第四十九話 魔王
魔王城は喧噪に包まれていた。
理由は言うまでもなく、昆虫達の大侵攻である。
何の予兆もなく――いや、強いて言えば先日新たなユニークボスが生まれていた――魔王城へと攻めてきた虫達を、魔王城の面々は馬鹿にすらしていた。
昆虫などと言う個々の力が対したことのないモンスターを、どうして恐れることが出来ようか。
事実、強力なモンスターで溢れ返る魔王城の周囲に、脆弱な昆虫種のモンスターは存在しない。
だから彼らは、昆虫の侵攻を忘却の彼方に捨て去った。
けれど、昆虫は止まらない。
最初は鎧蹴一触にしていた魔王城周辺のモンスターも、時間が経つにつれて、圧倒的な数の暴力に蹂躙されていった。
昆虫の強さは、千差万別だ。
最弱に数えられるポテンシャル・キャタピラーもいれば、最強の一角に位置するトラップ・スパイダーも存在する。
シアトリック・ビーの毒や、ポルーテッド・アゲハの状態異常をもたらす鱗粉は確実に体力を奪ってくる。
いくら魔王城周辺のモンスターが強いと言っても、限度はある。
数の暴力に打ち勝つには、それこそ他と隔絶した強さを持つモンスター――ユニークボスの中でも、戦闘に特化していなければ非常に難しい。
所詮はモブモンスターでしかない彼らは、一体、また一体とその数を減らしていく。
魔王城の外堀を埋めたら、次は内堀だ。
選りすぐりの、魔人と呼ばれる精鋭達が衛兵を務める魔王城の門は、容易に破れるものではない。
これまでにも城門まで辿り着いた冒険者は幾人も居たが、その誰もがここを突破できずに散っていたのだ。
今日この時までに築き上げられてきた不敗神話は、脆くも崩れさる。
それも、魔王城の面々の誰もが予期しない方法で。
昆虫達は城門へと殺到し、衛兵はそれを必死に撃退していく。
城の周りを徘徊するモンスターとは違い、その熟練された技巧はそう易々と敗北を許さない。
それでも確実に消耗していく彼らの耳に、轟音が届く。
戦闘中なのも忘れてそちらを見れば、門から見える位置にあった城壁が破壊されていた。
その傍らには満身創痍の昆虫達――どの個体も頭や腕が砕けている――があった。
どうやって突破したのか、一目瞭然だった。
呆然とする彼らは、英雄から下された使命を全うしようとする昆虫達に一人、また一人と殺されていった。
魔王城を守護する面々の視界を埋め尽くす程の虫達が、雪崩れ込むように城内へ進入を果たす。
事ここに至って漸く事態の深刻さを理解した彼らは、必死に抵抗を続けた。
魔王城でも幹部クラスの実力を誇る彼らは、当然ながらユニークボス並みのステータスを持っている。
けれど、何の備えも出来ていない状況で、いきなり襲いかかられた彼らには、散発的な抵抗が精一杯だった。
複数で冒険者パーティーに当たる事を想定されていた彼らは、個別の戦闘を余儀なくされ、身動きが取れなくなった。
殺されはしないまでも、圧倒する事も出来ないのだ。
必然、魔王を守る者は居なくなる。
そして、場所は魔王城の謁見の間。
傲岸な態度を崩さずに、魔王は玉座に腰掛けている。
その姿は、十人が十人、美麗と言う程のものだ。
目に痛いばかりの黄金の鎧と、華美な装飾の施された鞘に納まる、威を放つ黄金剣。
肩から腰まで流れるように伸びた銀色の髪に、赤と青のオッドアイ。
顔の造作は完璧と言ってよく、神に愛されたが如き容貌をしている。
体つきはすらりと引き締まっており、その笑みはあらゆる婦女子を虜にせんばかりに美しい。
そして頭部から生えた、二本の捻れた牛のような角が、彼が魔人である事を示している。
「よく来たな、冒険者達――いや、勇者よ。我こそが魔王、クラウドである」
そんな事を宣う男の前に立つのは、一体の昆虫。
