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トリップ・トラップ・トラブル 前


「我が国を救う、救世主を召喚せよ」

 鶴の一声ならぬヴィスターリャ国王の一言で、城は上から下へ大騒ぎとなった。




 襤褸っちくて、日に焼けて色は変色し、辛うじて文字が読み取れるかくらいの古臭い文献の存在など、誰が覚えていようか。

 だが、無駄に記憶力と顔だけはいい王は、幼い頃読んだ文書保管室で埃を被っていたそれの存在を、幸か不幸か覚えていたのだ。

 魔法が存在するこの世界アリールでも、召喚魔法は夢のまた夢。伝説に近い。



 しかし、人々の記憶から完全に忘れ去られるほどはるか昔、実際に行われていた。

 それに必要な莫大な魔力の詳細と、精密な陣がしっかりその文献に載っており、その上、かつて使われた陣は、今現在も王宮の床石の下、ひっそりと息づいていることも判明。

 それも今、自分が居るヴィスターリャ国の王宮だ。



 最上級クラスの難易度で、成功するには強力な魔力を有する魔道師が必要となっている。



 まぁ、喜ぶべきか、悲しむべきか。

 ヴィスターリャ国にはそれに必要な人員が揃っていたのだ。


 トップが能無しアホでも、この国が大国でいられるのは周囲が有能だからだろう。







(……帰って寝たい)

 王宮魔道師達が大慌てで召喚の儀の準備をする傍ら、人目につかない隅っこの暗い壁に寄り掛かり、俺は盛大なため息をついた。


 別にサボっているのではない。

 休憩中で充電中なのだ。

 一応ヴィスターリャ国の高位魔道師の一人であるから、これから必要になるだろう魔力と体力を少しでも温存しているつもりだ。

 本当のことを言うなら、酒の一杯でも飲みたいがそこは自重する。

(っていうか、我が国っていうより、俺の国っていう副音声が聞こえたぞ)



 つい五時間前の会議の場での王の発言は、あまりにも突拍子もなかった。


 曰く、ヴィスターリャ国と周辺国との小競り合いが長期化し、民も疲弊してきた。

 そこで伝説にある神の使い――救世主を召喚し、戦いを終わらせようではないかと。





 何という他力本願。

 能無しには考える力がなかったのか。

 自分で蒔いた種なのに、自分で解決できないならば最初から戦を仕掛けるんじゃない。


 ヴィスターリャ国の現国王は顔と記憶力しか誇れるところがないが、先代は民から讃えられ、周辺国からも一目置かれる賢王だった。残念ながら息子にそれが受け継がれなかったのが本当に残念だ。

 俺が仕えたのは賢王である先代だ。

 風邪をこじらせポックリ逝ってしまった彼の生前の遺言に従い、現国王に仕えてはいるが、いかんせん全くもって父親の志が受け継がれていない。

 才能が受け継がれろとは言わない。

 人それぞれ得手不得手はあるし、それを補佐するために側近がいるのだから。

 しかし、将来の王になる子供に、媚び諂い甘やかしてきた能無し元側近どもの教育のせいで、能無し王のレッテルが貼られている。そして本人もそれに気が付いていないのだから救いようがない。狡賢く、欺いたり、偽る才能ばかりが花開いてしまった。

 幾度も他の側近は進言したが、「お前クビ」の一声が連発されれば、他国へ亡命するのも無理はない。下手すれば肉体的に首が飛ぶ。



 そして俺はというと、まだこの国に留まっていたりするのだ。

 国王に追従するつもりはないが、世話になった先代の遺言だから、もう少し留まってみようと思っていた。

(しかし、これはないな)

 隣国にある魔石の採掘所。魔石は魔道具に欠かせないが、採掘量は稀少でとてつもなく高額だ。

 そこで一緒に掘りたいと言い出した。

 けれど隣国は乱獲されるから嫌だと断った。ならば戦争だとほざいたのがこの国王。

 大国だからあっさり勝てるだろうと思ったのだろう。しかし隣国は小国ながら思いのほか強く、それを見ていた周辺国も隣国に協力を申し出て、終結の見通しが全く立たなくなっている。おまけに戦況も最近芳しくない。

 これでは負けてしまう。ならば救世主を召喚して、ぱぱっと解決してもらおう。国王は良いこと思い出したとにんまり顔だ。

(馬鹿は馬鹿でも、史上最悪の馬鹿だ)

 救世主が召喚される確立は低いが、成功しなかったら、関わった者の命はないと脅されてるので皆必死だ。誰でも自分の命は惜しい。


 だが、一番の被害者は、召喚魔法が成功してしまったときにこちらへ現れた救世主だ。

 突然呼び出され、国を救えといわれ、はい救います、と言えるはずもないだろうに。




(さて、どうするかな……)

