第八話 変化後
俺はきっと、もう起きているのだろう。
その実感は、ある。
ちらりと視線を上に向ければ、そこには無数の星々と金色の月が輝きを放っているのが見える。
耳を澄ませば、木々のざわめきも耳に届く。
意識もはっきりしているし、これで寝ているなんて事はないだろう。
けれど、起きようとは思えない。
何故か――理由を考えれば、すぐに思い当たる。
前回の死が、少しどころではなくキツ過ぎた。
あれが繰り返されでもしたら、俺はそう経たぬ内に発狂するだろう。
当然ながらそんな事態は望ましくない。
ふぅ、と嘆息する。
今までの死も決して楽なものではなかったが、前回のあれと比べれば易しいものでしかない。
六肢が離れていても感覚が繋がっているし、かかる衝撃は感じる。
何分割されたか分からない体全てが、自分の体であるという自覚を生じさせる。
痛みがないのが意味が分からなくなる不快感。
痛みがあったらとっくに発狂しているだろう暴虐の嵐。
消失を望む、なんて危険そうな事を思ってしまう位には、あれは俺を絶望させていた。
無心に夜空を眺めたまま、その場を一歩も動こうとはしない。
きっと俺の敵が現れれば隠れるなり抵抗するなりするのだろうが、その予兆もない今では何もする気が起きない。
口を馬鹿みたいに開いて、涎が垂れるのだって気にしない。
風が背中を撫でる心地よさに身を任せ、ただ森林浴に勤しむ。
清涼な空気は俺の気分を爽快にさせてくれるが、心の鬱屈まではどうにもならない。
夜闇の黒が森を覆っているが、昆虫の瞳には歩き回るには十分な視界が確保されていた。
これが人間であれば、文明の利器などを持ち出すかしなければ、目の前にある木にも気付けずにいるだろう。
夜の森は俺のような昆虫にとって、害になることなど微塵もなさそうだった。
……ああ、そう言えば、前回死ぬ直前に、何か起きたような。
忘れている事象を思い出そうとして――即座に自分の体を確認した。
今までよりも自由に動かせる三対六本の伸びた手足。
背中に感じる、正しい異物という矛盾した物体。
人型とは呼べないまでも、芋虫よりはそれに近い体型。
俺は、"バット・モスキート"なる、所謂吸血鬼もどきにその身を変化させていた。
……え?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バット・モスキート――通称、藪蚊。
黒茶色の体に、薄く細い二枚の羽。
身軽な体に相応しく、その動きは機敏で細やか。
特徴的なその舌は、昆虫らしく管状である。
俺が雄であるからと言って、吸血しないかと問われればノーとしか答えられない。
コウモリの特性を併せ持つこの藪蚊の吸血能力は、相手にしたくないこと請け合いなのだ。
ガード無視の中距離攻撃で、しかも被攻撃対象は身動きが取れなくなるする回復付き攻撃とか、嫌らしくて仕様がない。
またその羽の音が音波を形成し、索敵や妨害の効率化を可能にしている。
プレイヤーとしては耳障りなその羽音を聞くだけで、集中力が急速に削られていく事になる。
基本ノンアクティブなので、放置するのが常道のモンスターなのだ。
(こうして特徴を列挙してみると、凄い強いモンスターのように思えるけど……)
如何せん、弱点も多々存在している。
昆虫であるが故の紙耐久。
ほぼ全ての属性攻撃に弱い耐性値の低さ。
攻撃手段が偏屈なための火力の弱さ。
器用貧乏にすらなれない支援技の少なさ。
そして何より、戦闘の面倒さに反する経験値の少なさ。
多対一、それもモンスター側が多であれば無類の強さを発揮するが、一対一ではただの雑魚でしかない。
藪蚊というモンスターは、そういう存在だった。
(芋虫よりは戦える筈だが……はてさて、どうなる事やら)
ぼんやりと瞬く星々を遠くに眺めながら、俺は先行きの暗さに軽く絶望した。
吐いた溜め息には、哀愁すら込めていた。