決して冒険者には見えない、異形の化け物。
けれど相手の姿など気にしないとばかりに、魔王は滔々と口上を述べていく。
「友人は死んだか? 理不尽には抗えたか? 悪辣な誰かをその手にかけたか? もしくは利益のために他者を貶めたか? 何であれ、その手が綺麗なままというのはあり得まい」
見る者を苛出させる嘲笑を浮かべながら、魔王は勇者に問いかける。
勇者は――改め、英雄は反応しない。
単純に、魔王の言葉など聞く価値もないと一蹴しているだけだ。
「さぁて、ここで私を倒せば、無事に君達は解放される。無論、既に死んでいるプレイヤーは助からんがな。はっはっは、彼らは君らが助かるための礎となったのだ。存分に誇――」
魔王の口上が止まった。
否、止められたと言うべきだろう。
異形の放った一撃が、魔王にダメージを与えたのだから。
本来、口上が終わるまで動けないようシステムに規定されているプレイヤーが、その縛りを受けないなど想定されていない。
さもありなん、魔王の前に立っているのは、凡百の人間ではない。
固有の怪物なのだ。
「――るがいい――――罪悪感など持――――つ必要はな――いのだか――」
何事もなかったかのように魔王は話を再開するが、怪物は攻撃の手を休めない。
ダメージを受ける度に魔王の動きが止まり、話し始めては攻撃を受ける。
仰々しい前口上を終えるまで、魔王が戦闘を行う事は神に許されていない。
それ故に、魔王は一方的に嬲られていく。
「――さあ、始めようか!」
予定の十数倍の時間をかけた後、魔王が漸く戦闘の開始を告げる。
けれど、眉目秀麗な魔王はもう、そこには居ない。
顔の造作は無惨に崩され、見るに耐えない。
荘厳な鎧は、欠片が辺りに転がるのみ。
この世界で唯一無二の強さを発揮する剣は、刀身を半ば程で折られている。
最早満足な戦闘など行いようもない、死を目前とした姿だった。
――とあるバグの結果で生まれた存在である"バグズ・ヒーロー"。
データ上でしか存在しない、開発者の遊び心の具現。
そのステータスに自重の二文字はなく、魔王をも凌駕している。
姑息な手段など取らなくとも、魔王の一体や二体、敵ではない。
故にこそ、世界を破壊するに足る存在だった。
攻撃を始めようとした魔王の体は、一秒も持たずにその体力を全損させた。
反則的な能力値の英雄に、無抵抗に攻撃され続けていればそれも当然だった。
魔王は苦々しげな顔になり、勇者への賞賛と、俺はまだ変身を残している――そんな意味の言葉をかけようとして。
「おおおおおぉぉぉっ!」
攻撃が続く。
殴り、蹴飛ばし、斬り、抉り、潰し、折り、吸い、挟み、突き、噛み――
喋ろうとする魔王へと、断続的にダメージを与え続ける。
魔王の体は急制動を繰り返す。
話し始めて中断し、変身を始めて中断し、動き始めて中断する。
体力の値が変身後のものに移り、またその値がゼロに近付いていく。
魔王の姿に、王の威厳はなかった。
ただ英雄にいいように弄ばれる存在に、表敬など出来る筈もない。
この光景では、魔王とは芋虫にも劣る雑魚にしか見えようがないのだ。
懸命に戦う部下とは対照的に、王は愚鈍極まりない。
身動きの取れない魔王の、最終形態分の体力がマイナスを振り切った瞬間――
――ブッ!
そんな不安な音が、誰の耳にも届けられた。
――致命的なエラーが発生しました!
――致命的なエラーが発生しました!
――ゲームを強制的に終了します!
――プレイヤーは強制的にログアウトされます!
無感情な機械音声を最後に、世界は崩壊を始める。
大地は割れ、空は裂け、森は崩れ、海は滅ぶ。
世界の最期。
その後に残るものは――――




