第四十五話 出奔
夜間の内に出発し、森の出口を目指す。
と言っても、どこに出口があるのかは分からない。
最悪、木々を薙ぎ倒しながら直進し続ければ出られるだろうが、余計なものを引っ張りかねないので面倒臭い。
どうしたものかと首を捻っていると、人間の声が聞こえてきた。
「――チッ、何も残ってないか。この辺で戦闘痕が途切れてるから、あわよくば何か取り忘れてるかとも思ったんだが……遅かったか。あーあ、畜生。帰るか」
悪態をついているのは、みずぼらしい身形の一人の男。
暗い色調の服装に、小枝や葉っぱが所々に引っかかっている。
夜の森では、ともすれば見失ってしまいかねない。
考えられた隠蔽装備に感心していると、男は踵を返して歩き出した。
折角見つけたから殺そうか――考えたところで妙案が浮かぶ。
(あの迷いのない足取り……付いていけば、森からすぐに出られるかも)
男は迷う素振りも見せず、足早に森を進んでいる。
向かう先は、呟きからしておそらく彼の住居だ。
森の一角に居を構えているという可能性もなきにしもあらずだが、問題はないだろう。
漏れ聞こえる声によれば「店に戻って酒を……」とか「ギルドのリーダーにどやされる……」らしいので、戻る先は町だろう。
どこの町かは分からないが、とりあえず森を抜けられればどこでもいい。
どうせ、滅多な事ではモンスターが町には入れないようになっているだろうし。
現在、それ程体力は減っていないため、重量はあまり落ちていない。
木々を跳び移る事はバレかねないので出来ないが、普通に隠れながら追いかければいい。
夜間でもこの瞳は動く影を捉えられるし、男が認識出来ない距離を保てば大丈夫な筈だ。
人間の動く速度なんて、地上移動にアドバンテージのある蜘蛛にしてみればノロマもいいところだし。
さっさと追いかけようと決めた時には、既に男の後ろ姿は小粒になっていた。
思っていたよりも速い。
若干焦りながら、その後を追った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(余裕、余裕……なんて思っていた時期が俺にもありました。流石はプレイヤー、侮れんな……! そこに痺れる、憧れるー)
内心で冗句を巡らしながら、必死に男の後ろを這い進む。
男には索敵系のスキル複数があるのだろうか、俺でも視認ギリギリの位置に居るにも拘わらず、時折振り返ったりして冷や冷やさせられる。
その度に体を伏せたりして体を隠しているのだが、意味があるかどうかは分からなかったりする。
人間が見る事が出来る距離じゃないし、まだ月が登っている時間帯なので、周囲の暗さが隠形を助長している。
正直見つかる筈はないのだが、どうしても不定期にこちらを向く視線を思うと、警戒するに越した事はない、と思わされる。
(スキルじゃない第六感的なもので、俺の存在を本能的に嗅ぎ付けているってのもありえる……あり得ないか)
自分の言葉を自分で否定する。
そんなオカルト、いくら何でもあり得ない。
スキルに則らない技術なんてもの、普通のゲームプレイで早々修得出来るものじゃない。
それこそ、創作にあるようなデスゲーム虜囚ものの超人位だろう。
(ああ、虜囚って言えば俺もそうか。何の因果かモンスターになって、ログアウトどころかメニュー画面すら開けない状態でレベル上げして強くなってるとか。自分ながら、よくやるわ)
元のゲームデータがどうなったのかが分からない。
ログインしっぱなしの現実の俺の体がどうなっているのかが分からない。
いつになっても改善されない現状が分からない。
そもそも、どうして虫になったのかが分からない。
分からない、分からない、分からない。
(最悪、現実の体が死んでいて――なんて事もあるのかな。ゲームをする幽霊ってのも笑える話かも。夢オチもなくはないか? ま、どうでもいいけど)
自分が達観している、とは思わない。
擦り切れて、磨耗しているだけだ。
遠くの展望を考えて――なんて、今の俺には出来ない。
刹那的に生きるしか、俺には出来ないのだ。
今だって、何も分からないまま、ただ行動しているだけ。
思考を放棄し、理性を置いて、半ば程本能に身を任せている。
滅多に出来ない経験なんだから、楽しまないとやってられない。
殺された時の喪失感や、支配されていた時のどうしようもなさは発狂しかねないものだったが、それを除けばそれなりに楽しかったように思う。
特に、蜉蝣として空を飛ぶ感覚は最高だった。
最強クラスの蜘蛛の体も、飛べない事は唯一の不満なのだ。
あぁ――一度あの快楽を思い出すと、衝動が抑制出来なくなってくる。
押さえ込め。
抑え込め。
肉体と精神の両方から、自制を利かせろ。
沸々と滾る情動を内側に溜め込んでいく。
体が火照る。
無論幻覚でしかないが――比例するように破壊衝動が積み上げられていく。
発散するための獲物の姿を探し――見つけた。
黒い影。
人間の形をした小さな小さな粒が、森の切れ目から去っていく。
その先に広がる草原には、見る限りモンスターは居ない。
俺の存在に気付いていない様子に、ニタリと口角が吊り上がる。
「とりあえず死んどけよ」
走り出そうとした黒い影に向け、紫紺に塗れた槍を吐き出す。
空を切る飛槍は、狙い違わず黒い影の背に迫る。
だが影は直感的にでも気付いたのか、ギリギリのところで身を捩った。
「ざーんねん、次は直接殴るか」
黒い影は避けたものの、その腕を一本犠牲にしていた。
あの槍をよく躱したものだと感心するが、影は最早哀れな餌に成り下がっている。
槍に塗り込まれた毒は、暫く指一本も動かせない程強力な麻痺毒なのだ。
逃げようと藻掻こうとしているが、ピクピクと震えるのが精一杯といった様子だった。
「ん……? ああ、森から出たのは初めてか」
森と草原の境界を無感動に乗り越える。
そして転がっている黒い固まり――人間の体の中心部に、二本の爪を突き立てる。
「痛いか? 痛くはないか。そういう仕様だし」
右半身と左半身に分割するように、人間の体を引き千切っていく。
裂けるチーズのように無抵抗に半分になるのは、どうにも味気なかった。
有り体に言えば、期待を裏切られた気分だった。
自分で反応出来ないようにしておきながら、酷い感想だった。
「……飽きた」
表情筋を限界まで強張らせた半分の人間を森へと投げ捨てる。
後ろの方で餌に群がる昆虫の気配を感じながら、足を前に進める。
「少しはマシなのが居るといいが……」
未知の敵への期待を膨らませながら、背の低い草原を踏み締めていった。
――テッテレー! Falioはレベルが98に上がった!




