第三十三話 知見を得て
照りつける太陽の光線。
燦々と、光の放射は激しく。
あまりの眩しさに遮って、起きている事を自覚する。
体を起こす。
少しばかり、重みを感じる蜉蝣の体。
地面に引かれる力が、とても頼もしく感じる。
「時間は昼頃か。んー、んー……何だったっけ?」
死ぬ間際、何を考えていたかが思い出せない。
大切な何かを、考えていた気がする。
現状、すっぱりと忘れてしまっているが。
「……あー。駄目だ、頭痛い。こういう時は、考えても無駄なんだったよなー」
呟きながら、死を想う。
慣れてしまいそうで、決して慣れてはいけないと脳が警鐘を鳴らす消失の感覚。
回数を重ねる毎に、自己の一部が欠けているようにも思える。
けれど、少しだけ、ほんの微かに――心地よさも。
「――違う!」
頭痛を、思考を振り払うように、叫ぶ。
それを考えてはいけない。
それを把握してはいけない。
それを断定しては、いけない。
「死ぬのは避けるべきなんだよ、畜生が。この頭痛、面倒ばっか引き起こしてくれる」
微かに痛みが和らいで、思考を再開する。
死について考え――リンクして、思い出す。
自分の体について、理解した事実を。
「……そうだ、この体!」
跳躍し、すとんと着地。
しっかりと感じる重さ。
小さく安堵し、しかし頭を抱える。
「……自動で体力が減る? 何だその鬼畜仕様は。それでもって、回復すると暫く飛行不可って。正直どうしろと」
唸りながら身悶え、ぶんぶんと羽を震わせる。
ぶつけた腕が幹を抉り、勝手に発動した飛刃が樹木を薙ぎ倒す。
玩具のように簡単に破壊される自然を見て、自身のステータスが高いという事を改めて理解する。
流石はモンスター、と声ならぬ声で呟いた。
……と、茂みが小刻みに揺れる。
「何だ? ……あぁ、喧しくし過ぎたか」
騒ぐ音に釣られたのか、そこに居たのは天道虫――ブラスト・テントウ。
炎系の攻撃を当てると爆死する、場合によっては面倒な敵だ。
黒い斑点を付随する、燃えるような赤色の甲殻――それを目にして、真紅の欠片が脳裏を掠める。
「……糞、これも忘れてたか」
――ドロップした、ユニークアイテムの回収。
突如として繋がった記憶の糸に、自身を罵る。
だがまあ、今の今まで思い出せなかったそれを、思い出させてくれた事に感謝して、その命を頂くとしよう。
捕食者が俺で、獲物が天道虫だ。
負ける気はしない。
けれど、どのように殺すか。
別段、手段は限られていない。
飛刃で両断してもいいし、吸血して体力を回復してもいい。
近付いて体を掘削してもいいし、単純に体当たりでも倒せるだろう。
一番簡単なのは間違いなく飛刃で、次いで吸血だ。
遠距離攻撃の優位性というものは、それがない相手にとっては絶対的ですらある。
素直に飛刃を選べばいいかもしれないが、若干の懸念がそれを阻害する。
先に出した結論――リバイバル・カゲロウは、常に体力を失っているという事。
それがかなりの確率で事実であるために、安易に飛刃を選ぶ事をためらわせる。
未来のために体力を回復しておく事も重要であり、けれど回復は即ち飛行の禁止をもたらす。
ユニークアイテムの回収に向かうに際し、飛べないという事はかなりの負担になるだろう。
ジレンマに悩んでいる内に、戦端は開かれた。
痺れを切らした天道虫が羽を開いて突撃してくる。
真紅の甲殻を回転させて、弾丸のように高速で迫る。
蜉蝣の脆弱な耐久力では、ぶつかれば危険極まりない。
(……ちっ)
敵を前にして何を悩んでいたのかと舌打ちし、寸でのところで体を反らす。
行動の始めが遅かったものの、掠めるだけに止まる。
機敏に動ける蜉蝣でなければ、重い一撃を受けていたことだろう。
けれども、こんな弱者の攻撃を掠めてしまったのも事実だった。
思考を切り替える。
戦闘へと――いや、ただ勝利へと、一途に。
バキバキバキ、と木々を折りながら背後を突き進んでいる天道虫。
その姿を想像し、瞬時に行動を決定する。
振り向く動作すらせずに一度、羽を動かす。
一枚の風の刃が、後方で暴れる敵目掛けて放出される。
「クハッ!」
ガキィィィン! と甲高い音が響く。
ギァァァァァ! と絶叫が響き渡る。
鼻を鳴らし、おもむろに振り返る。
そこにあるのは、予想通りの光景。
「まだ死んでくれんなよ? クハハッ!」
砕けて散った、羽を守る赤い鎧。
ボロボロと崩れ、背に残るのは破れた羽が三枚。
それでもなお、意志の強い瞳がこちらを睨む。
戦意に衰えは見られず、寧ろ昴りすら感じられる。
「ク、ハハハハハッ!」
哄笑を撒き散らし、新たに生成した二枚の飛刃を無造作に放る。
狙いも何も定めていない二連撃は、しかし避ける事の出来ない天道虫を破壊する。
手足を二本切断し、頭頂部を浅く削り落とす。
断末魔とも思える叫び声に耳を塞ぎながらも、口元は卑しく歪んだまま。
「あーはははー、クハハハッ。ほらほら、無様に踊れよ、雑魚が。ひひひっ、あはははっ!」
ケタケタケタ。
嘲笑し、弄ぶ。
致死しない程度に加減した飛刃を繰り出し、じわじわと命を削っていく。
殻を捲り、手足を削ぎ、触覚を断ち、羽を千切る。
――ギガァァァァァアアアッ!!
