学院が決めてくれる、って先生が説明してくださったでしょ?」
「え、嘘」
全く、と額に手をやる友人に謝って、ふとその言葉に引っ掛かりを感じ疑問を口にする。
「一部例外、って」
「突っ込む所はそこ?まぁ、いいわ。あらかじめエスコート相手が決まっている場合、よ。学院の決定前に申し込まれたら、先生に申告するの。…申し込んだ側からでもいいけど、そうすれば外されるだけ」
解った?と、念を押すセラにベルはこくこくと首を振った。
「あ、それと当日、私別行動だから」
「ええ~何でぇ」
「…一応、当日は招待側に回ることになっているのよ」
王位継承権一桁の少女の言葉に、ベルは眉をハの字にして頷いた。そういう理由なら致し方ない、凄く不安ではあるけれど。
「入城して、最初のエスコート役と一曲踊れば、後はフリーだから合流できると思うわよ。宮廷料理人が腕を振るうから、楽しみにしていれば?」
「ひどぉい…でも、そっか、美味しいもの食べれるんだ」
どこかうっとりした表情の友人を呆れたように見て、セラヴィーンは紅茶を口に持っていった。