第五話 蠱毒(薄味)の序
ぱちり、と目が覚める。
実際に目蓋が開いた訳ではないが、似たような気分を味わう。
眠りから覚めたように徐々に起きていく頭の中で、ぼんやりと自分が殺された原因について考える。
(あれって……)
死にかけながらも見る事が出来たのは、一応知っているモンスターだった。
確か名前は、"ポルーテッド・アゲハ"。
状態異常を起こす鱗粉を撒いてくる、戦闘する際には気を付けなければいけないモンスターだった。
その筈だが、しかし疑問は残る。
(あいつに遠距離攻撃なんてあったか……? 何度か戦ったことはあったが、されたことないよな。もしかして、今回のアップデートで攻撃手段が増えたのかもしれないな)
ポルーテッド・アゲハ――俗称毒蚊が居た場所は、俺から十数メートルは離れていた。
俺の記憶には、毒蚊の攻撃方法は吸血と鱗紛撒き、それと羽撃きによる風起こし位しかない。
どれも射程が短く、精々風起こしの五メートルが関の山だった筈だ。
それなのに毒蚊の攻撃が当たったという事は、離れた場所にも当てられる攻撃手段を有していたという事だ。
(毒蚊なんてある意味ニッチなモンスターの攻撃手段も変わってるって事は、かなりの数のモンスターの攻撃パターンが今までとは違うって事だろうな……)
薄暗闇の中、独り嘆息する。
モンスターもプレイヤーも俺の敵である以上、それが強くなったと分かれば溜め息の一つも吐きたくなる。
まあ、俺もモンスターなのでその恩恵には預かれるのであろうが、それもいつになるのやら。
芋虫には新しい技などなさそうだし、期待するだけ無駄だろう。
最弱モンスター芋虫から進化出来る日は遠く、またその道程は険しい。
風が枝葉を揺らす音を聞きながら、再度溜め息を吐いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
何もないこんな場所でグズグズしていてもしょうがないので、とりあえず周りを散策してみる事にした。
復活した地点は死んだ場所ではなく、最初に俺が出てきたところのようだった。
まあ、なんとなくそう思う程度の理由なので、違う可能性も十分ありえるのだが。
転がっていた筈のアイテムも、軒並みなくなっている事だし。
木々の間を這って進み、何かが揺れる音が聞こえれば即座に隠れる。
慎重に慎重を重ねて行動しなければ、またすぐに死んでしまうだろう。
51レベルの癖に、大して攻撃力の高くない毒蚊の一撃さえ耐えられないなんていう貧弱さなのだ。
あの若い男のプレイヤーのように、瀕死状態のところを奇襲しない限りは敵との戦いで勝てないだろう。
(卑怯って言われても否定出来ないよなー……まあ、言う人間は居ないんだけど)
のそのそと地面を這う。
落ちてきた木の葉が頭に乗る。
その瞬間、そう言えばと思い出す事があった。
(俺が死んだ時、ポーションとかその場に散らばってたよな。あれが芋虫のモンスタードロップ……な訳ないし、やっぱり所持品だったんだろう。つまり、この体でもアイテムが拾えるって事は証明された訳だ)
どの道、今のメニュー画面が開けない状態では無意味だが。
アイテムを拾って何か問題がある訳でもないし、気にしなくてもいいだろう。
モンスターの体では出来ない事の多さにむず痒さを感じつつ、無心に直進していった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……はっ! ……ここ、どこだ?)
気が付くと、見知らぬ場所に居た。
雑草が高々に生い茂り、木々に切り取られた青空はほんの僅かしか見えない。
何も考えず進んでいたためか、同じ森の中でも毛色の違う場所に来てしまったようだ。
敵に襲われたり、樹木に頭をぶつけなかったのは幸いでしかないだろう。
無意識の内に避けていたのかもしれないが。
(……どうやって戻ればいいんだ? いや、別に戻らなくてもいいか。結構な距離を移動した筈だし、折角だからこの辺りで何かないか探してみるか。戻るにしても、最悪死ねば元の位置に帰れるだろうし)
勿体ない精神で周囲の探索を決めた瞬間、頭上から一本の枝が降ってきた。
知覚出来なかったその一撃を避ける事は無論出来ず、軽い衝撃が俺の背中に起こった。
痛みなど欠片もない、微かな違和感だけのそれに反応して、俺は不意に頭上を見上げた。
木漏れ日に照らし出されて、緑色の芋虫が一匹、今にもこちらに飛びかかろうとしていた。
(っ! ちっ!)
枝の先から飛び降りた芋虫から離れるように、俺は思い切り跳躍した。
跳んだ先に何があるかを確認する暇もなく、ただ生存本能に従っての行動だった。
当然俺は跳んだ先の大樹に激突し、その木を小さく揺らした。
(痛ぅ! この畜生がっ!)
実際に痛みはないが、反射的にそう思った。
どちらにせよ不快感と熱は発生するので、それ程違うものでもない。
怒りを込めて落ちてきた芋虫に視線を向けると、そこにはもう死にかけのモンスター一体しか居なかった。
(……まさか、あそこからの落下ダメージだけで瀕死になったのか?)
芋虫が上っていた枝を見上げる。
体のサイズも変わっているので正確には分からないが、高くとも三メートルもないだろう。
再び芋虫を見ると、体を大きく捩らせて苦しんでいるようだった。
(……モンスターは俺の敵だし、倒すか)
心の中で芋虫を哀れみながら、俺は助走をつけて芋虫に跳びかかる。
過たずにフライング・ボディ・プレスが芋虫に直撃し、体力を一瞬で零にする。
無事に着地して振り返ると、芋虫の体は既に崩壊を始めていた。
その光景を、俺はただ見据えていた。
――テッテレー! Falioはレベルが52に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが53に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが54に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが55に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが56に上がった!
軽妙な効果音が五度繰り返され、俺の顔が引きつったように感じた。
(……芋虫一匹倒しただけで、これだけレベルが上がるのかよ。芋虫の経験値なんて高が知れてるし、単に必要経験値が異常に少ないのか)
レベルアップしても変わらない自分の体を見直し、小さく息を吐いた。
芋虫を倒してレベルが上がる事に、嬉しいのやら悲しいのやら、自分でも分からぬ思いを抱きながら。