 現状打開策をつらつらと探っていると、きょろきょろと誰かを探しているような魔道師長の姿が見えた。

「レーガ! レーガ・シルフィード!」

 呼ばれてるのは自分だった。いかにも今まで準備していました的に、死角から小走りで駆け寄る。

「はいはい、ここです」

「準備が終わった。間もなく儀式が始まるぞ」

「はぁーい」

「レーガ、気が抜ける返事をするな。命がけなんだぞ」

「文字通り命をかけてですね」

「口に気をつけろ。王の耳に入ったら殺されるぞ」

「失敗しても殺されるなら、遅いか早いかだけですよ」

「だから成功させるんだ。皆の命がかかっているんだからな」

 そのために一人を犠牲にしても良いというのだろうか。

(ああ、馬鹿らしい)




 城の謁見の間の床に描かれた、精密で規則的な大きな魔方陣は、見ているだけで感嘆の溜息が零れそうなほど見事なものだった。魔石を砕いて粉状にし、それに魔蝋を混ぜて作り上げた魔色で描かれ、仄かに青白い光を放っている。

(若干床が低くなったな)

 恐らくこの数時間の間に、大勢で床石を引っぺがしたのだろう。何処となく埃っぽい。

 しかし数百年も前に描かれたものとは思えないほど、それは力強く色褪せず、強力な魔力を漂わせている。


 描いたのは同じ頃実在した伝説の魔道師。

 文献によれば、その陣から多くのものを呼び寄せた。

 遥か先、未来の技術で作られただろう魔道具に、強力な魔力を帯びる魔石、予言の書、そして神の使い。

 どれもが、この国に栄光をもたらした。



 その魔方陣より五段ほど高い場所にある王座に腰掛けているのが、ヴィスターリャ国の国王だ。

 見下ろすその視線はにやにやと面白そうに細められており、口元も歪んでいる。

(嫌な奴)

 人の命が掛かっているのに余興だと思っているのか、真剣さなど微塵も感じられない。

「国王様、万事滞りなく準備は整いました」

 床に片膝を付け、臣下の礼をとる魔道師長が告げる。

「では、召喚の儀式を始めよ。そして救世主を招くのだ」

 暗に失敗は許さないと告げる声色に、皆が息を飲む。

 そして魔方陣を前に、厳かに詠唱が始まった。


 全一万六千五百三十二文字。一文字たりとも間違えることが出来ない召喚文を、一人の魔道師が全て唱える。その際、文に魔力を練り合わせ唱えなければならない。

 慣れない召喚文に、練り合わせなければならない魔力の放出。



 そして、その魔道師が俺だ。


 正直、しんどい。




 数人の魔道師で唱えることも出来るが、その際、どうしても魔力の違いがある。それが召喚陣に悪影響を及ぼすからと自分に白羽の矢が立った。

 そこそこ魔力も強いし、補助魔力元として魔石もいくつか持たされている。他の魔術師も補完に入るため周りを取り囲んでいる。

 しかしあまりの膨大な魔力の放出に、魔石も白色化が急に進んでいる。勿体無い。これでも国宝級で、数少ないのに。青緑色の上級魔石は真っ白になったら単なる石ころに過ぎないのだ。


 ついでに俺自身、単なる捨て駒なんだろう。

 ここで命を落とそうとも、名家の家柄でもないから、大した損失にもならない。王宮にとって、高貴な家柄の人間をそうそう駒に使うわけにもいかないのだ。



(……長い)

 ほぼ八割終わったが、若干面倒くさくなってきた。

 こんなことをしているより、家に帰って酒でも飲んで寝ていたい。折角、酒場の親父秘蔵の酒を飲み比べで勝って手に入れたのだから、早く帰って飲みたいというのに。

 けれど部屋の惨状を思い出し、それも思いとどまった。

 なんというか、男の一人暮らしの部屋は大抵そうだろうが、自分の部屋ももれなく雑然としている。とりあえず何処に何があるのかは分かっているが、魔道具を作るのが趣味なので基本的に物が多いのだ。

(部屋片付けるのが先だな)


 しかし、果たして、今日自分は城下の家に帰れるのだろうか。



(っていうか、召喚召喚って言ったって、本当に救世主が来るんだろうか)

 今のところ何とか間違えず進んでいる。詠唱も後半だ。時折、危うく間違えそうになる場面もあったが、なんとか持ち直している。魔力が陣に籠められるたび、魔方陣の光が強くなっていく。

 失敗すれば命はない。

 成功すれば命は助かる。

(なら、いっそ人形とかどうだ)

 召喚はされている。成功といえば、成功だ。王は納得するか。いや、しないな。

「ジェ・ルタンフェード・レギアス・ヴェルタ――」

 声に魔力を乗せ、召喚文を唱える。


 終わったとき、笑うのは王か。それとも。



「ユーラ・レルシャース・マク・グランゼイル」

 あと、間もなく。

「ウェルハイド・ルーブ・デル」

 全てが終わる。

「レ・ガースト」



(それとも始まりか――)



 魔方陣から真っ白な光が放たれた。





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