第二十五話 逃した大虫
プレイヤー視点です。
"降り懸かる火の粉は払う"とか。
"露払い"だとか。
プレイヤーにとって、脆弱な蟻や蜂の相手とはそう表現して終わるものだった。
……だと言うのに。
「っ! このっ!」
小柄な少女――ツウィグは、相手取ったアント・ビーとの戦闘に戸惑いを隠せなかった。
曲がりなりにもトッププレイヤーの一員たる少女は、ステータス的にただの蟻相手に苦戦する筈がない。
事実として、途中で遭遇したアント・ビー達は、文字通り一蹴してきたのだから。
短剣が空を切る。
確実に致命を与える一撃は、相対する敵の体にまで届かない。
殺傷力の乏しいであろう黒い棒が、鋭利な白刃を鮮やかに受け流す。
焦りが攻撃を単調にしている事にも気付かず、少女は猛攻を続ける。
「やあああぁっ!」
スキルを発動し、人体では不可能な過程の四連撃が繰り出される。
ほぼ同時に発生する、四本の刃。
けれど、それを予想していたかのように、目の前のアント・ビーは一足跳びに後退する。
射程の範囲外に逃げられては、決まった行動をするスキルでは対処の仕様がない。
スキル後の硬直の間、鋭く突き出される棒が、少なくも確実に体力を削っていく。
硬直が終わる瞬間にまた攻撃しても、予期しているように防がれる。
「何、でっ!?」
訳が分からない。
ただのモンスターが、スキルを熟知している筈がない。
例え熟知していたとしても、AIがそれを万全に生かせる訳がない。
ないない尽くしで混乱する思考。
じわじわと削られる体力が、"死"へのカウントダウンを刻んでいるようで――
「――っいやあああぁっ!?」
攻撃が大振りになる。
小さかった隙が大きくなり、被弾する回数も増える。
微少なダメージも、重なれば看過出来ないものだ。
見知った人間の死を直前に見てしまっていたためか、少女の恐慌は加速する。
「ツウィグちゃんっ!?」
少女の異常にやっと気付いたのか、金髪の女性――サラが叫びを上げる。
他の仲間たちも横目で少女の様子を窺い、驚愕を露わにした。
少女が助けを必要としているのは、あまりにも明確だった。
しかし、彼女達も手が空いている訳ではない。
羽蟻による息も吐かせぬ波状攻撃――いずれ物量的に打ち止めにならざるを得なくなるとしても、今止める事は非常に困難だ。
サラは舌打ちを鳴らし、現状取れる有効な手段がない事に頭を抱えたくなった。
「……こうなりゃ、先に親玉潰さねえとマズイなぁっ! サラ! イリナ! レイス! こっちは任せるぞ!」
「アーク!?」
「ちょっと、任せるって言われてもっ!? ちぃっ!」
「……っ!」
蟻の攻撃の間隙を縫うように、アークはホーネット・アントへ近付いていく。
サラが一瞬だけ動きを止め、レイスがアークに文句をつけようとして対峙する羽蟻の反撃を受ける。
イリナはあり余る憎悪を群がる蟻達に向け、無言のまま作業のように蹴散らしている。
集中しているのだろう、ツウィグの危機もアークの独断専行も感知していないようだった。
「ああ、もう、ここまで来てパーティーが瓦解するなんて想定してないわよ! レイス、どうにか私たちだけでこのモンスター共を弾き返すよ!」
「難しいですが、やらなきゃ死んでしまいますからね! さっき宝物庫で手に入れた回復アイテム、全部放出するつもりでやりましょうか!」
縦横無尽に舞いながら、サラは着実に蟻達の個体数を減らしている。
レイスも大剣を大きく振り回し、サラの攻撃後の隙を埋めるように蟻達を薙ぐ。
口調こそ気楽なものだが、その実、余裕は欠片もない。
彼らは知っている。
敵が弱くとも、ただ数が多いというだけで、強者も呆気なく死んでしまう事を。
油断しきった仲間の死の光景を、彼らはまざまざと思い出せる。
自然と武器を握る手に力が込められ、否応にも緊張が高まる。
「行くぞ! もう仲間を殺させはしない!」
「ええ、ツウィグちゃんまではやらせない!」
奮起した男女の守勢は、ツウィグへと流れる黒い洪水を暫く塞き止めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「終わり、だっ!」
「しまっ――がっ、あああぁぁぁぁぁっ!」
アークの一撃を避け損ねたホーネット・アントが崩れ落ちる。
長い時間をかけて、どうにか体力が零に至ったのだろう。
ドロップアイテムを放出し、ホーネット・アントは死体と化す。
――ユニークボス"ホーネット・アント"が打倒されました!
