第二十二話 争乱の契機
女王と別れた後、すぐに体の制御を取り戻した俺は、虫気|(?)のない場所でずっと惰眠を貪っていた。
別に眠かった訳ではない。
ただ、何をする気も起きなかった――と言うには、少し語弊がある。
具体的には、女王に見つかりたくなかったのだ。
洞窟内を歩いて、もし女王と鉢合わせれば、きっとまたもう一人の自分が勝手な行動をとるのだろう。
その間、平時の自己はどこかに押し出されてしまう。
それはほとんど、死んでいる最中と変わりない。
自己の消失――死んでもいないのに、あんな感覚になりたくはない。
だがら、俺がどうにか女王と出会わないためにはどうすればいいか――考えて、出た結論が睡眠だった。
眠っている間、俺の意識はない。
けれど、それは死ぬ時の消失感とは別物だ。
空虚感と言うよりも充足感――人間だった頃の名残なのだろうか、そんな感覚がある。
故に、生産的ではなくとも、俺は眠って過ごすことを選んだ。
変化が起きたのは、女王と話してから三日の後。
何か嫌なものを感じ、眠りから覚めた。
混濁する思考で周囲を見回し、閑散とした空間である事を再認識する。
洞窟内の明るさから、時間が昼頃だろうと適当に判断する。
一応ではあるが、外の光が巣にも入ってくるため、大まかな時間は知る事が出来るのだ。
(あふ……怠い……)
無気力感が全身を苛み、再び体を睡魔に傾けようとする。
しかし、それは叶わずに終わる。
突如として流れた、機械的な音声が耳朶に触れた。
――ユニークボス"ドラゴニック・トンボ"が打倒されました!
(――はっ!?)
文字通り、飛び上がって驚いた。
惰性で感じていた眠気は彼方へ消え失せ、意識が体の隅々まで行き渡る。
反射的に側に置いていた武器を手に取り、臨戦態勢に移行する。
そこまでして、自分の取った行動に呆然とした。
(……何やってんだか。敵が目の前に来た訳じゃないだろう。たかが、ボスが一体倒されただけ……?)
気付く。
今のアナウンスが何を知らせたのか。
俺が何を知っていて、何を知らないか、を。
(……ドラゴニック・トンボって、あの蜻蛉だよな? 前に見た、竜の翼みたいな羽があって、火まで吐いてた巨大な蜻蛉。ユニークボスって言葉は分からないが……まあ、多分ステータスが段違いに高いんだろう。そう言えば、あの蛾も無駄に強力だったような……)
数十体の蟻と蜂が襲いかかってもなかなか死ななかった蛾の事を思い出す。
一方的な攻勢だったにも拘わらず、かなりの苦戦を強いられた。
ただの雑魚敵ではあり得ない、異常な耐久力と攻撃手段の多さ。
旧来の蛾も強い事は強かったが、いくらなんでもあの蛾は異常な強さだった。
あの蛾はボスと形容しても、決して差し支えないだろう。
そう考えると、蛾を倒した後の凱旋中に何かが聞こえてきたような気がしてきた。
きっとそれは、ユニークボスが倒された事を知らせるアナウンスだったのだろう。
つまるところ、蛾――デモリッシュ・モスは、確かにユニークボスだったと言うことだ。
そうなると、一対一でユニークボスと戦えると言う事は、即ち女王もまたユニークボスなのだろう。
実際、あれと互角に戦っていた女王を素直に凄いと思ったものだ。
ユニークボスであっても、何ら不思議ではない。
(じゃあ、蜻蛉は女王が倒したのか? いや、女王がまた行軍した、って話は聞かないし。俺まで話が回ってないだけかもしれないけど、三日位前にあれだけ味方が死んでるんだから、また軍勢を整えるには時間が……いや、リポップするからいいのか? ああもう、分かんねえ!)
常識と知識と、現実と現状が、溶けて反発して混沌を生み出す。
ゲームの中である事、それが理解にバイアスをかける。
体から力が抜け、取り落とした黒い棒が地面を転がる。
整理しきれない情報の断片を掻き集め、どうにか現況に一致する解答を弾き出す。
(……プレイヤー。そう、人間が居るじゃないか。寧ろ、それ以外の答えがない)
一度出た答えは覆せず、また覆す必要もない。
ユニークボスを本来倒すのは、プレイヤーであるべきなのだ。
怪物を倒す英雄が、いつだって人間であるように。
また、プレイヤー達にとって、蛾の時のように、モンスターがモンスターを倒す事態は歓迎されないだろう。
ユニークボスのドロップは、それ即ちユニークアイテムである公算が高い。
であれば、女王が処分した蛾のドロップはプレイヤー達に渡らない事になる。
それがゲーム的に致命的な結果を引き起こす可能性を、完全には否定出来ない。
(ストーリー進行に必要なアイテムとかだったら笑えないなー……後で探してみるか? でも、女王に見つかりたくないし)
探索に発生するリスクとリターンを計算する。
そもそも、俺にとってのリターンはないに等しい。
"何となく気になる"から探そうとしているのだから、たとえ見つかっても実質的に俺に還元されるものはないだろう。
だとすれば、リスクだけがあるのだから、止めるべきかもしれないが――
(ここに籠もっていても同じか。いつかはまた会う事になるんだから、何か行動を起こしておくべきだろう)
決断したなら、早速準備を始めよう。
差し当たって、探すべきは塵倉庫だろう。
味方・敵含めて、ドロップしたアイテムは全てあそこに運ばれているようなのだ。
まあ、もしかしたら時間経過で消えているかもしれないが……それならそれで、そのドロップはそこまで重要なアイテムではないと言う事だ。
(まあ、ユニークボスとして女王陛下が狙われるとしても、まだ時間はあるだろう。今まで一度もユニークボスの事を聞いてなかったんだし)
気楽に考え、重い腰を上げた。
数歩分離れた場所に転がる黒い棒を拾い直し、何とはなしに振り回す。
空気をヒュンヒュンと切り裂きながら、巣の構造を思い出し、塵倉庫の位置を脳内地図で参照する。
巣の入り口から近くも遠くもなく――蟻達にとってはどうでもいい施設だから、そんなものだろうと納得する。
振り回していた黒い棒を肩に担いで、軽快な一歩を踏み出した。
――だが、折悪しくも予想は外れる。
それから二日の後。
昆虫族最強主の一角たる、オーガ・マンティス。
その打倒が、広く知らされたのだった。