第四十二話 露払い
轟音。
大地が揺れ、森が騒めく。
音の発生源は考えるまでもない。
「遂に始まったか――!」
考えるよりも先に、足が震源地へ向けて動き出している。
続いて二度、三度。
暴音とでも呼ぶべき凄まじい音が、続けて何度も響き渡る。
間違いなく始まっている。
王者と、覇者の決戦が――!
早朝の森を疾駆する。
レベル41までに向上したステータスは、その恩恵を存分にもたらしてくれている。
丁度回復を考えていた時間なのも相まって、俺はかつてない速度で突き進んでいる。
愚直なまでに一直線に、邪魔な木々は避ける時間も惜しいと薙ぎ倒しながら。
近付くにつれて感じる、荒事の気配。
俺のものではない戦闘痕に、戦場が近いことを窺わせる。
興奮が高まり、緊張の糸が張り詰める。
けれど、予想は外れる。
「――ぁぁぁあああっ!」
聞こえてきた声に思わず足を止め、隠れる場所を探そうとする。
それを意志の力で押し止める。
何故なら、聞こえてきたのは、この場に似つかわしくない人間の断末魔。
ボス二体が争っているところにちょっかいをかける命知らずなプレイヤーは居ないと思っていた、のだが。
事情が分からない。
分からないのなら、情報を集めるべきだ。
幸い、かなり速く争いの中心まで近付けたので、時間に余裕はある筈だ。
息を殺し、樹上に潜む。
気付かれないよう細心の注意を払って、枝から枝へと跳び移る。
蜉蝣のスキルのおかげで体重が減っている今だからこそ取れる手段だ。
そして、目にしたのは――
「糞っ! 何でこんな数の虫が一箇所に集まってんだよ!」
「ボヤいてないで手を動かせ! 敵は幾らでも居るんだ、気を抜いたら死ぬぞ!」
「こ、こんな筈じゃぁっ!」
「本当に、糞虫どもは人間様を邪魔してくれるっ」
どことなく見覚えのある四人が、空間を埋め尽くす程の昆虫の群に襲われていた。
銀髪の、くすんだ鎧の長剣を持つ男。
長い金髪の、双剣を振る女。
金髪の大剣使いの男。
ローブに身を包む、鎚を振り回す少女。
どこで見たのだったか――記憶を探り、女王を殺した奴らだと気が付く。
今更彼らに女王を殺した恨みを持っている訳ではないが、それでもいい気味だと思う。
(と言うか、何でこんな場所に居るんだよ)
呆れの混じった溜め息を吐きながら、奮戦する人間達を見下ろす。
大方、ユニークボス同士の殺し合いに漁夫の利でも狙ったのだろうが、考えが甘過ぎた。
例え覇者と王者が一対一で戦っていようと、第三者の妨害を防ぐための観客が居ないなんて事はないのに。
それに、人間が負けるのを好むようになったのは、俺も昆虫であるという事だろう。
また、とある少女の姿もそこには居な――っ!?
