第四十六話 邂逅する二人
草原を走破して、見つけたのは小さな村だった。
道中で何も起こらなかった訳ではない。
暗闇の中で光る瞳を目にしては、近寄って目新しい狼や熊を素体にしたモンスター達の命を刈り取っていった。
辿り着いた村は、端的に言えば荒廃していた。
深夜真っ只中という時間帯を考慮に入れても、見かける人影は皆無。
そもそも立ち並ぶ家屋の数が、二桁に届いてない。
しかもあからさまに古びた様子で、使われいる形跡が見えないものもある。
村はモンスター対策のためか、ぐるりと柵が外周を囲っていた。
一瞬踏み潰して破壊しようかとも思ったが、すぐに考え直す。
寂れていると言っても、眠るなどしている人間が居ない訳ではないだろう。
騒音で起こして逃げられる可能性を生み出す前に、先んじて逃げられないような策を講じておくほうがいい。
具体的には――単純で。
俺の名を冠する技能を用いて、ざっと囲っておけばいい。
幸いこの村の規模は小さいし、そう時間をかけずに全ての準備を終えられる筈だ。
そうと決めれば、早速始めよう。
狩猟の準備を。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
轟音。
寝静まった村を文字通りに叩き起したのは、地震と間違える程の振動だった。
村長や道具屋、宿屋の店主に――加えて、珍しく滞在している冒険者集団が即座に体を起こした。
特に冒険者達は起きると同時に武器を取り、周囲への警戒を始める。
だがそれは、少しばかり遅い。
場所は、宿屋を借り切っている集団の中。
冒険者は、彼らのギルド――"栄光の担い手"のギルドマスターを務める男へ指示を仰ごうとして、それを見た。
部屋の中に鎮座する異形の影に。
「モンスターだとっ!?」
サブマスターの男が叫んだ瞬間、彼らの視線を白線が遮った。
僅か一秒にも満たぬ間ながら、反射的に目蓋を摩る男達。
そして彼らは、サブマスターの姿が消えている事に気が付いた。
「ジークさん!?」
「え、ちょ、何が」
「モンスターが何でプレイヤーエリアに居るんだよっ!」
混乱を脱せない男達は、現行の異常事態に対応出来ない。
普段彼らはギルドマスターからの命令を受け、その指示通りに行動してこの日まで生き延びてきた。
勿論単純な殴り合い――一対一での戦闘や、はたまたレイドの集団戦闘さえこなしてみせるが、それも優秀な指導者あってこそ。
彼らを起床させた一撃が何を彼らにもたらしたのか、それすら把握出来ない愚者は、ただ狼狽して現状の優先順位を決定出来ない。
いや、彼らの中にも今何をすべきかを理解している者は居た。
突如として現れたモンスターへ、握り締めた武器を向けようとしたところで、無造作に振られた足がその体を貫く。
彼らにとっては信じがたい事に、その一撃は下手をすればユニークボスクラスの破壊力を秘めていた。
それでいて的確に急所を狙う攻撃は、攻撃された男達から戦闘能力を的確に奪っていった。
「団長はどこだよ! こんな時に、あの人は何をやってるんだ!」
男の一人が叫ぶが、その言葉は現状が見えていなさ過ぎた。
彼らが団長と呼ぶ人物は既に死んでいる。
襲撃者による開幕の一撃を以て、その身を亡骸へと変えていた。
後に残るのは、宿屋の床に撒き散らされた団長のアイテムリストの物品だけだ。
彼らは身動ぎする度に拾得しているアイテムに気づけない程、混乱を極めていた。
――ォォォォォオオオオオ!
