第三十二話 力の欠片
眼孔まで直接射し込む陽光。
何となく懐かしさを覚えつつ、眩しさに体勢を変える。
ごろんと寝転がり、羽が折れそうになる感触に慌てて立ち上がる。
「……ん?」
何か、疑問が浮かぶ。
疑問と言うだけで、具体的な事は分からない。
何だろうかと首を傾げ、リポップした周辺を歩き回る。
「……って、そうだ。俺、死んだじゃん」
思い出した。
気ままに飛んでいたら、何の前触れもなく体が動かなくなって墜落したのだ。
落下によるダメージで体力を全損した――のだろうか?
どこか、違うような気もする。
「あれ、どうして俺落ちたんだ? ……本当にどうしてだ?」
飛んでいたところを、攻撃された覚えもない。
飛刃のような不可視の攻撃を受けたとすれば、体のどこかを欠損するだろうから、違うだろう。
他にも幾つかの要因を考えてみるが、どれもしっくりこない。
原因ははっきりしているのに、理由が不鮮明極まりない。
「分かんない事を考えても仕方がない……とは思うが。この件は、ちょっと放っとくと駄目な感じがするんだよな」
ガシガシと頭を掻き、触覚がゆらゆらと揺れる。
ちろちろ、と舌が口から出入りする。
時間をかけて思索を巡らしてみるが、これといった成果は上がらない。
嘆息し、軽く首を回す。
コキコキ、と気持ちのいい音が鳴った。
「……あーもう、分からん。気分転換にちょっと飛ぶか」
これ以上考えていても無駄だろうと見切りを付け、羽を震わせる。
飛んでいる内に何か案が浮かぶだろうと楽観し、ふわりと体を浮かせて――その重さに違和感を覚える。
「ん……?」
いや、実際に重くはないのだろう。
羽の動きを止めても数秒は滞空出来るだろう位には、体は軽いように感じる。
ただ、記憶にある前回の最後を思い出して、その軽さと比較すると――どうにも、重く感じてしまう。
疑念を抱きつつも、墜落したくはないので羽を震わせ続け、空へ飛んだ。
「考えるのは後にするか」
ぐるん、と一回転。
軽妙に動く体は、やはり心地がいい。
「難しいことは後回しにしてしまえ。蜉蝣らしく、刹那的に生きてみるべきでしょうよ」
そんな言葉で自分を誤魔化して、飛び出す。
自由に、縛られずに、好き勝手に。
口元には弧月を象り、軌跡は波紋を描いて。
時折漏れる笑い声は、空虚に溶けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
眼下に広がる、見覚えのある光景。
羽撃きを変えて滞空し、いつ見たのかと頭を捻る。
唸りながらその場でくるくると回転し、はっと気付く。
「ああ、死ぬ前に見たのがこんな風景だった気がす、る……?」
言いながら、首を傾げる。
思考の片隅を過った何か。
その正体を思い出そうとして、森へと視線を落とす。
小さく、赤い何かが見えた。
「……何だ?」
緑と茶、その二色のみで構成された森の中。
花などが咲いている訳でもないので、赤色なんてある筈もない。
赤色の昆虫――天道虫がそうだが、それとも違うように思える。
上空から見ているので小さく見えるのには変わりないが、それにしても小さ過ぎる。
では何か――考えている時間が勿体ないと、警戒しながら地表へ近付く。
そして、見つけたものは――
「アイテム、なの、か……?」
赤い欠片。
そうとしか形容出来ない、小さな塊。
それが二つ、転がっていた。
「……これだけ? 俺のドロップアイテムは、もう少し色々あった筈だが……」
言って、口を噤む。
空を見上げ、その青さを確認する。
そして、静かに息を吐く。
(時間経過で消えたか。誰かに拾われたんだったら、態々残す真似もしないだろうし)
俺が死ぬ直前、空は暗闇に閉ざされていた。
しかし今、起きた直後に太陽は南中している。
リポップまでの待ち時間――その存在を久方振りに思い出し、首を振った。
(それにしても――)
赤き二つの欠片。
他のアイテムは消えているというのに、これだけが消えずに残っている。
その原因を考え、一つの仮説が浮かぶ。
「……ユニークアイテムか? って事は、これがデモリッシュ・モスと――」
一端言葉を区切り、蛾の姿を脳裏に思い浮かべる。
輪郭はぼやけ、色彩すらも曖昧だ。
ただ一度、邂逅しただけの相手なんてそんなものだ。
しかしながら、もう一体は。
食らった肉の味を幻覚する。
口の中に残った、甘く、甘く、甘い風味。
砂糖のように甘く、蜜のような甘さが。
「――ホーネット・アントの、ドロップアイテム」
未だに鮮明に思い出せる、女王の姿形。
金箔の裸身、リボンのような黒い線、二本の触覚、透明な四枚羽、膨らんだ臀部――見たものを誘惑する、艶やかで蠱惑的なその体躯。
危険だと、視覚からも直感からも理解させられていても、魅了されてしまう美貌の女王。
(……いや。いや、いいや)
頭を振って、想像を払う。
いや、妄想と言い換えるべきだろうか。
字面的な意味で。
「まあ、いいや。それにしてもこれ、何に使うかは知らないけど、重要アイテムっぽいよな。見た目的に」
いくつか集めてようやく完成するだろう、赤い欠片。
ただでさえユニークアイテムである事がその価値を高めていて、それがパズルのようなものであれば、尚更に。
まだそれらには触れずに、推測を重ねる。
「サイズからして……これで五分の二か。森の最強種五体がそれぞれ対応してるんだろうな、多分」
呟いて、片方の欠片を凝視する。
描かれている紋様――生物の頭部らしきものを模した、何かの図柄。
もう一つを観察すれば、薄らと四枚の羽が見て取れた。
確信は出来ないものの、この欠片を集めれば何らかの絵が完成するのだろう。
現状の二つから察するに……出来上がるのは昆虫だろうか?
