第二十七話 新生
気が付けば、体は膜に包まれていた。
記憶にある感覚に少し懐かしさを覚え、気負わずに被膜を破る。
僅かな抵抗感とともに呆気なく引き千切れ、暮れる太陽の光を一身に浴びる。
茜色の陽光は心を落ち着かせてくれる。
「あー、あ゛ー、うん。声も問題なく出るみたいだな。しかし……今回は、何だこれ?」
慣れない体の感覚に若干の戸惑いを覚える。
てっきりまた芋虫になると思っていたが、どうやら違うらしい。
灰褐色の体に、短い三対六本の足。
特徴的なのは、やはり一対の巨大な鎌状の顎だろう。
「蟻地獄ってやつか? 何ともまあ、けったいな虫になったもんだ。蟻やら藪蚊やら芋虫やらよりは、今でも強そうに見えるが……」
左右の鎌を打ち合わせて、感触を確かめる。
力強い音色が鳴り響く。
甲虫の甲殻程度なら容易に引き裂けそうで、頼もしい。
無意味に何度も打ち鳴らし、時間を費やした。
「微妙に面白いな、これ。いつまでやっててもしょうがないけど。にしても、これからはどうするかな」
行動の指針が、今の俺には存在しない。
それこそ、レベル上げ位のものだ。
それもいいかもしれないが、別に目的を持ちたいとも思う。
無計画な行動は、ホーネット・アントの件の轍を再び踏みかねない。
「そう言えば、プレイヤー達から逃げる時に、女王のドロップとか勝手に貰ってきたが……どうすればいいんだ?」
具体的に何を奪ったか、が分からないのが歯痒い。
もしかしたらストーリー進行に欠かせないアイテムかもしれないし、そうでなくとも貴重なアイテムである事は確実だろう。
死ねばそれを確認できるかもしれないが、死亡中にそれが誰かに持っていかれないとも限らない。
プレイヤーに持っていかれるのならまだいいが、モンスターが適当な場所へ運んでしまったりしたら、それこそ永久に行方不明になりかねない。
つまるところ、暫くは俺が死なずに持ち続けるべきだろう。
「死なないようにするためには……やっぱレベル上げだよな。蟻地獄だし、待ちの戦法には強いだろうけど、機動力は低いだろうし」
のそのそと動く速度は、芋虫にも劣る程度だろうか。
体感なので詳しくは分からないが、とりあえず空を飛ぶような敵から逃げられる素早さではない。
そもそも、空中にいる敵への攻撃手段は何かあるのだろうか?
「攻撃手段は――っと、何か浮かんできた」
体当たり、糸を吐く、吸血、武器攻撃、連携攻撃、捕食、挟む、掘削。
バリエーション乏しい一覧が、脳裏に浮かんだ気がした。
「これは酷い……」
思わず頭を抱えてしまう。
いや、これでもおそらくはマシなのだろう。
蟻地獄が使える攻撃だけでなく、芋虫や藪蚊、蟻の攻撃手段も持ち合わせているのだ。
例えるなら、俺はかたくなるしか使えない蛹ではなく、どくばりも使える優秀な蛹なのだ。
……自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
「疲れてるのかもな……それに、参照は出来ないけど、インヒレントスキルもいくつかありそうだし」
こうして喋れるのも、何かしらのスキルの影響だろう。
他にも飛行速度が他の羽蟻より速かったのもスキルの効果だろうし、まだ知らないスキルもあるかもしれない。
喋れるようになったのは、タイミングから考えて、女王の肉を食べたためだろうが……食事の光景を思い出しかけて、頭を大きく振る。
カニバリズムの嗜好はなかった筈だが、何故だかあの時は女王の体を害したくてたまらなかった。
独占欲にも似た何かに突き動かされての凶行だが、思い出しても理由は漠然として分からない。
折角発散した陰鬱な気分がまた溜まり始め、ふと疑問が浮かんだ。
「俺って、ただの虫より強いのかな……?」
自信がない訳ではないのだが、言い切るにはどうしても尻込みしてしまう。
一応羽蟻の最後で同格の敵達を屠れた事から、それなりの強さはあると自負している。
だがそれでも、絶対に勝てないと思う敵は居る。
「"トライホーン・クワガタ"……もう昆虫の最強種ってあれしか残っていないのか? でも、あれはプレイヤーでも早々倒せないよなあ……」
おそらくはユニークボスであろう、三つの角を持つ奇形の鍬形を思い浮かべる。
自分が相対している構図を描き上げ、想像の中で戦闘を行ってみる。
十秒と保たずに即死した。
(無理……基本性能高過ぎだろ)
その後も何度か繰り返すが、悉く瞬殺される。
せめて想像の中では勝って欲しいが、どうにも敗北のイメージが付いて回る。
既に何度か殺されている経験のせいだろうが、もし実際に戦う事を考えると、溜め息が出る。
「……レベル上げるか。プレイヤーも見かけたら倒していこう。対人戦の経験は後で役立つだろうし」
深く嘆息して、獲物を探しに足を動かした。