第三十九話 圧倒
圧迫感。
押し潰されるような重量感。
それと、バリバリという食事の音。
蚕食される感覚。
死の直前には有り触れた、領域が侵される不快感。
それを感じながら、意識を起こす。
「……」
グラブ・グモの姿が視界に映る。
バリバリ、と俺の足の一本を棒菓子のように食べ進めている。
その光景に何となく新鮮さを覚える。
「……とりあえず」
寝起きのようでぼぉっとする頭で、障害を払う手段を模索する。
思索を続けながら――体は既に行動を始めている。
食べられている隣の足が、子蜘蛛の腹を蹴り抜いた。
――ァギィィィィィッ!
絶叫を上げて、死亡する。
ただの一撃。
それだけで、俺と変わらぬ姿の子蜘蛛は絶命する。
「……温いなー。やっぱ転生狡いわー」
ボソッと呟いて、食べられかけた足を抜く。
僅かに短くなった足の残骸を見て眉をひそめ、思い切って根本から折る。
ブチ、と体液を流しながらも千切れる。
少々の満足感を覚えた直後に死体が消滅し、ドロップアイテムがポツンと残る。
――テッテレー! Falioはレベルが2に上がった!
一度限りのレベルアップ。
他の種族ならもう少し上がったであろうが、今は蜘蛛だ。
素で最強クラスのモブになるには、それ相応の労苦が必要という事だろう。
(面倒臭い、が。まぁ……目標が大きいのはいい事だろうさ、多分)
そう自分に言い聞かせながら、空を仰ぐ。
灼熱する大空。
その朱さがどことなく血の色にも見えて――口の端が吊り上がる。
「上等だっての」
断末魔の鳴き声に呼ばれたのだろう。
ぞろぞろと集まってくる小柄な子蜘蛛達。
濁った黄色の塊は、獲物を狙う眼を向けてくる。
数の利――それを有効だと理解する程度の知能はあるらしい。
「少し体力も減らされたみたいだし……まぁ、食餌としてのお仕事ご苦労様」
かぱぁ、と大きく口を開く。
そこからは、非致死性の麻痺毒が分泌されている。
毒に関してのスキルは今までに獲得していないので、どれだけ使えるかは未知数だ。
しかし――
(組み合わせ次第じゃ割と凶悪だよな)
口腔内部から、とあるものを放出する。
それは紫色の糸。
後背部からではなく、口の中から出すことに意味がある。
避ける暇もなく絡め取られた数匹の子蜘蛛。
じたばたと藻掻いて脱出を試みるが、その勢いは徐々に弱まる。
小刻みに体を震えさせるだけで、身動き一つ取れなくなっている。
(かなり速効性で強力だな。時間が経てば耐性を得ちまうんだろうが……問題ない)
ずしりとかなりの重量を感じさせるそれを、二本の手でしっかり掴む。
そして軽く手を引いてから、思い切り振り回す。
「しっ!」
ぶん、と風を切って振り回される手作りフレイル。
紫がかった黄色の塊は、まとまって近付いていた新たな一段の元へ衝突する。
破砕の轟音を響かせ、地面が爆ぜる。
重みをなくしたその先では、荒れ地が新たに作り出されていた。
――テッテレー! Falioはレベルが3に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが4に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが5に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが6に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが7に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが8に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが9に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが10に上がった!
周囲が絶句する中で、一挙に大量のレベルアップを遂げる。
体力の最大値が上がったためか、体がやけに軽く感じる。
少しだけ死に対して焦燥を覚え、粘りの残る手で二体の子蜘蛛の頭を握る。
――グシャ、グシャ。
――ムシャムシャ、グチュグチュ。
丸々とした体に牙を突き立て、貪り食らう。
一口毎に、得も言われぬ充足感が胸の内に溜まっていく。
二体を完食し終えて、じろりと周りを見回してみれば、怯えたように子蜘蛛が総じて一歩下がる。
「……つまんねーなぁ、こんなもんかよ?」
ふん、と鼻息を鳴らす。
ニタニタと嘲笑を向け、無防備に佇んでみせる。
馬鹿にしきった態度で、子蜘蛛達が逃げてしまわぬように挑発する。
流石に堪えられなかったのだろう。
一体の子蜘蛛が一歩前に出ると、それに続くように次々と子蜘蛛達が迫り来る。
内心だけでほくそ笑み、敵の来訪を手を広げて迎えた。
「――さぁ、レベルアップを始めようか!」
言葉の意味は、きっと、伝わっていなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴミ溜の中、立っているのは一体の蜘蛛。
五足一手にまで減ってしまった手足を気にも留めず、寧ろそうなった事を喜ぶかのように微笑みを浮かべている。
それを咎められるものは、この場に残っていない。
「存外、骨があるのも居たじゃないか。嗚呼、きっとレベルが高かったんだろうなぁ……」
うっとりと、恍惚するように頬を緩ませている。
体中に傷痕を残しながらも、あえてその上を爪がなぞる。
傷口が広げられ、ピリピリとした幻痒に吐息を漏らす。
「しかし、かなりレベルが上がったなぁ……倒した数を考えれば、もっと上がっていてもおかしくはないけど」
現在のレベルは、最後に聞いた機械音声によれば四十二。
その倍近くに相当する子蜘蛛を倒したのだから、経験値効率の悪さには涙が出そうになる。
それでもプレイヤーに比せば、断然こちらの方が成長が早いのだが。
「今はひたすらにレベルを上げよう。罠蜘蛛を……奪われた欠片を取り戻すには、せめてこちらも罠蜘蛛にならないと……」
殺された時の状況から考えて、赤い欠片はあの罠蜘蛛の元にあるだろう。
いくつもの不利があったとは言え、あの罠蜘蛛は俺を一撃で仕留められる程度には強いのだから、また別の知らぬ敵に欠片が移動する事はない……と信じたい。
見知らぬ敵に欠片を奪われる可能性は決して高くないが、絶対にないとは言い切れない以上、一刻も早く取り返す必要がある。
だが今はまだ、雌伏の時だ。
決意して、視界を閉ざす。
ふと、頭の上に何かが乗った。
残った手で払い落とせば、それは青々とした木の葉だった。
何とはなしに、視線を上に向ける。
空を焼く灯火は、疾うに落ちてしまっている。
暗闇の中にあるのは、輝く月と瞬く星々。
今は遠く、されど、いつかは。
前よりも少しだけ近づいた光に手を伸ばして、月光を遮った。