複眼、四枚羽という少ない情報だけなので判断に困る。
「回収は、しておこう。何かの役に立つかもしれないし。他のモンスターに拾われてなくてよかった」
ちょんちょん、と。
そっと触れるだけで、消滅する欠片達。
その光景に不安を覚えなくもないが、ちゃんと拾えている実績もあるので大丈夫だろう。
「……にしても、俺を殺した……殺した? 相手が一体何をしたかったのか、余計に分からなくなったな」
前回の、疑問しかない自身の死を想う。
空を飛んでいたところでいきなり体が動かなくなり、そのまま墜落し、死亡。
直前に何かをされた記憶もなく、理解しているのは死んだという結果のみ。
殺されたのか、それとも自然と死んでしまったのかも分からない。
後者は自分でも意味が分からないが、そういう可能性もあるだろう。
「殺されたと仮定して……どうやって? 俺は攻撃を受けた覚えもないし、周りに敵も見当たらなかった。その前からも暫くは無傷を維持してたから、毒で死んだわけでも……いや、これは微妙か?」
攻撃を受けずに突然の死となると、やはり継続ダメージによる体力低下が考えられる。
けれど、そんな攻撃を受けた覚えも勿論ない。
可能性としては、なくはない程度だろう。
「それに、どうしてかも分からない。俺を殺して得するのは……モンスターもプレイヤーもそうか。モンスターならレベル上げのため、プレイヤーならレベル上げとアイテムのため……」
そこまで言って、自分の意見を否定する。
もし自分がプレイヤーだったとして、倒した相手のアイテムを無視するなんて真似をする筈がない。
特にそれが、明らかにレアだと分かるアイテムなら尚更だ。
「やっぱりモンスターか? でも、そうなると手段がまるで分からないんだよな。プレイヤーなら知らないアイテム使って殺されたとも考えられるけど、モンスターじゃなぁ……」
良くも悪くも、モンスターは単純だ。
攻撃手段として絡め手は持っていても、悪辣過ぎる攻撃はしてこない。
たとえば、見えない程の遠距離から一方的に攻撃してくるような。
たとえば、たったの一撃で死をもたらすような。
ユニークボスなら考えられなくはないが、この森に残っているのはトライホーン・クワガタ一体のみ。
ガッチガチの近接戦闘特化のあの王者が、せせこましい攻撃をする筈がない。
王者の進む王道は、正面からの蹂躙一択なのだから。
「飛ぶか。分からんし」
熱を帯びてきた頭を冷やすに丁度いいと、青空高く飛翔する。
何の問題もなく、何の抵抗もなく、凄まじい速度で飛び上がる体。
軽く、重さなど微塵も感じず――そして、その事に違和感を覚える。
(……おかしい)
この体で目を覚ましてからの初めての飛行は、もっと重かった。
それが今や、一切の重力を感じない程に軽くなっている。
レベルアップが理由――ではない。
ここに来るまでの飛行で確かに戦闘は行ったが、それもたったの二度。
レベルが一つ上がったに過ぎない。
どう考えても、多少の慣れや、レベルアップで片付けられる問題ではない。
(何か理由がある筈だ。決定的な、速度が上がっている理由が――)
そこで不意に、吸血をした時の事を思い返す。
吸血をしてから暫く、体が重く満足に飛べなかった。
時間が経過すると、何故かまた飛べるようになった。
吸血とはつまり、体力の回復である。
体力が回復すると、体が重くなる。
では、体が軽いとは、何を意味する――?
「マズっ――!?」
気付いた時には、もう遅い。
痺れるように、一斉に動きを止める己の体。
ガクン、と体勢を崩し、回転しながら地面へ近付く。
――動かないのは、体力が尽きたから。
身動き一つ取れないとは、つまり体力がゼロである事を意味する。
本来なら徐々に鈍る体の動きは、蜉蝣に限っては鋭く研ぎ澄まされていくのだろう。
そんな事実を今になって知り、内心で激情が起こる。
(時間経過で体力が減るとか、誰が想像するんだよ!)
口を動かせず、文句は心の中で叫ぶに終わる。
怒れるままに、視界は草木に埋め尽くされる。
ぶつかり、へし折り、砕け、壊れて。
最後に、意識が切断された。