「あははははっ、あひゃはははっ! クハハハハハッ! クハハハハハァッ!」
耳障りな鳴き声を上げる天道虫。
反響し、森中に届く騒音。
笑声と混ざり、叫声は濁る。
――テッテレー! Falioはレベルが57に上がった!
頭痛とともに、はっと意識を取り戻す。
目の前には、天道虫のドロップ品らしきアイテム。
態々取るまでもないと、視線を周囲に送れば。
「おいおい……なんつーか、これも懐かしいっちゃあ懐かしいけどさ」
赤。
緑と茶、その中に映える赤色の群。
一、二、三、……、九、十……まで数えて、止める。
今も続々と集まってくる天道虫達を見ていると、数えるのが馬鹿らしくなってくる。
(勝てるか……? いや、まず無理だな。数が違い過ぎる。羽蟻の頃に実感しただろう、数の暴力は)
じりじりと距離を詰められる。
同胞の仇を討たんと、激情を宿しながら。
いきなりの窮地に、幻の冷や汗を流す。
(……逃げるしかないか。幸い、飛行速度はこちらが上の筈だ。始めに落とされなければ、後はどうとでも逃げきってみせる)
舌舐めずりを一つ。
危険が大きい程燃える、なんて破滅的思想は持っていないが、そうでなくともこの状況は昴揚する。
気付かれぬよう、いつでも飛び立てる体勢に移行する。
「――今!」
一斉に飛びかかってくる赤い砲弾。
点の攻撃は、今や面にも匹敵する。
緊張で口の中が渇きながら、絶好のタイミングを見計らって飛び上がる。
ぐん、と体が持ち上がる。
最小限の羽撃きで、最大限の効果を。
重力から解き放たれた、飛ぶために存在する全身。
脇目も振らず、一目散に逃げに徹する。
すぐ傍で飛び交う、濃厚な死の香り。
一撃でも掠めてしまえば、飛行の中断は免れない。
そして落ちてしまえば、起こるのは集団による暴虐の発露。
俺がしてしまったように、かつて俺がされたように、ただ死ぬだけではあり得ない苦痛が待っている。
「そんな羽目に、なってたまるかっての!」
牽制は無意味。
狂ったように攻撃を仕掛ける天道虫達は、ダメージなどものともしないだろう。
たとえ味方がいくら死んでも、敵さえ殺せればそれで構わない――そんな、狂信者の考え。
瞳に宿る激情は、そんな色を帯びていた。
体を捻り、身を捩り、背を反らす。
僅かにもダメージを受けないよう、必死になって回避する。
どうしても触れてしまう衝撃には、甲殻をぶつけて無理矢理逸らす。
「――あああぁぁぁぁぁっ!」
そして、抜け出す。
死の淵から、憤怒の渦から。
命の危機は、既に遠い。
「クハハハハハッ!」
思わず漏れる、好きではない笑い。
けれど、そんな事を気にする余裕はない。
すべき事をしよう。
小さく震わせていた羽の動きを、大きく。
体勢は、あたかも飛行機のように。
最も速く、何よりも速く。
飛び去るために、全てを費やす。
「――ぁっ」
声にならない声。
風切りの音に掻き消される。
「――――ぃひっ」
飛んで、飛んで、飛んで。
思うがままに、飛んでいく。
「――――――ァハハハハハァッ!」
鋭い哄笑が、雲一つない青空を引き裂いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
体が軽い。
速く、疾く、迅く。
飛び荒ぶ様は、一陣の風がごとく。
死の接近を知らせる警鐘だと、今では理解している。
理解していても、止まらない。
平時では決して入れぬ高速の世界は、あまりにも心地がよすぎる。
縦横無尽に飛び回る。
近付いた愚か者は、例外なく飛刃をその頭殻に受けてなす術なく墜とされる。
森へと落ちる流れ星は、何て事はないアイテムの形をしている。
一メートルでも、一センチでも、一ミリでも。
一秒間に進む距離を、少しでも大きく。
それだけを求め、空を縦断する。
――我に返るのは、死んでしまった後。
動かない体に、理性を宿してから。
物事の優先順位を履き違えた代償は、再びの消滅を。
自業自得で、後悔は遅い。
いつかに壊れた本能は治らない。
生きるよりも、刹那の悦楽を求めてしまう本能は。
解離していたのは、理性と本能。
どちらも同じ自己で、けれど相容れないもの。
そんな事を漸く知って、それでも何も変わらない。
断たれた接続は、二度と繋がらない。
本能と理性は既に遠く。
コインを裏返すように図柄は変化しても、二つが同じなんてあり得ない。
繰り返し、繰り返し。
投げ続けるコインが汚れ、錆びて、欠けるように。
理性と本能を隔てる壁は、今や脆く儚い。
例えばそれは、記憶と呼ばれるものであったり。
例えばそれは、頭痛となって現出する。
それでも、まだ。
コインは投げられる。
変化は続く。
死を経験し、死を乗り越え、死を克服する。
――真実、そんな事は出来やしないのに。
手に入れた知識は生かされない。
二つに分かたれて、破損したデータは参照出来ない。
二つが合わさらない以上、一部を知っても無意味に終わる。
混濁する。
分離する。
情報は深層へ厳重に仕舞われて、意識は途絶える――