……久し振りの頭痛に体勢を崩しそうになり、慌てて思考を切り捨てる。
(まあ、死ぬだろうな)
真っ新な思考に浮かぶのは、揺るぎない彼らの死の姿。
パーティー編成からして、明らかに対多を想定していない彼らは、ほぼ確実にモンスターの濁流に飲み込まれて殺されるだろう。
今はどうにか持ち堪えているが、均衡が崩れた瞬間、彼らの命運は決まる。
(そう言えば)
唐突に思い出す。
ドラゴニック・トンボとオーガ・マンティスを倒したのは何だったか。
他のユニークボスの内、ホーネット・アントはデモリッシュ・モスにかかりきりで、トライホーン・クワガタはまさか同胞を殺す訳もない。
つまり状況から鑑みるに、殺した存在として一番可能性が高いのはプレイヤーだった筈だ。
ユニークボスを倒していれば、もしかしたらあの赤い欠片を持っているかもしれない。
眼下で劣勢に立たされているパーティーも、装備だけ見れば一流と言って過言ではない。
動きから精細が欠けているのは、まぁ、混乱しているからだろう。
だから彼らの内の誰かが、欠片の一つを持っていてもおかしくはない……かもしれない。
(しかしながら、どこまで行っても憶測の域を出ない訳だが……あっ)
ごちゃごちゃと考えている内に、鎚使いの少女の武器が弾かれた。
絶望を克明に表情に張り付けながら、縋るような眼で仲間を見ている。
けれど、仲間達に少女を助ける余裕などある筈もない。
程なくして、少女の体は虫達に飲み込まれた。
(あーあ)
四人で作り上げていた拮抗は、一人が欠けた事で他の三人にも波及する。
まず大剣を振る男が食い殺され、次いで双剣の女性がいつの間にか消え、最後に残った銀髪の男が体を分割されて死んだ。
そして、最後の男の骸から、赤い欠片がちらりと見えて――
(って、マジか!?)
鍬形虫――シザー・ビートルが赤い欠片を吸収するのを歯痒く思いながらも見届ける。
幸いと言っていいのか、この場に居る鍬形はあの一体のみ。
見失う危険性は少ない。
(すぐにでも確保しておきたいが、今出ていく訳にはいかない……)
圧殺された人間達の二の舞になって、殺されてしまう訳にはいかない。
死亡から復活までには、短くない時間がかかるのは経験から把握している。
ここで死んでしまえば、王者と覇者の決戦を目撃する事が叶わなくなるだろう。
かと言って、あの鍬形を見逃すという選択肢も選べない。
あの鍬形がまた別の場所で殺されれば、赤い欠片の一つを本格的に遺失してしまいかねない。
どうにかして討ち取り、赤い欠片を奪取しなければならないのだ。
敵を殲滅する――なんて手段は流石に取れない。
いつも俺が潰している群だって、多くて三桁行くか行かないかの数しか相手にしていない。
けれどこの場にいる敵の数は、少なく見積もって三百は優に超える。
いくら俺が強くなったと言っても、その数を皆殺しに出来るかと問われれば、首を傾げざるを得ない。
出来ないと明言出来ない辺りが、もどかしくて仕様がない。
問題なのは、下手に危険を冒せないという事。
けれど、このまま動かずに無為に時間を浪費するのは一番の下策に他ならない。
だから、何かしらの行動を始めなければならない。
やるべき事は決まっているが、方法は未定のまま。
――いや、何も全ての敵を相手にする必要はない。
そうの方向で思考を巡らせれば、成る程。
ハイリスク・ハイリターンな賭になる。
なるが、勝算も現実的に存在する。
死の危険があるとしても、動かないよりは何倍も良い。
決断を下し、深呼吸を一度。
大きく息を吐き出して、瞠目する。
「やってやるさ」
風に掻き消される小声で呟いて、準備を始めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――準備オッケー、さあ始めようか!」
緊張で昴ったテンションで失敗の恐怖を包み隠し、尻込みしないように最終確認を始める。
標的は未だ俺の射程範囲外へと動いておらず、他の虫達も遠からず近からずの位置をキープしている。
もう一度だけ深呼吸して、行動を開始する。
(行けっ!)
ビュルビュルビュルッ!
