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ようやく始まります。まずは、最初。
「村人Aにも名前があり、侍女Bにも家族が居る、そんな世界」
飛ばす前に「上位者」はそう言って笑った。
いくら、ゲームの世界が元になっていたとしても、怪我をすれば痛いし、選択肢なんて登場しない。
あるのは現実で、いくら自分が「神」と呼ばれる存在に送り込まれてきたとしても、この世界には歴史があり、未来がある。
私一人の生死など全く関係ない話である。
しかし、でも、それでも。
乙女ゲームとしては、高い難易度を誇り、今となっては希少価値の高いこのゲームの、全てのEDを見倒し、隠しキャラまですべて攻略し、二次製作まで手を出した自分が、まさか「夢小説」の主人公になって、この世界に生まれ変わるなんて、カミサマも頭の痛いことをなさる。
「上位者」曰く、「楽しんでいらっしゃい」なのだが、普通に生きている以上「楽しむ」ばかりではいられない。
第一、今自分が置かれているポジションがどんなものか熟知していれば尚の事。
ただ、ありがたいことに(ある意味当然だけど)チートに近い能力、優秀な頭脳、運動神経、魔力を有して生まれてきた事で、少しばかり、楽をさせてはいただいたのだけど。
ふ、と小さく笑う。
多分配慮の一つだろう、少しずつ蘇った記憶は、決して楽しいばかりじゃなかったけれど。
「概ね、幸せだった、かな?」
「姫?」
私の呟きに反応するかのように、青年が声をかけてくる。いつも穏やかなその声に、少しばかりの不安さが滲み出ていた。
「なんでもないわ、ティオ」
振り返って笑いかけると、安心したように息を漏らす。多少過保護気味な専属騎士は、人の(と、いっても私限定だが)機微に聡い。それが、負の感情であるのなら尚の事。
「お前は心配し過ぎなんだよ。大丈夫、お嬢は年齢以上にしっかりしてるから」
「…知っている」
明るい声に憮然とした声が重なる。その様子に目を細め、私は再び少し先に有る建物へと目を移した。
丘陵地帯を利用して建てられた、白亜の城。王城とも並び称されるその城は、実は王立の学院で、今から自分が向かう先でもある。
「エルファイン王立学院」
「ああ、懐かしいな」
返してきたのはランスロット。私の騎士の一人だ。因みに、先ほど声をかけてきたのは、ティオ――トリスタン――という。
原案者の趣味全開の名づけは、本来ならこのゲームの主要人物全員が「円卓の騎士」の名前だった名残だ。
尤も、実際は「泣く泣く名前変更」したらしい。理由は、キャラクターの性格が原作のイメージが違う、ということで。
そんな裏事情は兎も角。
「ランスは卒業生だものね」
しかも、私の兄と同級生。
「ああ」
実は没キャラである彼が私の傍に居るのは、「上位者」の好意らしい。しかし「与えられるのはきっかけだけだから、後は頑張れ」って、全くいい加減にして欲しい。現実、というのは、色々煩わしい柵が付いてまわるのだから。
余談だが、彼らを没にしたのは、設定や背景を入れると18禁になりかねない、彼らの持つ背景だった。それごと此方に持って来る辺り、上位者の性格が滲み出ている。
やり込んだゲームなので、主要キャラクターの性格や、背景はばっちり記憶しているのだけど、家で働いていた侍女や庭師なんか解るはずがない。勿論、彼らにも名前があって、家族が居る。
今は、自分の周囲で生活している人達の事は、当然把握している。現実として生きるなら当たり前のことだ。
「そういえば、兄上には付かなかったのかしら」
馬車に乗り込んで、ふと零れた私の台詞に彼らは視線を此方に向けた。
「俺たちみたいな侍従、か?学院から与えられた侍女はいたな。一応身の回りをの世話をするために、選抜の連中には皆付くからな。でも、基本必要ないだろ、あの方には。特に警護の意味じゃ」
一言で、私が何を言いたいのか、瞬時に理解する彼らは本当に凄いと思う。色々問題も有るけど。
「まあ、そうね。基本屋敷でも自分の事は自分でやる侍女泣かせだし」
懐に入れた相手以外には、兄は冷淡ともいえる対応をする。そういえば、ゲーム内では、そんな所を見せることは無かったなと、思い出す。コレも裏設定というものなのだろう。
屋敷内でも、兄の世話を許された者は、古参の侍従や侍女たちだけだ。タイミングが悪いと、私にお鉢が回ってくる。気を許した相手には、兄は遠慮というものをしない。自分で出来るくせに。
「それより、殿下の方が大変だったな。学院と王宮の攻防戦、って感じで」
「王宮側の体裁って事かしら?」
「そう、下手すりゃ小隊配備しかねない勢いだったぜ?」
当時を思い出すかのようにランスは笑った。最終的に、本人の希望と王宮側が折り合いをつけ、5人の侍従と侍女が付くことで収まったらしい。
「王室の面子、ね」
くすり、と笑いが洩れる。基本、自分の事は自分での王家がそこまで他者を必要とするとは思えない。有事の際、自分たちより人民の事を優先させるべく育てられるのだ。そういえば、これもゲームの表には表れないことよね、と思う。
しかし、選抜クラス以外で侍女や侍従が認められることは無い。私が例外なのは、王位継承権一桁の持ち主、という事と他に。
「ま、なんにしろ俺たちがお嬢と離れることなんて、考えられないし」
「是非も無い」
…普通に考えればね、女性が(いくら、13の子供とはいえ)異性の侍従を連れてくる、なんて考えられないわよ、うん。しかも、年若い…ティオは23、ランスなんか19よ。何考えているんだかって、思っちゃうわよね。
色々楽しそうに画策していた、父上や兄上、何故か殿下までもの顔を思い出して、思わず額に手をやった。
認められなければ、どんな手を使ってでも内部に入ってくるだろう、この二人ならば。ならば最初から、と黒く笑った兄の顔が瞼をよぎる。…どうして、「私」の周囲って…。
「ランスは去年卒業したばかりだものね。楽しみ?」
「ん~、選抜時代って、殆どお嬢のところに入り浸って、ティオにしごかれていたからな、別に。まぁ、お嬢とティオだけでってのは楽しみだったりするけどな」
「…口を慎め。今は我らだけでも、この先は違う」
わかってるって、と笑うランスに、ティオの溜息が返ってくる。日常と変わらない風景が続くのはありがたい。
これを日常と思う自分に、笑いがこみ上げ口角が上がるけど、それを自分たちの会話のせいだと勘違いして憮然とするティオとニヤニヤ笑うランスに思わず噴出した。
ここから二年は準備期間。そして、その後ゲームの世界である選抜クラスの日々が始まる。
それ以前に選抜クラスに選ばれなければ意味は無いが…問題はないだろう。それほどの技量をこの少女、セラヴィーンは持って生まれた。
「シャノワールの聖女」
そう名づけられた、恋愛シュミレーションゲームの夢小説の主人公として。…しかし、まあ、ねえ。
傍観者に徹して楽しもう、そう決意する自分だったのだけど。
夢小説の主人公、というポジションの恐ろしさを、この二年後存分に味わうことになる。