第三話 戦闘とも呼べないなにか
もぞ。
もぞもぞ。
もぞもぞもぞ。
(ん……? ああ、復活したの、か……?)
見えない。
木々も、草も、自分の体も、何一つとして見えない。
(はっ……!?)
文字通り飛び上がる程に驚いて、背中を後ろの木に強くぶつける。
ぶつかった木が大きく揺れ、木の葉が数枚舞い落ちる。
(痛っ、くはないけど、ああもう、変な感じ……!)
ぶつけた背がじんわりと熱を発している。
痛みはないが、熱に伴って感じる不快感は鬱陶しい。
背中を地面に触れさせないよう気を付けながら、地面に這っている体勢を軽く傾けて、視界に広がる空に気付く。
(おぉ、綺麗だなー……)
暗闇の中、数多の星々が瞬いていた。
際だって大きな白銀に輝く満月が、煌々と光を放って空を支配していた。
(夜になった、って事か? 時計がないから時間が分からん)
メニュー画面が見れない弊害がここにも出てくる。
意図せずして息を吐いた。
(やれやれ……本当に、どうしたものかな)
何をすべきか分からず、何が出来るか分からない。
いつの間にやら熱も引いているし、どうしたものか。
結局何もせずにぼんやりとしていると、近くの茂みがガサガサと揺れた。
(っ!? 何だ……?)
とっさに息を殺してその場に伏せる。
茂みの揺れる音は段々大きくなってきている。
過度の緊張感に、額から汗が流れる幻覚が起きる。
「はっ! はぁっ、畜生っ! 痛ぇんだよ、クソ虫どもがっ!」
茂みを掻き分けて飛び出してきたのは、一人の若い男。
ぜいぜいと息を切らしていて、足取りは覚束ない。
装備は何故かボロボロで、体の至る所から出血していた。
(ダメージを受けて出血する、なんてエフェクトはなかったと思うんだが……今回のアップデートで仕様変更したのか? 今までも装備品に耐久値はあったけど、見かけは変わらなかったし)
荒く息を吐く男は雑ながらも注意深く周りを見回すと、近くの幹に背中を預けて座り込んだ。
すると、悪態をつきながら、それまで被っていたヘルメットを地面に叩きつけた。
月光に照らされて、ヘルメットに覆われていた朱色の髪と、顔を大きく歪ませた若い男の顔が露わになる。
鮮やかだろう赤髪はところどころが血に塗れて、無惨に黒ずんでしまっていた。
「クソッ! このゴミがっ! はぁっ、ああっ、はぁっ」
男はそれからポーションを飲むでもなく、ただ呼吸を整えているだけ。
回復すら忘れて休んでいるということは、近くにそれだけ疲れる強いボスモンスターでもいたのだろうか?
「はっ、はぁ、はぁっ、ぐぅっ、何だよっ、何でこんなっ……」
血の流れ出る側頭部を押さえながら、独りで男は愚痴を零し続ける。
声量を抑えているあたり、一応の警戒はしているのだろう。
だが、息を潜めて観察する俺には気付いていないらしい。
(今なら、色々と出来そうだが……)
今更だが、この身はモンスターになっているのだ。
記憶が確かなら、この芋虫のモンスターは"ポテンシャル・キャタピラー"なんていう名前の、貧弱な昆虫だった筈だ。
ほぼ全てのステータスがゲーム内でも最弱で、経験値もおいしくないからと逆に敬遠されていたモンスターだ。
(改めて考えると、この体で勝てる相手っているとは思えないよな……)
絶望的、と言っていい状況に、思わず溜め息を吐く。
「あっ、はぁっ……ってやばっ、死ぬっ!」
男はようやく回復するためにバッグに手を突っ込んだ。
ゴソゴソと荷物を漁っている姿はどう見ても隙だらけだ。
焦ったように回復アイテムを探す姿は、いっそ滑稽でもあった。
(……今なら、あの男を倒せるか? まあ、どうせ死んでも復活するし、何事もチャレンジで行こう)
逡巡する時間も惜しいとばかりに、俺はすぐさま男に近付いていった。
音を立てないよう慎重に、かつ傷ついている内に攻撃できるように素早く地を這う。
「……あった! はっ、危ねぇ危ねぇ」
もう回復アイテムを見つけたらしく、男は安堵の胸を撫で下ろしている。
ポーションの蓋に手をかけているところを見ると、最早一刻の猶予もない。
気付かれることを承知の上で、俺は男に飛びかかった。
(そりゃあああぁっ!)
「何っ、ぎゃあっ!」
(お、うまく当たった)
俺の頭が男の頭に直撃する。
男は休憩のために頭防具を外していたため、ダメージは大きそうだ。
ぶつかった反動で俺の頭も痛むが、こちらはモンスターだしダメージは少ないだろう。
「このゴミがっ……!?」
顔を怒りと出血で真っ赤に染めながら、男は俺を射殺さんばかりに睨んだ。
男の右手が腰に差さった長剣の柄にかかる。
しかし何かに気付くと、ぴたりとその動きを止めた。
「あ、あっ、あああぁっ、あああああぁぁぁっ!」
(っ……?)
俺の見ている前で、男は半狂乱になりながらその体を徐々に崩壊させていく。
振り回される腕が一撃で幹を抉り、近くの木を倒す。
その巻き添えを食わないよう、慌てて男から離れた。
(うわ、レベル高そうなのにあの一撃で体力尽きたのか。俺がやっといてなんだけど、運悪いなー)
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!!」
(にしても、何でこんなに叫んでるんだ?)
冷めた目で体が崩れていく男を眺めていると、ふとその視線がかち合った。
――ゾクリ。
背筋が急激に冷える。
その瞳には、俺への濃厚な殺意が込められていた。
(いや、一モンスターに向けるもんじゃないだろ、それ! 悔しいのは分からないでもないけど!)
男は唐突に狂乱を納めると、何も持っていない手をこちらに伸ばしてきた。
ゆっくりと近づいてくるそれを、俺は避ける事が出来ない。
男の強烈な視線に捕らわれて体が動かないのだ。
(やられるっ……!)
そう思った瞬間、男の指が俺の頬を掠め、消えた。
(あ……)
気が付くと、そこに居た筈の男の体はなくなっていた。
男の物らしき持ち物をその場に残して。
(助かった……)
緊張から解放されて安堵の息を吐くと、同時に機械的な効果音が鳴った。
――テッテレー! Falioはレベルが2に上がった!
(……は?)
突然の事に疑問を挟む前に、効果音が連続で鳴り続ける。
――テッテレー! Falioはレベルが3に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが4に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが5に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが6に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが7に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが8に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが9に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが10に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが11に上がった!
――テッテレー! Falioは――
(おいおい! 色々と突っ込みどころはあるが、何だよこれ! これはあれか? あの男を倒した経験値でレベルが上がってるって事だよな?)
混乱する自分に問いかけながら、鳴り止まないレベルアップの音を聞き続ける。
時折聞こえてくる枝葉の擦れる音に気付くと、何だか無性に自分が場違いに思えてきた。
主人公の名前はFalioです