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トリップ・トラップ・トラブル 後


「――っ!」

 眩しい光に顔を背け、目を瞑る。

(成功したのか?)

 失敗したならば陣は作動しない。それならば、この溢れる光は成功の証なんだろうか。



 徐々に光が柔らかくなり、ふっと消える。

 瞑っていた瞼を開けると、陣の作動に身体を飛ばされた大勢の人間が床に倒れこんでいる。



 果たして、招かれたのは。









「……………………………………えっ」

 ポカンと、呆気にとられた声が謁見の間に響いた。

 高いトーンの、小さな声。

 魔方陣の中心に座り込んで呆然と目を見開くのは、どうみても、至って普通の少女だった。


 何故か、青い紐と黒い箱を抱えている。



「…………」

「…………」

 正面にいる自分とぱちりと目が合う。

 かくっと幼子がするように首を傾げ、きょろきょろと辺りを見渡す。

 茶色の短めの肩に掛からないくらいの髪に、青い上着に紺色のズボンを穿いている。

 ふくふくと丸い頬に、低い鼻、大きな瞳。

 剣など握ったことがないだろう、傷のない白く細い手足。

「…………救世主、殿?」

 呆然とする魔道師長の声が震えている。

「…………きゅうせい?」

 きょとんと呟かれた声も、子供の声色だ。

「せ、成功っ、成功しましたぞ、王! 救世主殿です!!」

 王座から転げ落ちて引っ繰り返っていた王が、がばっと起き上がった。

 一番遠いところにいるのに、何故そんなに盛大にこけてるんだ。


「戯けっ! この餓鬼の何処が救世主だ!?」

「し、しかしこうして召喚の儀は成功しました。ならば、ここにいるのはやはり救世主――」

「こんな子供に何が出来る!」



 喚く王と魔道師達の傍ら、再び少女と視線が合う。

 ぱちぱちと瞬く大きな瞳。

 するとふと手元に目線を落とし、抱えている青い紐と黒い箱にはっと気が付いた瞬間。





 絶叫した。


「うそっ!? やだああぁぁぁあああああああああっ!!!」

 うわあぁぁぁんと叫んだ後、何てことをと天を仰いだ。








 そのあまりの剣幕に、喚いていたはずの王と魔道師達も何事かと少女に目を向けた。

「待って待って! 勘弁してよ、もう少しで直るところなんだから!!」

 あたふたと周囲に目をやり、ばんばんと床を叩いてくる。

「……お嬢さん、どうした」

 その慌て様に思わず声をかけた。

「これって異世界召喚テンプレで、勇者様ーっとか救世主様ーっ、巫女様って王道パターンかもしれないけど、私そんなことしてる場合じゃないの! 早く帰してよ!!」

「……王道パターン?」

「お願いだから帰してよ、じゃなきゃ社長に怒られる! っていうか仕事! 仕事放り出してきてる!! やだ! 仕事以前に仕事が出来ないじゃない! サーバー! そうよ、サーバー直さなきゃいけないのに!!」

「……サバ?」

「そうよ、ちょ、聞いてよ! 聞いて頂戴よ! この暑さで会社のサーバーぶっ壊れたのよ!? いや、もともと調子が悪かったんだけど、社長がケチって修理しないままでいたら、とうとう昨日の暑さで完全ダウンよ! メールも開けない、会社の共有フォルダにもアクセスできない、ネットも出来ない。一体どうしろって言うのよ! おまけに社長の知り合いで、システムの構築を安くやってくれるっていう設定したおじさんに連絡とって見れば、今はハワイですって! ハワイよ、ハワイ!! だから何かあっときすぐ飛んで来れないような遠方にいる人に頼むべきじゃないって、ちょこちょこ言ってたのに!! 帰ってくるのは来週ですー、なんとかして下さい。僕も仕事で疲れてるんですー。私のほうが慣れない仕事で疲れてるっての!! なんで本職でもなんでもないシステムやらサーバーの設定しなきゃいけないの、頭おかしくなりそうよ! 調べたくても碌に調べられないって言うのに、今週中に復旧させろって無茶振り! じゃあ、きちんとシステム関係の会社にお願いしましょうって言ったら、お金も掛かるし、君、詳しいんだから直せるでしょ? なーんてふざけたこと言い出すのよ。だ、か、ら! 私は単なる事務員で、ちょこっとエクセルやらワードに詳しい位だってば! なんでLANケーブル持って会社内走り回んなきゃいけないのよ! ソフトのインストールやらでてんてこ舞いだって言うのに、とどめにハブの調子も悪いと来た! 何度電器屋を往復したことかっ! 社長は今日会議だからって帰っちゃうし、会議っていうか飲み会でしょ! あのお馬鹿! 私たち事務員が苦労してるっていうのに、さっさと帰ったなんて信じられる!? あれが、社長!? 社長って一番責任が重大なのに、他力本願もいいとこよ! 自分で決めてやったんだから最後まで自分でやんなさい! 自分が出来ないからって、人に押し付けるな! 人を動かしたいならまず自分が動きなさいよ!!」


