第二話 現状認識
覚醒する。
その表現が実際に正しいかどうかは知らないが、ともかく俺は意識を取り戻した。
ちゃんと耐性が付いたのか、眩しかった太陽の陽射しももう気にならない。
一帯が背の高い木々に囲まれた草地の中で、無様に転がっている俺。
何となくではあるが、場所としてはさっきと変わらないように思える。
切り取られた空の広さが、イメージのそれと一致している気がするし。
まず起き上がろうとして――失敗する。
原因を探るために首を動かそうとして、初めて気付く。
自分の体が、芋虫になっていることに。
(は、はああああああああああぁぁぁぁぁっ!?)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
正気に戻った俺は、とりあえず近くの茂みの中に隠れた。
さっきまでの開けた場所にいたら何かと危なそうな気がしたのだ。
風が枝葉を揺らす音をBGMに、俺はほっと一息つく。
声が出ない体になっていてよかった……のだろうか。
感情のままに絶叫していれば、何かしらの生物が近寄ってきていただろう。
それが俺に害をなすものかどうかは不明だが。
(それにしても……)
体が真っ二つにされたような記憶が残っているのに、俺の体は頭の先から尻の奥|(?)まで感覚がある。
動かそうと思えば違和感を覚えずに問題なく動かせる……いや、そう出来るという事に違和感があるが。
腰を回すような感じで体を捻らせる。
三対六本の足を地面に着け、横長に立つ。
不思議な感覚はではあるが、かなり思い通りに動いている。
体が自由に動かせるというのは正直助かる。
芋虫の体なんて、人間のものとは何もかもが違っているのだし。
そもそも、昆虫には骨すらない筈なのだから。
(そう言えば……意外に芋虫になったことを受け入れられてるよな……)
単に現実味がないからかもしれないが。
それでも一応、取り乱さずに済んでいるのは確かだ。
現状の把握を行うに当たり、早くに冷静であるに越したことはない。
(これって夢なのか? いや、夢なんだろうなー……どことなく見覚えのある景色だし)
しかし、こんな自然の多い場所に行ったことがあっただろうか。
考えて、思い出しても、記憶にそれらしきものは見当たらない。
(って、ああ……そっか。なるほど、な)
そして、思い当たる。
見た事があるのは確かだった。
けれど、肉眼で見たとは限らなかった。
――かつて、ゲームの中でよく似た光景を見ていた。
VRMMORPGというジャンルのゲームがある。
Virtual・Reality・Massively・Multiplayer・Online・Role・Playing・Game……なんて、長ったらしい正式名称を知っている人は少ないだろう。
けれど、それがどんなものかを知っている人は少なくない筈だ。
ここで、VRMMORPGができるまでの経緯を簡単に説明しておこう。
元々のVRに関する技術は、十数年前に起きたいくつものブレークスルーを経て急速に発展していった。
俺はニュースなどで軽く耳にしていただけなので詳しい事は分からないが、長く世間を賑わしていた事は周知の事実だった。
ともかくも、そのおかげでマンネリ気味だった日本のゲーム業界は黎明期の如き活気を取り戻したらしい。
そんな中で、数多くのコアなゲーマーたちに切望されて誕生したのが、VRMMORPG。
多人数が同時にプレイできるVRゲームは、奇しくもVRが登場する以前から既に夢想されていた。
故にこそ、VR技術が世間に公開されてからさほど経たずに、いくつものVRMMORPGが発表されることとなった。
そして、俺もその内の一つ、"LinCageOnline"というVRMMORPGをプレイしていた。
Linkage――繋がりという意味の英単語――とCage――箱を表す英単語――をもじったタイトルのそれは、簡単に言えばよくあるファンタジーのゲームだった。
プレイヤーたちはモンスターを倒し、アイテムを売買し、アバターを飾り、家やら何やらを手に入れていく。
"異世界で生きる"ということをテーマに種々の要素が詰め込まれたそのゲームは、細かなクオリティーの高さも相まってそれなりに人気があった。
サービス開始から丁度五周年に当たって、十回目に当たる大型アップデートがされる、と大々的に告知されたのを覚えている。
アップデートがされるのに、サーバーにログインしたままでも大丈夫だという不思議な文言を見た覚えもある。
アップデートした内容をすぐに楽しめるということで、周りが沸き立っていたのも記憶に新しい。
俺もログインしたままアップデートを迎えようと思っていたのだが、残念なことにギリギリまで補習があって出来なかった。
補習が終わるなり、足が千切れる程の速さで家に帰り、即座にゲーム機を起動させた。
……させたが、その後は……?
(何かあったんだろうけど……分かんないな)
思いだそうとすると頭がズキリと痛んだ。
まあ、今無理に思い出さなくてもいいだろう。
そんなことを思い出すより、先に考えるべきことはいくらでもあるのだから。
ここがLCO(LinCageOnline)の中であるにしろ、この体は何故芋虫などになっているのだろうか。
アバターがモンスターになるアップデート……ではないと思うのだが。
そんなことをしてしまえば、どれだけの苦情が舞い込む事になるやら。
考えてみても分からないことだらけで、どうしようもなく頭が痛む。
(はー……とりあえず、ステータスとかって見れるのか?)
そう思って念じてみるが、何度やっても一向にメニュー画面が開かれる気配はない。
マニュアル操作用のブックもないし、道具やステータスを見るのは諦めないといけないのだろうか。
(何も出来ねー。けど、ここでぼーっとしてても仕方ないか。何か見つかるかも……)
隠れていた茂みからにゅっと顔を出す。
(…………)
「…………」
目が合った。
人間の男が目の前に居た。
輝く金色の髪に、彫りの深い濃い顔立ち。
性能の高そうな装備で全身を固めた、見るからに強そうな男だった。
(あ、人だ……コミュニケーションとれるだろうか)
とりあえずアバターがモンスターになったって説はなくなったかな、などと考えていると、男はいきなり背負っていた大剣で斬りかかってきた。
(……へ?)
「ふんっ!」
――ザン!
突然の事に反応出来なかった俺はその一撃を避けられず、体が真っ二つになった。
相変わらず痛みはなく、体から何かが抜けるような感覚だけがある。
(……あー、死んだな。大剣の一撃を受けて芋虫が生きていられる訳がないし。ん? って、芋虫ってことはこの体――)
体が軽くなっていくのを再度感じながら、思考もまとまりを失っていく。
二度目になるが、この消失感はどうにも不安になる。
(……大丈夫だよな? 一度は生き返ってるっぽいし)
体が空気に溶けていく。
未だ警戒を怠らずにこちらを見据えている男が気にかかるが、その理由を知る時間はないだろう。
(次に起きた時もまた芋虫なんだろーか。まあ、それを考えるのは後でいいや)
男をぼんやりと眺めながら、俺の意識は途絶えた。