「はぁっ、はぁっ……! サラ! イリナ! レイス! ツウィグ! 生きてるか!?」
傷を負っていない箇所がない位に、アークの体は血塗れだった。
だらりと大粒の汗を流しながら、アークが仲間に呼びかける。
「はっ、はっ、はっ……どうにか、生きてるよっ!」
「ええ、本当に、厳しい、ところで、したが」
「……ぁあっ、はぁっ、あっ……生きてるっ、死ぬ訳ないっ!」
間を置かず、三人の声が返される。
そして、返事のなかったもう一人の方へと、ゆっくりと視線が向けられる。
「ひっ、はっ、ひっ……はぁっ、はふぁっ……!」
腰を抜かして、ガクガクと体を震わせながらも、確かに生きているツウィグがそこに居た。
対峙していたアント・ビーは棒を大きく振り被った体勢で静止しており、その頭は女王の骸を凝視している。
他の蟻も似たり寄ったりで、総じて女王の死でその動きを止めていた。
少女の身に着けている装備はどれも無惨に破壊されており、白雪の肢体が露わになっている。
未だ恐慌から抜け出せていないのか、ツウィグは自分の痴態に気付かずに、過呼吸を繰り返している。
レイスは反射的に顔を明後日の方向へ向け、逆にその体を観察し始めたアークは、その頭を二人の女性陣に叩かれた。
それを切っかけに、弛緩する空気。
誰かが安堵の息を零して――愚痴の如き呟きが漏れた。
漏らしてしまった。
「全く、ヒヤヒヤさせやがって。ルーイの死やら、ツウィグが戦った意味のわかんねぇアリやら、想定外の事態が多過ぎだろ、今回は。あぁ、いっその事、死姦でもしてやろうか? 目ぇさえ瞑ってれば、結構美人だしよぉ」
笑いでも誘おうとしてか、アークの下品な冗談に女性陣から侮蔑の込められた視線が送られる。
極寒の視線に耐えかねてか、アークが居心地悪そうに頬を掻く。
ツウィグは慌てて予備の防具を身に着け始め、その顔は真っ赤に染まっていた。
レイスが普段通りのアークの振る舞いに苦笑していると――黒い影がレイスの視界を過った。
「きゃぁっ!」
「アークッ!」
ツウィグの悲鳴に重なって、レイスが鋭く警告を発する。
咄嗟にアークは近付く影に向けて盾を構えるが、一撃でその体は弾き飛ばされた。
「がぁっ!?」
「アーク、大丈夫!?」
「まだ動けるの!? もうボスは倒したのに!」
サラがアークの身を案じ、アークはよろよろと片手を上げてそれに応える。
イリスは油断なく鎚を持ち直し、影の攻撃に備える。
黒い影――ツウィグと激戦を繰り広げ、圧倒すらしていたアント・ビーが、ホーネット・アントの脇に立つ。
隙のないその立ち姿に、アーク達は冷や汗が隠せない。
「……他のアリ共は動かねぇようだし、やっぱてめぇが異常なのか。まあ、てめぇも流石に俺ら五人を同時に相手は出来ねぇだろう?」
回復を終えたアークが壊れた盾を放り捨て、両手で長剣を握る。
もう遅れは取らないと、その瞳が雄弁に語りかける。
黒い影の一挙手一投足を警戒する戦士達は、もう警戒を怠るような真似はしない。
しかし――黒い影の取った行動は、誰も予想していないものだった。
「何ぃっ!?」
「えっ!?」
「なっ……!」
「はっ?」
「嘘……」
黒い影はさっと屈むと、ホーネット・アントの骸に齧り付いた。
思いも寄らぬ行動に、再び呆気に取られてしまう五人を尻目に、黒い影は食事を続ける。
胸部、腹部、頭部、臀部、そして腰部――特徴的な部分部分を贅沢に食らうその様は、巨大な蟻という外見も相まって酷く怖気を呼ぶ。
視線を外したくとも、外した瞬間に何かしてくるのではないかという不安が付いて回る。
故に、特に女性陣は失神でもしかねない精神的苦痛の中で、その光景を注視せざるを得ない。
だから、やはり、五人は黒い影の行動に対応出来なかった。
「――逃げるのかっ!?」
レイスが叫ぶ。
そう、黒い影は女王の死体を一通り貪ると、そのまま奥へと飛び去っていった。
戦闘中の女王に比肩する、ただのアント・ビーではあり得ない高速での飛行。
それを以て、黒い影に離脱を許してしまった。
「ねえ、どうする……? このまま、追う?」
サラが訊ねるも、答えは返ってこない。
正直な話、黒い影との戦闘は避けられるのなら避けたいところだった。
全員が、肉体的にも、精神的にも、疲労困憊だった。
「わざわざ今倒しに行く必要はないんじゃないで――」
「――やられたっ!!」
レイスの提案を途中で遮り、イリスが苦悶の声を上げる。
視線がイリスに集まる。
「あのアリ……女王アリのドロップを盗んでいった」
淡々と、しかし絞り出すように発せられた言葉を、四人は理解できなかった。
徐々にその言葉が頭に浸透するにつれて、四人の顔は激情に彩られていく。
「どうするのよ!? ……あ、アーク、貴方、女王アリのドロップ拾ってるわよね? そうよね?」
「いぃや、まだ拾ってなかった……確認したが、やっぱり見当たらねぇ。イリスの言う通り、らしいぜ」
サラの縋るような確認を、アークは手持ちを何度も見直しながら否定する。
「そんな、これだけの被害を出しておいて何もないなんて――」
「そもそも、どうしてモンスターがドロップを奪えたのか……疑問は尽きない。アレが特殊なのは分かってたつもりだけど、まさかアイテムまで拾えるなんて……」
ツウィグは呆然とし、イリスはブツブツと呟きながら思索に耽る。
「そうですね……今から追いかけて、追いつけるでしょうか?」
「……可能性は低いけど、行くだけ行ってみよう。ここで逃すには、獲物が大き過ぎる」
それぞれが頷き、黒い影が去った方を睨みつける。
まだ探索を終えていないおそらく唯一の箇所。
警戒を新たに、一行は巣穴を突き進んだ。
――けれど、見つかったのは、何もない祭殿と。
その横にある、地上へと続いているであろろう、巨大な空洞だけだった。