 喋りだすと止まらないのか、こちらが口を挟む暇がない。





 とりあえず分かったことは、この救世主はお怒りで、尚且つかなりお困りらしい。




「もぉぉぉぉっ! あとちょっとでサーバー復旧できるかもしれないっていう矢先なのっ、皆夜遅くまで頑張ってくれてるんだから、このLANケーブルとハブ必要なんだから帰してよ! って、あああああっ、もう一本断線してるんだった! もう一回電器屋行かなきゃ! 早くしないと閉まっちゃう! お願いだから帰して!」

 わたわたと座り込んでいた場所から立ち上がると、もどかしげに一番近くにいた俺に縋り付いた。胸ほどの高さの小柄な身体で、お願いお願いと懇願してくる。

「本当にお願いだから、帰して! 救世主なんていってたけど、今私たちのほうにだって救世主が必要なの! 途中で投げ出したなんてほかの皆に迷惑が掛かる、直ってからこっちに呼んでよ!」

 するとはっと何かに気が付いたのか、まじまじと自分を見つめてくる。

「……貴方、魔法使いとかそういう人?」

「……魔道師だ」

「魔道師ってことは魔法使えるのよね、ね?」

 念押しする問いに、たじろぐ。

「まぁ、そうだけど」

「魔法って、こう、何もないとこから火を出したり、空を飛んだり、何かを修復したり出来るのよね?」

「出来るといえば、出来るな」


「――っ、やった! 救世主!!」

 途端、ぎゅーっと抱きつかれる。




 救世主に救世主と叫ばれた身としては固まるしかない。


「ええっと、お嬢さん……?」

「高山! 私、高山っていうの!」

「タカヤマ?」

「そうそう高山! ねぇお願い、ちょっと私のところに来て、その魔法でぱぱっとサーバー直して!」

「は?」

「あ、いいの! サーバーじゃなくて、断線してるLANケーブル繋ぐだけでいいから! ね、お願い!」

「えーっと」

「あ、魔法ってあっちじゃ使えないの? ほら便利アイテムとかない? どんな状況でも魔法を供給できる――充電器みたいな!」

 ないと言おうと思ったが、ふと道師服のポケットに入っている魔石を取り出す。

 赤みがかかった金色の大きな魔石は、先代国王から貰ったもので国宝級以上の価値があるらしい。この魔石の許容吸収魔力は、上級魔石の一万個分以上だ。


「……美味しそうだね。蜜柑みたい」

「…………食べ物じゃないぞ」

 ぐぅと切なそうに少女の腹が鳴った。



 途端にふぅっと溜息をつき、よろめいた。咄嗟に支えるとその軽さに驚いた。

「お腹減ったよぉ、眠いし……疲れた」

 ぐぅぐぅと空腹を訴える胃袋と、よくよく顔を覗き込めば寝不足なのか顔色も悪く、クマも出来ている。

「大丈夫か?」

「もー、無理。ほんと、誰でもいいから助けて欲しい……。何度斧でサーバー叩き壊したくなったことか」

「見かけによらず、意外と豪快だな」

「だってあんまりにも言うこと聞かないから……」

 くすんと鼻をすすった。

 その仕草に、思わず笑いが漏れた。

「面白いな、お前」

「面白くない。ちっとも面白くない。早く帰んないと竹下さんに泣かれる」

「タケシタって?」

「後輩の女の子。もう一人、倉橋さんって男の人と三人で頑張ってるんだけど、私が一番パソコンに詳しいんだもん。今頃いきなり消えたってあわあわしてる」

「そりゃ、帰らないとな」

「うん。待ってる」

 笑いがこみ上げて来る。

(そうだよな。この子の言うとおりだ)




「――っ、いい加減にしろ! そこの五月蝿い餓鬼、お前が救世主だというなら、さっさとこの国を救え!」


 国王が怒鳴った。

 近くにいた臣下はその怒気に息を呑んだが、少女は訝しげに目を細めた。

「誰、あれ?」

「あー、この国で一番偉い奴」

「社長か、社長め……だから偉い人って嫌いよ」

「全員が全員そうじゃないけどな」

「だけど、私の知ってる偉い人は、概ねお馬鹿よ。あの人は賢い?」

「安心しろ、あいつも外れず馬鹿だ」

「……お互い上司には苦労してるのね」

「そうだな。レーガだ」

「なに?」

「レーガ・シルフィード、俺の名前。望みどおり元の世界に戻そう」

 ぱちっと大きな瞳が瞬いた。

「……帰してくれるの?」

「迷惑かけたからな。せめてもの詫びだ。一緒に行って、ついでにさーばーとやらを見てやる」

「………………本当?」

「ああ、細かい作業か? 俺は割りと好きなんだ。断線も、線が切れてるって事だろ。それくらいなら魔道具で嫌になるほど直してきた。役に立てるか分からないが、手伝ってやるぞ」


