第十九話 戦場
――ギィィィ! ギィギィ! ギギィィィィイッ!
――ビィィ! ビィィィイ! ビビィビィイッ!
都市の喧噪のごとく、蟻と蜂達が声高に咆哮する。
それは威嚇であり、士気高揚の雄叫びであり、勝利を謳う凱歌である。
音が森を揺らし、大地を震わせる。
死を散撒きながら進む虫達の後ろで――俺はゆるりと歩いていた。
(……怠い)
欠伸を噛み殺しながら、落ちつつある煌めく銀月を見やる。
白く、明るく、そして美しく輝くそれは、決して触れられない存在であることを自然と感じさせる。
いくら手を伸ばしても届かず、人の身では湖面に映る贋物を手に入れるのが限界だろう。
理不尽ではなく、道理としての不可侵の存在に見惚れながら――溜め息を一つ。
俺に与えられた命令は、言うなれば用心棒のようなものだ。
縦横無尽に好き勝手暴れ回る蟻と蜂達には、いくら数の有利があるからと言って勝ち目のない敵が存在する。
トライホーン・クワガタを筆頭にした、堅固な甲殻を持つ昆虫達。
つまり、そんな肉弾戦闘に強い生物が俺の主な相手になる。
勿論、俺一人でそんな敵全てを相手に出来る訳ではない。
羽蟻である俺がいくら蟻や蜂より強いと言っても、所詮はブレード・ビートルに拮抗する程度の身体能力でしかない。
では、どうやって甲虫以上の強敵と戦うのか。
答えは単純で、蟻や蜂を肉壁に攻撃を防ぎつつ、命知らずな蟻と蜂の繰り出す絶え間ない攻撃の間隙を縫うように一撃を叩き込んでいくだけだ。
それによって生じる犠牲など鑑みもせず、ただ敵を殺せさえすればいい。
一体でも多く、一秒の時間をも惜しむように、全力を尽くして敵を倒し続ける。
同族の死を気にかける――そんな余裕はどこにもない。
狂っている――そう思いながらも、一方でその行動が正しいと主張する自分も存在する。
自己が解離しているのではなく、新たな自己が生まれているとでも言えばいいのだろうか?
あまり上手い表現は見つからない。
そんな相反する二つの感情に苛まれながら、俺は気ままに戦場を闊歩していた。
面倒事に巻き込まれないといい――そう思いつつも、それは無理だろうとどこかで確信していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……ん)
無造作に突き出した細長い棒が、アーマード・ムカデの脆くなった頭部を抉る。
グシャリと気色の悪い感触がした直後、すぐさま手元に棒を引き戻す。
飛びかかってきた別のアーマード・ムカデの黒光りする甲殻は、羽を動かして浮遊する俺には命中しない。
――テッテレー! Falioはレベルが――
耳に届くレベルアップの音を聞き流しながら、敵対者の姿を観察する。
月光を反射する鎧を纏うアーマード・ムカデに、俺は若干の羨望を覚える。
てらてらと金属光沢を放つ黒い鎧は、磨き上げられた鏡のように光を反射する。
身を隠すには向いていないだろうが、百足達には余計なお世話というやつだろう。
彼らはその類い希なる防御力を生かした戦闘で、同格の昆虫達の中ではトップクラスの強さを誇っている。
何せ、その鎧を貫く程の一撃を加えられなければ、いつまでも倒れない堅牢さを持っているのだ。
個々のスペックが低い蟻や蜂の天敵と言っていい存在だった。
……と言っても、俺は普通に倒せるわけだが。
その秘密は、羽蟻の武器であるこの黒くて細長い棒にある。
黒い棒自体に攻撃力はあまりない。
だがこの黒い棒は、見かけによらずかなり硬いのだ。
それはもう、百足の鎧に引っかけても折れない程度に。
俺は眼下に無防備に晒されている百足を見下ろし、その鎧と鎧の間にある関節部分に狙いを定める。
気張る事もなく突き刺した棒は百足の体を貫き、そして力が込められる。
ボキリ、と小気味よい音の直後、半ばで二分された百足の死体が出来上がった。
――テッテレー! Falioはレベルが42に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが43に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが44に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが45に上がった!
百足が基本性能的に羽蟻より上位なためか、一気に上昇するレベル。
それを適当に聞き流して消えゆく百足の死体に見切りをつけると、次の獲物を探した。
どこぞの蟻か蜂が百足の巣を襲撃してしまったらしく、まだまだ大量の百足が沸いてきている。
横目で他の戦いに目を向ければ、羽蟻が集団で百足を攻撃している光景が見えた。
どことなく弱いもの虐めに見えてくるが、あれでも百足に与えられているダメージはそこまでのものではないだろう。
今は百足が劣勢だが、切っかけ一つで状況がいつ逆転してもおかしくはない。
それにしても、一気に数レベルが上昇する狩りというのは、昔にやったパワーレベリングを思い出す。
友人の助けを借りながら、適正より遙かに上のランクの狩り場で転生したてのキャラを育てていた事を思い返して苦笑する。
いや、昔と呼ぶ程懐かしいものではない筈だ。
だって、俺が芋虫になってから、まだ――
(……あれ? そう言えば、ここに来てから何日経った?)
