第十一話 決闘
飛び出してきたブレード・ビートルの動きと同時に、俺も羽の動きを大きくしてその場から飛び立つ。
ブブブと羽音を立てて飛翔しながら、互いにまだ睨み合いを続ける。
対峙しながらも動く二体の雄と、動かない一体の雌。
雌は本能で何かを感じ取っているのか、それとも連れ合いが藪蚊などに負ける筈がないと信じているのか、静観する姿勢を崩さなかった。
それは俺にとって、非常に助かる話だった。
(とりあえず一対二の状況は回避したか。戦闘が長くなれば雌が参戦してくることも考えられるが、まあ、雄を先に仕留められれば俺の欲求は叶うだろうよ)
雌が動かない事を見て確認しただけで、また生殖器官が熱くなる。
自分の体の変化に舌打ちしたくなるが、無駄な考えに割ける余裕はない。
ブレード・ビートル相手に低レベルのバット・モスキートが勝てる見込みは、少なくはないだろうが、決して多くもないのだ。
……と、思考に気を取られて動きが単調になった瞬間、ブレード・ビートルの体が急速に迫り来る。
俺の隙を確実に捉えてくるその動きに、相手が強敵である事を改めて理解する。
すぐさま回避行動に移って避けようとするが、僅かにその足が俺の足にぶつかった。
(ちぃっ!)
ブチィッ。
堅固な甲殻に覆われた甲虫の足は、脆弱な藪蚊の足を掠めただけでも引き千切った。
体の部位欠損により重心がずれたため、バランスを必死になって保とうと試みる。
数秒フラフラと体を揺らしつつも、何とか自由に飛ぶ事を再開する。
(触っただけでもうアウトとか、何だよその鬼畜ゲー! 勝てる見込みがあるとか冗談だろ! 馬鹿か俺は!?)
さっきまでの楽観していた自分に悪態を吐きながら、擦れ違った敵の姿を探していく。
肉体性能に圧倒的な差がある相手に、背を向けたままなんて無謀な真似は出来ない。
そうして見つけた敵は、正にこちらへ突進している最中だった。
(ちっ、こっちに来んなっ!)
先程より十二分に余裕を持って回避する。
今度は無傷で済んだと安堵したのも束の間、すぐ側を通り過ぎた甲虫の巻き起こした風に煽られ、再び空中でバランスを崩しかける。
理不尽なまでの性能差に、頭を掻き毟りたくなる想いを封じ込める。
(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! もう、避けてばかりじゃ埒が明かねえ! 攻撃しないといつまでも終わらねえだろうが!)
苛々を募らせながら、再び近付く甲虫の体を既のところで避ける。
半ば自棄気味に、横を通り過ぎる甲虫の腹目がけて舌を伸ばす。
ストロー上に丸まった長い舌が、甲殻に包まれていない柔らかな腹部を貫いて刺さる。
(……あ? 腹は硬くないのか。だったらこのまま――っ!?)
吸血を行おうとした俺の体が、体を捩らせる甲虫に振り回されて木に叩きつけられる。
俺は衝撃で思わず舌を戻し、甲虫はそのまま飛んでいく。
空中で旋回する甲虫は、木の下で悶える俺に向けて加速した。
(ちっ、くっしょうがぁぁぁっ!)
力を振り絞る。
木にぶつかった衝撃で機能を低下させた羽を無理に動かし、自分でもどこか分からぬ方へと飛び出す。
運よく甲虫の飛来するルートから外れた場所へと移動し、そこでまた木にぶつかって止まる。
元々大した速度が出せなかったため、衝撃はそれ程のものではなかった。
――ドゴン!
凄まじい轟音を響かせて、すぐ近くで何かが衝突した。
樹木を倒し、地面を抉り、土砂を撒き散らしたそれは、さながら爆発のようだ。
頭に土石を乗せたまま、放心しかけた自分を叱咤する。
(……落ち着け! 大技の直後なんだから、寧ろ今がチャンスだ! 今の内に、少しでも体力を奪っておかないと……)
立ち上る砂煙を見つめて、その中で黒い影がゆらりと揺れるのを確認する。
その黒い影でも特別細長い部位が、砂煙を散らそうとぶんぶん振り回される。
そしてその細長い部位が大きく振り上げられた瞬間、俺は舌を突き出した。
(届けっ!)
伸びていく俺の舌は、気付かぬ甲虫に迫っていく。
だが、振り上げられていた頭は徐々に下りてくる。
流石に俺の舌が硬い甲殻を突き破れるとは思っていない。
俺の舌が甲虫の腹に届くのが先か、甲虫の頭が下ろされるのが先か。
ギリギリの時間との勝負だ。
(届けぇぇぇっ!!)
勝利したのは、俺。
神がかったタイミングで甲虫へ届いた俺の舌は、腹ではなく首へ突き刺さった。
その事に気付いた瞬間、即座に俺は全身全霊を込めて吸血を開始する。
弱点へのダメージは、他の部位へのダメージよりも大きくなるのは自明の事だ。
そして生物として、首が弱点でないものは殆ど居ない。
(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!!)
――ォォォォォオ゛オ゛オ゛ッ!
甲虫の唸り声が大気を揺らす。
重低音を発しながら藻掻く甲虫に振り回されそうになるのを、ここが正念場だと必死に堪える。
吸血による体力回復分でどうにか無茶を許容出来ているが、それでも着実に体力は削られていく。
互いに加速的に減少していく体力。
再びの、時間との勝負。
勝ったのは――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ズゥゥン、と音を立てて倒れる体。
何もせずに見守っていた雌が瞠目する。
その目に浮かぶ感情は、後悔か、それとも別の何かか。
関係ないと切り捨てて、勝者は景品へと近付く。
――ゥゴォォォオオオオオ……
威嚇する雌を、勝者は敵とも見なさない。
勝者にとって、雌とは自分に蹂躙される存在であり、嬲られるべき者であり、欲望の吐け口となる物である。
故に雌の反抗は、それとして勝者に思われる事もなかった。
勝者は口元に微笑を湛え、じわじわと距離を詰めていく。
その顔に浮かんでいるのは、欲望に彩られた喜悦の笑み。
複眼を始めとする昆虫類特有の奇怪な顔の造形と相まって、それは正に魔性と言っても過言ではなかった。
思わず一歩後退った雌の体が背後の木にぶつかる。
そこでようやく、敗者の体が空気と化して消えてゆく。
それに合わせて鳴る、連続する効果音。
――テッテレー! Falioはレベルが6に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが7に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが8に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが9に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが10に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが11に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが12に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが13に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが14に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが15に上がった!
十度も繰り返されるそれを、勝者は気にも留めない。
普段であれば煩わしく思ったであろうが、今の勝者は一分たりとも気にかけない。
勝者の脳内を占めるのは、眼前の雌を如何に弄ぶか――それのみ。
――勝者の意識は、そこに存在していなかった。