勢いよく発射された白い線が、広がりながら虫達に降り注ぐ。
強い粘性のそれは、付着した相手の動きを制限する。
吐き出し終えた所で全力で跳躍し、また白いモノを放出して速度を上げる。
何となく卑猥にも思えるが、気にしている余裕はない。
蜘蛛の糸と+αの口から精製した糸で虫達の動きを止めている間に、鍬形を仕留めて赤い欠片を手に入れなければならないのだ。
それに、糸の色は若干紫がかっているし、ビジュアル的には……毒々しい分悪くなっているか。
羽のように軽い体は問題なく鍬形の頭上に差し掛かる。
このまま通り過ぎるのではないか、なんて心配は必要ない。
咄嗟に使うのに、非常に慣れた遠距離攻撃手段があるのだ。
ネックなのは体力を回復して移動速度が落ちる事だが、今は少し危険域に入りかけているので寧ろ歓迎すべきだ。
無傷で逃げきれるとは考えていないし、必要なだけ回復しながら動かなくてはならない。
――ズプッ。
――キュゥゥゥ……。
――プハッ。
この間僅か一秒。
いくら何でも習熟し過ぎた感はあるが、何分便利なのだ。
手軽に使える攻撃兼回復技、しかも威力もそれなりなのだから使わずにいる方が難しい。
まだ昆虫達はこちらの登場に意識を割けていない。
好都合だ――まだアイテムを落とさない死体を掴み上げ、安全地帯へと跳び上がろうとした瞬間。
――■■ォ■■ア■■グ■!!
――ゲ■■ィ■! ■ヴォ■■ァ!!
爆音。
鼓膜が破れるのではないかと錯覚する程の轟音。
覇者と王者の咆哮が場を支配した。
してしまった。
(――マズイ!?)
虫達はそれだけで混乱を撥ね除けて、敵対者の排除へ移行していく。
想定外の事態に焦りながらも、体は反射的に逃走を選んでいた。
赤い欠片はいつの間にか取り込んでいたようで、鍬形の死体はなくなっていた。
それがありがたくもあるが、絶望的な状況に変わりはない。
「クソがっ! 予定外とか対応出来ねぇっての!」
悪態を吐きながら、繰り出された攻撃を避ける。
一撃を避けても、その後に二、三、四……数えるのも億劫な攻撃が待ち構えている。
既に予定していた逃走ルートは潰され、包囲が完成しようとしていた。
(どうする、どうすれば……!?)
極限まで体を酷使しながら、必死に頭を回転させる。
関節部が悲鳴を上げる程体を捻った瞬間、未だ密度の薄い層がちらと見えた。
何故かその方向だけには敵が少ない。
罠の可能性も捨てきれないが、現状を越える窮地に陥る事はあり得ない筈だ。
光明が見えた気がした。
「あぁぁぁあああああぁぁぁぁぁっ!!」
転がるようにその方向へ体を投げ出し、ぶつかった敵の体を噛み千切っていく。
しかし、三桁の敵の集中砲火を受けてもまだ死んでないとは、罠蜘蛛の頑丈さに呆れながらも感謝する。
敵は味方への被害などまるで気にせず攻撃を撃ち込んでくるものだから、俺の周囲が死屍累々といった状況になっている。
そんな弱った敵を突破しながら進んでいるものだから、煩わしいレベルアップの音も聞こえてくる。
――テッテレー! Falioはレベルが43に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが44に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが45に上がった!
――テッテレー! Falioは――
罠蜘蛛のレベルの上がり辛さは蜘蛛より酷く、現状で四十までに蜘蛛が転生出来る位の数の敵を葬っていた。
その努力が馬鹿らしく思える程ぽんぽんと上がっていくレベルに苛立ちも覚える。
いや、こんな死地で戦っていれば当然と思うが。
そして、遂に肉壁を抜ける。
四肢を失い、顔に新たな凹凸を生じる位の被害を受けながらも、突破した。
それでも、足は止められない。
足を止めたが最後、背筋をチリチリと掠める攻撃の渦に巻き込まれかねない。
木々が倒れ、通りやすい道を走破する。
直線的ながらもジグザグと木を蹴りながら進んでいたので若干面倒だったが、後ろからの攻撃が止んだ今では逆に楽だった。
唐突に森が途切れ、荒れ地に出る。
足を止めて周囲を観察すれば、何故虫達が追いかけてこなかったのかよく分かる。
道中の森の残骸を見れば、容易に予想出来た事態ではあった。
破壊された森の先に居たのは――