思い出そうと動きを止めたところで、跳躍してきた百足の突撃をひらりと躱す。
擦れ違い様に振るった棒が百足の鎧に当たって弾かれ、落ちる百足を見ながら舌打ちを零す。
考え事に没頭していては、流石に百足に打ち勝つのは難しそうだ。
もう一つ舌打ちを鳴らし、持っていた棒をくるりと一回転させた。
それでも、細かく記憶を漁りながら一進一退の攻防を続けていたが、望みの情報は得られなかった。
特にネックなのが、死んでから目が覚めるまでの空白期間。
俺の意識がなくなっているのが、一回どれだけの時間なのか、断定する事は出来ない。
目覚める度に空模様が一変している気がするので、毎度それなりの時間は経っているらしいのだが。
(まあ、知ったところでどうという事もないか……)
小さく溜め息を吐いて、棒を振り降ろす。
跳び上がった百足を地面に叩きつけつつ、意識を戦闘に傾けていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
微妙に草臥れたような気がする棒を肩に担ぎ、視線を周囲に巡らす。
死屍累々――ではないことに、得も言えぬ不気味さを感じる。
後方遠くには、うず高く積み上げられたドロップアイテムが山を作っている。
一箇所に纏められているのは、一気に処分するためか、それとも別の理由があるのか。
遠くとも壮観の一言に尽きる塵山は、どことなくもの悲しさを漂わせていた。
あの山を作り出した蟻と蜂達は、言うなれば女王のために殉死したようなものだ。
その事が少しばかり、羨ましくも思えた。
(……どうせ、すぐにリポップするんだろうけどさ)
負け惜しみではない、純粋な事実の復唱。
いくら兵士が減ったところで、時間さえ経てばまた復活する。
それは敵にも言える事で、いくら倒しても結局手に入るのは経験値のみ。
それが重要だと言われればその通りなのだが――こちらが強くなるのに比例して、敵も強くなるから意味などないように思う。
寧ろレベルが上がって耐久力が上がる分、余計に厄介ですらある。
女王が何を考えているのか、全く分からない。
(何だったか、戦争とか言ってた気がするけど……どういう意味だ?)
首を傾げつつ、付着していない血痕を払うように棒を振る。
風切り音――に紛れて聞こえてくる、草地を踏み締める多くの足音。
警戒を強めて振り向けば、思いもかけない相手と対面する。
「あら? まだ生き残りが居たなんて……しかも、新入りの子じゃないの」
この戦争を始めた発起者――ホーネット・アント。
女王は前線で敵を倒していなかった残りの羽蟻達を脇に控えさせながら、悠然とその場に構えていた。
因みに、俺以外に戦っていた羽蟻は一体も生き残っていない。
対アーマード・ムカデ戦でかなりの肉壁を失くしたために、その後の散発的な戦闘で自ら前に出て戦わざるを得なくなったからだ。
時間とともに一体、また一体と数を減らし、その分他の羽蟻の負担が増える。
吸血による体力回復が行える俺以外は、死の悪循環から抜け出せずに死体に変わっていった。
……その分、俺のレベルは大変な事になっているが。
(もう93レベルなんだよなー……カンストまで後少しってのが、何とも言えん)
「――損害は想定の範囲内ね。予想外の接敵があったにしては、驚く程被害は出ていないし」
生き残っていた虫達から報告を受けて、女王は感心したような声を漏らした。
そのまま何かを考えるように、視線を中空に漂わせる。
その姿を改めて観察し――ほぅ、と息を吐いた。
(やっぱ美人だよなー……性格は少しアレだけど)
今目にしている女王の姿は、薄暗闇の中で見た時とは大分印象が違っていた。
昇り始めた陽光を背中に浴びて、黄の体色は黄金のように輝く。
体を走る数条の黒は、あたかも裸身に巻き付くテープのようで、その艶めかしさを高めている。
考え事をする時の癖なのか、膨らんだ臀部と穂先の針が左右に忙しなく揺れている。
控えめに見ても一級の美女の姿に、思わず見惚れてしまうのも仕方がないだろう。
凝視されていることに気付いたのか、女王の瞳が俺の姿を映す。
そして――ふわりと、柔らかに微笑んだ。
(――っ!)
胸を打つ、激しい衝動。
平生の魔女のような狂った笑みを見ているせいか、その笑顔はより可憐さを増している。
ドクドクと心臓から流れる血液が勢いを強め、逆上せるような錯覚に襲われた。
そんな俺を見て女王はクスリと笑うと――不意にその顔を強張らせた。
何事かと周囲を警戒しようとして、気付く。
自分の体が、ぴくりとも動かせない事に。
「やられた……っ!」
歯軋りを鳴らさんばかりに怒りの形相を浮かべる女王の前に、一体の蝶――改め、一体の蛾が舞い降りた。
全長は二メートル程もありそうな、巨大な体躯。
広げられた大判の羽には、極彩色の幾何学模様が描かれている。
羽撃く度に振り撒かれる微細な粉は、光を反射して煌々と輝く。
そして何より特徴的なのが、醜悪極まりないその容貌。
薄く生えた毛に覆われた顔を形作るパーツの数々は、見る者全てに嫌悪感を抱かせて止まないだろう。
一切のデフォルメなしに巨大化させた昆虫が如何にグロテスクであるか、そんな事を追求したかのような気色の悪さがある。
込み上げてきた吐き気を飲み下し、視線を蛾から落とす。
数秒間で嫌悪感をいくらか緩和させ、ゆっくりと蛾を視野に入れる。
そこには、射殺さんばかりの眼光を蛾に向ける女王が、毒々しい声音で言葉を紡ごうとしていた。
「――デモリッシュ・モスっ!」
ギャァギャァと女王の声に反応して鳴いた蛾――デモリッシュ・モスの声は、耳が穢れるかと思う程聞き苦しいものだった。
女王の顔に浮かぶ苦々しさは、更にその色を増す。
その名をもう一度口にする事も厭うとばかりに口を結ぶ女王の複眼は、憎悪一色に染まっていた。