襲撃者が咆哮する。
ビリビリと家屋の壁を揺るがし、狼狽する男達に耳を塞がせる。
そうして生み出された隙は、確実に彼らの命を奪っていく。
たたらを踏んだ男が、振り下ろされた足に脳天から砕け散る。
必死に反撃を試みる男が、紅の瞳に射抜かれて腰を抜かす。
一矢報いようと背後から攻撃を仕掛けた男が、純白の噴射に包まれて身動きを封じられる。
目を閉じて爆音に備えた者達は、頭頂部からバリボリと食い殺される。
一人ひとり、態々違う殺し方を選びながら、異形は男達の命を食らっていく。
なす術もなく男達は数を減らしていき、遂に。
この日、攻略ギルド"栄光の担い手"は事実上、壊滅した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
場所は変わって、村の唯一の出入り口。
宿屋で繰り広げられる暴虐の轟音を聞いて、村から逃げ出そうとした村長を始めとする住人達は、その場から身動きが取れないでいた。
正確に言うならば、村の中であれば自由に動く事が出来る。
問題なのは、村を覆うように白い結界が編まれていた事だ。
白い結界――勇敢にもその囲いを突破しようとした道具屋の店主は、その体を結界に捕らわれてしまっている。
道具屋の店主が伝えてくれる情報によれば、これは【スパイダー】種が使う獲物を捕獲する用の糸と同じようなものであるらしい。
それが判明したからと言って、彼らに出来る事は何もない。
火を着けようにも、【スパイダー】種の糸は不燃性で意味がない。
そもそも、【スパイダー】種自体が、この村から歩いて二日はかかる位置に生息しているのだ。
どうしてこの村に――現実逃避でしかないと分かっていても、彼らは考えてしまう。
そんな中、冒険者の一団が宿屋を貸し切りにしたために、野宿を余儀なくされた冒険者がこの場には居た。
中学生にも見える、小柄な少女だ。
彼女は宿屋に泊っているギルド"栄光の担い手"と折り合いが悪く、かと言ってこの場を離れられない理由もあった。
それは取りも直さず、この寂れた村に冒険者たちが宿泊している理由でもある。
少女は待っていた。
彼女の仲間達は今、ユニークボス"トライホーン・クワガタ"の討伐へ向かっている。
"ホーネット・アント"との一戦以来、高レベルモンスターを相手取る戦闘にトラウマを覚えてしまった彼女は、仲間達から戦闘時にお荷物扱いされないよう、森から最も近いこの村で彼らの帰還を待つ事になっていた。
先日現われた"タイラント・スパイダー"と言う新たなユニークボスの存在も気にかかったが、彼女の仲間達は取るに足りない相手だと豪語して自信満々に村を出て行った。
システムアナウンスによって"トライホーン・クワガタ"と"タイラント・スパイダー"の死亡が伝えられた以上、何の心配もなく待っていられる筈だったが――現状は違う。
村は未知の敵に襲われている。
状況から推測する限りでは"トラップ・スパイダー"辺りが襲撃者ではないかと考えているが、確信できない理由が一つだけあった。
それは"プレイヤーエリア"……モンスターが入って来られないと、システム的に規定された純然たる事実。
けれど宿屋での戦闘音を聞く限り、他のプレイヤーと戦っている相手がモンスターであるのではないかという疑念が浮かんでくる。
だから、もし襲撃者がモンスターだとしても、何かバグ的なチートな存在ではないか――彼女はそう睨んでいる。
故に、彼女は特に面識もない"栄光の担い手"の面々を助けにも行かず――寧ろモンスターとは戦えない自分が邪魔になりかねない事も見越しており――閉鎖された村から脱出する方法を模索していた。
こんな辺鄙な場所で、バグなんて存在に殺されたくはなかった。
そのために"栄光の担い手"がもし壊滅してしまうような事態が起きたとしても、彼女が自責の念を覚える事はないだろう。
この世界は、自分の命の保証を無条件でしてくれる程、優しく出来ていない。
他人の命まで預かれる位の強さなんて、少女は持っていなかった。
(だから、仕方ない。私は悪くない。悪いのは、弱いあの人達なんだから)
必死に、自分に言い聞かせ続ける。
自己暗示をかけるよう、念入りに。
そうでもしなければ、身近に迫った死の恐怖は拭えそうもなかった。
男達の絶叫が続いている。
それは即ち戦況が芳しくない事を如実に表しており、少女の不安を煽ってくる。
私は大丈夫、大丈夫だ――と、震える体を抱きながら考え続ける彼女の傍を、一条の白線が走った。
(――――っ!?)
頬の傍を通り過ぎた一閃に、冷や汗がどっと噴き出す。
恐る恐る線が向かった先へと視線を向ければ――咄嗟に口元を押さえた。
少女の横でおろおろと落ち着かなかった村長の姿が消えている。
いや、頭部をなくした村長だったものが、地面の上に横たわっていた。
(何、が……)
心臓が悲鳴を上げながらも、緩慢に顔を上げれば――そこに居た。
月の光を反射するように輝く体躯。
ちょっとした建物程の大きさの巨体に、そこから生える五対の手足。
濃密な殺気を撒き散らすように、口からは毒々しい瘴気が噴き出している。
それに何より――痛い程に殺そうとする意志の籠った眼光。
間違いなく、"トラップ・スパイダー"の一個体である筈だ。
けれど、今になっても確信が持てない。
先述の理由も挙げられるが、特に顕著なのが並みの"トラップ・スパイダー"では到底出せないような殺意の波動。
あんな濃厚な殺意を向けてくるようなモンスターは、これまでに見た事がなかった。
(し、死んだ、かな……?)
少女はそう考えたが、現実は違った。
「――ツウィグ、か?」
何故か自分の名前を呼んだ眼前のモンスターの問いかけにより、少女――ツウィグの思考回路は、今度こそ焼き切れた気がした。