 するとぱっと大輪の花が咲き誇らんばかりの満面の笑みを浮かべ、きゃあきゃあと抱きついてきた。

「救世主ゲットぉぉぉぉぉっ!!」

「はいはい」

「早くっ、早く帰ろう!!」

「分かった分かった、ちょっと待て。というわけで、国王。ちょっと出張に行ってきます」


 わなわなと肩を震わせていた国王が驚愕に目を見開いた。

「なんだとっ!?」

「先ず与えよ。こちらが望む前に、まず相手の望みを叶えるべきと先代の教えです。まず、救世主を救う。それが救世主の望みですから」

「馬鹿げたことを。お前一人で召喚の陣を動かせるはずもなかろう!」

 確かに魔石で魔力の底上げをしていたし、自分一人では出来ない。他にも魔道師はいるが、必要な魔石は今の召喚で殆ど使ってしまった。


「――ところが出来るんです」


「なに?」

「それに、陣はまだ動いてます」

 まだ陣からは青白い光が放たれ続けている。

「あと、これ。先代から頂きまして」

 金色の魔石を掲げる。

 途端、その場にいた国王や魔道師達は驚愕の表情を浮かべた。

「エディルの石!? 何故お前ごときが持っているんだ!?」

「先代には非常にお世話になりつつ、お世話もしてました。そのお礼ということで」

「それに籠められた魔力は、伝説の魔道師のもの――って、待て!!」

「待ちません。まぁ、出張期間は分かりませんので、退職扱いにしといてください。退職金代わりに召喚魔方陣と文献頂いていきます」

「それは門外不出――」

「それじゃあ」







 そんなこんなで、俺ことレーガ・シルフィードは地球に召喚されたのだった。

 救世主が召喚されて、でも自分の世界のほうが大変だって逆召喚するのも変な話だ。




 だけど、地球は面白い。


 一番面白いのはタカヤマ――、高山千鶴だけど。



 あの後、タカヤマの会社に逆召喚され、ぎょっと目を見開き固まったタケシタとクラハシとかいう同僚。

 この人誰だ、何処行っていたんだ、あの光は何なんだと問い詰められたが、サーバーとやらを魔法で直したら、いたく感謝感激された。魔法が通用してよかったと、内心冷や汗物だったが。

 そのまましばし地球観光で旅でもしようかと思っていたが、迷惑掛けたから衣食住の面倒は見ると、タカヤマのアパートに転がり込んだのだった。



 少女のようにも見えていたが、実は二十四歳で、俺と七つほどしか離れていなかった。

 良かった。十代だったら手を出すのに躊躇したが、成人していれば障害など殆どない。


 男慣れしていないタカヤマに触れるたび、顔を真っ赤にして逃げ回るあいつを壁際で押さえ込むのは愉しいものだ。最初に抱きついてきたのはタカヤマだというのに。

 こういうとき、自分のそこそこ良い体躯は役に立つ。

 女たちからは好かれていたこの顔立ちと、新緑のようだと言われた瞳でタカヤマを見れば、見惚れるのか固まって動けなくなるのだから。その隙に抱き込むのは容易い。





 まぁ。そんなんでわりと俺は元気にやってます。

 パソコン作業も、魔道具に似て通じるものがあって、俺が好きな仕事だ。通信教育だけどいろんな資格も取ったし、システム関連の、小さいけれどちゃんとした会社にも就職が決まった。



 魔力供給もできる、異世界と通信もできる、万能なエディルの石って便利だ。三百年前に召喚された魔石の一つらしいけど、貰ってから単なる文鎮代わりにしか使ってなかったのに。


 そういえば、親父。

 ヴィスターリャ国の王が、臣下の下克上で追放されたって、魔法新聞で知ったぞ。

 なんでも、召喚された神の使いの声に触発されて、自分たちが行動を起こすべきだって反旗を翻したらしいな。

 放り出した自分には言えたことじゃないけど、やっとかって感じだ。





 そっちに戻るか分かんないけど、今度嫁を連れて里帰りでも出来たらなって思う。

 本人は嫁じゃないって言い張るけど、周囲はそう思ってる。囲い込みは万全で、あとは落とすだけだ。


 それまでは元気でいてくれ。




 地球より。





細かい設定は相変わらずスルー。だってSF(すこし不思議)が合言葉ですから。

寝不足と空腹でテンションがおかしかった高山ですが、戻ってきて我に返り、「あれ、ひょっとしてとんでもない経験しちゃったんじゃ……」と思う。

おまけに異世界の魔法使いまで勢いでつれてきちゃったし、どうしよう!? え、帰れるの!?

本人は別段心配していない様子。


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